第36話:呪いって

「ごめんね、重かったでしょ」


 私の家からすぐのコンビニで降ろしてもらった。

 家族になにごとかと思われるかも。と言ったが、よく考えると理由になっていない。


「重くなんてないよ」

「でもずっと黙ってたし、嫌だったのかなって」


 歩いて五分ほどだ。平気だから帰ってくださいと言ったのだけど、おじいさんは「送ってけ」と鷹守を押しつけた。

 彼自身も「もちろん」なんて、大きな傘を手に。


 帰宅が遅くなることより、誰かに送ってもらったほうを母は嫌がるはず。

 人さまに迷惑をかけるな。なぜそうならないよう、考えて予定を立てないのか。だから出かけるなと言った。

 だいたいこんな三段論法で。


 鷹守とおじいさんが気遣ってくれるのは、本当に嬉しかった。無下に断ることもできず、アパートの直前まで彼に送ってもらうことにした。


「嫌なはずないよ! むしろいい匂い——」

「え?」

「う、ううん。高橋さんのやることを、僕が嫌なんて言わないよ」


 私なんかがどうしたって、たかが知れている。

 などと懐の大きなことを言ってくれて。体重のフォローにはなっていないけど、庇いようがなかったのだろう。

 さすがここまで運転してくれた、おじいさんの孫。


「じゃあどうして黙ってたの?」


 鷹守の言うことなら、素直に信じられる。だけど今もまだ不機嫌そうで、信じればなおさら説明がつかなかった。


「いや、ちょっと考えごとを——」


 峠の上と下。普段はバスで三十分くらいの距離。私の家の近所も、屋根が白く覆われていた。

 降るのはぼたん雪。彼は用のなくなった傘先で、戯れに垣根の雪を落とす。


「考えごとって、ああ……」


 きっと三倉の兄ちゃんのこと。よく考えてみると言ったのを、実践しているらしい。

 あの時。寒くて、怖くて、兄ちゃんを包む金色の光が天国の光景に見えた。


 私は死んだんだ、って。そこに兄ちゃんが居るなら、構わないと思った。

 しかし残念ながら、私は生きている。

 するとあれはなんだったのか。恐怖が見せた幻というのが、いちばん納得のいくところなのだけど。


 それからも鷹守は喋らなかった。ぼんやりしている感じはなく、真剣な眼差しで。

 私もただ歩いた。彼の邪魔をしないように。


「あそこ」


 アパートまで、並びの家があと三軒のところ。指さすと、彼の足が止まった。


「うん、じゃあ見てるよ。高橋さんが玄関に入ったら、僕も帰るね」


 ここで引き返してほしい。まだ口にしない、私の望みそのまま。

 つくづく、鷹守は普通じゃない。最大限の賛辞の意味で。


「送ってくれてありがと。おじいちゃんにも」

「うん、気にしないで」


 なぜ分かったか、不思議だった。

 さっとスマホを確認すると、午後十時もかなり過ぎている。これから叱られるのを思うと、問う気力がなくなった。


「またね」


 飾る言葉も思いつかず、どうにか作った笑みで手を振った。彼に背を向けた途端、「あっ」と声がする。


「どうかした?」

「あ、いや、その」


 振り向けば、引き留めようとする鷹守の手が目の前にあった。すぐに引っ込められたけれど。

 それを置いてもなにか言いたいのがあからさまで、「うん?」と急かしてしまった。


「呪いって、あるのかな」

「呪い?」

「——ううん。ごめん、思いつきをそのまま言っちゃった」


 なんでもない。彼は言うけれど、なんでもなくはないだろう。

 ただし今は、ゆっくり聞く余裕がなかった。鷹守もきちんと落ち着いて、考えが纏まったらまた話してもらおう。


「いいよ。また聞かせて」

「うん。僕、そんなに役に立たないと思うけど。それでもなんでも言ってよ」

「ありがと。おやすみなさい」


 改めて手を振り、歩く。残りの半分は小走りで、音の響く階段はそっと忍び足。

 玄関を開ける前に、彼を見る。宣言通り、小柄な男の子はじっと動かず佇んだ。


「ごめんね」


 呟き、鍵を開けた。たっぷりと時間をかけ、音のしないように扉を開く。

 とても静かだ。灯りも点いていない。

 後ろ手に玄関を閉じ、鍵もかけた。照明のスイッチに手を伸ばしかけ、やめる。


 スマホのライトで照らし、ダイニングへ。やっぱり灯りが見えず、物音もしなかった。

 父もとっくに帰宅している時間。両親のどちらかしか居なくとも、テレビやスマホの音が絶えることはない。


 もう寝てる? まさか。

 だとしたら重病とかだろうが、二人ともが一度には考えにくい。


 そっと。

 そうっと。

 こっっそりと。

 両親の寝室を開いてみる。真っ暗な室内を、自分の足下からライトを這わせ、照らした。


「お母さん? お父さん?」


 声に出して呼んでみても、姿のない二人が答えるはずはなかった。

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