3-3 十七歳の夏の授業




 キビキビとした足取りで、

 今井は教壇に上がった。

 ぼくは、その姿を目で追いかけていた。

 腰まである長い黒髪は、

 白いセーラーに調和している。

 紺のスカートの丈は膝下ピッタリで、

 清純な優等生の雰囲気を醸しだしていた。


 


「C班は、自殺管理法に賛成です。

 人は、自らの命を絶つ権利、

 死ぬ権利が、尊重されるべきです!」



 今井は力強い口調で言った。

 ぼくは、彼女を正面から観察した。

 髪型は武家の子女をおもわせる、

 お姫様カット。

 ぱっつん前髪で額をかくし、

 短冊のような横髪が胸の上にたれていた。




「法案にある、『特定の条件を満たした場合』

 を削除すべきです。

 みな平等に、

 管理施設での自殺を認めるべきです」



 ぱっと見ると、今井は小柄で細身だ。

 しかし、セーラー服の半袖からのびる、

 腕の筋肉は発達している。




「日本国憲法、第十三条には、

 自由、および幸福追求の権利が、

 明記されています。

 自由とは、幸福とは、なんでしょうか?」


 今井は凛然と話し続けた。


「特定の人にとっての幸福とは、

 生きる苦しみを捨てて、死ぬことです。

 すなわち、

 死ぬ権利が憲法で保障されている。

 そう解釈できます」



 やや童顔な顔つき、

 ゆるやかな顎の輪郭線、

 今井の肌は、静脈が透けるほど白かった。

 



「しかし現状は、

 ほとんどの人々が自殺を決行できず、

 生きながら苦しんでいるのが実状です。

 なぜなら、

 肉体を破壊する恐怖と、

 自殺が道徳的に悪いという、固定概念のせいです」



 ぼくは聴覚に集中した。

 ちいさな唇から奏でる彼女の声は、

 透明性を帯びていた。



「政府は憲法を遵守し、

 自殺希望者に、

 安らかに死ねる支援をすべきです」


 

 ほんのりとピンク色に染めた頬。

 少女の面影を残しながら、

 教壇に堂々と立ち、今井は弁じていた。



「また昨今の社会、公共の福祉に反して

 自殺する人が後を絶ちません。

 つまり、他人の命を巻き添えにする、

 無理心中の事件が起こり、

 甚大な被害がでています」


 今井は、両手を固く握りしめていた。

 そして、肚の底から絞りだすように言った。




  「死にたいなら

   ──勝手に一人で死んでください」




 ぼくは、自分の心臓の音を感じた。

 ぼくの意思ではない意思が、

 彼女の存在を捉えて、はなさなくなった。

 みだれのない前髪に、精悍な眉、

 その下には、鉄をも貫く強い意志を秘めた、

 凛とした瞳が光っていた。



「このような世論も高まっています。

 政府が、安らかに自殺できる施設を用意すれば、

 公共の福祉に反する自殺が、

 激減すると確信しています」




 刹那、教室の左、カーテンの隙間から、

 ひらりと天意の陽光が射した。

 一条の光の線上には、壇上に立つ、今井雪がいた。

 反射した長い黒髪が、

 きらっと一瞬、金色に輝いた。





「三人とも、なかなかの演説だったぞ」


 終了のベルを鳴らし、

 先生は満足げに手を叩いた。

 教室にはパチパチと拍手が響いた。

 ぼくは、呆然としていた。

 ぼくは、一気に

 異なる場所に飛ばされた錯覚がした。

 黒板には、

 白から深緑色に到達するまでの、

 幾千の段階的変化の美がくっきりと見える。

 まるで魔法でもかけられたように、

 目にする世界が、

 キラキラと精彩なきらめきを放ち始めた。


 ぼくの、

 心臓が音を立てている。

 とまっていた、

 ぼくの、中心が動きはじめた。


 ──今井雪


 彼女の凛とした瞳に、ぼくは、魅せられていた。

















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