23-2 初雪



 

「ありがとうございました」


 荷物を拾いおえ、

 今井はういういしげに口にした。

 視線を地面に落としたまま。

 コートの後ろを、さっさっと手ではらった。

 そして、外に出た。

 数歩、ぼくたちは歩いた。


 サクッ。

 サクッ。

 サクッ。

 地面の雪を踏んだ。

 ふくよかな音と、

 心地よい感触が足の裏に伝わる。

 ぼくは、おもいっきり息をした。

 澄みきった空気が体内に満ちていく。

 前方には足跡はなく、

 校庭にはだれもいなかった。

 ぼくと今井は、棒立ちになり、

 空を仰いだ。

 眼前の風景には、白しかなかった

 幾億の、白い雪


 ひらひら

 ひらひら

 ひらひら

 ひらひら

 まるで、天界からこぼれてくる、

 白い宝石みたいだった。

 日常の景色が消えて、現実性がうすれていた。

 美しさへと、ぼくは吸い込まれていく。

 自分を忘れていく。


 校舎の前にならび立ち、

 ぼくたちは、

 すぎていく時間をながめていた。

 ぼくと今井の呼吸が重なっていた。

 四つの肺からあふれる吐息は、

 白い炎となり、

 ドラゴンのごとく天に昇り霧散していく。


 ぼくは、左の今井を見た。

 頭に、肩に、まつ毛に、

 真っ白な雪がくっついていた。

 まるで内から噴きでた白い鱗粉みたいで、

 漆黒の髪には、雪飾りが散りばめられていた。

 幻想的で、君は、妖精みたいだった。

 手袋をはずし、君は両手を前に差しだし、

 手のひらで雪をうけとめた。

 刹那に、白い雪が体温に溶けて、

 透明な水になった。

 泪にみえた。



「きれいだな、雪って」


 ぼくは言った。


「…… 」


 もじもじと今井は黙っていた。

 ぎゅっとコートの袖口を握り、

 みるみるうちにしろい顔が赤くなっていた。

 なぜ?

 よくよく考えたら原因がわかり、

 照れくさくなり、ぼくも顔が熱くなった。

 君は急にしゃがみこんで、

 がむしゃらに地面の雪をかき集めだした。

 おむすびを作るように、

 ぎゅっぎゅっと雪玉を作り、

 上空を指差し叫んだ。


「上を見て!」


 同時に雪玉が、ぼくの顔面に飛んできた。

 反射的に防御したけど、

 指の間をすり抜け、雪の欠片が顔に当たった。

 鼻と首元がじんじん痛く冷たい。

 へばりついた雪片をぬぐいながら、

 ぼくは吠えた。


「今井! 開戦だ!

 お望みどおり、雪合戦の相手をしてやろう!」


 ぼくは速攻でしゃがみ、

 雪をかき集め雪玉を作る。

 その隙に、今井はダッシュで走る。

 白い校庭で足をすべらせ、

 ずるっと転びそうになりながらも逃げる。

 今井は、丸い花壇の横で足を止め、

 振り返り、ぼくの方をにらみつけた。

 雪が舞降るなか、

 あっかんべーをしてきた。


「はじめます、呪いの儀式」


 そう言って君は、

 指先と爪をたて犬かきをはじめた。

 呪いの儀式だ。久しぶり。

 異例のスピードで手が稼働している。

 そんな今井に向かって、

 ぼくは渾身の雪玉を投げた。

 けれど、

 雪玉はとどかず、今井の足元で砕け散った。

 また、

 あっかんべーをしていた。

 降り積もる雪のなか、

 今井はクルリと反転し足をすべらせながらも、

 校門を出て、左に曲がって行った。

 清らかな新雪を平気で踏みつぶしていく、

 子どもみたいだった。


 地面を見ると、

 ぐじゃぐじゃに残る、今井の指と靴の跡があった。

 それらの形跡は消えていく。

 降り続く雪のせいで、瞬く間に薄れていく。

 まるで、記憶がうすれていくように。



 ほの暗い鈍色の空

 校舎の高い壁

 数えきれない雪

 ぼくのなかをすり抜けていく

 純白

 純粋

 純潔

 そんなものが、

 こぼれてくる音が聴こえるくらい、

 静謐としていた。

 それは、ぼくが今まで生きてきて──

 この世で見てきた、最も美しい現象だった。


 翳りゆく初雪にまぎれて、

 ぼくは、

 ぼくたちの、過ぎし日の語らいをきいた。












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