第8話 秋赤音、不吉な月


 こんな後ろめたい不吉な月のような、禍々しい衝動もいつかは消えてなくなるんだ。


 秋赤音が草叢を泳ぎ回る晩夏だった、あの夏休みの終末にこっそり、夜の帳でわざと付けた二の腕の傷跡がヒリヒリしてきた。


 こうやって、僕自身の悲哀をなぞるようにこの腕を月の刃で傷つけるのも、誰かを傷つけたくないから、こんな青い過ちをしているだけかもしれない、と僕は笑止千万、気だるい内省を務めた。


 


 演劇の最後の続きはどうしたらいいのだろう、と思い、持っている文庫本や書籍を洗いざらい集め、対策をせっせと講じた。


 最後のシーンはまだアイディアが沸かない。長友先生は完全に僕を頼っていたし、期待感にそれなりに応えないといけない。


 磐長姫が爵松丸と出会い、森の中にさ迷い出でる、佳境のシーンだけは思い付いている。


 この後、どう展開するのか。


 何度か、試しに練習しないと分からないし、用意周到に準備しないといけないだろう。


 


 中秋の名月があまりにも見事だった彼岸花が咲き乱れる夜長月、僕は何度も朗誦した。


 僕自身の腐臭を浄化するように何度も、星々の台詞を諳んじた。


 星落つる里で何度も僕は言の葉の日記に頼り、僕自身の未来への不安に舵を取った。


 迫りくる不安感や恐怖感に反芻するように、じわじわとその栄養を元に成長した、虫けらが僕の人生の屋敷を打ち立てた大黒柱を食おうとしている。


 


 もう、止められない。砂時計の砂を『今』という時間を後戻りさせられないように、僕の不安定な思考や底知れぬ悔悛の無理解は消えないのだった。


 ああ、とんでもない絶望に浸ってしまったな。


 


 何をやっても日常に変化はもたらさないのに僕は今宵もまた、言葉に縋っている。


 清く、正しく、正確に生きろ、と誰が言い始めたのか、分からないけど、スローガンのように僕は首肯している。


 台詞の妙案がハッと閃いたとき、もう、日々爽か、秋は深くなり、中秋の名月の山吹色の月影が揺れる夜長の刻時、僕はうたた寝の中で肩を丸くしていた。


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