第15話:予定違い

 放課後、ぼんやりとアスファルトの色だけを見て歩いた。

 考えごとと言っては違う。繰り返しに思い浮かぶのは「鷹守ってすごいなあ」とだけだったから。


 やがて自分の足が止まり、そこがアパートの前ということに驚いた。

 交通量の多い道路も横たわる、二十分強の道のりをどうやって歩いたのだろう。


 しかしまあ、よく聞く話ではある。きっとこんなものは、誰にでもある普通のことに違いない。

 階段を上り、私の家の扉を開く。と、ドアポストで音がした。


 郵便物がある。そう気づいて、一気にぼんやりが飛んでいった。

 今朝までは、ずっと楽しみにしていたのだ。土曜日に投函した封筒は今日届くはず。


 金属の蓋を開くと、見えたのはハガキだけ。三倉の兄ちゃんのは、茶封筒だった。

 ふう。と大きく息を吐きつつ、しゃがんだ膝を伸ばす。


「ん?」


 ひらり。ハガキとハガキの間から、葉っぱが落ちた。赤茶色で手のひらくらいもある、たぶん朴の葉。

 近所で見た記憶はないのだけど、イタズラか。だとして特段の被害もなく、深く考えずに持って入った。


 ハガキは旅行のダイレクトメールだ。ダイニングテーブルに置いておけば、母がどうにかするはず。

 残った葉っぱをくるくる回し、すうっと嗅いでみた。


 冬の匂いがする。

 鼻の頭へ触れる凍えた感触の一枚向こう。秋の陽ざしに色づく、森が見える。


 改めて見ると、作り物みたいに傷のない綺麗な葉っぱ。捨てるのはもったいない気がして、私の部屋の棚へそっと飾ってみることにした。


 兄ちゃんの手紙は、きっと明日届く。葉っぱを見ていると、そうに違いないと元気が出た。

 すぐさま、夕食を作っておこうとキッチンへ向かえるくらい。


 今日のメニューは八宝菜だ。端切れになった野菜やお肉を凍らせておき、溜まったら吐き出す。

 細切りにして、片栗粉も含めた調味料を混ぜておいて、あとはフライパン一つ。

 簡単で、費用も実質ゼロ円とは。なんてありがたい料理だろう。


「なに、今日は八宝菜?」

「うん、そう」


 あと二、三分も火を入れれば終わりの頃合いに、母が顔を出した。スンスンと鼻を鳴らし、こちらへやって来る。


 気に入らない風だけど、おそらく好物なのだと思う。

 ご飯にふりかけやお漬物を大量に投入する母が、八宝菜の時だけは冷蔵庫から出してきもしない。

 そもそも料理名を口にするのさえだ。


「あんたの八宝菜、肉が少ないのよね」


 パジャマ姿で寝ぼけた顔。横からフライパンを覗き込む母に驚く。

 単にまずいとか、気分じゃないとか。そういう抽象的な注文でなかったことに。


「あっ、あっ。そうなんだ」

「なんだ、まだ使ってないのあるじゃない」


 母の手が冷蔵庫へ。さっと取り出したのは、よりどり三パックで千円の豚コマ。

 止める間も——いや、止めても聞いてはくれない。最初から諦めている私の前に、およそ三百グラムが放り投げられた。


 もう火が通っていたのに。味付けも終わっていたのに。さすがにお肉が多すぎだ。

 そのくらいはどうにかなる。別にこれを出して、代金を貰おうというんじゃない。


 問題は、費用の配分。一パックを一度に失ったことで、予定していた二品が作れなくなった。

 次のお買い物ではお正月の物も必要なのに、目まいで世界がぐるんと回る。


「なに、ダメだった?」

「う、ううん大丈夫。お母さん、お肉たっぷりの八宝菜が好きなんだね」

「あははっ、なに言ってんの。せめてこれくらいないと、食べた気がしないでしょ」


 ピンクに変わっていく豚肉を眺め、母は満足そうに笑う。

 そうか、これくらいが母の普通なのか。だとしたら言う通り、いつもは入っていないも同然だった。


「お父さん、早く帰ってくればいいのに」


 などと、ついでに取り出した牛乳パックへ向けて言う。やはり八宝菜だと、父の帰りも待ち侘びるらしい。


 うん、できるだけ要望に答えよう。いつもこの量は難しいけど、他でやりくりすれば近いことは可能なはず。

 叶えるべきを叶えるために工夫する。それは今日、鷹守から教えてもらったばかりだ。

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