第16話:空の変わり目

 少し甘めに採点すれば、昨日まで晴天と呼べる日が続いていたのに。

 冬空らしい雲の積もり始めた火曜日。お昼休みになってお弁当を取り出し、振り返る。


「ねえ高橋さん。年に一度だしさ」


  既に立ち上がった後田さんが、わざわざ前へ回ってきた。

 主語がなんだか分からない前置き。想定外の動き。私は「え?」と問い返した口を間抜けに開いたまま、次の言葉を待つしかなかった。


 と。身近でこうなりたいと思う第一位の顔面が熱心に覗き込んだ。ふわり柔らかそうな指も、机の上に両手分揃う。


「クリスマス会だよ。高橋さん居たほうが、やっぱり楽しいと思うし。行こうよ」

「ああ……」


 そのことか。

 嬉しくはある。行けないとはっきり言ったものを、それでもどうにかと言ってくれるのだ。


 しかし行かないのでなく、行けない。という現実はどうしようもなかった。上がりかけた口角が、どこか半端なところで引き攣る。


「そんなに誘ってくれて、ありがと。でもうちのルールっていうか——木曜はね。ごめんね」

「そっかぁ」


 後田さんの眉間に溝が刻む。悲しいと困ったが入り混じった風に。

 ゆっくりと、前のめりの背がまっすぐに戻っていった。自然、彼女の指も机上を後退る。


 がっかりさせた。去りゆく手をつかみたくて堪らなかった。

 その時間は十分にあったが、無理なものは無理だ。ぎゅっと奥歯に力が入る。


「うん。事情知ってるのに、無理言ってごめん」

「ううん、ほんとにごめん」


 私の顔からも、謝罪が読み取れたはずだ。声だけでは足りない、伝われ。と強く念じていた。


「いいって、気にしないで。誘ってみるって言っちゃったから、沢木口さんに伝えてくるね。食堂、先に行っといて」

「う、うん。待ってる?」

「大丈夫。すぐ行く」


 いかにも任せろと請け負うように、彼女の首が深く頷く。頼りがいのある優しい笑みも、同じ意味と思う。


 普通、こういう時はどうするものか。

 それでもあえて待つべき。言われた通りにするべき……迷うこと数瞬。

 決めた。


「じゃあ食堂で待ってるね」

「うん。すぐだよ」


 教室を出るまで、後田さんはそのまま私を見送る。手を振ろうとしたけど、それは変かなと留まった。


 食堂へ行くと、パンの売り場から鷹守が抜け出てくるところだ。

 でも今日は私一人じゃない。声をかけず、二人分の席を取って待つ。ランチを手にした彼も、離れたところへ腰を落ち着けた。


 相変わらず胃の具合いを心配する早さで、鷹守が食堂を出ていく。

 きっと気づかなかった。死角へ隠れるようにしたことを、胸の中で謝っておいた。


 暖房がかかっているけど、足元を抜ける風がどうも寒い。

 もっと真ん中の席がいいかな。でも後田さんが見つけられないと困るな。などと迷いながら、結んだままのお弁当とにらめっこを続けた。


 もちろん誰かが訪れるたび、顔を向けた。そのたび。指を折る数につれ、不安が増す。

 五分、十分。厨房のおばさんたちが忙しく動き回る頭上に、大きな針が過ぎる時を刻んだ。


 すぐ、ってどれくらい?

 普通はどれほどの時間を指すか、自問を繰り返す。


 正解のないことは私も知っている。問うのは、どこまでを含めていいかだ。

 十分はまあ、なんとか。

 十五分は、なにかあったかと案じた。


「……二十五分」


 お昼休みは四十五分だ。もうやって来て、すぐに食べ始めないとまずい。

 さらに五分が過ぎ、私は席を立った。解かないままのお弁当を持って。


「どうしよう」


 やらかしたかもしれない。たしかめるためにも、すぐ教室へ戻るべきだ。

 だけど足が動かなかった。


 目を向ける食堂の出入り口。ガラス戸の先へ、白い粉がちらちらと降り始める。

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