第41話:お世辞
やがてカーテンコール。閉じた緞帳の前に、御倉劇団の面々が勢揃いする。
一人ずつが中央で手を振ったり、お辞儀したり。挨拶を済ませると、緞帳の奥へ消えていく。
残る一人。つるつる頭のおじさんが居なくなると、割れんばかりの拍手が起こった。
これで終わり。
そう思うと、寂しさが込み上げる。ちょっと練習を見せてもらっただけというのに、関係者気取りも甚だしい。
でも差し入れくらい、いいよね。
客席は見知らぬ人ばかり。だけど今ごろ、ぜえぜえと息を弾ます人たちは知っている。
ほんの少し話したというだけの些細な違いを根拠に、舞台袖への扉を開けた。
「あらぁ、直子ちゃん!」
入るなり、誰かにぶつかりそうになった。おたふくのおばさんだ。
今日は衣装の着物姿。肝っ玉女将みたいな感じで、よく似合う。
「あっ、どうも」
「今日も来てくれたのね。雪は大丈夫だった?」
「ええ、普通にバスで」
機先を制された格好。しかしおばさんに不機嫌な様子は見えず、密かに胸をなでおろした。
「あの、これ皆さんに。昨日、途中で放り出して帰っちゃって。お詫びの意味でも」
レジ袋を両手で突き出す。と、おばさんは怪訝に首をひねる。
「放り出した? バスが動かなくてどうしようって、ちゃんと話したじゃない。あの後、鷹守さんに送ってもらえたんでしょ。良かったわ」
「えっ、まあ、はい」
ゆうべのあれが、ちゃんと話したことになるのか。とてもそうとは思えない。
アイロンをしたテーブルを盗み見れば、裁縫箱も元通りの位置へ戻されている。
恥ずかしさに顔が熱くなる。薄暗い舞台袖で良かった。
「でもせっかく持ってきてくれたんだから、ありがたく貰うわ」
「も、もちろんです。はい」
「直子ちゃんから差し入れ!」
おばさんはレジ袋を高く掲げ、今日の風体に似合う声を張り上げた。
みんな壁に体重を預けながらも「おー」っと手を叩いてくれる。
「お疲れさまでした!」
最初に言おうとした言葉がやっと言えた。
するとまた、一段と大きな拍手を貰った。私が労ったはずなのだけど、不思議といい気分になる。
「高橋さん」
鳴り止むのと合わせたように、真っ黒い衣装の誰かが前へ押し出された。
もう頭巾は外していて、間違いなく鷹守の顔が見える。
「あの。ええっと——ありがとう」
「ううん。こんなことしかできなくて、申しわけないくらい」
なんだろう。彼はいつになく落ち着きなく思えた。
視線もあっちへ行ったりこっちへ戻ったり、私の目とぶつかるのは一瞬だ。
「いや、それもなんだけど」
「うん?」
「黒子に声をかけてくれるとは思ってなくて」
ああ。
小柄な鷹守が、さらに小さく見える。周りの大人たちが「いいねえ」「ひゅうひゅう」と囃すせいらしい。
もちろん私も人ごとでなく。あたふたと返す言葉を探したが、見つからなかった。
「そんな、ちが——」
「たっ、高橋さん! お寿司食べに行こうよ!」
力強く、鷹守が私を押す。
なぜか私は、話を終えるならきちんとそう言わなければと思い「でも」と逆らった。
けれど彼は、強引に私を押し出した。
「ご、ごめんね。高橋さん優しいから、僕にも声をかけてくれただけなのに。みんなが」
観客の人たちは大勢残っていた。パイプイスのお年寄りはみんな居なくなっていたけど。
出口へ近いほうに鷹守は進む。いつの間にか握った、私の手を引いて。
「ううん。こっちこそごめんね」
大きなストーブに、相変わらずおでんが用意されている。さらに低いテーブルには、手作りっぽい巻き寿司が数えきれない。
「これ、私も食べていいの?」
「もちろんだよ。そっちのマグロが入ったやつが——」
お勧めを教えようと、彼は指をさそうとした。それは私の手を握ったほうの手で、慌てて放す。
焼けた炭でも握ったみたいに、ぶんぶんと振りながら。
「あ、あれっ? ごめんね!」
「ううん。からかわれそうだったから、助けてくれたんでしょ」
紙皿にお勧めの巻き寿司を取る。他に太い卵焼きの入ったのも。
同じ皿を二つ作り、一つは鷹守に渡した。
「劇団の人たち、みんないい人だから大丈夫だったけどね」
「そっか、ごめん。僕がなんだか恥ずかしくて」
皿を受け取るのに、彼は深呼吸を必要とした。お返しにお茶をくれたけど、こぼれないのがおかしいほど震えた。
「だよね。私なんかとそういう風に言われたら」
顔も性格も頭も、秀でたところのない普通の女子。
総合すれば劣っているということでは?
