かんたけ

第1話 蝉

 蝉の幼虫を育てている。


 蝉の幼虫は、元は妹が拾ってきた虫だ。けれど、妹は遠い地方へ行かなければならなくなり、代わりに私が育てることとなった。


 カリカリと背後で音がする。

 蝉の幼虫は、とても大きい。私の手のひらに収まるほどの大きさだ。きっと、これから大きく成長するのだろう。


「お前は気楽かい? なんで、そんな悲しそうなの」


 やはり、元の主人が恋しいのだろうか。

 幼虫は時折空を見上げ、カリカリとガラスに爪を立てる。けれど私がしてやれることは何もない。何もないから、私は動けない。


 神棚には、これまで妹が集めてきた、幾つものセミの抜け殻が奉納されている。妹曰く、「蝉は脱皮を繰り返す」のだそう。

 そんなわけ、あるはずない。

 蝉は短命だ。幼虫の時の数年と、成虫になってからの数週間。私はその間、セミをぼんやり眺め、グラスに赤いワインを注いでいる。


 この蝉は、確か十体目のものだった。妹はいつも、セミの抜け殻を服に装備し、欠けた歯を見せて笑っていた。いつも、セミの幼虫を穴から穿り出し、脱皮させようとしていた。


「ねえ、ミキちゃん。私、そんなに馬鹿じゃないよ」


 神棚に言葉を放り投げる。


「けどね、ミキちゃんが大好きよ。短所、長所含めて愛してるわ。何があっても、あなたと生きたいの。あなたの苦しみを、一緒に感じたいの」


 下から風が巻き起こり、スカートをはためかせる。痩せた手で手すりを握り、血だらけの歯を剥き出しにした。

 私は、ベランダに立っている。


「だから、一緒に行こう」


 虫かごに入れていた幼虫を、何匹も落とす。

 何が起きているのかわからないもの、わかっていて何もしないもの、生きようと足掻くもの。外殻が日を反射し、蝉は美しく輝く。

 沢山の幼虫が、落ちていく。


 私はタイルを蹴り、丸まった。

 途端、醜い生き物に、埋もれる。


 息を止めていたが、苦しかったのでやめた。

 いつの間にか、幼虫は消えている。否、みんな脱皮したのだ。脱皮して、どこか遠くへ行ってしまった。


 私も脱皮しようと、もがいてみる。

 一匹の幼虫が着地し、汚く爆ぜた。


「そうだ」


 私はふと顔をあげ、神棚を見る。


「私に妹は、いなかったんだ」


 飾ってあったはずの幼虫は、跡形もなく消えていた。


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かんたけ @boukennsagashi

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