第3章

 宇宙船に乗って仮想空間を駆け抜けワープする。次のステージに着いた。無限の暗黒空間に本物にしか見えない銀河が広がっている。

「宇宙でーす」

「もうぶっ飛び慣れててツッコミ所ねぇよ!」

 超ド級の地球があるがすっぽりと緑のシールドに覆われている。実際なら遥(はる)か彼方に周囲に太陽系があるが、ここでは比較的近所に位置している。双子は大仰に窒息する身振りをしているが普通に呼吸できるし、子どもたちは本当に来たのかと大騒ぎだ。

「もちろんレプリカだ!」

「もうなんでもアリだなこの国は!」

 怪しい大きな艦隊(かんたい)の数々が地球をけん制するように旋回(せんかい)している。月の付近に浮遊する宇宙ステーションに宇宙船を格納(かくのう)して中心の部屋に入る。

 とってもわくわくさせるUFOの中みたいな造りだが、溢れ出るオモチャ感。

「ボーイアンドガール! 第五プレイステージ『宇宙』へようこそ~!」

 イエーイと子どもたちは喝采だ。

 ギルベルトがアクリルの凸(とつ)窓から見える銀河系の絶景に感嘆を上げ、宇宙艦隊にかっけぇと興奮するなり、地球を覆っているシールドを指さした。

「うおー! あのグリーンのやつすげえ!」

「あれは敵の攻撃から一時的に地球を守る、私が張ったシールドだ」

「神かよ」

「実は今、地球がエイリアンに侵略されつつある危機を迎えている。地球の周りに飛んでるあれぜんぶ奴らの軍艦だ! すごいな! あと三十分でシールドの効果が切れて地球が侵略されてしまう! そのために君たちが人類代表として選ばれた! 我が地球のために機動戦士として戦うのだ~! タイムリミットは二十分! 第三遊戯、『超リアル体感型バーチャルゲーム──スペースウォーズ』~! ばっさばっさと無双してラスボスを倒せたら勝利だ!」

 ピエロの案内の下、それぞれ違うカプセルの中に入り、シートに座ると暗がりの中にデジタル画面が宙に表示され、中によっては声の違う合成音声が喋る。

「こんにちは。このゲームでは、あなたの分身であるロボットをここで作成して、他プレイヤーの敵とバーチャル対戦で戦うことができます。あなたのロボットをバーチャルで作成します。あなたについて詳しく教えてください」

 指でタップすれば反応でき、自分の性格、好きな色、特技、好きな食べ物、一体どんな世界観を持っているのか事細かに聞かれるので設定し、パーツごとに自分好みの多彩なデザインが着せ替え式に選べる。画面内でぐるぐる廻っている骨組みがカチカチと本当に組み立てているみたいに音を出して盛り付けられていく。各自好きなように自分の分身をつくった。

「OK! 素敵なアイデンティティですね。あなたの世界観は、『平和』です! 普通ですね! 逆にレアなくらいです! 味方のプレイヤーの準備が整いました」

 簡単な操作方法を教えてもらい(セシルはお前の口の聞き方を直す方法ときいたが)、対面にある大きなモニターが点いてカッコいい出動空間が現れ、臨場感をわくわくして全身で味わう。

「今、地球は地球外侵略派組織、『ゼルべバブ』に包囲されています。ゼルベバブの使徒(しと)、ダークペイダーたちに、生命の危機が脅(おびや)かされています! 勇敢なる人間の機動戦士として、私はただ見ているので、人類をどうか救ってあげてください! 出動まで、三、二、一──いってらっしゃ~い!」

 シートがリアル感を演出するため揺れ、長い出動空間を高速で駆ける。各出口から同タイミングで等身大の機動戦士ロボと化した一同が月面に登場。ステージは先ほどの宇宙空間と瓜二つでさながら現実だ。モニターはロボット視点で見ることができ、その中のまた小さな画面で客観的に自分の姿を見ることができる。

 双子が陽気に動き回り、普通にカッコいい機動戦士姿のセシルは隣を見ると、全身サラダ色のフォークの棍棒を持っているパプリカの女王がいた。

「サラダアアアア! 一目で分かるあたりやっぱ桁違いだな!」

「あんたもその安心感に関しては桁違いだと思うわよ」

「わあ、もう誰なのか一目でわかる。やっぱ個性って出るよね。エイミーはどこかな」

 背中に白い翼を生やした金髪のイケメンロボが微笑んでひょっこり顔を出す。

「翼ああああ? すげえ! 綺麗だけど……闇を感じる」

「あ! これセシルだー!」

 天真爛漫な声に嬉しそうに「これってなんだよ」とセシルが振り返る。

 専用コーン型スラスターにビットキャリアーに加えGNソードフォーフルセイバーを持(じ)してカタールモードorランチャーモードにも変形可能のとにかくもうボリュームのレベルが違うレッドカラーがベースのイケメン過ぎるロボに思わず叫んだ。

「お前めちゃくちゃカッコいいなアアア! カッコよさが桁違いだよ!」

「みて! お花」

 イケメンがふんわりと綻び、手品もできるのかお手手にぽんとお花を咲かせた。

「かわいい」とろけるセシルたち。

「えー! ちょっとヤバあ! 平和、野菜、イケメン、堕天使、うさぎ剣士、ゴリラ、リズム、ビジネスって! ちょっとみんなヤバくな~い? 個性が渋滞しちゃってて大丈夫ですかって感じ! ハハッ、草すぎい、てか前髪ー風強くない?」

「ここ宇宙だよ」

 ブレザーの制服にうまい具合にシースルーにして巻いた前髪にミニスカの女子高生姿のロボ(ピエロ)が割り込む。

「もうツッコミどころ多すぎんだよお前らは! タイプは変人だな? そうだな?」

「違うしい! セシルのバカぴ。JKのぴえろで~す! 自由人タイプなのぉ~! いいでしょう? えいっ」

 とスマホで自撮りする。スマホは一応武器である。変身可能で男子高校生(DK)にもなれる。「お前らしいよ……もうお前らしい」

 突如警報が上空で鳴り響き、バカでかい艦隊の口からダークなロボ集団のダークペイダーたちがおびただしい数で猛烈に下りてくる。CPではなく実際におもちゃたちがプレイしている。

「地球人を発見! 直ちに粛清(しゅくせい)を開始する!」

「ゼルべバブ来たあああああああ! よし戦わねぇと!」

 セシルたちが驚きつつもグループで意気込むが、セシルの手前を、メガネをかけたサラリーマン風のロボが悠々と横切る。

「下手に戦いリスクを冒(おか)すよりも守備に固めた方が得策だね、まあがんばってくれ」

「ロボでもメガネなのかよ! クズっぷりは相変わらず桁違いだな」

「僕の父さんをモチーフにしたんだ。さて、敵がいないところで社長(ぼく)はのんびりと」

「──隙だらけだよ!」

 あ、とセシルがこぼし、マルクスが背くや敵の一人が先駆けて薙刀(なぎなた)を彼の片目に振るった。ぱりん! と眼鏡の片方が砕かれ、「ぐほっ!」とマルクス音声が呻いて体が崩れ落ち、HPのグリーンのゲージがやや削られる。片目を押さえ悶える。

「あぁぁ、眼鏡がぁ、眼鏡がぁああああぁああああ~~~!」

 使途が愉快そうに笑い、憤然とマルクスが顔を捻る。

「貴様何をする! 僕の目だぞおおおおお?」

 HPの下のゲージが勢いよくマックスになり、マルクスの全身から弓形(ゆみなり)の刃(やいば)のようなグロテスクなエナジーが爆ぜて強風を放つ。味方を巻き込んでダークペイダーたちが煽(あお)られ、至近距離にいた使徒が消滅。中の画面にスペシャルな文字が表示されて男性の音声が喋る。

「世界観『ビジネス』──必殺イベント発動──『社長の逆鱗(げきりん)』」

 エナジーが広範囲に渡って余さず使徒に届くと、たちまち圏内(けんない)がオフィスのフィールドに一転する。

 眼鏡は元に戻り、黒炎(こくえん)のエナジーに燃えるマルクスが大勢の軍勢を前にして腕を広げる。

「君は社畜で僕は社長。さあ僕のブラックカンパニーへようこそ。夜まで君を帰さない、ここに定時という概念は存在しない!」

「えええええええ?」

「こ、これは……!必殺イベント! 個人によって発動要因は異なるが、ある刺激を受けてエナジーゲージがマックスになると、独自の世界観を展開することができるんだ! 映(バ)える~」

 といつの間にDKになっていたピエロが熱く説明しスマホで撮る。洗脳し、威厳溢れるどす黒い声を放つ。

「何をしている?」

 すみません! 社長! と一斉に使徒たちがお辞儀する。眼鏡の眉間を押さえ、さも痛ましげに言う。

「先ほど、我が社のC君がお亡くなりになりました。死因は僕に反逆したそうです。教訓を示した彼に感謝して、我が社の理念を輪唱(りんしょう)したまえ。バイブルのようにな! どうした? 忘れたというのか?」

