第22話:正体不明の迷い
「演劇部の人は?」
部室には誰も居ない。居た気配も。
ただ正直、部員の所在はどうでも良かった。一つ、重大な事実に気づいてしまったのだ。
プレゼントって、貰ったらお返ししなきゃいけないんじゃ?
どうしよう、なんの用意もない。これでは物だけ受け取りに来た、図々しい奴になる。
そう思うと、公演チケットも貰いっぱなしだ。劇団の人たちと鷹守と、どうにかお返しをしなければ。
今さら慌てても、今日か明日に準備するしかどうしようもない。
そう分かっていても不用意な自分に腹が立つ。無意味な質問をし、ムダにポケットなど探ってしまう。
「たぶん体育館かな」
「体育館?」
平静を取り繕おう私をよそに、鷹守は模造紙のない床をさっさっと進んだ。
どうするかと思えば、窓の一つを全開にされた。ただでさえ冷蔵庫みたいだった空気が掻き混ぜられ、私の身体がぶるぶるっと震う。
「あ、寒いよね。くさいかもと思って、ごめん。冬休みにコンクールがあって、練習にステージを使いたいらしいよ」
「へ、へえ」
くさい?
なにも感じなかったけど、臭いがするだろうか。
あせるのと寒いのとには無力なので、せめて鼻を利かしてみる。
乾いた絵の具の臭いなんかはいつものこと。この部屋独特ではあるけど、気になるほどでない。
他は掃除も行き届いているらしく、埃くささとも縁がなかった。
鷹守の視線を辿ってみる。と、塗料を一纏めにした箱があった。彼が作業に使う物以外に、顔料やスプレー塗料も見える。
「朝からやってたの? くさくなんてないよ」
「えっ。いや、そうじゃないけど。臭わないなら良かった」
意外という感じで驚いた顔。それがすぐに微笑み、窓を閉めた。風の動きが止まっただけで、ぐっと温度の上がった気がする。
「それでね、これ」
「ん、なに?」
なんだかいそいそ、鷹守は制服の内ポケットからなにか取り出す。
両手で差し出されたのは小さめの洋封筒。表にはひらがなで、きもちとだけ書かれた。
「気持ち?」
「うん。劇団の人たちがね、高橋さんに渡してくれって。使いかけで悪いけどって」
重ねられた言葉に一貫性が見つけられず、首をひねる。
けど、どうぞお受け取りくださいと書かれた彼の顔が、有無を言わせなかった。
封筒の中身は、百二十円と額面の書かれた紙片。電車の切符に似ているけど半分くらいの大きさで、バス会社の名前が入る。
ミシン目で繋がった二、三枚ずつが、たくさん。全部を合わせると、三十枚近くも。
金券とするとバカにならない額だけど、なにに使うものかまだ分からない。
「それ、二十年とか三十年とか前に買った物なんだって。余らせてたけど使う当てもないから、良かったら高橋さんに」
「ええと、ごめん。これなに?」
「バスの回数券だよ。古いけど、使っても大丈夫みたい」
回数券という物に馴染みがなかった。でも事前に買っておく利用券とは分かる。
つまり昔は、この額でバスに乗れたのだろう。今は一回分に足りないけど、百二十円の支払いに使えると。
「ダメだよ、受け取れない。こんなのお金と同じだもん」
欲しい。
鷹守の住む集落へ走るバス会社だ。兄ちゃんの顔が脳裏を埋めた。
月に三千円のお小遣いでは、月に一度がやっと。それだけでは機会のないような、くだらないことも話せるかも。
欲しくないわけがない。
しかし現物を見ないよう、慌てて封筒へ戻した。それを鷹守の胸へ押しつけ、要らないと首を振る。
「そんなことないよ、みんな引き出しの奥底とかに眠らせてたんだから。高橋さんが要らないなら、捨てるだけ」
「それは——」
ずるい。そんな風に言われると、受け取らない私が悪いみたい。
「ううん。でもダメ。うちはお金に困ってないから、そういうのはダメなの」
母の言いつけを正確に言うなら「お父さんがたくさん稼いでくれるのに、物乞いの真似をしないで」だ。
言い方はともかく、要はみっともないと。
それは分かる。だから洋封筒を、ぐいぐい押し続けた。
「そ、そういう意味じゃないよ。公演の準備を手伝ってもらえないかなって話。できれば明日も。それならバス代を使って来てもらうのは悪いでしょ」
アルバイト代みたいなものと続けられたのには、それならいいのかなと思った。
必要なだけ使わせてもらい、余ったら返す。これは物乞いとは違うだろう。
「いいのかな……」
「いいんだよ。みんな言うんだ、早く高橋さんを連れてこいって。遊びにでもね」
「そんなことを? 私、なにもしてないよ」
「来てもらえないと、僕がなにかしでかしたと思われるかも」
最後の付け足しは冗談らしい。
しかしまた見に来いと言われ、チケットも受け取った。その上に誘われれば、行かない選択肢はないのかも。
「うーん。こういう時、どうするのが普通なのかな」
「普通? よく分からないけど、都合が悪いのを無理にとは言わないよ」
「悪くないよ。お手伝いも、私にできることなら全然」
行くのは構わない。なにやら楽しそうとさえ。それなら問題ないじゃないか、と私自身も思う。
でも、「でも」と。私でない誰かがそう仕向けているように、二の足を踏む。
「難しい——?」
優しく、鷹守が一歩退いた。眉間のシワが、困ったなと示す。
さあっと背すじが冷えた。とても親切な話なのに、私の我がままが迷惑をかけている。
「ううん。言うことがコロコロ変わってごめん、行く」
「いいの?」
「それは逆に、私でいいのかって聞きたいけど。行くよ、お手伝い要るんでしょ」
深呼吸をして、単純に考えよう。
助けを求められて行くだけだ。自分でバス代を出すのは難しいから、その分だけは持ってもらう。
なにもおかしなことはない。普通に普通のことだ。
何度も何度も、同じ言葉を自分に言い聞かせた。
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