第64話:兄ちゃんの試し

「ほれ」


 いきなり。縁の上に立つ兄ちゃんの手から、なにかが放られた。私に向けられたもので、受け取れというのに違いない。

 キャッチボール的なことは大の苦手だ。しかしどうにか、胸へ抱きとめるのに成功した。


「これなに?」


 手に取る。それだけの動作で、中のなにかがカラコロと鳴った。

 見た目には木彫りのホタテ貝みたいで、とても軽い。手の平の半分に満たない、小さな物だ。


こっち・・・側にしかない木の実だ。そいつを食えば、ナオも俺達の仲間になる」

「そうすれば、お嫁さんになれるってこと?」

「だな」


 目を細める兄ちゃんを見上げ、木の実を握り締めた。それからその手を開き、作り物めいた殻を見つめる。


 なんだっていい。私の夢を叶えてくれるんだから。


 もしこれが私の願いとかけ離れた物だとして、それでも良かった。三倉の兄ちゃんの与えてくれるものに、疑いなど微塵もない。


「じゃあ」

「いや、ちょっと待て。最後にもう一度、たしかめとく」

「う、うん」


 さっそく食べようと、殻を開けにかかっていた。僅かに見える隙間へ爪をかけたが、ちょっと力を篭めたくらいではびくともしない。

 ふっと笑う兄ちゃんの声が「慌てるなよ」と言うようで、気恥ずかしく笑ってごまかす。


「覚えてるか? こっちへ来れば、普通の人間の暮らしには戻れない」

「聞いたよ、覚えてる。私は特別になりたいの。兄ちゃんの隣へ居るのが、私にはそうなの」


 きゅっと口を結び、大きく頷いた。本当に迷いなく、心から思っていると言えた。今までを振り返って、これほど自信に溢れたことはない。


「俺の隣、か。じゃあやってみろ」

「やってみろ?」


 首をひねり、縁を降りる兄ちゃんを目で追った。当人は問いに答える風もなく、半歩の距離で私と向き合う。


 隣、だけど。間違いなくこれではない。それでいいよ。と誰かに認められることが、こんなに簡単でいいはずがないのだ。


「目、瞑って」

「うん」


 ほら。

 案の定、続きがあった。言われた通り、むしろ言われる前くらいの勢いでまぶたを閉じる。


「かくれんぼだ。俺は森のどこかに居る、捜してみろ」

「えっ——分かった」


 広大とまでは言わないけれど、たった一人を見つけるのには広すぎる。

 東京ドーム、には行ったことがなくて分からない。でも授業でやったソフトボールなら、十試合以上が余裕でできる面積だ。


「十、数えてからな」

「うん、任せて」


 元気のいい声を作り、頷く。すると脳天が、さっと撫でられた。ぽんぽんでなくて、じゅうたんの毛並みを知ろうとするように。


「いーち、にーい、さーん」


 薄目を開けたり、不正はしない。しかし兄ちゃんの足音が、頂上のほうへ向かうのは分かった。まあそれもすぐに聞こえなくなったけれど。


 ぽつ、と。額に冷たい滴が落ちる。雨? さっきまで普通に晴れていたはずなのに。

 今夜はまた雪になるのかなと思う、凍えた雨粒。

 鷹守のおじいさんは、雪かきが大変だ。そこまででなかったとしても、雪道は危険だし。


 おたふくのおばさんも、もう帰ったのだろうか。まだスクーターなら、この雨に濡れては風邪をひく。

 自転車で峠を登るような子チワワはなおさら——


「じゅう」


 しっかり数え終えて、幻想を追い払う儀式のごとく眼を開く。いや単に大きく見開いたに過ぎないけれども。

 ともあれ、映る景色を疑った。私は立ったまま眠って、夢を見ているのかと。


 場所は御倉神社。本殿の前から変わりない。

 ただ、色がおかしい。真っ暗だ。雨雲で薄暗く、という生易しいものでなかった。これは完全に、紛うことなく夜の暗さ。

 反対に本殿の中が明るい。格子戸から抜けたオレンジの光が、目に痛いほど。


 昼前にバスを降り、兄ちゃんに会うまで何十分かが過ぎただけのはず。

 それなのにこの光景はなんだ。と、無意味に時間の計算を繰り返した。


 そのうち、格子戸の向こうでなにかが動いた。光を遮る影が大きくなり、どうやら誰かが出てくるらしい。

 反射的に、縁の下へ隠れた。

 本当に夜になったのなら私は不審者だ。とか、理由は後づけできるけど、実際はなんとなく。


 縁の影に紛れただけで、視線をかわす物はない。もう出てきた誰かは階段を下り始め、どうすることもできないが。


 巫女さん?


 赤と白の巫女服を着た女性。手に持つ懐中電灯が、ミスマッチに思えた。背を見る位置の私に、顔や歳の頃は分からない。

 彼女は風に揺れる葉音に首を縮こませ、やはり風に揺れた枝へ懐中電灯を向け、怖れおののきながら歩く。


 そんなに怖いなら、一人で行かなきゃいいのに。

 思うものの、一緒に行くと名乗り出るのは怪しい気がした。そうでなくとも私には、兄ちゃんを捜すという目的がある。


 巫女さんがどこかへ行ったら、私も行こう。決めて待っていると、彼女もまた頂上へ足を向けた。

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