 一人が答える。

「えっと……『清く正しく美しく』ですか?」

 それは宝塚(たからづか)である。

「君はもう死んでいる。正解は──『ATM(あたま)』だ」

「解るかアアアアアアアア!」

 使徒が目からビームで処刑される。この世の終わりだ……などと呻き、精神的ダメージを負い、他の使徒たちのHPがごっそり消えて続々と消滅する。

「三分の一──『が悪い。君クビね』」

「しゃ、社長!」

「誰が喋っていいつった?」

 三分の一に加えて二十人くらい消滅した。

「君たち、みんなATM(あたま)だ」

 赤い光線を発射して使徒が爆発し、全滅する。通常モードに戻って後ろを振り返り、きれいさっぱり誰もいなくなった戦場を背景に笑顔で腕を曲げる。

「これがマニュアルだ」

「よし、今からお前を殺ればいいんだな?」

 セシルが言った直後にまた警報が上空で響き、ダークペイダーたちが猛然と地上に降りてくる。皆が鬨(とき)の声を上げる一方マルクスは別のところへ行き、双子が先陣を切って迫りくる大群の使徒に立ち向かう。

「上等上等上等オオオ! ゴリ押しだぜ!」

「僕の踊りについていけるかなっ!」

 彼の音声が技名を言う。

『海藻の円舞(ワルツ)』

 ワカメ踊りを舞う本体から分身がいくつも現れ、輪になって敵陣を囲う。

「なんだこれは? 本体はどいつだ!」

「クソ、脅威の気持ち悪さだ……」

「隙だらけだぜえええええ?」

『ゴリラゴリラゴリラ』

 燃えているような両の拳骨で一撃で吹っ飛ばし、屠る。

 近辺(きんぺん)でニコラが包囲され、集中的に波状(はじょう)攻撃されていた。

「いやあ! ちょっと! 女王に何してくれるのよ! アンタたち……ざけんじゃないわよお!」

 女王のお怒りゲージが端を突き──グリーンエナジーを体からほとばしらせ、フィールドを農園に変えてハイテク収穫機にフォルムチェンジ。

「世界観『野菜』──必殺イベント発動──」

「全員綺麗に刈り取って差しあげるわ!」

 能力がぐぐんと上がり、ダイナミックに馳せて先端の刃で敵陣を攻撃し、ひとり残らず収穫の餌食にする。

『ク○タの逆襲(ぎゃくしゅう)』

「ク○タの刃は、心を刈り獲られるほど、危険よ?」

 かわいいソードを持ち、アイマスクをつけたつぶらな瞳、小さな口、小柄なうさぎ姿のロボの前に、男女のダークペイダーたちが余裕ぶって来る。

「まあまあ~かわいいうさちゃんでちゅねー、やさし~くしてあげまちゅよ~」

 しかし、突如電源を入れたように侍のごとく剣を構え、電光石火で目の前の使徒を斬撃(ざんげき)し、息を吐(つ)かせず消滅させる。「え……」

『しでんいっせん』(紫電一閃)

 可視できるほどのただならぬオーラに燃える、無言のうさぎ剣士に……敵の誰もが後ずさる。

「きゃあ!」

 使徒の男にエイミーが切り刻まれた。彼女を守るように傍にいたエトワールの暗黒ゲージがマックスになり、どす黒いエナジーを燃やす。

「テメェ……ブチノメス」

 その目を見ただけで使徒がしんだ。生き長らえた弱った使徒に悪魔がとどめをかけようとしたが、エイミーが手に花を持って無邪気に話しかける。

「お花はいかがですか?」

「あ、ありがとうございます……」

 白金(はくぎん)に輝く愛の光により使徒を仲間にした。それを見て「ますます好きになった」とホワイトに戻り、攻撃をしかけてくる使徒に対して弓矢で攻撃する。

『匿名(とくめい)、君はいつ、俺のものになってくれるの?』

 メッセージと光を込めた弓矢が男のダークペイダーの胸に命中。彼のメッセージが胸の中で響き、渡り、刺さった矢を投げて返信してくる。

『三か月後、かな……』

「文通するああああああああ!」

 セシルがパンチで弓矢を破砕。ある程度みんなで消したものの数はまだ大勢いる。周辺の使徒を屠り、余裕ができたときにふと気づく。

「そういえばアイツいないな」

 横を見ると、くたばった使徒の上にJK姿のピエロがなんか座っていた。

「もうムリ~。戦いなんてだるいしムサいし前髪崩れるじゃん! 前髪しか勝たん~」

「スマホいじってんじゃねぇよ! ホント自由人だなあいつ! 地球より前髪か」

 ラ○ン!

 こども音声の軽快な通知音が中で響き、スマートフォンの通知画面になっているデジタル画面が新たに浮上する。

『(きらきら)……ぴえろ……(きらきら)からスタンプが送信されました』

 通知をタップするとラ○ンのトーク画面になり、求愛しているジ○ームズがいる。すぽん。

『セシルん(ハート)』

「きっも」

 求愛してきた。メッセージなのになぜ音声まで付いているのだろう。

『ヒマ~』

 ぴえんのスタンプを送ってくる。既読無視はあれなのでム○ンの中指を送っておいた。ピコンとまた通知がくる。「またかよ」

『ぴえろさんがインスタグラムを投稿しました』

 ホーム画面に戻ると戦わねばならないというのにスライドしてもアプリの集団がある。

「どんだけあんだよウィンドウズ並みの設備だぞ」

 インスタに移行すると一番上の投稿にピエロが飾った笑顔で自撮り写真を上げていた。

『宇宙なう(星)』

 さすがに笑い交じりになる。

「宇宙な……宇宙なうじゃねぇよ頭おかしいだろ!」

 DMが来る。『いいね(ぴえん)』とうるうるとねだってきたので、真面目にやれと返しておいた。現実でピエロが不満げに大声で叫ぶ。

「ええ~! セシルのバカぴ! みんなぁ! いいねいいねぇ! いいねプリーズ~!」

「露骨過ぎるだろ! ったくしょうがねぇな!」

 みんな頑張っている中愚痴りつつヒマを持て余している人にいいねをしてあげた。キャーヤバイと大喜び。エナジーゲージがマックスになり、サイヤ人のようにエナジーを溢れさせDKに変身する。

「うおおおお! 承認欲求が満たされたことにより戦意が湧いてきたぜ! 友の数よりいいねの数、認められたい褒められたい、だってしょうがない人の性(さが)──男子高校生ピエロ参上! みんな、待たせたな!」

 お調子者っぽく言ったが、早く戦え! と一斉に言われたので蹴り立てる。

「スマホスマホおおおおお!」

「なんだセシルん。これはれっきとした武器だぞ!」

 と空高くまで踊り上がりツイッターの画面を中二病っぽく天に向ける。

「我がアカウント! 百千(ももち)のツイートを解き放て!」

『ツイッター──デッド・リツイート。戦場に非リアの絶望を拡散させます』

 画面からブルーに縁どられた白い鳥がドリルのように飛びあがり、サイバーネットワークを満遍(まんべん)なく迸(ほとばし)らせる。圏内の使徒に『クリスマス。今日も免許証と乾杯』『ハッピーバースデートゥーミー』などという、哀愁(あいしゅう)満ちた冷凍攻撃を放つピエロの音声つきツイートを拡散する。

 次々と大群が冷却消滅していく中、中ボスのダークペイダーが生き残る。もう今にもくたばりそうだ。ピエロが叫ぶ。

「セシル! ととめを刺せ!」

「おう! 任せろ!」

 セシルは拳に渾身のパワーを込めて技を突き付ける。

『痛いパンチ!』

 胸に命中し、ダークペイダーは普通に倒れた。闇色の光の粒となって消える。全員倒してみんなどこか安らいでセシルに微笑んでいる。

『みんなに安心感を与えたので、全員、十回復です』

「さすが平和だな」

「ありがとうセシル」みんなが言った。

「褒めてんのかあああああああ!」

「かっこよかったよセシル!」

「まあな?」


 マルクスは、戦場とはだいぶ離れた場所で漫然(まんぜん)と歩いていた。

 ピエロに会いたい。今……あいつらといるのか。僕よりあいつらと。今さら戻りたくない、二人きりならいいが集団がついてくるとなると別だ。馴れ合いなんて孤高の自分にふさわしくない。トップはいつもひとりだ。しかし、彼がいないとやはりさびしい。君に会──

「いた!」

 自分としたことが、目の前の障壁に気づかず頭を打って尻餅(しりもち)をついてしまった。しまった。いつも気をつけているのに。思考に神経を傾けたあまり、ぽろっとだ。ふいと目の前の壁というか、大きな岩に見覚えがあることに気づいて、距離をとって辺りを見渡す。

「ここ、一度歩いたぞ」

 そう、少し前にここを歩いた。真っ直ぐ歩いていたつもりだったが、彼は無意識にぐるりと旋回し、頭を強打したのだ。普段、絶対バカにされないように神経を研(と)ぎ澄ましていた、方向音痴でドジなのを隠すために。

 かっと顔が熱くなった。誰もいないことをすぐに確認して「しっかりしろよ前頭前(ぜんとうぜん)野(や)」と中の器官を叱り、歩行を再開するがまた壁に頭をぶつけて倒れた。また……だ。よく自分は倒れる。

「なんだ? 死んでいるのか?」

「いいえ、生きているでしょう。実体がある限りは」

 男女の声を知覚した刹那に脳裏に警報がとどろく。即座にトリガーを掴み、バッと起き上がって急いで間を置くと目を見開いた。人型や怪物、ダークペイダーが十数人……。新たに下った集団だ。一人で戦えるだろうかと心配する暇(いとま)もなく、敵と判断するや一斉に矛先を向けて襲い掛かってくる。

