2 お屋敷でドーナツを
その家の門はとても立派で、高さがあって屋根もある。そこから高さは半分程度だが、
「
そんな家に人狼の兄弟、
昭和の時代、戦後の混乱に乗じて手に入れたって隼人は言っていた。隠れるように
「バンちゃん、ボケーっとしない。ほら、行くよ」
隼人が解錠する間、僕はボケッと門や塀を
門を入ると飛び石のアプローチになっていて、玄関の
「朔、来たよっ!」
隼人が微笑む。
「うん……」
いつも強気の朔が、情けない顔で隼人を見上げた。それでも、上がり框の上に見える、ふさふさした尻尾を少し揺らした。
広縁を通って奥に行く。純和風の屋敷はよく手入れされているけれど、かなり古いものだ。そして異様なのはだだっ広い庭だ。
漆喰塀の
「フェンスのないドッグランだよ」
と隼人が笑う。朔と満が駆けまわって遊ぶために、隼人はこの屋敷を用意した。
満は
隼人が声を掛けると、パッと顔をあげ、
「隼人ぉ~」
と、やっぱり少しだけ尻尾を振った。
隼人はソファーに座ると、買ってきたドーナツを食べると言い出した。三歩歩けば忘れるくせに、甘い物の事は忘れない ―― 違った、あれは確かニワトリだ。ハヤブサは貯食する。隠した場所を忘れたりしない。そうか、食べ物の事は忘れない、ってことか。
「バンちゃん、朔に聞いてコーヒー
朔が
ところが、
「たっぷり砂糖を入れるんだ。コーヒーメーカーで淹れたって判るもんか」
と、朔がコーヒーメーカーをセットした。すぐにぼこぼこ音がし始める ―― 朔の手、指先が
「少しずつだけど、
僕の視線に気が付いて朔が言った。
「このままじゃ、狼の姿になったまま二度と
朔も同じ不安を抱えているんだろう? そう思ったけれど、僕は何も言わずにいた。
「なにこれ!」
朔の予測に反して、コーヒーメーカーのコーヒーだと、すぐ隼人にバレた。
「ボクはね、バンちゃんが淹れたコーヒーが飲みたかったんだよっ!」
「隼人、たまにはこれで我慢しろよ」
と、朔が言うと
「なに? 朔は心配して駆けつけたボクに、コーヒーの一杯もご馳走してくれないつもりなんだ!?」
「えぇと、それ、バンが淹れたんだよ?」
朔、それ、嘘。違うって、最初に認めてるよね? 我慢しろって言ったよね?
「ボクを
隼人、それ言っちゃダメ、朔を『犬』呼ばわりしちゃダメ。
「隼人、怒んないで。ミチルのドーナツ、あげるから。はい、隼人の好きなオールドファッション」
「ホント? 貰っていいの? ミチル、今日も可愛いね」
一瞬で隼人が機嫌を直す。
隼人、おまえ本当に神なのか? いや、神はもともと怒りっぽくって
朔の話によると、こないだ満月城
あの日、二人して普通に就寝したけれど目が覚めたら三日も経っていた。そのあとも、なんだか疲れが取れないと思っていたらお尻がムズムズし始めて、尻尾が勝手に出てきたらしい。さらに手足の指が尖がり始め、心なしか体毛も増えてきた……
そう言えばあの満月の夜、満も朔も狼に
「うーーん……なんであの夜、二人は狼にならなかったんだろう?」
真剣な顔で隼人が言う。すると朔が
「おい、隼人。隼人が大丈夫だって言ったんじゃないか」
と、
「ボクが? 朔、ボクのせいにしないでよ」
言い募ろうとした朔に、そっと満が耳打ちする。
「隼人、忘れちゃったんだよ……」
満の顔を見て、朔が青ざめる。隼人、おまえ、ハヤブサは間違いでニワトリなんじゃないのか?
見かねて僕が
「隼人、何とかしてあげてよ」
と言うと、
「バンちゃん! ボクが二人を見捨てると思ってるんだ?」
と、例によってお
「とりあえず、この屋敷に異変が起きてないか確認する。もっとも、何かあればボクがとっくに感知しているはずだから念のためだ。バンちゃん、行くよっ!」
って、僕も一緒に行くのかい? まだ、ドーナツ1個も食べてないぞ?
怒らせるのも面倒なので、
「大丈夫、バンちゃんの分、食べとくから」
と、満がニッコリ
さっと屋内を回り庭に降りた。
「さすが狼の巣。ネズミどころかゴキブリ1匹いやしない」
「どこかに隠れてるんじゃないの?」
「天井裏はもちろん、床下もくまなく見ている。ボクが見落とすはずもない」
―― 忘れてた。隼人はウジャトの目で見ていたんだ。全てお見通し。朔がコーヒーメーカーを使ったのもお見通しってわけだ。嘘つきめ、なにがバンちゃんの匂いがしない、だよっ!
「あ……」
急に隼人が一本の木に駆け寄る。椿だ。
「メジロの巣だ」
「メジロって人狼に悪影響があるの?」
すると軽蔑しきった目つきで隼人が僕を見る。
「ただのメジロにそんな力があるわけないじゃん」
泣きたい気分で椿を見ると、枝の
中でもハヤブサの子育て風景は大好きで、
「うわぁ、真っ白け! モコモコ! ふわっふわっ! カラスに食われるなよ」
なんて、ぶつぶつ言いながら食い入るように見ているときがある。
きっとメジロの巣にヒナがいないかと期待したんだろう。でもあいにく今は営巣の時期じゃない。隼人の関心はすぐメジロの巣を離れた。
「塀の外に
「僕に判るはずないやん」
「聞いたボクが馬鹿だった。ごめんね、バンちゃん、無知なのを自覚させちゃって」
もう、ヤダ。早く家に帰りたい。家に帰ってクローゼットに
「バンちゃん、妄想してないで、帰るよ。早く来ないと置いてくよ」
「はいはい、待って」
隼人、僕を置いて行っちゃわないで!
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