第2話

 僕の聞き間違いでなければ、彼女は今"神様"と溢した。部屋には、僕たちの他に誰かがいる様子はない。

「か……みさま?」

「困惑しておられるようですね……失礼致しました。わたくし、本日から守人をさせて頂く"セイラ"と申します」

「いや、あ……え?」

 淡々と自己紹介を進める聖女を前に、僕は口を開けたまま喉を震わすことしかできなかった。

 聖女ではなく、セイラ……? それに、守人だって? 守人は僕だ。状況を理解しようにも、圧倒的に情報が足りていない。

「ああ、お可哀想……随分長いこと幽閉されて、声の出し方を忘れてしまっているのですね。では私の掛け声に合わせて発声してみましょう。はい、あー」

「あ、あー……」

 聖女――基いセイラは、赤ん坊をあやすように優しく微笑みかけてくる。しかし、言葉がちくちくと胸に刺さるのは僕の思い違いだろうか。

「素直でよろしいです」

「じ、じゃなくて。聖女様は何故僕のことを神様などとお呼びになられるのですか?」

「聖女……もしかして、私のことでしょうか?」

 僕は申し訳なさげに、聖女様は不思議そうに。互いに腹の内は違えど、首を傾げている。

 うーん、どうにも聖女と噛み合わない。

「そうですよ。僕はこれまで守人として、聖女様が生まれるとされる卵のお側に仕えさせて頂いていました。それがまさか……本当に生まれるなんて」

「ええと……混乱されているのですか? 私は守人のセイラ、神様が鳥籠に囚われているとお聞きしてこちらに派遣されたのですよ」

 鳥籠に囚われているのは、聖女の方じゃないか。

 反論するのは不敬だと思い、僕はその言葉を喉の奥へと押し込んだ。

「ああ、本当に可哀想……人生をこんな所で無駄になさっていたなんて」

「あ、はあ」

「ずっと一人で、娯楽もあらず……さぞ寂しかった、退屈だったでしょうに」

「…………」

「外に出れば、最高の自由が待っていますよ」

「なんなんですか、さっきから!」

 聖女からの言葉の嵐に、つい大声を上げてしまった。久々すぎて、喉が潰れそうだ。聖女に声を荒げるだなんて、不敬極まりない……しかし、どうせ僕の人生も数時間後には終わりを迎える。

 だったらもう、思いの丈を全てぶつけてやろう。

「あーはいはいそうですよ、僕は守人とかいう意味のわからない役職を与えられて、自分の生きる理由もわからないままずっとここに閉じ込められていました! だいたい、なんなんですか守人って。そんなに重要な者なんですか。現に、あなたが生まれたけれど何も起きていないじゃないですか。僕は千年に一度を迎えられただけ運がよかったのかもしれませんね。こんなこと言っても、もう処分されるだけなんで仕方ないですけど。あーあ、もっと普通な生活がしてみたかった。もっと色んな、多くの世界を――――」

 自然と、頬を涙が伝う。

 自分でも驚くほどに、饒舌だった。そして、襲ってきたのは怒りや悲しみではなく、無力感。死ぬ前の本音がこれか。先代の最期を見届けた訳ではないが、みんなこうだったのだろうか。

 今さら後悔したってどうしようもないけれど、誰かに愚痴を聞いてもらいたかったのだ。

 目頭を拭うこともせず、呆然とこぼれ落ちる雫。

 両手を見つめて立ち竦んでいる僕を覗き込むように、聖女は口許を綻ばせた。

「落ち着いてください、ね。神様の――いえ、あなたの想いは痛いほど伝わっていますから」

「何を知ったように……!」

「あなたが笑えば、私たちの世界に日が満ちる。あなたが悲しめば、雨が降りしきる。あなたが落ち着いていれば、自然と夜が訪れる。私たちは、そんな世界で生きてきました。しかし、最近は天候が変わることもなく、昼夜の概念も薄れ、永遠に薄暗い曇り空が続いていたのです」

 聖女は僕の頭を撫でるように手を添え、続ける。

「千年に一度、太陽が昇らない極夜の日。それが、私たちの世界を司る神様に会うことのできる日だったのです。先代方と違い、あなたは大きく揺れ動く心を持っています。だから私は世界の、あなたの守人としてこちらの世界にやってきました」

 僕の感情が、別の世界を動かす――――そう言われても、実感が湧かない。しかし、一般教養の一部も受けず本の知識だけを貪ったこの身、地上がどう回っているのかなんて預かり知らない。もしかするとこの世界もどこか別の世界で守人をしている誰かの心で動いているのかもしれない。

「こんな言葉を知っていますか?」

 聖女は歌うように一つの俳句を並べた。

「鳴かぬなら見捨ててしまえ不如帰」

「昔の武士の言葉に近いけれど……ひとフレーズ違うような……」

「そうですね。これは、私が少し原文をもじった歌です」

「ならばわかりませんね。どういった意味なのでしょうか」

 静かに笑う聖女。からかわれたようで恥ずかしく、僕は眉をひそめた。

「不如帰とは、民たちのことです。彼らは皆、こうして誰かを犠牲にして自分達が生き残っていることを理解していながら、見て見ぬふりをしているのです。同情することなら、誰にでも可能です。しかし、行動に移すとなると、相応のリスクが伴うため、我が身可愛さに一歩退いてしまう……今の現状を憂いた歌なのです。だから私が言葉ではなく、行動として示すために、あなたを縛る鳥籠から連れ出します。守人は民を、私の世界を守るためにある? いいえ、あなた自身を守ってこその守人ですよ」

 鳥籠の中から聖女が手を伸ばしている。ずっと、鳥籠に囚われた卵を守ってきた。しかし、違ったんだ。鳥籠に囚われていたのは僕だ。

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鳥籠少女 今際たしあ @ren917

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