 激しい乱戦ののちマルクスは命からがら全員を撃ち倒した。体力はごっそりと削られてレッドが申し分程度。たとえ相手が一人でも危険な状態だ。タイムはあと十数分は残っている。

 これはヤバイ──。戦闘はこれっきり避けよう。何としてでも脱落は免れたい。奴等は生き残って自分だけあえなく脱落するのは何がなんでも阻止したい。

 戦闘前にぶつかった岩に身を潜める。どうか、このまま見つからないように。

 空から警報がとどろいた。心臓が狂ったように飛び跳ねる。今まで聞いたものがかわいいと思えるくらい一段と大きく悪辣(あくらつ)な轟音。急いで空を見上げ、最大の戦艦から、ダークペイダーの軍団が月に天下(あまくだ)り、やや遅れて巨大なドラゴンが立派な翼を広げて獰猛(どうもう)に飛び降りる。大地を揺らして着地し、地を揺るがすような咆哮(ほうこう)を上げる。

 遠目から見れば、それはあまりにもおぞましい途方もない邪悪な海だった。急いで地獄の光景から頭を背ける。大きな岩に隠れたはいいものの、目の前はステージの縁になっており壁がどこまでも左右に広がっている。逃げ場は、ない。

 絶望が胸の中に広がり、極度の恐怖に支配される。

 どうしよう。負けたくない。失敗したくない。脱落したくない。ひとりじゃ何もできない。どうすればいい?

「助けて、ピエロ……」

 こわいよ。失敗する。完璧じゃなくなる。夢が落ちる。現実に戻らなきゃ。戻りたくない。ずっとここにいたい。母の顔を見たくない、父さんに会いたい。でも会いたくない。人形になりたくない。家に帰りたくない。

 暗澹(あんたん)の塊が胸にのしかかり、腕の中に突っ伏した。目を瞑っても、真黒な闇がそこに満ちている。悪夢が蘇る──

 ──父さん……父さん……父さん……? 父さん……父さん。

 悲しく、恋しく、疑ぐり、怒り、切なく、愛おしく、心の中であの人を呼ぶ。

「父さん……」


 彼の言うことは従順に従い、結果を残してきたつもりだが、心から褒められたことは一度もない。

 いつも忙しく、家にいても自分には寡黙で、会話があってもテストの結果がどうとか内容が事務的であり、マルクスが話しかけても精々(せいぜい)二言で途切れる。コミュニケーションに乏しく、無関心のようですらあった。

 自分には興味がないのに、妻のルーシーとは仲睦(なかむつ)まじく、堅物(かたぶつ)の彼が膝に彼女を乗せて「かわいい」とか「愛してる」と母ばかり褒めちぎり、愛おしそうに頭を撫でている光景に嫉妬(しっと)した。そこにいるのは自分のはずなのに。まるで娘だ。ロリが。自分よりバカなくせに。

 ──これだからバカが嫌いなんだ。

 彼に振り向いてほしい、心から褒めてほしい。中学生が勉強するような難問の模試を思い切って挑んで、全科目満点、順位一位の通知を貰ったとき、お手製のオモチャを抱き締めて踊った。

 喋らないし、本物よりは劣るが、片手にロボのオモチャを持って部屋から飛び出した。執務(しつむ)室にノックして、結果が返ってきたと興奮して告げると、許可をもらって入った。

 天井を衝く本棚が立ち並び、整然と片付いた部屋。社長の風格に満ちた大好きな場所。バスターは書類をしたため仕事をしていた。背後の窓からこぼれる白い光の中にいて、教会のような神聖ささえあると思う。邪魔な母の姿はない、胸が狂い躍る。

 扉の前にらんらんと佇み、バスターが一瞥もせず促(うなが)す。

「どれ、見せなさい」

 丁寧に手渡す。筆を一旦置き、部下が作成した書類みたいに中身を目に通した。自分が見つめられているようでドキドキする。

「理系文系いずれの科目も満点、いずれの進学校も余裕のオールA判定です! 順位は学校では日常でしたが、国全体の模試でトップを取るのは初めてです! 寝る間も惜しんで勉強した甲斐(かい)がありました! ああどうしよう、すごく嬉しいぞ!」

 彼は何も言わない。視線を息子へと移す。オモチャを笑顔でぎゅっと抱きしめ、マルクスは興奮し過ぎるあまり敬語を忘れ、独りごちるように今まで話したこともなかったことを滑らせる。

「中高は国内一の進学校に行って、もちろん大学は電気工学を学ぶんだ! 卒業したら会社を創設して、開発と一緒に経営もやりたい! 未だ誰も開発したことのないハイテク機器を創って、僕は社長として名を轟かせるんだ!」

 燦々と希望に目を輝かせて彼は夢を語った。しかし、父の低い声が怒気を放つ。

「……それはなんだ?」

「え?」

 父の目を辿ると、右手に行き着いた。あ──と、気づいたとき、背中がぞくりとした。自分が趣味でつくったロボ。父は空にいる彼に関連するものはことごとく唾棄(だき)していた。持ってきてはいけない場所に、それを勢いあまり連れて来てしまった。

 長身が席を立ち、長い脚が怒気を滲ませてこちらへと近づいてくる。怖くて、一歩、片足を退けたが、オモチャをばっと取り上げられた。

「あ……」

 ずっと背の高い空中に笑顔が上下逆さまに浮かぶ。瞠目する。情のない寄せ集めでも、それは、彼の大切なともだちであり、夢を詰め込んだ宝物だった──

 凄まじい勢いで落下する。地面に衝突すると部品が四方に爆ぜて残酷な轟きを立てた。

 狼藉(ろうぜき)する、ゴミ同然となったそれを限りなく目を見開いて、ただ見下ろして、ゆっくりと父を見上げる。険しく歪んだ端正な顔。愛してやまない父。

 まるで死神のように見えた。

「お前の、妨げだ」

 平然と部品を踏んで歩み寄り、身を屈め、大きな掌で頭を包み込んだ。

「よくがんばったな」

 何のことか一瞬わからなかったが、あの模試のことだと思い返す。渇望(かつぼう)していた父の労い、スキンシップも今や全く無に等しく、ただ呆気(あっけ)に取られていた。

「私がお前ぐらいの頃はそのような成績は日常的で、既に中学にいた。やや私より劣っているように思えたが、お前は大変な努力家で、過去の私に追いついたな。これからさらに研鑽(けんさん)を積めば、私をも超えるだろう。もう来年は小学校に行かなくていい。中学に飛び級しろ」

「…………」

「足元を固めて堅実に歩め。会社(うち)は富も名もあるし、わざわざ砂上の楼閣を建てなくともいい、博打(ばくち)なんて打つな。世に恥じないような学歴を取り、普通科の、大学を修(おさ)めてうちを継げ。私の父も、祖父も、曾(そう)祖父も代々受け継ぐ我が社を。お前以上の逸材なぞ、後にも先にもいない」

 瞳が揺れ、どんどんと真綿(まわた)で首を絞められていくようで、心の色彩が剥がれていく。父はまるで人形に微笑んだ。

「立派な社長になるぞ」 

 揺れていた瞳が固まる。胸にふつふつと湧き上がってきたのは反抗だった。上等な靴の下に散らばる夢の欠片を見据えながら、かすかに頭を振り、喉を絞る。

「……僕は、継(つ)ぎません」

「……なんだと?」

 ゆっくりと反発の色を帯びて顔をもたげると、驚きと怒りに見開いた父の目があった。その目は凄みをもって蔑み、恐ろしいほどより開かれ、生まれて初めて点いた火も、衝撃の一言で潰(つい)えた。

「じゃあ──何のために、お前が存在しているんだ?」

 たちまち世界は無音になる。心の中の大事な場所で、ものすごい破壊音が響いた。頭の中がまっさらになり、父に、初めて殴られたような顔をした。

 存在意義が、一言で証明されたからだ。

 扉を破るように開け、廊下を泣きながら走る。途中で母のルーシーにぶつかり、泣き顔を見られ金切り声をあげた。

「マルクス……?」

「黙ってろよ! 父さんに高い高いでもされとけ! ひっ算でも学んでろよ!」

 玄関を飛び越え、広い庭に転ぶように崩れ落ちる。滝のように溢れる涙を植物の養分にして咽(むせ)ぶ。

 あの人に喜んでほしくて勉強して、あしらわれ、勉強して、あしらわれ、いざ結果を出すとあの人の人形だったのだと思い知らされる。心を注いでつくった宝物も夢も拒絶され、壊され、存在意義さえ壊された。

 あの人に拒絶されたのなら、何故勉強しなければならない。

 夢がもうこの手にないのなら、なんのために学校に行かなければならない。

 解からない、解からない、解からない、解からない──。

「僕の心は、僕の手は、僕の夢は……一体、なんのためにあるの……?」

 項垂れて顔を覆い、絶望する彼を、母は窓際に手をついて見ていた。

 自分の部屋に戻り、ふと目についたピエロの人形を激しく掴んで振りかざす。握りしめたまま震える。……捨てられない。悲痛な面持ちで、胸の中に収めて小さなピエロを抱きしめる。

 愚かだ。あんなことを言われても、自分はまだ父さんを愛している。裏切りたくない、失望した顔を見たくない。でも、人形なんかになりたくない。

 父さんも大切で、ピエロも大切で。

 イスの上で膝を抱く。未来が閉ざされる重厚な音を聞いた。

 ──それきり、彼は学校に行っていない。

 暗い部屋に引きこもり、そぞろにオモチャをいじる日々が続く。空にいる彼に恋い焦がれる。

 こんな調子のマルクスを父は扉越しに語りかけるが、なおも冷淡で、改心している様子はなくマルクスは一言も反応しない。しかし母となると、扉を強く叩いたり、反抗できない父の分まで言葉の暴力で当たり散らした。

「俗に言う精神病だ」と父に烙印(らくいん)を押され、時が癒してくれるとでも思っているのか足音がぱったり消えた。

 学校の先生が心配していたわよ、といちいち母が伝えにきてうんざりする。ふん、大人には好かれていたからな。優秀な僕がいなくなって恋しいんだろう。

 学校でも、誰かのために、常にトップであり続けるために人間(ム)関係(ダ)を省いてきた。集(たか)って能率を悪くしている連中を諭し、ついでに蔑むことで、自分の価値を上げてトップの優越に浸っていたりしていたな。ハ、いい思い出だ。確かこんな名を付けられていた。コンピューター、ロボット──

 人形(ドール)。

 ドール……。ひどいな。

 人形なんて、嫌だ。夢を知ってしまったから、何の夢を持たず、ただ金のためだけに社会で働きたくない。それを精神病だと頑迷(がんめい)固陋(ころう)な大人たちは言うが、そう言う君たちこそ立派な精神病だよ。

 この病んだ世界でただひとつ、楽しみを知る国がある。夢と踊る人がいる。

 病んだ暗闇に、くっきりと光る輪郭が現れ、極彩色の輝きをほとばしる。

「ピエロ……助けて。僕を助けて。君のところに行きたい……」

 ものぐさに立ち上がり、出窓を開けて柔らかな風を肌で感じる。憎らしいほど澄み切った青い空をじっと見つめ、空に向かって彼は勢いよく深々とお辞儀した。

 ──神様、お願いします。どうかあの人に会わせてください。

 トイレに行ったとき、ルーシーと鉢合わせた。彼女は鈍重(どんじゅう)にあたふたと気づき、声をかけるもののマルクスは空気のように素通りする。

 その日、とても静かな夜。彼女の部屋ではゆっくりと筆を走らせる音と、優しいオルゴールの調べが響いていた。ルーシーは真剣に字を綴り、そして時々、去年、そっけなく渡された誕生日プレゼントの、手作りのオルゴールを微笑んで撫でた。

 風呂に入って足早に部屋に戻り、コレクションが並んであるクラフト机に、一枚の封筒があることに気づいた。柄がこどもっぽく、少女向けで、顔を顰(しか)めつつ手を取る。字や見た目からすぐに分かる、母から宛てられたものだ。

 封を破るようにこじ開け、折り畳まれた一枚の紙を広げる。インパクトのある字列の体(てい)の醜さにひとしお顔を苦める。字はその者の人格を表すとはよく言ったものだ。幼稚で、不器用で、丸文字で──内容をろくに読まず、単語に目が行く。スペルが違う……。

 低能加減に辟易(へきえき)する。お節介で、変わり果てた自分を愚弄(ぐろう)しているようにしか思えない。こんな幼児向けのレターセットで僕の傷が癒えるとでも思っているのか? 愚行だ、ふざけるな──怒りに拳が震え、握っていた紙が潰れる。

「嘗(な)めやがって!」

 紙をびりびりに破り散らし、扉を乱暴に開けて、紙片(しへん)の塊を廊下に払い捨てる。はらはらと跡形もなく舞い散る母の想(おも)いを蔑んで、激しく扉を閉めて鍵をかけた。

 ずるずると扉沿いに沈んで、いつものように蹲る。

 しばらくして、のろまな足音が来た。何かに気づくと、あたふたと慌てて彼の部屋の扉の前までやってくる。紙屑(かみくず)を拾い、ショックを受けたように声を漏らす。慌てた足取りで部屋から遠のき、間があって再び戻って来ると、テープカッターを置いた。地べたに正座で座り、紙片を拾ってセロハンテープを切った。

 心底呆れ果てる。

 子どものように覚束(おぼつか)ない手つきで紙片と紙片を繋ぎ止め、せっかく見つけた整合する一方の紙片を紙屑に落とし、ギザギザで手を切って小さく悲鳴をあげる。

 不器用が。セリフくらい覚えとけよ。諦めればいいだろ。

 ルーシーは諦めず、集中して、真剣な面持ちで手紙を繋いていく。話すことも、抱きしめることも叶わないのなら、一児の母として想いを形にする。

 一つの扉が親子のわずかな距離を隔てて、マルクスは絶望の中で修繕の音を聞いていた。蠅(はえ)のように耳障りで、どうして……そこまでするのか意味がわからない。

 長い時間をかけて元の形に戻すことができた。しかしその手紙は以前のきれいな姿とは打って変わって、皺(しわ)と継ぎ接ぎだらけだった。

 血流を圧迫していたため足がひどく痺れて我慢する。非常に集中していたから頭がくらっとして疲れた。少し体勢を崩し横座りになって、何もなかったかのように微笑む。きれいに手紙を持って、ルーシーは一語一句、丁寧にゆっくりと読み始めた。

 

 マルクスへ。

 

 去年、誕生日の時にくれたプレゼント、今でもそれは大事な宝物です。本当に嬉しかったわ、ありがとう。

 お母さん、お父さんみたいに頭よくないけど、あなたのことは、あなたが赤ちゃんの頃からちゃ~んと見ているから、よくわかっていますよ。あなたのちょっとした癖も、あなたのほんとうの夢も。お父さんのために、生きていたということも──。

 

 しっかりなさい。


「どうするべきか」ではなく。大切なのは、「あなたがどう生きたい」か。


 あなたの手は、あなたの夢は──誰のものでもない、あなたの人生を羽ばたくままに、あなたが創造(そうぞう)していくためにあるものです。

 

 大好きなお父さんのために、今までよくやったね。本当にすごいね。いつだっていいよ。遅くたっていいよ。今度はあなたのために、あなたの道を、一歩一歩、マイペースに歩いていけばいいよ。

 今は羽を休めて、今度は思いっきり好きなように大きな羽を羽ばたいてね。

 無限大に大きい、あなたの立派な創造の翼なら、人生のどこへだって飛んでいけますよ。

 

 お母さんはいつまでも、またお父さんとあなたの話をして、もじもじしているお父さんを励まします。あの子なら大丈夫。ずっと待ってる。心配いりませんよ。また扉が開いたら、

「おかえりって言おうね」──って。


 手紙から目を離して、紙(かみ)一重(ひとえ)を埋める扉に、彼を抱きしめるようにそっと両手を添える。彼の心にやさしくノックするように、心の文字を読む。

 

 ねえマルクス。

 ねえ、マルクス。

 だいすき。

 ルーシーは、マルクスを愛しています。

 お母さんは夢を見ます。時々空を見ます。あなたが羽ばたく姿を思い浮かべます。

 

 オルゴール──とても綺麗な音色ね。

 

「立派な──クリエイターに、なれますよ」


 最後の行の語尾(ごび)には、彼女の笑顔にそっくりな、ニッコリマークが描いてある。

『From,Lucy──』

 頭の中で息子を抱きしめて、彼女はたんぽぽの綿毛のように、しあわせな笑顔で言った。

 

「ルーシーより──」



 ────…………。

「母さん……」

 悲しみ、愛おしさ、後悔、自責といった混沌の濁流が胸を襲う。眼鏡を取り払い、項垂れ、腕をつく。あの日が過ぎてもプライドが邪魔をして、結局反抗して自分は変わらなかった。どれだけ傷つけた。情けない、救いようもない。

「反抗して、ごめんなさい……」

 本当は、愛しているのに。

 あの時、自分は母の言葉に救われたのだ。手紙に綴られた母の思いやりで。

 顔も涙でくちゃくちゃにして、伝えることができなかった本当の思いを、激しく泣いて今、母へ返す。

「母さん、僕も愛しています。あなたは、学校では教えてくれない人生の教科書を、僕にくれました!」

 父を神のように信仰し、彼の愛が欲しいがためトップに拘泥(こうでい)し、糸に吊るされていることも存ぜず、完璧なドールとなった。

 檻の中にいたのは僕だ、バベルの塔は僕だ、動物は僕だ──。

「僕は愚かだ……」

 ぐったりと背にもたれかかり、魂の抜け殻のようになって、虚空を見つめる。

 ──もう塔は崩れた。

 岩の背後にはおびただしい数の敵がおり、一人では倒せそうもない巨大な怪物もいる。

「この岩。陰に人間がいそうだな」

 敵の声が岩の背後から聞こえる。喋り声からして複数いる。いよいよかと思う。

 脱落する……。

 岩を超え、使徒が不敵な笑みを浮かべ──マルクスの姿をとらえた。

 絶望の深淵(しんえん)に落ちたときだった。

「ハ! 情けないツラだぜ! メガネェ!」

 聞き覚えのある声。覗き込んだ使徒が拳で吹き飛ぶ。中でギルベルトの顔が映っている画面が浮上し、顔を弾かれるように上げる。

 無数の使徒の軍勢を、ピエロを含む子どもたちが颯爽と現れ、勇敢に入り乱れて戦う。

「だっせー」

「助けにきたよ!」

「まあ偶然通りかかっただけだけどね」

「ほんと男子って手がかかるんだから」

「ご機嫌いかがあ? 会いたかったよ~~~~!」

「ませガキ」

 薄笑いのセシル、笑顔のエイミー、エトワール、呆れるニコラ、ハイなピエロ、ジト目のアビー──環を成すように、上方で他の七人の顔ぶれが次々と灯り、孤独だったマルクスを囲う。

