第23話:クリスマスのあと

「高橋さんはどうするの? 冬休みの予定とか」


 窓枠にもたれた鷹守の目は、壁に向いた。そちらには彼が作業中の大きな絵がある。

 真っ黒にした上へ広くグレーを塗り、またさらに全体へ白が重ねられていた。


 それは薄くベールをかけたようで、なるほど霞のかかった風景を描いているらしい。

 するとグレーは大きな建物。黒はあちこちの影。それ以上は詳細が描かれなければ判別できないが。


「あんたのお手伝いくらいだよ。強いて言えば、毎週のお買い物はあるけど」

「毎週って、そんなになにを?」


 鷹守とは別の窓へ歩き、北の空を見上げた。薄いながらも隙間なく、雲が覆い尽くす。


「えっ、おかしいかな。お肉とか野菜とか」

「ご飯の? 服とか、趣味のなにかかと思ったよ」


 彼の驚きに私も驚いた。でも詳しく言えばすぐに頷いてくれて、普通のことと私も胸を撫で下ろす。


 後田さんと話ができなくなって、こういう普通の会話をしていない。

 当たり前だけど父と母は大人で、私の幼い会話と噛み合わないから。


「すごいね。いつもお母さんと?」

「ううん私だけ。うち、お父さんだけじゃなくてお母さんも働いてるから、なにもしてない私が家事をするの」

「——へえ、すごいね」


 当たり前のことなのに、鷹守は二度もすごいと言ってくれる。おだてられたと分かっていても、褒められて悪い気はしない。


「すごくなんかないよ、家のことをしてるだけだもん。あんたみたいに近所の人まで気遣うとかできない。できないっていうか、思いつかない」


 冷たい人間だから。

 三倉の兄ちゃんには私の気にすることじゃないと言われた。鷹守で言えば、劇団の人たちが彼に助けられたいか、だ。

 ただし当人に言った通り、私なら気づかない。すごいと言うなら、気づけている鷹守のほう。


 ああ、そうか。家のことでも同じかも。私が気づけないから、母が言ってくれる。

 ひと言たりと言わせなくなったら、それはちょっとすごいのかもしれない。


「いや僕は好きでやってるだけだし」


 どうしたんだろう。また彼の眉間に、困ったシワが浮く。

 お世辞と思われた? だとすると勘違いだ。そうでない証拠もある。


「なら、なおさらすごいよ。みんながあんたを頼ってくれる。あんたはそれに答えるのが楽しい。おかげで私まで、こんなプレゼントを貰えるんだから」


 思わぬクリスマスプレゼントだった。洋封筒を振って見せると、鷹守は苦笑で頭を掻く。


「あー。クリスマスっぽくないし、プレゼントにもなってないかな」

「そうなの? 私、クリスマスプレゼントって初めてだから、分からないけど。でもあんたの言う通り、楽しそうだし。嬉しいよ」


 劇団のおじさんおばさんが助けを必要としていて、それは私に務まるらしい。

 楽しそうと言ったのも本当で、この回数券はそこへ行くためのチケットだ。


 しかも兄ちゃんに会うことだってできる。これがプレゼントでなければ、なんだと言うのか。


「喜んでもらえたなら良かったけど。でも、初めて?」

「うん。中学の時にお菓子の交換くらいならしたかな」

「ああ、友達とかクラスメイトからは初めてってことだね」

「ん、他に誰かくれる? さすがにサンタさんが居ないのは知ってるよ」


 高校生にもなって、鷹守もサンタさんネタは使わないだろう。まさかと思うけど、先んじた冗談のつもりで言った。

 しかし彼は首を傾げる。


「あれ、私なにか変なこと言った?」

「……ううん。大丈夫」


 私もバカじゃない。賢くもないが、彼がなにやら言いあぐねているくらいは察せた。


「そう?」

「うん。いや、それは」

「なに? はっきり言っていいよ、間違ってるなら教えてもらったほうがいい。国語、苦手だし」


 実際に苦手だけど、本当にそんなことで鷹守が頭を悩ませているとは考えていない。あくまでこれも、和ませるための冗談。

 甲斐があったか、「ははっ」と笑い声がこぼれる。


「ううん、高橋さんはなにも間違ってない」

「でも。なにか言いにくそう」


 笑って、鷹守は言い張った。こうまでごまかされると、私もどう言っていいか分からない。

 だけど放置するのも嫌で、結局ははっきりと聞いてしまった。


「ええと——うん。クリスマス公演が終わったら、予定ないんだよね?」

「う、うん。お買い物の日以外は」

「じゃあ連絡してもいいかな」


 なんだか決死の覚悟を決めるみたいに、鷹守は唾を飲み込んだ。ごくんと音を立てて。

 その割りに連絡するとだけで、決意の意味が分からない。


「いいに決まってるでしょ? もう何回かしてるし」

「そ、そうだね。あはは」


 顔を赤くして、彼は笑う。さっきまでの困った感じはなくなったので、言いたいことは言えたらしい。

 私にはさっぱりだけど、しつこく問うのはやめておいた。


「あ、それから。またここにも来てくれるかな」

「絵を見に? それとは別なんだね。いいよ、約束したし」


 どうせやることはない。学校で用事と言えば、母も文句を言わないはず。

 母にも私にもウィンウィンの話で、二つ返事だ。


「よ、良かった!」


 打って変わって鷹守は、眉間のシワなどできようもないほど上機嫌に笑う。

 なにがそんなに嬉しいのか、やっぱり分からなかった。冷たいとか言う以前に、私はかなり察しが悪いのかもしれない。

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