19-3 告白

 



 風は凪いだ。

 桜の幹に寄りかかっていた。

 背がひんやりとする。

 ぼくは動けなかった。


 じんじんと何かが、

 痛くて、痛くて。

 苦しくて、苦しくて。

 精神とか、心とか、魂とか、

 そういう不確かな何かが、

 反応しているのだろうか。


 今井が口にした、約束の人。

 その意味を咀嚼しようとした。

 頭のなかで、何度も、何度も考えたが、

 結論は、嫉妬という惨めな激情だけが残った。

 焦燥。葛藤。破滅。虚無。

 いや、

 概念にすらできないものに心が襲われた。

 終わった。

 すべてが終わった。

 目の奥から込みあげる強烈な力で、

 視界が滲みそうになる。

 歯で食いしばり、それを押し殺した。



 風がひとつ立った。

 もう人影のないグラウンドを吹き抜けていく。

 南風、春一番かもしれない。

 ためらいながらも、ぼくは顔を上げた。

 空、雲、鳥、幹、枝、眼前の梢の先には、

 幾千の蕾が芽吹く。

 桜の幹に手をあてた。

 桜の樹皮は冷々として固い。

 だがしかし、

 太い幹の内部では流動しているのだ。

 天と地の莫大なエネルギーを集積した、

 命の息吹が。

 赤紫色の蕾に、指先で触れてみた。


 いまだ花ひらくことを知らない──蕾たちよ。

 きっと、ぼくとおなじように、

 憧れを抱いたまま、

 あたたかい春の夢をみているのだろう。






 春休み、

 ぼくは世界を旅した。 

 ぺルーのマチュピチュ。

 インドのバナラシ、ガンジス川。

 タイの古都、アユタヤ。

 ギリシャのパルテノン神殿。

 チェコの聖ヴィート大聖堂。

 トルコのギョベクリ・テペ遺跡

 ドイツの南西部にある黒い森。

 日本の、伊勢神宮。


 悠久の叙事。茫漠な命の継承。

 人は、なぜ生まれて、なぜ死ぬのか。


 VRグラスをはずした。

 目の前は黒い壁があり、

 5メートル四方の部屋に立っている。

 1日に8時間は、

 VRグラスに映る仮想空間を放浪していた。

 現実に帰ると、

 孤独と虚無に支配されてしまうから。

 胸が疼く。

 春休みの勉強計画はかんばしくない。

 もうじき三年生が始まるというのに。


 VRグラスをかけ直した。

 リアル・ファンタジー・ワールドに、

 ログインした。

《冒険者の泉》へ移動。

 周囲の景色を眺めた。

 興奮の坩堝と化したアバターの群れのなか、

 広場にある冒険者ランキングのモニターを見た。




。。。。。。。。。。。。。。。。。。。




   〈ソロランキング 9046位〉


    スノーナウ   レベル 71   

    職業  A級 魔法剣士     

    異名  疾風の絶対零度 

    所属パーティー ジェミニジェミニ

   《現在  53階 戦闘中》




。。。。。。。。。。。。。。。。。。。




「ジェミニジェミニ……」


 気になった。

 スノーナウの所属パーティーだ。

 もしかしたら、

 このなかに今井が言っていた、

 約束の人がいるのかもしれない。

 彼女の好きな人は仮想空間にいる。

 だからこそゲームの世界に夢中なんだ。

 嫉妬心に駆られながらも、

 ジェミニジェミニを調べた。




。。。。。。。。。。。。。。。。。。。




  〈パーティーランキング 7108位〉

 

   パーティー名  ジェミニジェミニ  

   メンバー 3名


   ホワイトフラワー  レベル 88 

   職業  A級 魔術師

   スノーナウ     レベル 71

   職業  A級 魔法剣士

   ノブナガ      レベル 32

   職業  C級 武士


  《現在  53階 戦闘中》



。。。。。。。。。。。。。。。。。。。





「ホワイトフラワー、ノブナガ」


 今井のパーティー仲間の名前。

 どちらかが、今井の恋人かもしれない。


 ぼくは旅立ちの丘に移動した。

 遠方の果てに建つバベルの塔を眺めた。

 53階。

 いまも彼女は、あそこで戦っている。

 結局、

 スノーナウとは一度も会えなかった。



「武運を祈る。氷の魔法剣士、スノーナウ」



 ログアウトした。

 二度と、ゲームの世界には来ないだろう。

 現実をしっかりと生きねばならない。


 忘れよう。

 忘れられないけど、忘れよう。

 どうにもならない事など、いくらでもある。

 考えても意味がない。

 もう、魔法は解けてしまったのだから。












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