「なんで…………!」

 束になって、大勢の使徒の男たちがエイミーに襲い掛かる。イケメン戦機が視線だけ振り向き、彼に、優しく笑いかける。

「みんなで、お前を守るよ」

 愛のゲージがマックスに満ちる。

「世界観『愛』──必殺イベント発動──」

 神々しい白金のエナジーを解き放つ──神聖な天国の花園をフィールドとし、立派な翼で羽ばたいて、使徒の一人を抱きしめ、他の敵の仲間たちも溢れる光の中に包み込む。

『天上(てんじょう)のハグ』

「本当の正義を思い出せ。一緒に戦おう!」

 彼らの目の色が変わり、元の月面に戻るや邪悪な光線がエイミーに飛んでくるが──仲間にしたダークペイダーたちがシールドをつくり、彼女を守る。

「なぜ裏切る!」

 チャットで呼びかけいいねを収集して、ピエロが承認欲求を満たす。

「世界観『自由』──必殺イベント発動──」

 空高く飛躍。スマホの画面からフェニックスのような赤い鳥がドリルのように墜落(ついらく)し、広大な地雷ネットワークをまき散らす。煽りツイートを範囲内の使徒たちに送って、キレた者から順に爆発し、その上でDKが舞い狂って爆笑を上げる。炎獄の焼け野原を背景に、ながらスマホで着地し、JKが楽しそうに言った。

『炎上』

 セシルの隙を突いて槍(やり)の峰を仕向ける使徒たちを、ニコラが攻撃する。

『キューティーマヨビーム!』

 かわいいマヨネーズの容器の口からドロドロとした液状をぶっかけ、粘性の中に閉じ込める。

「ちゃんと後ろも見なさいよ!」

「ああわりい!」

 一定数セシルは屠るとノーマルエナジーが漲りだす。

「世界観『平和』──必殺イベント発動──」

 楽譜の旋律が宙に現れ、彼を鼓舞するようにピアノの音楽が鳴り響くフィールドで蹴りを決める。

『めちゃくちゃ痛いキック!』

「ぐああああっ!」

 研ぎ澄まされた身のこなしと巧みな剣技で、勢いをつけて敵を連続で倒せば倒すほどゲージが溜まり、ラブリーなエナジーを解放する。

「世界観『メルヘン侍(ざむらい)』──必殺イベント発動──」

 宇宙(そら)からメルヘンな竜が牙を出して吠え猛(たけ)り、かわいい流星群を引き連れて一心同体となる。軍団の束を光速で通過し、斬(き)る。

『がりょうてんせい』(牙竜天星)

 シールドを破壊し、女のダークペイダーたちがエイミーを物理技や飛び道具で集中攻撃をする。

「このッ……癪に障るんだよ!」

 しかし一人がエトワールの目と合った瞬間瞬殺。愛する者が傷つけられ、天使の白い羽根を広げて大いなる純白の光を解き放つ。

「世界観『堕天使』──必殺イベント発動──」

「悪魔に染まった君たちの魂。僕が天国に連れていってあげる」

 女たちを光で包んで遥か天まで一瞬で飛び上がり、白い光の世界に連れて行く。光が満ちあふれた直後、皮肉のごとくものすごい速さで折り返して、彼の羽は暗黒に染まり、邪悪な彗星のように美しく墜ちて月面に叩きつける。

『堕天』

 散りゆく魂を冷たく睨む。

「堕ちろ、僕のように」

 強者(つわもの)揃いの怪物たちに囲まれた双子が、背中を預け合う。

「後ろは任せたぜ! 兄弟!」

「ああ! そっちも頼んだぞ!」

 互いが半身の双子が信頼を固めたとき、最強の絆エナジーを輝き渡らし音声同士が調和する。

「世界観『R&G(リズム&ゴリラ)』MIX!」

 ギルベルトはパワーアップ、ルイスはスピードアップして、精度の上がったダンスで敵陣を惑わし、画面がリズムゲームになってリズムを合わせて拳で一気になぎ倒す。

『阿吽(あうん)のビート』

 死力を尽くして何千といる使徒と戦う彼らを、マルクスは呆然と見る。

「バカだ……バカだ…………何故、僕を助けるんだ?」

 あんな酷いことを言ったのに、無視すればいいじゃないか。得体の知れないものが目を熱くする。ギルベルトが、戦いながらマルクスに目をやって怒り叫んだ。

「メガネェ! テメェそれでも社長かよ! みんな自分のために、ダチのために戦ってんだよ! テメェも立派なここの一員だろうが! 社長なら、上から立ってここにいる全員を見下してみろ! 怖がってんじゃねえよグズウウ!」

 ギルベルトの喝にハッとして、粉々になったプライドを拳の中に握りしめる。無様だ、メンツ丸潰れだ。こんなの、自分らしくない。このままあいつらに見下されてたまるか。

 あいつらを見下すのは、この僕だ。

 眦(まなじり)を決し、地面を蹴って戦場へと飛び込む。

「社員の分際で嘗めるなあああああ!」

 仲間たちがいい顔で笑った。

「パワーハラスメント──『書類丸っとブレス』」

 跳躍(ちょうやく)し、巨大な書類の山を軍勢に配布して落とし込み、強制的に圧(お)し潰す。

「像一頭分の書類は、骨身(ほねみ)に染みたかな?」

「おお! クズだけどかっけええええ!」

「やるじゃない、クズだけど」

 近くにいたセシルとニコラが賛辞し、眼鏡を誇り高く押し上げる。

「フ、こんなの当然だ」

 仲間がピンチに遭った時は助け、助けた者に助けられ、皆が一丸となって使徒の軍団を屠り、ドラゴンを打ち倒す。

 終了のサイレンが鳴り、「FINISH」と文字が出て全員が戦い抜いた。ピエロも子どもたちも大きな歓声を上げて喜び、ハグをしてはハイタッチして喜びを共有し、マルクスはギルベルトに肩を抱かれ、不慣れな感じを出しつつも輪の中でみんなと綻ぶ。

 休憩場へと足を運び、遊戯の感想を皆が興奮して花を咲かせる中、マルクスは次々と喋る子をちらちらと見て輪の中にいつつも、物言いたげな渋い顔をしていた。ギルベルトが彼の頭をくしゃりと包む。

「へへ! お前もなかなかかっこよかったぜ! やっぱダチがいた方が数倍楽しいぜ!」

「や、やめろ! 僕の頭を撫でていいのは父さんだけだぞ!」

 と彼の手を乱暴に退ける。猫かよ、ファザコンとかツッコまれる。「それに……誰がダチだ」

「メガネ外した顔、けっこう可愛いじゃん~」

 ルイスがへらへらと身を屈ませてマルクスの顔を覗き込む。ふん、だまれとそっぽを向く。あ。萌え、とピエロがときめく。ニコラが片方のドリルをいじりながら、澄まし顔で棘を含みつつちょっぴり優しく言った。

「何か、言うことあるんじゃないの?」

 そう言われてドキンと胸が高鳴る。輪の中に入っても言いづらくてずっと言えなかった。言いたいのに、またもプライドが邪魔をする。

「別に……助けてなんて僕は言ってない」

「ツンデレは一人でいいぞ」

 半目のセシルが言い、誰かを連想する言葉にみんなが笑ってニコラを見る。

「はぁ? 何見てんのよ。あのね、本当に言わなきゃいけない時は言わなきゃダメよ。あんたのそのたったひとつのエゴで、たったひとつの人生が狂っちゃうかも知れないんだから」

「おお。お前も珍しくいいこと言うんだな」

「見直したよ」

 と感心するセシルたちに「あたしだって現実くらい見るわよ!」と立腹。

 エトワールがマルクスを微笑んで見る。

「まあ、君が一人でいたいのなら君らしく、自由に、孤高でありなよ」

「お前が嫌ならしょうがない」

 これ以上|言及(げんきゅう)しないといったさっぱりした空気が流れ、切り離されそうになる。そんなの、胸糞が悪いだけだ。きっと楽しめるものも楽しめられないだろう。マルクスはきゅっと拳を握り、目を瞑る。そして意を決した。

「皆さん──」

 談笑(だんしょう)に戻る彼らが、急に畏(かしこ)まる彼に視線を集中させる。彼は勢いすばらしく直角に腰を下り、誠意を込めて謝礼した。

「今まで、大変申し訳ございませんでした! 数々の無礼極まる発言、愚かな行いの数々に、皆様方を傷つけましたこと、誠に深くお詫(わ)び申し上げます。絶対絶命の僕の命をご慈悲(じひ)を以て救っていただきましたこと! 何とお礼を申し上げればよいか、言葉もありません。胸がいっぱいになりました! この御恩は一生忘れません。恐れ入ります──」

