第12話:特別な人
「危なかったんだね。でも無事で良かったよ」
鷹守は歩く足を止め、振り向いた。たった今、目の前で子どもが溺れたみたいな緊張の顔で。
「ありがとう。私も送ってもらった時はそれほどだったんだけど、今思い出すとゾッとする」
彼のバッグに、風呂敷包みが二つは入らなかった。だから一つを私が抱え、バス停へ向かう。
照れ笑いの私に、鷹守は力強く頷いた。
「でもそのお兄さんみたいな人は、三倉さんのところで見たことないなあ。家族の話も聞いたことあるけど、あの娘さんたちしか」
再び歩きつつ、黒いゆで卵みたいな後ろ頭が傾く。
三倉さんとは、さっきまで居た和装屋さんだ。もしかすると三倉の兄ちゃんも出入りしているかと、彼に聞いてみた。
「そっか、じゃあやっぱり神社の家なんだね」
「神主さんの家ってこと? うーん、会ったことないや。お正月詣での時、遠目に見るけど」
「うん、いいよ。ちょっと興味本位で、知ってるかなって思っただけ」
嘘でなかった。なんというか、すぐに「知ってる知ってる」と言うようなら聞いてみよう、みたいな気持ちだ。
だから彼が申しわけなさそうに
「誰かに聞いてみようか?」
と続けたのは断った。
「ううん、気にしないで。根掘り葉掘りみたいになったら、兄ちゃんに悪いし」
私の住むこの辺りも、それほど都会でない。政令指定都市でも人口の少ないほうの、そのまた隣の町。
さらに山奥へ向かうあの集落で、住む人の詮索をするのは良くない。およそひと月に一度しか行かない私はさておき、きっと兄ちゃんに迷惑がかかる。
「ほんとだよ。本当にちょっと聞いてみただけだから、気を利かせてとか要らないから」
「分かったよ。高橋さんにとって大切な人なんだなってこともね。命の恩人なんだし、当たり前だろうと思うけど」
当たり前。兄ちゃんへの気遣いは普通。
そう言ってくれる鷹守に、兄ちゃんのことをもっと話したくなる。だけど私が相談を持ちかけるばかりで、兄ちゃんは自分の話をしたがらない。
「大切なんて私が言うと、生意気って叱られそうだね。恩人って言うなら今もだよ。どんなくだらないことでも、相談に行ったら必ず聞いてくれるの」
「神社で待っててくれるんだっけ。大学生って言ったよね。いい人すぎるっていうくらいにいい人だね」
兄ちゃんが褒められるのは嬉しい。自分が褒められることはそもそもないけど、それよりだ。
だらしなく笑う私の声を、前を行く鷹守はどんな顔で聞いたか。おそらく呆れているに違いない。
「えへへ。恥ずかしげもなく言うと、そう。私はなんの取り柄もない普通だけど、兄ちゃんと話せることだけは特別かな」
「いいね。僕もそういう特別な人、欲しいなって思うよ」
「いいでしょ」
さすがに、だ。今度こそ鷹守は、呆れて噴き出した。バカにした感じはなかったけど、我慢しきれずにしばらく笑った。
「あはははっ、ごめんね笑って。でも、あははっ。高橋さんが
「そんな人って、どういう意味?」
「どういう意味かなあ。僕にもうまく言えないや、あははっ」
本当に悪い意味ではないとだけ、彼は繰り返す。ごまかされたとは分かるけど、信用することにした。
鷹守から誰のことも、見下す言葉を聞かないから。
「あ、そうだ。話を変えて悪いんだけど」
「うん、なに?」
「二十四日。クリスマスイブだけど、予定あるかな。もしなかったら、時間を分けてほしくて」
鷹守が急に言い出したのは、もうすぐバス停に着くからだ。それは聞かなくても分かるが、時間を分けてくれとは。
しかもクリスマスイブ。世間ではと言わずとも、私達の教室でも彼氏や彼女とどうこうという会話が聞こえる。
私なんかにそんな知恵を使う価値はないと思うけれどと、今度はこちらが理解に苦しむ。
「いやその、予定は別にないけど。本気で? 私に言ってる?」
「そうだよ。次の週末だし、無理にとは言えないけど」
どうしたものか。どう答えたらいいか。
お勧めの漫画を手渡されて、開いてみたら自作の原稿だった。なんていう経験はないけど、そういう心持ち。
歩みを緩め、ちらちらと振り返る視線が特に。
「ええと……私でいいのかむしろ悪い気がするけど、お試しってことなら」
「ほんと? 良かった!」
バンザイと両手を挙げるのでは。などと心配するほどに、鷹守の声は弾んだ。
実際、斜めにかけたバッグもなんのその。ぴょんと跳ねてこちらを向いた。
「じゃあこれ」
小柄な体躯には重い荷に苦労しつつ、彼はなにやらごそごそと取り出した。
とても必死な風に見えて、バッグを下ろせば? というツッコミを声に出す気が失せる。
「ん、なにこれ?」
「チケットだよ。書いてある通り」
やがて突き出された手に、薄い紙片があった。よく字の見えるよう持ち直され、その通りによく読む。
するとそこには、御倉劇団のクリスマス公演と書かれていた。
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