第19話:気遣い

 放課後、帰り際にふと思った。そういえば鷹守は、クリスマス会に参加するのだろうか。


 劇団の公演にも間がなく、そんな暇はきっとない。だけど沢木口さんに言われれば、断れないはず。

 彼を見ていると案の定、声がかかった。


「ちょっ、鷹守。買ってきてほしい物あるんだけど」


 一日の終わったこのタイミングでパシられるのは記憶にない。それでも沢木口さんは当然という風に、窓際の自分の席でふんぞり返る。


「えっ、ええと?」

「早く来いって」


 もうバッグを背負い、教室を出ようとしていた鷹守が、急ブレーキで振り返った。

 戸惑う声に構うことなく、沢木口さんは機嫌良さげに手招きで呼ぶ。


「明日のクリスマス会でさ、なんか笑えるやつ。ほら、あるじゃん、パーティーグッズとか。あんたのセンスでいいから」


 高そうな財布から、千円札が何枚か取り出された。周りの何人かが歓声と共に手を叩く中、鷹守は沢木口さんのところへ歩み寄る。


「パーティーグッズ?」

「イーロンモールにあるよ。明日、店に行く前に言っても良かったんだけどさ。あんたも都合あるかなと思って。気ィ利くでしょ」


 なんだ、参加するのか。もちろん彼の自由だけど、仲間はずれの気分になる。

 それでも私は行けないし、今さら行きたいとも思わないが。


「あれ? 参加するかって、僕にも連絡あったっけ」


 真剣に悩む顔で、鷹守が問う。意味するところは沢木口さんのうっかりや勘違い、ではないだろう。

 グループの誰もが、それまでの笑みを凍らせた。私の後ろでも、そそくさと帰る気配がする。


「来ないつもり?」

「うん、行けないよ。ごめんね」

「はあ? あんた今まで、断ったことないじゃん」

「そうだね。他に用事のない日だったから」


 宙に浮いた千円札が、カサカサと音を立てる。自分の耳に障ったのか、沢木口さんは握り潰して財布へ突っ込んだ。


「へえ……明日は用があるんだ?」

「本番はクリスマスだけどね。明日も準備しないと、公演に間に合わなくて」


 たぶん脅すつもりで、彼女の声は低まる。今度は鷹守がお構いなしに、自嘲気味に笑って頭を掻く。


「そう、分かった。ご、め、ん、ね」

「いいよ。次になにかある時は、行けるといいな」


 あからさまな不愉快を示されても、彼は気づかない。ご丁寧に「また明日ね」と付け加え、帰っていった。


 沢木口さんグループがそれぞれ「鷹守のくせに」みたいな文句を漏らす。

 しかし当の本人だけは、声も出さずに荷物を掻き集めた。イライラと、辺りの机にぶつかりながら教室を出る。

 途中、視界に入った私を睨みながら。


 これは私のせいじゃないし。

 反論は胸の中で。沢木口さんの居なくなった後。

 情けなさに息が苦しい。


 本当に困った。置かれた状況もだけど、自分のダメさ加減が。

 家に逃げ帰る道々、つい浮かんでしまう思いが致命的だ。


 鷹守よりましだと思ってたのに。


 どんなに押さえつけても、別の場所から滲み出す。

 彼が特別で居られるのは劇団のことだけ。なんて最低の見下しに、我ながら吐き気がする。

 手を温めるふりで口を塞ぎ、走り出す寸前の勢いで玄関に飛び込んだ。


 兄ちゃん、助けて。

 急く手が、ドアポストをガチャガチャと鳴らした。それなのに、やっと開いた中は空っぽだった。


「なんで……?」


 投函したはずの手紙が届かない。滅多にないことだけど、ただそれだけなのに、三倉の兄ちゃんにまで見捨てられた気がした。


「もう、うるさい! そんなにしたら壊れるでしょ!」


 追い打ちで母まで、ダイニングの扉から顔を出した。微妙に舌の回っていないところを見ると、眠っていたのかもだ。


「あっ、ごめんなさい。手が——寒くて」


 咄嗟の弁解としては上出来だ。外の雪はやんでいたが、冷え込みは強い。

 仁王立ちの母が語気を弱めることはなかったけど。


「ほんとにあんた、人を気遣うって気持ちがないよね」

「ごめんなさい——」


 そんなつもりはない。と言っても、言いわけにもならない。実際に壊れるかはともかく、壊れそうな音をさせたのは事実だ。

 まったく。と憤る母を追い、うなだれてダイニングに入った。


「あんたが好きだからって、牡蠣カキ買ってきてあげたのに」

「あ、いつもの……?」


 腕組みで「そう」と母は鼻息荒く頷いた。冷蔵庫を開けると、たしかに生牡蠣とプリントされたポリ袋が転がっている。


 毎年この時期、母が牡蠣を買ってくるのは恒例だ。正確にはパート仲間の人が、売り残した商品を横流ししているそうだけど。


「これ一袋で百円なんて、普通買えないんだからね」

「う、うん。ありがとう」


 嫌な予感。というより、やはり恒例の現実を確認するために一つ手に取った。

 やはり賞味期限は今日。それが十袋も。


「私のポケットマネーなんだから、食費が浮くでしょ。メニューも一日分、考えなくていいし。親がどれだけ気遣っても、子どもはありがたみを知らないってほんとね」

「そ、そんなことないよ。ありがとう」


 やれやれとため息で、母は寝室へ戻った。

 本当に牡蠣を食べたがるのは母で、しかもカキフライを三つくらい。それ以上はもういいと言うので、私が食べる羽目になる。


 父など貝全般を食べられない。そのせいか、私も牡蠣を食べるとお腹を下す。病院へ行くほどではないけれど、必ずだ。


 思った通りの夕食を経て、翌朝。ひどい腹痛で私は学校に行けなかった。

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