 元の姿勢に戻ると、皆が彼を見てぽかんと面食らっていた。マルクスは至って真剣な面持ちだ。真剣過ぎる面持ちだ。ギルベルトの口元がフ、と緩み、バカみたいに口を開けて大きな爆笑を合唱する。お腹を痛そうに抱え、笑い過ぎて涙を浮かべ、ピエロはのたうち回っている。

「マルクス! え、マジで? え、マジで? アッヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャアアアアア!」

「素でそれ言うとか……」

「やばいこいつ天然だよ!」

「アンタあたしよりもよっぽど可笑しいわよ!」

「負けず劣らずな」

「白目で倒れるだけある」

 なんでウケているのかマルクスは全然わからない。欧米人らしく大仰な身振りで反発する。

「何がおかしい! なぜ笑う! 僕は至って真面目だぞ? 笑うな! 笑うなあああああああ!」

 真剣なのが反ってもはや悲鳴みたいになる。ギルベルトが豪快に肩に腕を回す。

「な、何をする!」

「真面目だから面白いんだろ?」

「は、はあ……?」

 面白い? 僕が? そんなの、……初めて言われた。褒められるのは、うれしい。少し、顔が熱くなる。瞬き多めにマルクスは瞳をあちこちに走らせる。

「ちゃんと謝ったしさあ、お前いい奴だな! 白目で気絶するわ天然だわ、一人でいるのが惜しいくらい面白ェじゃん! 気に入ったぜマルクス! お前、ダチになれよ! 拒むのはこのギル様が許さねえ!」

 めちゃくちゃいい笑顔で言われ、彼は瞳孔を大きくして、動揺する。みんなすごくいい温かい笑顔で自分を見ている。こんな光景、初めてだ。いつも周りを敵に回して、白い目でしか見られなかったはずなのに。なんだこれ。照れくさくて、胸がとてもあたたかい。これが彼らの作る空気なのか。初めて、知った。

 何も言っていないのにエイミーから「よろしくね」と握手され、「ようこそ」とルイスにハグされもう友達認定されている。

「ちょっと待て、僕は何も言ってないぞ! 勝手に話を進めるな!」

「あら、ピエロとも、あたしたちとも離れてまた一人で遊びたいの?」

 この女……ピエロと離れるのはさすがにいやだ。かと言って、また孤高に拘泥しようとは──。彼は俯き、一緒に戦った時のことを思い出す。

「っ……。確かに、一人でやるよりも、ずっと悪くなかった。互いの穴を埋め合って、互いを、鼓舞し、高め合っていた。削り合い、なんかではなかった」

 ひとりではできないことも、みんなとならできた。

 一人でいることに固執することが、自分の質を保てることだと思っていたのに。

 仲間とは、あんなにも互いの能力を高めさせ、己を光らせ、胸を熱くするものなのか。

 顔を上げる。

「フン。勘違いするな。結果がこちらの方が芳(かんば)しいと解かったからな、仕方なく君たちの馴れ合いに参加してあげよう。精々、僕によろしくするんだな。僕の友達(アウトプット)」

「アウトプット……」

 はいはいとニコラが慣れたように言い、彼という性質を皆が認め、十人十色(じゅうにんといろ)に笑む。

 改めてよろしくと全員が彼を囲って、新しい友達と握手する。孤独が当たり前だった空間をたくさんの友人が埋める。騒々しく、くだらないことを言ってすぐに笑い、そして自分が冷ややかに返すと皆がどっと笑い出す。ユーモアセンスがあるとピエロに褒められてすごく嬉しくなる。教室で聞くだけだった賑やぎが自分を抱きしめる。避けていた家族以外の同年代の人間に、自分という個を初めて認められ、砕けた言葉と笑顔で話しかけられ、胸が弾み、心が溶ける。

 ──まあ、悪くない。

「天然も才能だな!」

「じゃあお前は天才だな」

「ああよく言われるよ!」

「褒めてねえよ」

 マルクスという少年は、心のしがらみを脱ぎ捨てて、年相応に笑った。

 

  5


 昼休みになり、子どもたちはランチを食べ終え、自由時間になりおもちゃたちと遊びに行った。エイミーとセシルとエトワールは、おもちゃたちとかくれんぼをすることになった。

 五十まで歌を歌うようにエイミーが数える。建物の全階と外の周辺が範囲であり、セシルは見つからないように忍びながら、扉を開けてベランダに足を踏み入れる。けっこう広い。扉から見えないところまで進むと、戻ればよかったと後悔した。

 柵の手すりに腕を組んで、そよぐ風に金髪をなびかせるエトワールがいたからだ。

「そんなところにいたら見つかるぜ」

 セシルが笑顔を浮かべることもなく言った。気配に気づいていた彼が、ゆっくりと顔をこちらに回す。そいつはいつも完璧な絵画のように笑っている。恋敵(こいがたき)の自分でさえもやさしく穏やかに、楽しくもないのに微笑んでいる。解らない奴だ。月白の瞳が細くなる。

「こうしていたら、彼女が見つけやすいだろ」

 そしていけ好かない。セシルは隣にやって来て、手すりに腕を組んでさりげなく、同じことをする。特段話をすることもなく、彼らは玉ねぎ頭の塔のある異国の壮観を望む。風が心地よく、ここの空気は深い森のように澄み切っていておいしい。下階からみつかった笑い声が聞こえてくる。ここにいるのも時間の問題だ。亜麻髪をもいじる風が、隣にいる少年のエレガンスな香りを運んできて、何の気なしに彼を見る。

 わー王子王子、はいはい綺麗綺麗。絵になってるスゲー。沈黙もまったく気にしない性(たち)のようだ。セシルがあくびをする。まあ自分もだが。こいつは月を三時間くらい見惚れているような奴だから、十秒もすればきっと男の俺に「空がきれいだね」とか言ってきて柵から投げ落とすことになる、しょうがないから俺が心を砕いて話しかけてあげるか。

「お前。なんかきもいよな」

 ずっと伝えたかった想いをついに告白した。驚いて見てくるエトワールの視線を横に感じる。いや、俺が投げ落とされるか。身構える。しかし、意外な言葉が明るく飛んでくる。

「そんなこと初めて言われた!」

 今度はセシルが彼を驚いて見た。怒るかと思ったのに、そいつは心底明るく純粋に笑っていた。え。M?

「なんで喜ぶわけ? やっぱきもい」

 引きつってセシルが言い、にこにこと笑ってエトワールが言う。

「え、そうかな? 僕にとっては褒め言葉だったから」

 ド?かもしれない。

「どこが気持ち悪いの? おしえて」

「特筆すんのめんどいからぜんぶって言っとく」

「ぜんぶ? そんな、ありがとう」

 褒めてねーよ。そいつは照れてさえいてにっこにこだ。だけどエトワールはドMではなく、本当にセシルの言葉が言われたことがなくて嬉しかったのだ。

「キモイって言われても嬉しそうなところが一番のキモさかな」

 彼を見、難色をつけようと思ったが肝心の粗がない。光るような金糸(きんし)の睫毛が長く伸び、くっきりとした輪郭を傾げ、色気すら放って前を見ている。世界の超越したところを見ている。

「変わり者で草」

「ありがとう」

 優しく美しく笑った。お前天使みたいだからここから飛んだらきっと空飛べるぜ、とも言おうとしたがそれはしねと言っているようなものでやめといた。傷つけず、軽くそしる。

「ふふ──目が合ったね」

「お前天使みたいだからここから飛んだらきっと空飛べるぜ」

「君の目って綺麗だね」

 スルー。自由人なのはあいつにそっくりだ。エトワールは頬杖をつき、目を細めてセシルの深く澄んだ群青の瞳に陶然。セシルも当然ドン引きだ。

「お前……男が男を口説いても拳しか返ってこねぇよ!」

「口説いてなんか。僕も君に習って思ったことを素直に言ってるんだ。その亜麻色の髪もきれいだね、その目も、君によく似合ってる」

「そりゃ俺の顔なんだから似合うしかねぇだろ! 服じぇねぇんだから」

 そうセシルが言うと、エトワールはふしぎなほどにきょとんとした。彼は言った。

「え? 顔って、服じゃないの?」

 ……は? 青い目が、奇怪な色を含んで大きく見開かれる。言っている意味が解らなかった。

「顔なんて、遺伝子が描いたただの落書きだろう?」

 冗談でもない、透きとおるような美貌の笑顔。あ然とした沈黙をセシルは全身から溢す。顔は、単なる飾りに過ぎないと言いたいのか。考えが解らないやつだとは思っていた。だけど、流れ星のようにほんの少し、誰も見たことのない未解の彼の心の世界を見た気がした。こいつはあいつみたいに天然ボケではない、一般人とはかけ離れた感性(こころ)を持っているのだ。

