第10話:嫌になるくらい

「どうも今日は立て込んでて。お構いできなくて申しわけありませんが、ゆっくりしていってくださいね」


 ひと言ふた言。演劇のおじさんおばさんたちの近況を聞き、奥さんは退室すると言った。


「いえ全然。むしろ受け取るだけなのに、こんなにしてもらって。申しわけないくらいです」


 出してもらった高級そうな最中を前に、鷹守は卓のすれすれまで頭を下げる。

 優しく微笑んだ奥さんと、娘さんも部屋を出た。後には並んでお茶を飲む、場違いな二人が取り残された。


 ほとんどないような気配が、遠く消えた気のするまで。貼りつけていた愛想笑いを、ようやく解く。


「それ持てる?」

「うん、たぶん。少しくらい押し込んでも問題ないし」

「なんなの?」


 包みを置いた時の様子から、布のような柔らかい物とは想像がつく。和装を取り扱っているのだから、その他もなかなか思いつかないけど。


「えへへ、開けてみる?」


 よく聞いてくれた、と彼の顔に浮かぶ。あんたが開けたいんでしょとは言わず、素直に頷く。


「これはね——じゃーん」

「じゃーん、って」


 本当に言った。一つ解いた風呂敷から、個別に包装されたなにかを取って。

 でも、なんだろう。

 透明なビニールに包まれた、鮮やかな彩色の布とは分かる。ただし折り畳まれていて、全体の格好が分からない。


「タオル、じゃないよね。生地が違うし」

「惜しいね、手拭いだよ。いつも年末に作るんだ」


 手拭いという言葉は知っていて、タオルと似た物とは知っていた。けれどもどう違うか、正確なところが分からない。

 疑問が顔に出ていたのだろう。鷹守は「いいよ」と、手にした包装をバリッと剥がす。


「百パーセント、木綿だから。いい手触りだよ」


 彼が手拭いを広げるには、両腕をおよそいっぱいに使った。

 濃淡の著しい赤と青で、浮世絵みたいな染め絵が面積の半分ほどを占める。真ん中には赤く、大入の文字と御倉劇団の名前が。


 描かれるのは、歌舞伎のような舞台を見る観客の人々。現代ではなくて、頭にちょんまげが見える。

 端に触れてみると、馴染みのない感触だった。タオルと比べてすべすべだけど、硬いような感覚も。その分しっかりと丈夫そうだ。


「年が明けたら、地区の人たちに配るんだよ。あと、最初の公演のお客さんにも。それで一つ、高橋さんに」

「これを? いいの? なんで?」


 やはりくれるらしい。言って彼は、手拭いを渡してくれた。

 予測していても、遠慮の気持ちはある。どういう名目か、知りたくもあった。

 それでも白々しさに、視線を合わせられない。まじまじ、手拭いの柄を眺めるふりでごまかした。


「見に来てくれたんだから、って」

「いやそれは私のほうが、見せてもらった・・・・・・・んだよ」

「でもみんな、高橋さんにまた来てねって言ってたよ」

「ええ?」


 それは私を気遣ってくれたのだろうし、鷹守が可愛がられているからだ。彼が連れてきた友達なら、大事にしてやろうという心遣いだ。

 ただ私は、鷹守の友達じゃない。


「……じゃあ、まあ。そこまで言ってもらって、受け取らないのも悪いし」


 普通ここまで勧められれば、拒否するのが失礼にあたるはず。

 丁寧に折り畳み、胸の前に掲げてあらためてお礼を言う。


「ほんと、いいのかなって思うけど。嬉しい、ありがとう」

「ううん。いつも不良品があった時の用心に、一つ余分に入ってるんだ。だけど不良品なんかあったことないし、遠慮しないで」


 少し、気が楽になった。

 使いみちも保管も、どうしていいか分からない物。それをわざわざ貰っては、なおさら扱いに迷う。

 最初から余剰の品なら、私に似合いだ。


「分かった、ありがとう。鷹守って、人付き合いがうまいね」

「えっ、そんなことないと思うけど。そうかな?」


 ひとまず手拭いは置き、またお茶を飲む。

 こういう場所で、出された最中は普通に食べてもいいのだろうか。なんだか無性に、甘い物が欲しい。

 盗み見ると、彼もまだ触れていなかった。


「昨日。そういうところ、いっぱい見たよ。練習してる時も、あの雪みたいなの降らせたり、小道具を渡したり。息が合ってないとできない」


 かなりの歳上ばかりの中、私なら緊張でしくじる自信がある。そういう意味で、役者ばかりでなく裏方も練習に参加するのだろうけど。

 場数をこなすだけでは、なかなかという部分は絶対にある。


