第74話:終焉の呪い

「ごめんね」


 絶えず流れる涙を拭い、母の手に見え隠れする眼。ただ間違いなく、私を見ていた。


「なんで? なにに謝ったの」


 意地悪くする気はないが、本当に分からなかった。


「ごめん。ごめんなさい——」


 鼻を啜り、何度ということなく繰り返す。背を撫でてくれる父の手さえ、謝りながら払い除ける。


「もしかして、おばあちゃんに?」


 ふと思いつき、問う。すると母は頭を抱え、縮こまった。正解にも、違うようにも思える。

 なぜか、泣き声が治まっていく。と突然、母の手が湯呑みを取り、ぐっぐっと呷った。

 ぶはあっと、淑やかさの欠片もなく息を吐き、蒼白の顔で言う。


「あんたを」

「私を?」

「直子を引き取るって、母に言われたの」

「おばあちゃんが?」


 記憶のほとんどが、叱られた時。そんな祖母に好かれていたとは思えない。

 寒気を背負い、首をひねって見せる。


「何時になってもあんたが帰ってこなくて、母が躾け直すって。普通の子はこんな心配をさせない、私のせいって言われたら、頷くしかなかった。もしもの時も、いつかみたいに捜さないって」


 想像はしてなかったけど、意外な部分もなかった。本当に帰ってこなかったら、普通にお葬式をして終わり。

 そういう一連が滞りなく行なえれば、祖母は晴れ晴れとするだろう。


「口を出すなって言われて。帰ってきたあんたに、なにを言っていいか分からなかった。そしたらあんた、川に落ちたって。本当に居なくなるところだったって思ったら、怖くなったの」

「でも私」


 私が川に流されてからも、何度か祖父母の家へ行ったはずだ。けれども一、二泊するだけで、育てられたというようなことはなかった。


「そうよ。次の朝、私が頼んだから。どこに出しても恥ずかしくない子に育てるって誓ったから」

「お母さん……」


 奥歯を噛んだまま、痛みを堪えるように母は話す。もちろん怪我などないはずで、ではなぜかと

理由は想像が尽きない。


「分かってた。理不尽なこと言ってるって知ってた。あんたがどれだけできるようになれば、母さんは満足するだろうって。そう思うと、まだ足りないまだ足りないって思えて、止まらなかった」


 言葉の一つひとつ、区切られるごとに頷く。納得し、共感したから、ではないけれど。


「止まれなかったことに謝ったの?」

「それもある。うちの子に産んで悪かったっていうのも。あと、きっと他にもあるのに、どこまで謝ればいいか分からないことも」


 きゅっ、と奥歯の軋む音。それは私ので、まばたきの何度か息も詰めた。

 おばさんの声が「奥さん」と投げられ、おじいさんの「堪えなさい」というのも聞こえた。


 大丈夫。私は大丈夫。


 本当に、そう思うことに偽りない。だけど心が揺れて、母から目を背けたくなった。

 しかし、踏み留まった。

 それは私の力でない。震えていた私の手を、力強く握ってくれた、小柄な男の子のおかげだ。


「お母さん、覚えてる? 巫女さんが、キツネと約束したこと」

「約束?」


 険しく、母は目を細める。あの小川を探すみたいに、床の端から端へ視線を流しつつ。

 やがて、はっと見開かれた。「約束っていうか」と、ためらいがちに言って。


「うん、そう。巫女さんはね、頼んだんだよ。『私の子を守ってね、私みたいにならないように』って」


 一瞬、母の顔がくしゃっと潰れる。でも、ぎゅっと食いしばり、改めて「ごめんね」と謝った。


「言った。言ったよ」

 

 このごめんねが、なにを指してかはっきりと分かる。だから大きく頷いた。


「お母さんも、おばあちゃんに呪われてたんだよ。だけどきっと、おばあちゃんも。だから私、お母さんもおばあちゃんも嫌いじゃない」


 これで終わり。呪いを引き継ぐことはしない。そのために必要なのは、呪いを認めることと思った。

 普通に。なにも特別でない答えがあれば、きっと叶う。


「そうだね。ありがとう」


 母は訥々と言い、ほうっとため息を吐いた。それは目に見えないけれど、溶けた鉛みたいに重々しく感じる。

 どっ、と母が倒れ込む。受け止めた父に、戸惑いの色しかない。


 おばさんと一緒にお茶を淹れ直し、窓を開けて空気を入れ替えた。

 きっと、呪いは切れた。

 私はそう信じることにした。

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