第14話:意外な顔
「あっ、教室に戻らなきゃいけないよね」
いつもよりゆっくり食べた気がする。先に食べ終わった彼の食器と、壁の時計を見て思い出した。
急いでお弁当箱を包む。その間に鷹守は、私の使った湯呑みまで片付けようとしてくれる。しかし返却口へ向かう背中を、どうにかつかんだ。
「いいよ、私が返しとく。早く持ってかないと、沢木口さんに蹴られちゃう」
いつもの配達時間より、もう五分以上も遅れている。お昼休みが短くなるというなら、私のせいだ。
冗談ぽく理由をつけ、機敏な彼から鮮やかに食器を奪う。それなのに鷹守は、なぜか頬を真っ赤にして立ち尽くした。
「行かないの?」
「い、行くよ。でも、あの。み、見てないから」
「なにを?」
なんのことか、さっぱり。だから普通に問い返したのだけど、彼の首すじまで赤味が広がった。
「しょ、食器! ありがと!」
足をもつれさせ、逃げていく。その姿が見えなくなって、食器を返して、食堂を出る時にやっと思い当たった。
沢木口さんの蹴りのことと。
そんなに照れなくても。
常に自分から見せているような丈のスカートだ。他の男子だって、いちいち反応したりしない。
いやそれとも、みんな無反応を装っているのか。これはなにが普通か、私には分からなかった。
さておき。私は教室に戻らず、校舎の三階へ向かう。音楽室や美術室の他に、ただの空き教室が並ぶ。
いくつかは部活用に割り当てられ、鷹守もそこへ行くと言っていた。
ちょうど真ん中の教室。入り口のプレートに演劇部と、太いサインペンで手書きの紙が貼られている。扉に手をかけると、するする抵抗なく開いた。
「わあ……」
端に五、六脚の机があるだけの教室は、見知らぬ高原へ彷徨い出たように広く思えた。
机があるだけというのは語弊があって、実際には丸めた紙やらダンボールやらが壁に立てかけてあるけれど。
舞台背景に使うのだろう、木々や雲のような絵が覗く。
「演劇部って感じ」
「演劇部だから」
広い床の真ん中に、鷹守は蹲っていた。彼の下に模造紙、手には絵筆。お腹が痛いのではないらしい。
失笑の返事をしても、珍しくこちらを見てくれない理由は考えずにおいた。
「部活までって、ほんとに劇が好きなんだね」
彼の後ろへ回り、背中越しに作業を眺める。恥ずかしいという素振りがあれば、すぐにやめるつもりだった。
しかし鷹守は構わない。袖のある割烹着みたいなエプロンまで着て、かなり本気の様子だ。
「ううん、僕は演劇部じゃないよ」
「えっ? でもそれ」
「うん、これは演劇部の大道具用」
普通、部外者は大道具の絵を描かない。部員が専用で使う部屋にも入らない。
わけが分からなくて、どういうことか問う声も出し忘れた。
「御倉劇団って正式っぽく言ってるけど、みんなが手探りで始めたんだよ。さ来年で十年なんだって」
「へえ、みんなベテランぽかったよ」
「もともと地区の行事をやる人たちだから、息が合うみたい。でも劇を本格的にやると言ってもさっぱりで、何年かはグダグダだった」
話の繋がりは分からないけど、関係するのだろう。御倉劇団の面々を思い出す。
座長とは呼ばれずとも、つるつる頭のおじさんを中心にまとまった雰囲気を感じた。
図々しく訪れた私をお客さんと言ってくれるのが、観客とは違う意味を勝手に覚えるくらい。
「それで僕、中学で演劇部に入ったんだ。シナリオや舞台の作り方を教えてもらえると思って」
「教えてもらえなかった?」
ちょっと残念そうに沈んだ声。「ううん」と、鷹守の首は横へ振られた。ただし続けて、なんだか唸る。
「うーん。教えてもらえなくもなかったんだけど」
「どっち?」
「シナリオでもなんでも、これからやるお芝居用に一つずつしか作らないんだよ。年に二、三本かな。それも
なるほど。裏方修行を目的に入部したのに、機会が少なすぎたのか。
聞けば普通だと思うし、仕方ないとしか言いようがない。
「でね、ここだけの話だけど。僕って、劇そのものは特に好きじゃないみたい」
「ええっ?」
驚いた。動き続ける手もとを覗き込む姿勢から、仰け反るくらいに。
「だってさ、演劇部なら劇をやれって言われたんだ。顧問の先生とか先輩に」
「うん、まあ……」
「でも僕は役を演じたいとは思わなくて、舞台の作り方を知りたいだけで」
その人たちの言い分は間違っていない、と思う。だけど鷹守が言いたいことの意味も分かる。
「それはそうかもだけど、普通は——」
「そうだよ。普通はみんなで一つのお芝居をやり遂げて、みんなで次に取りかかる。プロの大劇団だって、基本的には同じだろうね。分業されてるけどさ」
沢木口さんたちのご機嫌を損ねないよう、笑っているんだと思った。
しかしそれは違うと言った小柄な男の子が、さらに違う顔を見せる。
「だから高校では、入部しなかったんだよ」
「じゃあそれは?」
「アルバイトかな。やり方を知ってても経験がないと意味ないし、練習も兼ねて」
入部しない演劇部の部室で、いったいなにをしているのか。会話がやっと
「アルバイト?」
「劇団で分からないことがあったら、顧問の先生に教えてもらう相談料とか。資料を貸してもらったりね」
「そんなこと、していいんだ……」
「どうかな。今のところは責める人も居ないし、僕は楽しいよ」
顔が熱くなる。恥ずかしくて。堪らず目を逸らし、窓際へ向かった。
これほどしっかりと考える人に、私はどの面さげて上から目線で居たのか。
「高橋さん?」
「あ、ううん。その、ええと、空気の入れ替えとかしなくていい?」
「そうだね、助かるよ」
あからさまに狼狽えた私を、顔を上げた鷹守が笑う。演技だとしたら名優と太鼓判を押せる、屈託のない。
「そういえば私、なにか手伝えって言われたと思うんだけど」
強引に話題を変え、教室の一番前と後ろの窓を半分ずつ開いた。
冬の風が舞い込むと、癖のある塗料の臭いに今さら気づく。
「手伝う? ……ああ、そうだっけ」
「そうだっけって」
「いや、うん。あるよ。ええと、どうしよう」
「どうしようって言った」
彼も嘘を吐くことがある。今日は意外な顔の大盤振る舞いだ。
悪びれもせず、真面目を装った鷹守が「そうだ」と私の役目を思いついたらしい。
「これまだ何日かかかるんだけど、出来栄えを見に来てくれる? 先入観のない人に意見してもらったほうが、参考になるから」
じゃあやっぱり、今日はやることがないじゃないか。
とは思いついても言わず、快く頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます