第29話:優しいのは誰
煌々と照らされたステージへ向かう、英文の刺繍された背中をじいっと見つめた。
暗い、舞台袖から。
なぜ、どんな思いでと問われても答えられない。強いて言えば謝っていた。
クリスマス会のこと。この場に見合わない服装のこと。
「ごめんね高橋さん」
結局、あれこれ言われて呆然としていたと言うのが正しいのかもしれない。だから鷹守に呼ばれて気づいたのも、たぶん二度目だ。
「高橋さん、大丈夫?」
「え、あっ。なに?」
「ごめんね、大きな声をしちゃって」
苦笑というか、気まずい笑みで。鷹守はちょっと頭を下げる。
「え。え。なんで? 鷹守は私を庇ってくれたんでしょ。謝ることないよ」
「それだけじゃないけど——ありがとう」
彼の喉に、なにかの言葉が呑み込まれた。
そうでなくとも、普通は私からも気遣わなきゃいけないところだと思う。でもうまく言葉が出てこず、ふらふらと元の椅子へ座った。
我ながら、失礼極まりない。
「ちょっと高橋さん。そんなに慌てなくていいよ」
どんな顔でなにをしていればいいか、分からなくて困った。それで目についた針と糸を取り、縫い物の続きを始めた。
ほんの少し、手が震える。鷹守が止めるのは、きっとそのせい。
「あれ、おかしいな。どうしたんだろ」
「僕が驚かせちゃったから」
「それはないよ。うん平気、ゆっくりやるし」
おたふくのおばさんに、任せたと言われた。少なくともこの作業をやりきるのは普通のことだ。
そのころには落ち着いているはず、後のことはまたその時にしよう。
宣言の通り、息を一つするごとにひと目。止まっているほうが圧倒的に多いペースで針を動かす。
すると、もの言いたげな鷹守も階段へ戻った。
「もう少ししたら、応援が来るはずなんだ。だからほんとに、慌てなくていいよ」
「分かった。ゆっくりやってるよ」
壁の向こう。ステージの上。彼の言うように、人が増えたらしい。十人、いや二十人くらいがガタガタと重い物を運ぶ気配が伝わった。
「鷹守こそ、ここに居て叱られない?」
「平気だよ。僕のやることは、ほとんど済んじゃったし」
互いになにごとか、一つ言って相手が答える。次に口を利くのは何十秒かを超えて間が空く。
会話と呼んでいいものか。まあ、当の話し相手は鷹守だけなので、文句を言われることもないだろうけど。
「……僕は力がないし、背も低いからね」
「ええ?」
「今みんながやってる作業、そういうのばかりだよ。持ち上げたり支えたり」
たしかに、と思っても答えられない。高いところへ吊るのなどはできなくもないだろうけど、背の高い人のやるほうが早い。
でもそれは、彼が役立たずという結論とは無縁だ。
「——鷹守はほら、作るほうで活躍してたでしょ。今重い物を持ってる人は、あんたが頑張ってる時におでん食べてたんだよ」
答えるのにまた、二十秒くらいの沈黙があった。いくら
もっとなにか言わないと。
あせって言葉を探したが、先に鷹守が鼻息で笑った。
「ふっ、良かった」
「良かった?」
「高橋さんが面白い人で」
「私が?」
面白いこと言ったかな。おでん食べてた、とか? 冗談じゃなくて事実なんだけど。
などと考えながら、彼の声がいつもの明るさに戻っているのにも気づいた。つまりさっきまで、沈んだ声だった。
「僕なんかと、ああいう風に言われたら嫌かなって」
「どういう風?」
「いや、ほら、さっきの。沢木口さんが」
とても言いにくそうに言葉を濁すから、そこまでのことを言われたっけと記憶を辿った。
僕なんか、とは私と鷹守について。沢木口さんが言ったのは、暗がりでくっついていたと。
「い、嫌じゃないよ!」
「え、ええっ?」
彼を嫌う理由がない。
よりによって鷹守と、なんて考えているように見えたのだろうか。それを気に病み、手を震わせたように見えたのか。
そんなことはない、と声を張り上げた。
聞いた彼が、またひどく驚いている。違うそうじゃない。
「いやその、喜んでるわけでもないけど」
「だよね」
「えっ。違うよ、あんたのこと嫌いじゃない。けどその、沢木口さんが言うようなのじゃなくて」
否定すれば鷹守を落ち込ませる。肯定すれば、彼とお付き合いしたいような感じになる。
なんて言えばいいの。
私の口から出るのは「待って待って」ばかりになった。
