第49話:誰かのために
学生服の鷹守。
セーラー服の私。
制服。これを着なさいと決められた服。
自分の体格に合ってさえいれば、普通だと保証された服。保証してくれる物。
学校という閉ざされた世界を一歩出れば、着る服にあれこれと言われる。センスがいいとか悪いとか、似合っていないとか。
それならもう、ずっと制服を着ていたい。
「高橋さん——」
なにか思い詰めた風に、鷹守が唾を飲む。さほど長いとも言えない、彼の腕の先。
その喉が、直に見えた。真面目な彼でさえ、詰め襟を閉じていない。
先生に目をつけられそうな時以外、男子は襟を開いて楽にするのが普通。
なんて、明文化されてはいない。生徒手帳にも、辞書にも。
普通って、どこにも書いてないんだよね。
そんなことを考えていたら、また笑ってしまった。堪えられず、少し噴き出しもした。
なのに、鼻の奥がツンと痛い。
「ど、どうしたの」
「……ううん。そんなに見られたら恥ずかしいよ」
「えっ? あっ、ごめん!」
無意識だったらしい。慌てて、鷹守はバンザイをする。
私は嘘を吐いたのに。それなのに「いいよ」と、彼のせいにした私が嫌い。
と、その時。勢いよく戸が開く。
背を向ける位置だった私と同じに、鷹守もビクッと身体を強張らせた。
「あれ、演劇部は?」
よく知った女子の声。合わせたように彼と二人、そちらへ首を向ける。
半開きの扉から顔を覗かすのはやはり、後田さんだ。
「ええと——体育館かな?」
「そうなの? ていうか鷹守と、高橋さん?」
問われたからには頷いた。でもその後、なにを言っていいか言葉が出ない。
後田さんも特に感情のないまま、じっと私達を見つめる。
「……ああ、そういう」
十何秒か経って、動いたのはまた後田さん。ゆっくりと扉を閉めつつ、いかにも納得したと首肯を繰り返す。
「ちっ、違うよ!」
「ん? いいよいいよ、言いふらしたりしないし。鷹守の机とかさ、不思議だったんだよ。高橋さんが手伝ってくれたんでしょ」
「いやっ」
鷹守が否定しても、言うだけ言って扉は閉められた。廊下を去っていく足音も、ちょっとわざとらしく。
「机?」
脈絡のなかった部分を尋ねる。そっと腕を下ろしつつ、彼の目が泳ぐ。
「いや、うん。なんのことだろうね」
ああ、なるほど。納得して頷いた。
誰にだって、言いたくないことはある。それは普通で、当たり前のこと。
「そっか」
本当にそう思ったから、微笑んだつもりで言った。きっとうまく笑えなくて、それは申しわけないけれど。
「ええっと……ごめん」
謝らなくていいんだってば。
私の嘘は鷹守を貶めるもの。だけど彼の嘘は、私を気遣ってのもの。だから謝らないでと言いたかったが、それでは当てつけみたいになる。
精一杯、笑みを作って首を振った。もちろん水平に。
すると彼は、唇を噛んで俯いた。どこか痛めているのか、心配になるほど苦しげに。
大丈夫? と言いたかった。しかしそうすると、先の問いをもう一度するのと同じ。
特別でない私にできるのは、黙って待つだけだ。鷹守が次になにを言ってくれるか。
——けれど、彼は黙ったままでいた。
なにか言いかけ、でも口を結んで。決心したように目を見張らせ、またつらそうに閉じる。
そんなに嫌な思いをさせるのは、見ている私も苦しかった。
五分ほど待ったが、それ以上は堪えられない。
「じゃあ鷹守、今日は帰るね」
机に置いたままだった、葉っぱ入りのビニール袋を取る。崩れないよう、ゆっくりとバッグに戻そうとした。
しかしその手を、彼がつかんだ。優しく、でも段々と力強く。
「どうしたの?」
「本当に帰るの?」
言われて思わず、壁の時計に視線を向けた。お昼のバスには、まだ少しの猶予がある。鷹守の家のある、御倉神社の集落へ行くバスだ。
「本当にって。どこへ行くって言うの」
どうして気づいたんだろう。私が帰らないことを。いや、帰る場所のないことを。
鷹守と会うのも、これで最後。けれどもさっきのお返しに、さよならとは言いたくなかった。
「そこでしょ」
つかむのとは反対の手が、ビニール袋を指す。三倉の兄ちゃんから送られたと、彼も知っている朴の葉を。
なんのこと? と、とぼければいい。明日も来るよと、嘘を言ったってバレる理由がない。
だけど私はバカ正直に、頷いた。
「待って」
「待ってるよ」
「そうじゃなくて、ええと——行かないでほしい」
「なんで?」
つかむ手を無理やりに解くつもりはない。だけどさすがに、ずうっとこのままではないはず。
五分か、三十分でも。それくらいなら。
「まだ話したいことがあるし」
「あるし?」
「ええと……」
つかまれた腕が火傷しそうに思えた。当然、実際には湯気の一つさえ見えない。
ただ鷹守は、全身を真っ赤にしていた。それでいて目の周りや首すじだけが青褪める。
「うまく言えないけど、もう二度と会えない気がするから」
ほんと、なんで分かったの。
不思議だけど、これは声にしない。彼と話し合う気はないのだ。
「そんなこと言われても」
「約束、したよね。僕がなにを描いてるか、完成までに当てるって」
「したね」
言われるまで、忘れていた。
思い出したところで、そこまでの日数を待てないと諦めた。約束を破ることに、心の中で深く頭を下げる。
「当ててよ」
「完成までにでしょ?」
「今日、完成させる」
「冬休み中にはって言わなかったっけ」
まだ返事をしないのに、彼の手が離れる。意気込んで「ふうっ」と息を吐いているけれど、この隙に私が逃げ出すとは思わないのか。
「それまでには僕も言うから。高橋さんに言わなきゃいけないこと、たくさんあるんだ」
どうも本気らしい。さっきまでの楽しむ感じとはまったく違い、鷹守の筆が忙しく動き始める。
それまでって、いつ?
あと何日もかかるはずの絵を、どれだけ待っていろと言うのか。
夕方のバスに間に合わなければ、兄ちゃんと会うのがまた明日に延びる。
誰かのために予定を変えないって決めたんだよ。
勝手なことを言わないで。
正直、そういう気持ちだった。知らないからねと、教室を出ていくことも考えた。
だけど私の口から出たのは、違う言葉だ。
「完成までね」
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