第35話:違う味付け

 おじいさんはおどけて、ニカッと歯を見せる。

 これほど自信満々で言うなら、お願いしてもいいのかも。そう感じるのと、いやそれでも頼むのはと後退る気持ち。


 戦わすまでもなく、私の中の普通・・は後者を選ぶ。

 しかし大雪の中、午後七時を過ぎている。すると私は自宅へ居なければならなくて、普通と普通が対面で渋滞を起こした。


「けど、お嬢さん。お腹が減っちゃってねぇ」

「えっ、ええっ。もちろん」


 正解の分からない時、どうやって決めたらいいんだろう。

 迷う私に、おじいさんはお腹をさすって見せた。横目で台所のほうを盗み見て、いいかな? という感じで。

 咄嗟に。咄嗟にでなくとも、ダメだと言う道理を私は持たなかった。


 おじいさんは手を洗いに行き、鷹守が案内してくれる。古くて広い板間の台所――を通り過ぎ、畳へ座卓を置いた部屋に。

 料理はもう運び終わっていた。左右へ二枚ずつ、座布団も敷かれて。


「お手伝いしなくてすみません」

「いいのいいの、お客さんなんだから。それより、たくさん食べて」


 ご飯の茶碗と、お茶の湯呑み。おばさんは四人分を一度に持ってきた。せめてそれを並べるくらいはと手を出したが、茶碗の大きさがどれも違った。


「ええと、どこに置けば」

「柿色のが直子ちゃんの」


 とこを背負う座布団が顎で示される。言われたまま、向かいにおじいさん、その隣へおばさん。また向かいに、鷹守の茶碗を置いた。


 お父さんは……? こっそり、台所を覗く。けれども取り置きは見当たらなかった。

 私の座った座布団だけがツヤツヤふかふかで、あとの三つはぺたんこ。きっとこれが答えなのだ、と口を噤む。


「蛇口が吹っ飛んだか。小学校もボロっちぃからなぁ」

「ね。直子ちゃんになんともなくて良かったけど」

「うんうん、瞬は偉かった。儂似だな」


 いただきますと、手と声を合わせ、食べながらお喋りが続く。おじいさんか、おばさんかがほとんどだったけど。

 糸こんにゃく入りの、すき焼きみたいな肉じゃが。青々したほうれんそうの白和え。みそ汁は大根の千六本。


 私と違う。作り方も、味付けも。


 それは当たり前と言うのもバカバカしいほど当たり前。でも給食やお店で食べるわけでなく、いかにもすぎる家庭料理の見た目が私を勘違いさせようとする。

 こういうのを認知的不協和と言うのだろうか。


「お口に合う?」

「お、おいしいです」


 様子見でと半分にしてもらい、それでも食べきるのでどうにかだった。しかしそれは、そもそも食欲が失せていたから。


 私の感覚より、しょう油とだしが少し強い。けどお世辞でなく、本当においしかった。でなければ半分でも食べきれなかった。


「良かった」


 花の綻ぶみたいに、おばさんの笑ってくれるのが息苦しい。




 ――おじいさんの車へ乗せてもらうのは、午後八時を過ぎた。炭を砕いて敷き詰めたような空から、変わらず小麦粉が降り続ける。


「お義父とうさん、気をつけてくださいね」

「任しときなさい」


 ピンクのスウェットで、おばさんが見送ってくれた。寒いからと言っても、見えなくなるまで手を振って。


「ちょっと時間がかかるけどね。間違いなく下ろしてあげるから」

「ほんと、ご迷惑ですみません」

「いやぁ全然。それより瞬をよろしくね」

「はぁ、はい」


 名の出された当人が、私の隣に座っている。こちらこそとでも答えれば良かったのだけど、なんだかおこがましい気がして、言葉を濁した。


 ジムニーの車内は金属の冷たさで張り詰めていた。でも、うるさいくらいに強くしたヒーターがすぐに暖めてくれる。

 窓の曇り始める前、歩く速度の景色に首を傾げた。こんな暗い時間に、車から眺めたことはない。

 そのせいかなとも思いながら。


「ねえ、こっちなの?」


 おじいさんに聞こえないよう、声を潜めた。バスの走る道路と反対なのでは、と。


「うーん——」


 鷹守の首が、忙しく前後左右へ。けれども結局、「どうなんだろう?」と分からない様子。

 我がままで乗せてもらったのに、疑うことはしたくない。だからまた小声で「いいよ」と言った。


 それなのに、彼は身を乗り出す。運転席と助手席の間へ、ぐいっと顔を突き出させる。


「あれ? じいちゃん、こっちから行けるの」


 ぐぐぐっ、と車体の雪を圧し潰すのが伝わる。まっすぐな道でも、ジムニーは緩やかに蛇行して進んだ。


 運転のことは分からないし、真後ろの私からはおじいさんが見えない。ただ鷹守の問いに答えるのは、十数秒も待ってからだった。


「こっちじゃないと行けないんだよ。林道をな」

「林道って、あの狭いとこ?」

「そう」


 短い返事を緊張がコーティングしている。運転手さんでも、あれほど自信満々に言ってくれても。

 やっぱりいいですと言いたいのは堪えた。帰りたいからではなく、ここまでしてもらったのを無に帰したくなくて。


「……高橋直子ちゃん?」

「はいっ」


 孫の次の声を待たず、おじいさんの声がボソッと聞こえた。機嫌が悪いようにも思うが、やはり緊張のせいだと自分に言い聞かす。


「もしかして、咲さんの子かな」

「えっ、そうです」

「ああ、やっぱり。道理でべっぴんさんよ。どことなくお母さんに似てるわ」


 突然に母の名が出て、声が上ずった。

 なんだろうかと不思議に思うのと、運転の邪魔にならないか心配なのと。こちらから話したほうがいいのか悩む。


「——ちょっと待ってね。もうすぐ雪がなくなるからね」


 どんどん降る、この雪が?

 おじいさんの言うことに、疑問符が積み重なっていく。心配した通りに待てと言われ、両手を膝におとなしくしたけれど。


「もうやらなくなって随分だけど、年末の祭りに二年むすめってのを選んでね。うちの息子も咲さんがいいってねぇ」

「お母さんがその、二年むすめに?」

「そうそう。儂はまあ『結婚が決まっとるだろ』って叱ったけど。言うてもべっぴんさんには違いなかったねぇ」


 おじいさんの声から緊張感が剥がれた。いつの間にか、ジムニーも揺れなくなっている。

 真っ白の窓を指先で拭う。ガラスのすぐ向こうへ大きな笹の葉が、目隠しするみたいに茂った。


 先ほど聞いた林道に入ったようだ。小柄なジムニーもぎりぎりの、狭い道。左右から伸びた枝葉が頭上を覆い、雪の白はまったく見えない。


「……選ばれたらなにをするんですか?」


 走れるのが分かっても、今にも転げ落ちそうな山道が怖かった。車体の外へ体重をかけないよう、内側にお尻をずらす。


「御倉神社でね、正月の巫女さんをするんだよ。それからまあ、盆祭りやらあれこれやって、最後にまた正月をやる」

「それで二年むすめですか」

「そうそう」


 上半身を鷹守に預ける格好だ。彼はかなり重かったはず。だけど林道を抜けるまで、苦情を聞くことはなかった。

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