 ──まあ、だから、こいつがなんだっていう話だが。

 セシルはハ、と鼻で笑った。

「じゃあ、俺の母さんは筆使いがなってねぇな」

 その顔は、男友達に向ける悪戯な笑顔。今度はエトワールが目を剥いて、そして「なんだよそれ」と腹の底から笑いを高らかに出した。ちょっとうれしくなる。

「そんな、君は普通にかっこいいよ」

「普通が一番、安定が一番だぜ。まっ、お前には程遠い道だろうがな」

 エトワールは再びころころと笑う。セシルも少し照れて、不自然に身を動かして笑う。エトワールはこんな風に同性の同年の子と話せるのは初めてで、ましてはともだちなんて初めてで、心から楽しく笑うのは初めてで、こつんと心が触れ合った音が照れくさくて、彼もうれしかった。まだ笑いの名残を引いて彼は言う。

「君といると楽しいな」

「ああよく言われない」

 まあほんのたまに言われるが。

 エトワールはセシルに興味を持った。

「君には兄弟がいるかい?」

「まあ姉ちゃんくらいだよ」

 何も訊かなくてもわかる気がするが、至って普通の核家族だ。

「弟なんだ、かわいいっ」

 おっとりした女子高生のように言いそして目が兄になる。

「お前のそのたまに出るJKは何そしてその目をやめろ。──お前は?」

 セシルが澄んだ目で彼を見る。エトワールの目の色が少し変わったのを彼は見た。顔が泳ぎ、おっとりと不自然に目をしばたたかせ、薄い唇を噛(か)んだ。

 でも、ともだちなら心を開かしたいと思った。今まで誰にも話したことのないことを、彼に話したいと思った。決し、エトワールが笑って言った。

「僕、お父さんが十人いるんだ」

「すげえな! ウソつけよ」

 セシルは本当に感心したように言い、本当に冗談だと思った。

「うんウソ。正確にはもっといる。たくさんいる──」

 その声は軽快ではあったが、その顔がウソではないと教える。

 セシルの目が不審げに見開く。時々憂(うれ)いを覗かせて、その声は相変わらず軽快で。

「兄弟もその倍、たくさんいるんだ。僕の家は大きくて、大家族で、肌の色も、顔立ちも、他人のようにみんなバラバラなんだ。──僕はいちばんの末っ子でね」

 ──エトワールにはとても美しい母親がいた。

 ヴィオレッタ。彼よりも鮮やかな美しい金髪を腰まで流し、聡(さと)く、優しく、内側からこぼれる品と美しさを兼ね持つ、完璧な女性。彼がいちばん愛していた人。

「エトワール、あなたは私が産んだ子の中でもいっとう美しい。この世でいちばんかわいい子」

 彼女も家族の中で、いちばん彼を愛していた。今はもういない情夫(じょうふ)とよく似た美しい彼を。

 誰もが見惚れるような美貌に、甘い蜜があふれ出る壺(つぼ)のような完美な女体を魅せれば、硬派な男もすぐに甘え泣く。体を愛してあげれば簡単に心を飼うことができた。器量好きで数え切れないほどの男を愛し、誘惑し、時に不法に、数多(あまた)の夫の一部として家族にした。まるでわがままな女王のように。

「──恋愛は色欲(しきよく)から始まる」

 たくさんの子どもたちにそう諭(さと)し、彼らはそんな母親をとても慕った。

 大きくて立派な豪邸は数知れぬ男の大金で出来ている。そこでは腹違いの兄(きょう)姉(だい)と、多くの父が住んでいる。みな色に溺れ、兄姉も遊び人で愛人恋人を連れ込み、肉親同士でも当然のように汗を流す。日がな情愛が営まれる家の中は、壁を伝って声が漏れてくる遊郭(ゆうかく)だった。誰もが色欲の母に似た。ただひとりを除いて。

 小さい時は一人でよく寝ていて、たまに母が寝かしつけてくれたが時々仕事もあり、父は顔も知らない(とても美しい人とはきいている)し、兄弟も時たまいてくれたが、夜は基本的に彼らはもっとも忙しく、いないことが多かった。夜以外でも家族と自分はどこか違くて、仲間外れな気がして、寂しい思いをけっこうしていた。

 毎日、壁越しから聞こえてくるいろんな声は当たり前に聞いていた。部屋の中は怖くてみたことがない。何をしているんだろう。ひょっとして虐待されているんじゃないか、危ない薬を飲んだんじゃないのか、もしかしたらお化けかもしれない。きっと憑かれちゃったんだ。家族の声でも見当たらない、その狂った奇怪な調べに怯えていた。

 エトワールはついに寂しくて寝室を出た。お化けの声がひそかに合唱する暗い廊下は、幽霊屋敷そのもので、泣きそうになりながら母の部屋を目指す。奥へ、奥へ、奥の部屋へ。一層合唱の大きいドアの前にたどり着く。ママの部屋。何をしてるんだろうとずっと気になっていた。ただママに会いたくて、寂しさと臆病と好奇心で、その扉を開けた。

 ──ガタン。懐中電灯が手から滑り落ちる。

 たったひとつの紅(べに)紫(むらさき)色のランプが灯る、薄暗い部屋だった。ヴィオレッタを中心に、大勢の人間の男女が広すぎる寝台の上に、混沌として密集していた。

 クイーンの王冠のような長い髪がひときわ豪奢(ごうしゃ)に輝き放ち、美貌と絶倫(ぜつりん)の絶大な権力の杖をもってこの盛大に淫(みだ)らな宴を操る。プリマドンナのように魅了し、雄たちに手を伸ばし、女神の彫刻のような気高(けだか)い女体への不敬を許し、犬と従えていた。その優しい目の色を狂気的な凄艶(せいえん)に変えて。

 寂しくて会いたかったママ。

 だいすきな優しいママ。

「ママ……?」

 ──ぼくの、優しいママはどこ?

 怖くて、足が動かない。

 心を代弁する、大きく響いた懐中電灯の悲鳴に、家族がみな自分に振り向く。白肌をはだけさせたヴィオレッタが、男を胸に抱きながらやさしく言った。

「あら、見てしまったの……。まぁいいわ。さぁ──こちらにいらっしゃい、エトワール。私たちと一緒に遊びましょう」

 恐怖に支配され、一歩後ずさり、エトワールは頭を振る。

 その目は優しいが狂っている。その目の色の名を、少年はまだ知らない。怪物じみた恐ろしい色だった。ママがお化けになっちゃった。ママがなっちゃった。あの声、あの合唱に、ママもいたの? い、たんだ。

 彼女のもうひとつを知ったとき、まるで母親を失ったようなショックを受けた。エトワールは部屋に逃げ込んだ。夢だと思い込んだ、あの鮮烈な光景が悪夢のように瞼の暗闇を焼き、その夢は朝になっても消えなかった。

 九歳になりいろんなことを知った。母さんは狂うとき二人称が『お前』に変わり、本物の女王になる。みんなに聖兵器って呼ばれてる(バカバカしい)。あのギリシャ神話ども──ようやく家族がカオスであることも。同じようにその現場を目撃する。

「あら、また会ったわね、エトワール。ついにその気になったのかしら」

 女王の艶笑に続いて嗤笑(ししょう)が寝室に響く。

 ──いらっしゃい、エトワール。

 今度は逃げずに、家族を非難した。

 ──色欲の奴隷だ、と。

 貶(けな)しても、彼らは眉一つ変えず、むしろ無垢な彼を楽しそうにみていた。あてやかな脚がベッドをふわりと降り立ち、ヴィオレッタが彼を後ろから抱きしめて何かを吹き込んだが、訳がわからなくてその時は振り払った。

 寝室にヴィオレッタが現れ、危うく襲われそうになったときがあった。

「やめろ!」

 母の手を乱暴に拒絶し、エトワールは鋭く睨(え)めつけた。愛息子の挙動が一瞬どうしてかよくわからなくて、ヴィオレッタは反抗期かと少女のようにきょとんとしてから、ああ──違うわ、彼をあの人と重ねたのち、恍惚(こうこつ)さえ浮かべて嬌笑(きょうしょう)する。

「ああ……そっくり。本当にそっくり。やっぱりあなたはあの人の子ね。親子そろって、振り向いてはくれない」

 薔薇が咲き殖(ふ)えるように艶やかに成長する最年少のエトワールに、遊郭は色恋を抱いた。幾度の誘いも一蹴(いっしゅう)し、いつまでも貞操(ていそう)を貫き続ける。兄のひとりが恋人の姉に肩を回して言った。

「その歳でその色気──お前、ホントに童貞か?」

 早く卒業しろ、童貞だと家族に笑われ、息苦しく、気持ち悪く、耳から離れない汚れた声が五月蠅(うるさ)くて、穢(けが)れた眼差しが、濡れたシャツのようにねっとりと纏わりつく。

「愛している」と彼らは自分の「絵」に向かって言う。

「きれいね」と笑う母は顔に描かれた「夫」を見ている。

 結局家族にとって、自分は作品でしかないのだ。彼らを蔑(さげす)む。汚れた血が流れる自分をも。

 学校に行っても女子の視線が遊郭の家族と重なり、「恋愛は性欲からはじまる」という彼女のバイアスがかかり、同じく彼女たちをも穢らわしく思った。時が経てば同じ目を向ける、人間は穢れていく生き物。僕の顔が好きで僕が好きなんじゃない、俺の何を知っていて安々と俺に「好き」と言えるのか。浅はかで変わらない、単細胞だと。

 ──本当の自分を愛してほしいという、我儘(わがまま)なまでの欲を増大させる。

 家では体をじろりと見られ、学校では孤高に咲く高嶺(たかね)の花に上げられ、誰にも真(しん)に愛されないという感覚が影のように付きまとう。虚しく、孤独で寂しかった。