「なにより楽しそうだった。あんたいつも、学校で笑ってるけど。そんなのとは全然違って」

「そうかな? 自分では分からないけど」


 熱中することがあれば、少しくらいのつらいことはなかったことになる。

 とかいう話があるけど、信用していなかった。でも鷹守は、そういう状態なのだろう。


 だから、楽しいことがあって良かったねと持っていく予定だった。

 しかしなにやら「うーん」と悩む彼が、予定外の方向に話を運ぶ。


「そうだね。言われてみると、楽しいことにも種類があるよね。教室の楽しさと部活の楽しさは違うよ。高橋さんはたぶん、教室でしか僕を見ないよね」


 楽しい?

 教室が?

 教室という言葉に、自分のクラスという意外の意味があったろうか。真剣に考える。


 移動教室。特別教室。あれこれあるけれど、どの場面でもクラスメイトは変わらない。

 つまりパシられる鷹守というも変わらない。


「ええと、ごめん。楽しいの? 教室に居る時」

「楽しいよ。楽しくなさそうに見える?」

「だっていつも、沢木口さんとかに」


 オブラートに包みたかったが、適当な表現を見つけられなかった。

 言った直後、お茶を濁すという手を思いついて悔やむ。でももう遅い。


「沢木口さん?」

「私いつも遠目に見てるだけで、言う資格ないけど。あれこれ頼むでしょ」

「ああ、うん。沢木口さんて面白い人だよね」


 うんうん、と彼の顔も上下した。

 私には言葉がない。と言うか次の言葉を探すことも、少しの間忘れていた。


 鷹守は笑う。弾むような声で、沢木口さんを褒めた。そこに私は、嘘の臭いを感じられない。


「……面白い?」

「そうだよ。あれ、高橋さんて沢木口さんとは話さない?」

「ええと、そうかも」

「話してみるといいよ。音楽のこととか詳しいよ」


 パシリじゃない。ただの、普通の友達?

 普通の友達は、あんなに一方的に買い物へ行くもの?

 私の中にない定義が、頭をぐちゃぐちゃにする。熱くなって、本当に煙が出そうだ。


「あの、ほら。昨日もみんなのお昼を一人で買い物に行ってたでしょ。沢木口さんとかも同じ?」

「そうだね。僕、食堂で食べるからついでにね。人に頼まれるの好きで、逆に僕から『なにかない?』って聞いてるかな」


 なんだ、心配して損した。

 いや彼がつらくないのなら、良かったと言うべきだ。私が余計な気を回して、勝手に気の毒がっていただけ。そこに被害者はいなかった。


「あんたも……」

「うん?」

「あんたも特別なんだね」

「特別? なんだろ」


 めでたしめでたし。

 これで話はおしまいと思ったはずなのに、私の口がひとりでに喋る。なんだか分からないはずの鷹守は首を傾げ、なんだか分からないはずなのに笑った。

 興味津々という顔が、私と同じ人間に見えない。


「私とは違うってこと。私、どうしようもなく。嫌になるくらい普通だから。あんたみたいに、特別にいい人になれない」

「ええっと。僕そんなに善人ってこともないと思うけど」


 さすがの彼も戸惑いを浮かべた。だけどまだ、私の言い分を理解しようとしてくれている。悩んで唸る声が、彼の特別の証。


「あ、ごめん。急にこんなこと言ったら、意味が分からないよね。違うよ、特別に仲良くなるのがうまいってこと」


 これくらいが普通。普通の褒め言葉。

 思わず言ってしまったのは言葉の綾。綾というか過ちだけど。


「うまいかなあ。本当に誰とでも仲良くなれるなら、凄いと思うけどね。僕には無理だよ」

「そう?」


 優れた人、特別な人は謙遜をする。これを肯定しても否定しても意味はない。

 普通に、半疑問形で流す。


「だってさ。もう一年も終わろうっていうのに、高橋さんとこんなに話すのは初めてだよ。できればもっとって思うけど、迷惑だったらどうしようって悩んでる」


 だから普通と言いたいらしい。

 本物の普通は、面と向かってそんなことを言えないんだよ。

 そして普通だから、断る選択肢もない。


「そんな風に言われると照れるね。でもこちらこそ、迷惑でなかったら」


 特別な彼が友達になろうと言うなら、私も特別になれるかも。熱くも冷たくもないぬるま湯から、連れ出してくれるかも。


 打算以外のなにものでもなく、私は握手を求めた。特別な鷹守は、当然のようにしっかりと握り返した。

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