第57話:普通の呪い

「それって」


 どういう意味だろう。もしかして彼は、私と両親をなぞらえているのか。

 だとして、父や母の言う通りにできない私を責めているように。いや、逆らえばいいと焚きつけているようにも聞こえた。


「——鷹守がなにを言いたいか、やっぱり分からないよ。でも私がおかしいって言ってるよね」

「どうして討ち入りをしたかだよ」


 答えつつ、彼は立ち上がった。ずっと縮こめていた身体を伸ばし、長く呻き声を伸ばす。

 それから上げていた両手が、床に座った私へ突き出される。


「世間からダメな家の烙印を押されて、奥さんも子供もみんな人間扱いされなくなる普通と。犯罪者になっても、遺された家族は人間扱いされる普通。どっちがいい?」


 さも選べと、右の人さし指と左の人さし指が順に立つ。 

 私の感覚に、どちらも普通と感じられない。きっとそこのところは時代の違いなのだろうけど。

 そう呑み込んでしまえば、選ぶまでもなく答えは一つ。おそるおそる、左の指を握った。


「討ち入りしなかったら、なにもいいことない。よね?」


 どこのクイズ番組の出題者だろう。すぐにはなんの反応もなく、真顔の鷹守がじっと私を見つめた。

 まばたきを四、五回ほどもして、やっと。彼の首がゆっくりと動く。大きく、縦に。


「良かった。そう思えるんだったら、僕は自信を持って答えられるよ」

「自信って、なんの」

「高橋さんがおかしいのか、って質問」


 どうも噛み合わないと思っていたら、やはりあえてスルーしていたらしい。

 彼の言う自信を得るには、そうする必要があった。優しくて几帳面な鷹守が、そこまでした結論。


 拝聴するのに座ったままでは申しわけなく、指を放して私も立つ。すると見下ろすことになって、これはこれで悪い気がした。


「高橋さんはおかしくない。誰がなんと言ったって、僕はそう思う。もし世界じゅうの全員が否定しても、僕だけは高橋さんの味方をする」


 見上げる視線で、照明が映るからかもしれない。鷹守の瞳がキラキラと輝き、なんだかとんでもないことを言われた気分にさせられる。


 いや実際にとんでもないか。今どきヒーロー物の主人公だって、なかなかこんなセリフを吐かないと思う。

 私のほうが恥ずかしくて、熱くなった首すじを掻き毟りたくなった。


「でもね」

「うん?」

「高橋さんが、おかしいのかなって自分を疑うのも分かる。その原因を僕は知ってるから」


 まばたきにしては長く、鷹守のまぶたが閉じる。その意味するところは分からないけど、なんだか途轍もない勇気を溜め込むのは感じた。


「高橋さんは呪われてるよ。普通でいることの呪いをかけられてる。それは高橋さんがおかしいんじゃなくて、呪いをかけたほうがおかしいんだ」


 呪われている。言われて思い浮かぶのは、三倉の兄ちゃん。バカな私だって、ただの人間じゃないのは気づいている。

 だけど、それはない。兄ちゃんが私を呪うなんてことはない。

 百歩。一万歩譲って事実だとしても、兄ちゃんの呪いなら私は受け入れる。


「……呪いなんて」


 彼の言葉を信じるとか信じないとか。そういう議論をしたくなくて、私は首を水平に振った。

 けれども鷹守は笑ってくれない。良かった、と受け入れてくれない。


「普通に普通でいるって、ものすごくハードルの高いことだと思うんだ」

「どうして? 普通って、みんなが。たいていの人がやってるから普通なんでしょ」


 普通、普通と繰り返していると、なにを言っているか分からなくなりそうだ。賛成の反対の反対はどっち、みたいな感じで。

 なんて冗談を言っているならいいのだけど、彼の力んだ肩はふるふると震えた。


「普通に裁縫ができること。普通に料理ができること。普通に普通の成績を取ること。初めて会った人と普通に仲良くなること。普通に僕のために怒ってくれること。普通にできない自分が悔しくて、普通じゃないくらい頑張れること」