なんて事実からも目を逸らしていて、救いようがない。
「そんなことないよ!」
「ええっ?」
大きな声。自身、調節を間違えたようだ。鷹守は周りを見渡し、注目する人の居ないことにほっと息を吐いた。
「その、ええと。高橋さんは優しいし、なんていうか……かっ、可愛いし」
なにを言っているんだろう。
向けられた経験のない語彙を、呑み込みかねる。
普通に意味は分かる。使い方というか、使う相手を間違っているとしか思えない。
悩んで、単純明快な結論に辿り着いた。
「お世辞はいいよ」
「いや……」
ありがとうと言うのも変だと思って、作った笑みにその意味を篭めた。
そんなわけない、なんて冷たく否定したつもりはないのだけど、どう答えるのが正解だったか。
次に話すことも見当がつかず、巻き寿司をぱくついた。鷹守ももごもご言いながら、同じく。
互いにこれということは言わず、黙々と食べた。だいぶお腹が膨れたころ、ようやく無難な話題を見つける。
「お客さん、帰らないんだね」
「うん。夜の公演が終わるまで、みんなワイワイやるはずだよ」
「夜もあるの?」
「七時からね」
私は帰宅している時間だ。残念だが頑張って、としか言いようがない。
「ちょっと遅刻しちゃったから、それも見たかったな」
「そうだね、演目も違うし。老人ホームの人たちでも、どっちも見に来る人とか居るんだけど。高橋さんはバスの時間があるから、ごめんね」
串刺しのすじ肉を噛み取る鷹守。さすがにもうあたふたしていない。
老人ホームと聞いて、なるほどと納得した。たしかこの集落より奥にあったはず。パイプイスのお年寄りが、きっとそうだ。
「清水次郎長じゃないの?」
「忠臣蔵だよ」
「年の瀬だから?」
「そう。よく知ってるね」
かろうじて名前を知っているだけのお話なのに、なぜこんな受け答えを。
自分で不思議に思ったけれど、すぐに思い出した。三倉の兄ちゃんの読んでいた本と同じだと。
「定番だけど、ここでやるのは久しぶりだね」
「へえ——」
これくらいは偶然だ。ぞっと背すじの冷えたのも、誰かが扉を開けたに違いない。
「ねえ。呪いってあるのかな」
昨日、鷹守の発した問いを聞き返す。彼は食べる手を止め、なにも刺さらない串を黙って見つめた。
「私、御倉神社に行ってくる。しっかり温まってからね」
「僕も行くよ」
間髪入れず、むしろ私の声に被さる勢いで彼は言った。
見開いた眼は緊張を感じさせたけど、それ以上に心強く思わせてくれる。
けれども私は、首を横に振った。
「たぶん一人で行かなきゃいけないんだと思う。話が終わったら、またここに戻ってくるから」
鷹守のおじいさんとお母さんにもお礼を伝えなければ。だから待っていてほしいと言うと、彼は迷いながらついに頷いた。
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