第54話:特別と普通の差

「そんなの全然、特別じゃないよ。鷹守ができないって、やったことないだけでしょ。あんたならすぐできるようになる」


 絵を描いて、工作をして、舞台上でお客さんに見てもらう。それは私の料理なんかより、よほど繊細で高度な作業だ。

 裁縫にしてもそう。事実あの時、見よう見まねでも上手だった。玉結びのやり方とか、必要なことのいくつかを知らなかっただけ。


「そうかなあ。じゃあ高橋さんの言う特別って、どういうもの?」


 押さえた私の手にも構わず、もごもごと彼の唇が動く。

 くすぐったくて仕方なく引っ込めると、部屋の空気に冷やっとした。真冬の夜、暖かい暗幕の中へ慌てて手を収めた。


「お店で出して繁盛したり、コンテストとかで賞を貰えたり。そういうの」

「うーん……まあたしかに、それは分かりやすく特別だね」


 鷹守も寒いらしい。もぞもぞ動き、見えていた首の辺りまで暗幕に潜る。

 でもなんだか楽しそうに、私の視線に笑みを返した。


「でしょ。私なんて全然」

「高橋さんの料理、お店で出したことあるの?」


 彼にとって、これは楽しい雑談なのか。

 私も話すのが嫌なわけでなく、実像とかけ離れたことを言われるのが悲しいだけだ。


 分かってよ、と思うのは我がまま。知っているが、ではどう言えばいいか分からない。

 だから。なんて言いわけにもならないけど、思わず声を強張らせた。


「あるわけないじゃない」

「だよね、僕と同じだ」

「ええ?」


 本当になにを言いたいんだろう。からかっても、バカにしてもないと分かるのが、余計に私を混乱させる。


 ただ少し考えて、「同じ」の意味は理解した。

 鷹守の料理や裁縫と、私がお店やコンテストに出したことがないのと。未経験という意味では同じ。


「同じじゃないでしょ」

「やってみないと分からないよ。僕は高橋さんの作った物、いいとこまで行くと思うけどね」

「それはあんたが優しいから、私に気を遣ってるだけ。本気でそう思ってるとしたら、思い込み」


 彼は優しい。自分で言ってみて、改めてそう感じる。でなければ私は、とっくに三倉の兄ちゃんのところへ居たはず。


「僕が優しいって、そんな風に言ってくれてありがとう。でもそれこそ僕には、高橋さんの思い込みな気がするよ」

「じゃなかったら、私なんかにそんなこと言わないでしょ」


 苦笑混じり、鷹守はため息を吐く。


「そうでもないけど」

「ん、他に理由があるってこと?」


 意を決するように大きく深呼吸。したにも関わらず、彼の吸った息はひと言の声にもならなかった。

 視線もあさってへ向き、「それはまた後で」と。なんだか口の中で、ごにょごにょ言う。


「優しいのは高橋さんだよ」


 急にまた目を合わせ、仕切り直しとばかりにきっぱりと、鷹守は言いきった。

 こちらとしては、またなにをと首を傾げるばかり。


「私が?」

「僕が沢木口さんたちに色々頼まれるの、良くないって言ってたんでしょ?」

「えっ、まあ。うん、でもそれは結局、後田さんとぶつぶつ言ってただけで」


 なにもしなかった。今からでも間に合うとして、なにをできる気もしない。


「私は私を、冷たいって思うよ」


 兄ちゃんは普通だと言ってくれた。納得まではしてないけど、どうしようもないかと妥協した。

 後田さんも、というおかげもある。私だけが悪いんじゃない、彼女と共犯だから責任は半分。そういう言いわけで自分を甘やかす、卑怯者。


「そう? 冷たい人は僕のために、集会所まで乗り込まないと思うよ」

「集会所って?」

「劇団のみんなと初めて会った時。高橋さん、僕がいいように使われてると思って、怒ってたよね」


 初めての時。そんなことがあったっけ、と順を追って思い出す。

 たしか鷹守がポストの前に居て、誘われて行ったような——


「あ」

「思い出した? すぐ分かってもらえたみたいで良かったけど。それはそれとして優しい人だなぁって、すごく嬉しかったよ」


 たぶん私の洩らした声には濁音が付いた。しかも極太の。

 そのせいではないと信じたいが、彼は言葉の通りににまぁっと笑う。


「だってあれは……」

「あれは?」


 ごまかす方法が思いつかない。オウム返しの鷹守を睨みつけても、答えなくてもいいよとは言ってくれなかった。


「あんたのこと優しいって言ったけど、取り消す」

「ええっ」


 暗幕からも出ていきたい気分だ。しかし尋常でない寒さに、私も潜ることを選択した。両眼だけ覗けるくらいに、すっぽりと。

 

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