「あはは、大丈夫。勘違いしないから」
「笑わないでよ」
「高橋さんが面白いから。それに優しいし」
なんだ、元気じゃないか。少なくとも表情からはそう見える。
実際どうなのか分からないけど、冗談めかした彼に合わせて私も返す。
「面白くはないでしょ。優しいのも鷹守のほう」
「僕が?」
「だってあんた、沢木口さんと口ゲンカになっても余裕でしょ。だけどそうなるのが嫌だから、我慢してる」
間違いないはずだ。
口論に強いというと、たいていは相手の理屈をねじ伏せる人を指す。けれど鷹守は違って、相手がこう言おうと想定した方向から話を逸らしている。
これはバカにされていると気づかなければできないことで、彼はそれでも相手を傷つける言葉を吐かない。
「我慢というか、みんな楽しいのがいいでしょ。僕の言ったことで誰かが怒るとか悲しむとか、僕が楽しくないんだよ」
「でも私のために怒ってくれた」
「……まああれは、高橋さんが嫌かなって」
「ほら、優しい」
沢木口さんの言うことは間違っていなかった。鷹守との関係以外は、だ。
すると私は黙って聞いているしかなく。そうなっていたら、今ごろはこんな会話もできていない。
「彼氏とかイトコとかって、なに?」
あんたのおかげで、私も空笑いくらいできるよ。
沢木口さんの男事情に口出しする気はなかったけど、彼の勇姿を語るには避けられない。
「あの男の人、青年団でね。僕も話すことあるんだ。苗字が違うから知らなかったけど、親戚だと思ってカマをかけた。そしたら当たってた」
「それが?」
「知らない? 沢木口さん、お金持ちの彼氏が居るって自慢してるんだ。まあ田んぼをたくさん持ってるし、独身だし、お金持ちとは思うけど」
「学校で見栄を張ってるってことね——」
彼女はいつも、お金も彼氏もなんでも持っていると公言している。それが嘘だとバレた時、どれくらいのダメージになるのか私には想像もつかない。
思い返せば、鷹守に指摘されて逃げていった。あの姿からすると、かなりの負い目になるのかも。
「あんた、優しいの?」
「あはは、どうかな。高橋さんにしか言われたことないよ」
疑ってはいない。彼は私のために、沢木口さんを怒らせたのだから。
鷹守が押して笑うのなら、私も倣うしかないじゃないか。
「そういえば、あれはなんだったの。沢木口さんがなにをするか、鷹守ならよく知ってるって」
私と彼が公認の仲と揶揄し、どんな晒し方をするか。沢木口さんの脅迫のさなか、そういう言葉があった。
鷹守はなんのことかと答えたけど、あれはとぼけただけだと思う。
「なにもないよ、沢木口さんにも言ったけど。なにをしてくれるのか、さっぱり」
嘘だ。
私を脅すのに、鷹守を共犯にしての嘘を沢木口さんが言うはずない。
なにか嫌なことをされたはずなのに、どうして隠すのか。見当がつかないけど、強引に問うのも気が引ける。
「あっ、来たよ。応援」
男性ばかりだった体育館に、女性の声が響く。アイロンや裁縫の他にも、男性ではおぼつかない分野はあるようだ。
と言っても四、五人くらいだろう。おたふくのおばさんと話す内容が、大声すぎて聞き取れない。
「晩御飯の支度なんかを終わらせてからだからね。この時間になるんだよ」
「晩御飯?」
「うん。どこの家も家業があるから終わらせて、女の人は家事もして」
「それは大変だけど、今何時!」
自分のスマホをバッグに探しつつ、彼にも問いかけた。するとあっさり、鷹守はポケットから取り出して答える。
「大丈夫だよ。まだ四時前」
「あっ——そう、良かった」
帰りのバスは午後五時過ぎ。しかもその便が最終で、乗り損ねるわけにいかない。
時間の確認を忘れるなんて、冷や汗を通り越して凍えそうだ。結果的に問題はなくて、ふうっと安堵の息を吐いた。
「ていうか寒いね」
「うん、まだ日も暮れてないはずだけど」
ぶるっと震えて、コートの前を閉じた。鷹守は上着を取ってくる、と走って出ていく。
前に見たのと同じ、中学校のジャージ姿だ。なんで今まで平気だったかが不思議。
彼の足音は、すぐ戻ってきた。バタバタと、行く時よりやかましく。
「高橋さん!」
「な、なに?」
「雪が……バスが出ないって」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます