第27話:行為の意味

 そのまま鷹守は「ちょっと休憩」と居残った。ずっと走り回っていたのは私にも分かる。

 おたふくのおばさんがもう一つコーヒーを持ってきてくれて、彼はステージに上がる階段へ座った。


 私もアイロンを終え、持つ物を縫い針に変えた。テーブルと対の椅子を鷹守のほうに向け、また最初の黒い布からちくちくと作業を始める。


「たくさんあるでしょ。これ、背景なんだよ」

「これが? なんの絵もないけど」

「黒い布は森の中とか、不穏な場面とか。黄色い布は夕焼け、それに火事の場面かな。色付きのライトを当てたら、それっぽくなるんだけどね」


 言う通り、布は何色もあった。中には銀糸で星が縫い付けてあったり、分かりやすいのも。

 鷹守は黄色の布を取り、炎ならこうするのだと揺らして見せる。


「すごいね」

「僕が考えたわけじゃないよ。演劇部で教わったり、舞台で見たり。誰かの真似だからね」


 広げた布を畳み直し、彼は自嘲ぎみに笑う。と言っても卑屈な感じはなく。


「それがすごいんだよ。あんた自身は好きなわけじゃないのに、みんなのために調べるのが楽しいんでしょ? 普通はそこまでしない」

「普通?」

「あっ、ごめん。おかしいってことじゃないよ、そこまでできるのを褒めてるつもり」


 普通でないのには、二種類ある。特別に優れているのと、特別に劣っているのと。

 正直、鷹守は後者だと思っていた。でも知れば知るほど、前者だと感じる。


 対して私は、どちらでもないと思っていた。自慢できるような特技はなく、後ろ指さされるほどひどい人間でもない。

 だけどたった今は、劣っているのかもと思う。


 沢木口さんのことで後田さんに迷惑をかけているはずだし、鷹守を見誤ってもいた。

 三倉の兄ちゃんに可愛がってもらえるのだけは、間違いなく特別だ。ただし私自身が優れていることにはならない。


「ありがとう。だけど聞いてもいいかな。高橋さんの言う普通って、どういうもの?」


 ありがとうの言葉に似合って、彼は微笑む。どうしてそんなにできるのと問いたくなるほど、まっすぐに私を見つめて。


 なぜか、頬が熱くなった。ボッ、と炎の点く音が聞こえたとさえ感じた。

 なぜか、鷹守の眼を見返すことがつらい。嫌なのではなく、恥ずかしさに似たなにかの気持ちで。


「え、ええ? 普通は普通だよ。普通は自分のやりたいことを優先したり、見返りが欲しいと思うんじゃないかな」


 繕う手もとだけを見つめるふり。実際はちらちらと、彼を盗み見た。

 私の言葉に頷き、音もなく立ってこちらへ来る。ほんの三、四歩。距離が縮まる間、私の心臓は激しく高鳴った。


 なに? 急にどうしたの?

 鷹守が私の嫌がることをするとは思わない。しかしそれなら、今伸ばそうとする手はなんなのか。

 まだ触れてもないのに「なにする気?」とも聞けず、彼の意図を薄目で見守る。かちこちに全身を強張らせて。


「針、借りるね。僕もやってみたくなった」

「え……うん」


 私の足元へ置いた、大きな裁縫箱から針と糸を取る。すると鷹守は回れ右をして、また階段に戻った。

 ほうぅ、と息が漏れる。なんなの? と腹の立つような、がっかりしたような。


「この劇団にね、お芝居で儲けようって人は居ないんだ」

「う、うん。ボランティアだもんね」

「そうなんだけど。たとえば役者にならないかって、スカウトが来るとか期待してる人は居ない。まあ、おじさんおばさんばかりだしね」


 それはそうだと言いかけて、口ごもった。悪口になる気がしたから。

 曖昧に頷くと、彼が笑う。プッと噴き出し、「ごめん」と。


「つまり趣味なんだよ。絵を描いても画家になろうとか、ドライブが好きでもレーサーになろうとか、そういうのじゃない」

「鷹守も、ってこと? みんなを助けるのが趣味」


 話しながら、私は一枚の繕いを終えた。鷹守は針に糸を通したところ。

 続けて玉結びをしようとして、うまくできないでいる。多才な子チワワも裁縫は経験が薄いらしい。


「助けるなんてそんな。みんなね、お芝居だったり、単に集まってわいわいやるのだったり、好きなことがあるからやってて。僕は物を作るのが好きで、作らせてやるっていうから」


 口を動かすのと同時には難しいようだ。「ううん」と唸って黙ること一分くらい。やっと彼の針が布に突き立てられた。


「ふう——ええと、なんだっけ」

「たまたま作らせてもらってるだけって」

「うん、そう。これが将来、仕事になるとかはどうでもいいんだ。いや、できたら楽しいと思うけどね。それより今は、できることを増やしたい」


 言葉の通り、裁縫も自分のものにするつもりか。鷹守の操る針は、すいすいと布をくぐる。

 あれならすぐに私なんて追い越すだろう。感心してこちらの手が止まった。


「増やして、どうするの」

「どうするかはまだ分からないよ。いつかなにかを決める時、選択肢が増えたらいいなってそれだけ」


 そんなの、考えたこともなかった。私は私で、なにをしようと別人になれはしないのだから。

 鷹守みたいに器用でも、貪欲にやりたいことを見つけられも——そもそもやりたいことなんてあるのかという疑問すら浮かぶ。


「へえ……やっぱり鷹守はすごいよ。私なんか」


 思ったままを声に出そうとした。

 するとちょうど、縫い終わったのだろう。彼の手がすうっと針を引っ張った。

 残念なことに、結んだはずの糸終わりも抜けてしまったが。


「あ、あれっ?」

「あははっ。ヘタクソ」

「だねえ」


 下手だと言っても、バカにしようとは思わない。なにをどうと考える前に私は腰を浮かし、彼の隣へ移動した。

 小さな、繊細な手。私の大きな手で操り、玉結びの動きを教えてあげる。ため息は危うく堪えた。


「こうやって輪っかを作って、クルクルって」

「捩るだけなんだ。すごいね高橋さん」

「こんなのすごくないよ」


 褒めてくれる優しさは嬉しいけど、虚しいとも感じる。これくらい、できるうちに入らない。

 改めて楽しそうに縫い始めた鷹守を眺め、こっそりとため息を吐いた。


「ああ、そうだ」

「なに?」

「こう言えば分かりやすかったんだ。みんながプロになれるわけないのに、野球部やサッカー部で頑張る人は多いよねって。あれと一緒だよ」

「体力作りとか、チームワークとか?」

「そうそう」


 プロになれないなら部活で頑張るのはムダだ、と言う人は少ないはず。

 私もムダとは考えない。なにもしなかったより得るものはあるはずだし、ただのクラスメイトより親密な友達が残ると思う。


「野球部員が十人居ても、特別なのは一人も居ないかもしれない。じゃあみんな普通なんだって、高橋さんの言う普通ってそういうこと?」

「そう——なのかな」


 合っているような、違うような。即答しかねて、首をひねる。

 それが縦に動かして見えたのか、彼は「じゃあ高橋さんも」と言いかけた。賑やかな別の声で、続きは聞こえなかったけど。


「もう、寒い! こんなとこでなにすんのお兄ちゃん!」

「宴会だよ宴会。青年団の付き合いで、来なきゃいけないの。お前もおでん食いたいだろ?」

「食べるけど!」


 喧々とした女の子の声。宥めるというか、あやすように穏やかな男性の声。

 私たちの居る暗がりに二人が近づく。やがて見えた一方は、知った顔だった。


「沢木口さん?」

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