 汚いところから脱するべく、現実から逃げるために、朝起きたらすぐに外に出てさすらう。森へ行き、澄み切った空気をこよなく愛し、自然界に安らぎを、動物たちに癒しを求め、心の拠(よ)り所へ頻繁に足を踏み入れる。気高く透明な存在に畏敬し、触れ合って愛でた。

「君たちは穢れていないんだね」

 帰路(きろ)で、一瞬で終わりそうな密着する若いカップルとすれ違って舌打ちしたあと、仲睦まじく手を繋いで、これからも一生を添い遂げるであろう老夫婦が前からやってきて、目を奪われる。皺のある笑顔を交換し、見た目ではなく、心の目で見つめ合う……すばらしい、深遠(しんえん)な愛に満ちていた。エトワールは振り向いて立ち止まり、心から感動した。そして夢を見る。

 ──いつか、見た目じゃなくて、僕の心を見てくれる人が現れたら、僕はその人を一途に想いつづけよう。

 潜在的に白と黒の二面性を抱き、彼は微笑を常に浮かべる。その佇まいはヴィオレッタに似ているとさえ言われる。その根底には母の呪いような言葉が刻まれていた。

「常に美しくありなさい。光り輝く宝石だって磨かなかったらただの石ころなのよ。体と心を磨いて、どんな時も微笑みを。美しく輝く宝石でいれば、心も体も向こうからやってくる」

 そうすれば人から愛されるということだ。無垢がその言葉をミルクのように飲み込み、彼は小さい時からそんな宝石になるべく本性として輝くまでに心身を磨いた。母を片鱗(へんりん)で信じて。

 本当を、ただ愛されたいがために。

 そして潔白(けっぱく)を守り、誰の心にも染まらず、穢れぬようにいよう。

 しかし、その信念はズタズタに砕かれた。

 エイミーに恋に堕ちた。圧倒的に輝くクリスタルの魂を心(そ)の目で目撃し、己の魂を抱擁した。身も心も熱く煮え滾る体験を刻まれ、オセロのように、恋愛は無垢から始まり、たちまち劣情に翻った。疎(うと)んだそれに毒々しく呑み込まれ、自分はよごれてしまった。

 ヴィオレッタ。あの日から自分は彼女に対する見方が変わった。

 ほしいものがあれば是が非でも手に入れる強欲の魔女であり、色情狂の美女であり、色欲の悪魔であり、だけど……

「あら──ほら見て、エトワール。お花が咲いている。とてもきれいね」

 道端に外れて咲く一輪の花を愛でる、天使のような慈母(じぼ)であり、お腹を痛めて産んでくれた人であり……

「ほら、明日はテストでしょう? お母さんが張り切ってつくったわよ~!」

 愛が無きゃあんなに美味しくないラタトゥイユも。大切に閉まってあるアルバムをくすくす笑って見る姿も、

「エトワール」

 優しく名前を呼ぶ笑顔も、難しい問題を教える聡明な横顔も、

「エットワールちゃぁぁぁん! 今日もかわいいでちゅね~、うりうりー! やらない?」

「きもい」(美しい笑顔で言う。)

 根っこは優しい楽しい兄姉も──愛していて、そんな家族を嫌いになれない自分に嫌気がさす。

 ──エトワールは、セシルに家族のことや本当の自分を見てくれないということを話した。ヴィオレッタの言葉も。恋愛は色欲からはじまる?

「何そのオバさん、面白いね」

「お、おばさんって……母さんは魔女だからそこまでじゃないよ。見た目は」

 とどのつまり、見た目で苦労なさっているということだ。

「顔面富裕層のご立派なお悩みか」

 僕が普通(きみ)だったらよかったのにという目で彼はセシルを見ている。

「君が羨ましい」

「しんどけ」

「酷いよ。本当にそう思ってるのに」

 セシルはそんなの知るかとあくびをする。エトワールは苦笑い。

「君は顔がよくても悪くても気にしなさそうだけど」

「当たり前だろ。顔は服だからな」

 引用されている。その言葉にエトワールが吹きだして笑った。セシルといる時間は楽しくて悩みもどこかふわっと軽く思えてくる。あの子がいなかったら、もっと純粋な付き合いができていただろう。彼との沈黙は和んだ。

「男同士は気楽でいい」

 こいつもいろいろ抱えてんだな。セシルは物事をふと考える。黄昏(たそがれ)時(どき)のような感傷的な心地になり、沈黙が続いて、遠くを見るように言った。

「この国にきて、俺少し思ったんだ。この世界がこの国みたいに元々楽しみを知っていれば、小学生なんてもっとバカで箒(ほうき)にまたがったり下らないことで大笑いして、いつもバカがひとり叱られてて、みんな楽しい存在のはずなんだ。ビジネスを叩き込まれた頭で普通政治の話なんかしねぇんだ。みんなが大体ませガキで、それを不思議にすら思ってない。時々怖くなるときがある。今のこの俺は、いずれなくなっちまうんだろうなっ、て。それが、きっとこの世界の普通なんだろうなって」

「うん……そうだね。僕もそれを考えたことがある、僕たちはいずれ社会に溶け込んで、子どものときの心をなくしてしまうんだ。僕は未来の僕が怖い」

「そうだな……」

「僕もそう思うよ。マリトッツォより、やっぱ苺プリンがいちばんだよね……」

 少年の声に扮した論外発言者|現(あらわ)る。

『そうだね……』

 少年たちがハモって流れで共感した。ん? ちょおい待てと即座に同時に振り向き、自分たちのポーズを真似するように、手すりに腕を置いて黄昏れている人を見る。ピエロである。

「うわあ?」

 セシルがびっくりして飛び退いて、エトワールを巻き込み二人は地べたで絡み合った。ピエロが爆笑する。

「アヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャアアアァァ! 驚きすぎじゃなーい? ──やれやれ、困った坊やたちだね。いじらしいが、小学生に辛気ヅラは似合わないよ」

 と、手を差し伸べてセシルたちを立たせてあげる。ピエロのせいだが一応エトワールがありがとうと律義に言う。DKになって冷やかしてくる。

「フュ~~~! え、なになに恋バナ? 恋バナかな? 恋バナしてた? 恋バナの匂いがするぞ? つん・つん? やだなーもー超かわいい~!」

 JKになる。

「してねーよ!」

「で? で? で? ででんので? 好きな男の子はだれだって? あー君たちはレディ専門か。ブ~~~~~! ていうか? いっそのこと君たちがくっつけばいいんじゃないか。君たちなかなかお似合いだぞ?」

「俺たちをホモにするんじゃねえええ!」

「失礼な! 私はバイだ!」

「お前のこと言ってんじゃねえよおおおおお!」

「女性に限らず男性も魅力的でいいじゃないか! それとも……私にする?」

「断固(だんこ)ノー」

「ピエロ・ペドロニーノ様には年齢も! 性別も! ア・関係ナッシングなのだ!」

 聞いていない。

「お前犬にでも口説いてそうだな」

「確かにっ」

「ウォシュレットで顔洗ってそう」

 エトワールが女の子みたいに笑う。ピエロは楽しそうにひとりでオルゴールみたいに踊っている。

「脳みそ詰まってなくて素敵だね。悩みという概念を知らなさそうだ」

「そんなことないぞ? 私にだって悩みくらいはある――……………………辞書ある?」

 セシルたちがズッコケる。国に学んだアクションだ。

「まあ人生幸福ホルモンがすべてだ! アドレナリンには困ってないよ」

「変態しか言えない言葉だな」

「まぁとりあえず──」急に口調が真面目になった。「女は泣かせるなよ。泣くとしても背中で泣け。紳士にはなれなくても、紳士的にな」

 セシルたちも顔が神妙(しんみょう)になる。

「童貞なのになんだこの説得力」

「かもしくは私が抱きしめる」

「その言葉でマジですべてが幻滅したぞ」

 腰に手をやって堂々と立つピエロ。何故か笑いが吹き出る。こいつ生きてるだけで面白い。そういえば自分は全然彼のことを知らない。変態くらいにしか。

「エトワール以上に、お前ってミステリーだよ」

「ねえ顔見せてよ」

「何言ってるんだ? 見せてるじゃないか」

 ピエロの目がとたんに丸くなって、かわいらしくさえある顔できょとんと瞬きする。

「小学生でもそれが仮面だってことはわかるよ、まああいつはわかんねぇだろうけど」

「確かにっ」

「六割はさらけ出し四割は謎に包ませる。人がもっとも魅力的に映る秘密の比率さ。私の謎を知るのは私だけでいい」

「けちんぼ」と、エトワール。

「ていうか、よく俺たちの場所わかったよな?」

「ああ、君たちと別れて全員を抱きしめたときにGPSを忍ばせておいたんだ」

 と、オモチャの携帯みたいなやつが警察手帳みたいにぱっと開いてマップを示し、カラフルな丸が散らばっている。

「きもおおおおおおお!」

「ありがとう」エトワールみたいに言う。

「褒めてねーよ!」

 それからピエロがなにやら口笛を吹きながら、セシルの背後に回ってきた。

「?」

 熱いバックハグをした。

「……好きっ」

「おえええええええええ!」

「おめでとう~」とエトワールが拍手をする。

「ざけんなあ!」

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