最終章 化け物

 やがて、歩き疲れて意識がショートする寸前、前方できらりとした何かが反射した。


 水のせせらぐ音がする。僕たちは顔を見合わせた。


「川だ!!」


 互いに最後の力を振り絞って川まで全力で駆けた。


 待ち焦がれたものの全貌が見えた途端、足を止めた。


 そこにが居たからだ。


 先客は、水を飲もうとしていたらしく、頭を川に突っ込む形で死んでいた。


 まだ死んでからは、そんなには経っていないらしい。


 蠅が集った身体は少しだけ腐敗が進んでいた。


「なぁ、俺たちもこんな風に朽ちてくんかな……」


 アスランが立ち尽くしたまま、珍しく弱音を零した。


 その言葉にいつしかの記憶が重なった。


「……本当は、怖かったんだ」

「?」


 どんな言葉を掛けるべきか迷えども、僕はただ気持ちを素直に吐露した。


「最初は外の世界を知りたいってうずうずしてた……けど、蒼白くなっていく父さんを見て、怖くなって逃げ出した。僕もこのまま誰にも知られず色を失っていくのかなって」


 父さんの温度が消えたあの日。あんなに暖かかった地下室は一気に孤独で冷たい場所に変わった。


「外の世界は、父さんに教えてもらった景色と全然違って驚いたよ……でも、初めて君に出会った時、君とならどんな景色も受け入れられそうって思ったんだ」


 ララをそっと地面に降ろしてから、アスランは尋ねた。


「どんな人だった? お前の親父さん」

「心配性だったよ。『地上は恐ろしい場所だ。お前一人じゃすぐ殺されてしまう』って」

「そりゃ、親父さんが正解だな」


 アスランが笑った。


 その笑顔はとても柔らかくて、妹思いの優しいアスランだった。


 久しぶりに素顔のアスランに触れた気がした。


「ねぇ、アスラン。化け物……を今でも滅ぼしたいと思ってる?」


 僕の問いに彼はきゅっと口元を引き締めた。


「…当たり前だ。奴らさえ現れなければ、父さんが仕事を奪われることはなかったし、戦争は怒らなかった。父さんと母さんも死ななかった!」

「……」

「奴らは人の心を持っていない化け物なんだ! でも、お前は……お前だけは、俺たちを裏切らないよな?」


 何故か泣き出しそうな表情でアスランが尋ねた。


「それこそ、当たり前だよ」


 僕はどうして彼が悲しそうなのか分からなかった。


「……魚だ! 魚がいるぞ! 捕まえて丸焼きにしよう!」


 運良く僕らは魚を見つけてむしゃぶりついた。


 極限に飢えた身体は、死体が浮かぶ川であろうとも、すっかりどうでも良くなっていた。


 気が付けば僕は食べ物を口にしても、えずくような吐き気はなくなっていた。


 人間は慣れに強い生き物だと、父さんが言っていたけど、本当かもしれない。


 人を殺めること。死体の隣で食べること。すっかり慣れてしまった。


 これが人間になるということなのだろうか。


 そして、川辺で本音を語り合って以来、アスランは少しでも余裕があればジョークを口にするようになった。


「……お前、ちょっと口臭いぞ。歯磨いてるのか」

「! 君だって……」


(すごい臭いだ)


 腐りかけたララを運んでいるのだから。まさしく、正気の沙汰じゃない。


 普段なら僕も応戦する所だったが、さすがに今度ばかりは言いかけた本音ジョークを飲み込んだ。

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