第21話:違和感の日

 入学式や卒業式はもちろん。節目の日に欠席するのは、罪が重いと思う。

 なにも塗らない食パンでも、問題なく食べられることが出席できるという証。今日、終業式にだ。


「たまに食パンが続くのも、おしゃれでいいわ」

「そう? 良かった」


 食欲はないながら、一枚を食べきった。

 対面の母はドンキドンキの超大型ジャムを存分に使う。そのどこがおしゃれなのか分からないけど、美的感覚は自由だ。


「じゃあね。お父さんが帰るまでに帰るけど、あんたはまっすぐ戻ってきなさいよ」

「もちろん。買い物もあるしね」


 今日はパートがお休みらしい。お出かけ用のスーツを着て、母は出かける。

 どこへ行くんだろう。

 ここ一、二年ずっとだ。家に篭もるという日が母にはない。


 父も自分のお休みは自分の趣味に使うし、家族で外出した最後はいつだったか。

 まあ一日誰も居ない日は、掃除が捗るので助かるけれど。


 ともあれ今日は、私も学校へ行く。昨日できなかった買い物にも。沢木口さんを怒らせた、ポイントがつかないけど仕方ない。

 食器を洗うのも、玄関から出るのも、トイレとの距離を考えなくていいのは幸せだ。


 ——なにもないと鷹守も言っていた。たった一日を空けたくらいで、学校になんの変化もなかった。

 と思ったのは、自分の教室へ入るまで。一歩踏み入るなり、意図せず声が漏れた。


「ん……?」


 なんだろう、間違いのない違和感があった。それは嗅覚に。

 これまで一度も、この部屋で嗅いだことのない臭い。入り口から一歩のところでスンスンと、正体を探る。


 シンナー?

 ではないにしても、そういう溶剤だ。でも除光液とは違う。特有のいかにも化粧品めいた香りがなかった。

 昨日、美術の授業でもあったっけ。時間割表へ目を向けたが、ない。もしあったとしても、美術室のはずだけど。


 騒ぎ立てるほど強く臭うわけでもなく。誰かが落書きを消すのに使ったとか、そんなことかも。

 クラスメイトの様子を窺うと、誰も気にした素振りを見せていなかった。


 それなら私も右に倣え。

 先に来ていた後田さんに「おはよ」と。怖怖した「うん」を悲しく感じながらも、返事だけは貰えたことに感謝する。

 椅子に腰掛けた頃には、もう臭いのことを忘れていた。


 終業式が終わり、担任の先生から諸注意が行われ、いよいよ冬休みに突入だ。

 クラスの誰も、一斉に教室を出ていった。例外は私を含めた四、五人だけ。沢木口さんグループは居ない。後田さんも。


 昨日のメッセージがなければ、私もすぐに続いた。

 しかし送ってきた当人の姿もある。気恥ずかしいからと、無下にすることは私にできない。


 ただ、どうしよう。普通に声をかけていいものか、鷹守を斜めに見つつ迷う。

 そのうち教室を出ていった。気のせいか判断に困るくらいの一瞬、私に視線を向けてから。


 彼のバッグは机に置いたまま。着いてこいというのだろう。もちろんすぐにでなく、少し間を持って。


 姿が見えなくなって、一分。

 いやいや、きっちりしすぎておかしい気がする。さらに十秒。

 後を追い、廊下の角を曲がる。と、そこに鷹守は居た。


「ドキドキしたよ、来てもらえるかなって」

「ぶ、部室に行くつもりなんでしょ。私も驚いた、こんなところで待ってるとは思わなくて」

「あはは、ごめん」


 屈託のない笑い声。

 別にいいけどと言いかけたのに、彼は気づかず歩き出した。


 本当にドキドキしているのに。

 沢木口さんを怒らせた者同士、なにを言われるか知れたものでない。


「もう」

「えっ、なにか言った?」


 どうしてそうも平気そうなんだ。ちょっと腹を立てた呟きに、鷹守は振り向く。


「なにも」

「ええ?」

「いいから、なにかあるんでしょ」


 勢いでごまかし、背中を押す。彼は逆らわず、やっぱり楽しそうに笑って答えた。


「そうそう。ちょっと早いけどクリスマスプレゼント」

「私に?」

「高橋さんしか居ないでしょ」


 背中を預けるようにもたれ、鷹守の顔がこちらへ向こうとした。

 ならばと私は顔を伏せる。今は見せるわけにいかないのだ。


 プレゼントって、なにそれ。

 予想外の出来事に、どんな顔をしていいか分からなかった。

 胸のドキドキも、ますます強く早くなっていく。

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