 誰のことかと思ったら、どうも私のようだ。どれも本当に普通レベルで、できると言える範疇にないのだけれど。

 特に最後のは違う。


「私は頑張ってなんかないよ。頑張れてたら、悪いけど今ここに居ない」


 苦笑というか、自分への嘲笑が漏れる。

 今は鷹守との約束を果たしているだけ。明日になったら、私は逃げ出すのだ。

 そんな情けない人間が、頑張っているなんてあり得ない。


「違う!」


 大きな声。いつか沢木口さんへ向けたような——のとは違った。泣き出しそうな顔、力いっぱいに揺すられる頭。

 一歩踏み出した彼の手に、痛いくらい握られた私の腕。


「た、鷹守?」

「高橋さんはすごいんだよ。僕からしたら、できることのどれも神業みたいだ。高橋さんは普通って言うけど、全部を一人でこなせるのがどんなにすごいことか、僕はそれを言いたいんだ」


 震える声。震える指。私を傷つけまいとするのが、揺すられるたびに伝わってくる。


「もしも高橋さんと一週間入れ替われって言われたら、僕はすぐに降参するよ。やる前から、無理だって音を上げるよ」


 そんなことない。私なんかより、あんたのほうがずっとすごい。比べるのも悪いくらいに。

 と思うものの、口にする気にはなれなかった。鷹守の気持ちが温かいを通り越し、熱いくらいに感じるから。


「だけどそこまでしなくていいんだ。そりゃあどの家にも事情や都合はあると思うけど、高橋さんはもっと自分のために時間を使っていい」

「そう、なのかな」


 納得はしていない。否定したいとも思ってないけれど、そうだねとすぐに言えることでないから。

 同意するような返事をしたのは、たぶん彼への気遣いだ。痛々しいというくらいの感情をぶつけられて、よく分からないとは言えなかった。


「そうだよ。高橋さんはそのままで、十分なんて言葉じゃ足りないくらいに特別な人だよ」

「ええと、うん。ありがと」


 こんなにたくさんの賛辞を浴びたのは、生まれて初めてだ。たぶん、と曖昧にする必要もなく。

 私がどう考えていようと、これにはお礼をするのが当たり前。だから普通に、深く頭を下げる。


「高橋さん」

「ん、なに?」


 鷹守の手から力が抜け、私の腕を放した。分かってもらえた、と私が言うのはおかしいけど。いくら言葉を重ねられても、この場で同じ考えになるのは無理だ。


「まだ信じてないよね」

「えっ、あっ」


 油断した。改めて言ってくるとは思わなかった。あたふたと返事に困る私を、彼はくすっと笑う。


「一度に言われても、っていうのは分かるよ。でもこれから言うことだけは信じてくれないかな」

「う、うん」


 笑いはしても、引き攣っていた。まだそんなに緊張をして、どんな大砲を打つのか。身構えずにはいられない。


「他の誰が、なんと言おうと」

「うん」

「少なくともこれだけは言える」

「うん」


 選手宣誓みたいに、一節ごと深呼吸が入る。眼差しも真剣そのもの、手を高々と掲げていないのが不思議なくらい。


「高橋さんは」

「私が?」

「うん、高橋さんは僕にとって」


 ひと際大きな息と、ついでに唾も飲み込む鷹守。聞くだけの私まで、ごくりと喉を鳴らす。


「僕にとって——」

「うん」

「僕にとって誰とも比べられない、特別な友達だよ」


 早口で言いきり、なぜか彼はうなだれた。ようやく言いたいことを言えたというのに、血の出そうなくらいに頭を掻く。


「あの、大丈夫?」

「いや、うん。ええと、勝手なこと言ってごめん。僕にとって特別っていうのは、高橋さんが特別なことにならないかな」


 五時間目の体育でマラソンをやった次の六時間目。それくらいに疲れた風の鷹守は、声にも力がない。

 どうしてそうなったか予想もつかないけど、言ってくれたのはとても嬉しい言葉だった。


「ううん、それはすごい特別だよ。ていうか、そんな特別があるなんて知らなかった。教えてくれて、特別にしてくれてありがとう」


 本心から言ったのに、「いやまあ」と彼の応答は気のない感じだ。

 ああ、そうか。厚意を受け取るだけでは、鷹守とすると言った甲斐がない。


「私も鷹守のこと、特別だと思うよ。たぶん本当に友達と思える人、実は初めてってくらい」


 ありがとうと、もちろんお礼の返答があった。けれどもやはり元気をなくしたように見えて、「大丈夫?」ともう一度聞いた。

 ちょっと疲れたし、お腹も減った。という答えが本当か、私にはたしかめる方法がない。

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