第002話「玄太郎」

 彼女が倒した二体の男に軽トラックが近づいてくる。

 エンジン音はしない。この軽トラックのエンジンはモーター式だ。

 音を立てることは即死を意味していた。


「真弓ちゃん! ご苦労さん!」


「玄兄ちゃん。声が大きい!」


「真弓ちゃんの声の方がずっと大きいと思うんだけどな……」


 ハッとしたように真弓は周囲を警戒する。

 しばらく様子をうかがったが近づいてくる気配はなかった。


「……良かった」

 

 安心して息を吐く真弓。


「さあ、奴らが来る前に回収してしまおう」


 玄太郎は手慣れた手つきで二人の男をブルーシートで包み軽トラックの荷台に載せていく。真弓は周囲を警戒しつつその作業を見守る。

 

「そろそろ夕暮れだ。帰るよ」


「うん」


 軽トラックに乗り込んだ玄太郎が声をかける。真弓は返事をしながら弓を荷台に置き助手席に座った。

 ゆっくりとした速度で車が走り出す。

 これから残りの二人も回収しなければならない。

 見慣れた町並み――しかし、今は人影はなく殺伐とした空気が流れている。


(早く、元に戻さないと……)


 真弓は何気なく通りを見つめる。

 遠くに奴らが見えた。


「――!? 玄兄ちゃん停めて!」


 慌てた真弓の声に玄太郎は慌ててブレーキを踏む。


「どうしたんだ?」


「私……ちょっと寄るところがあるから!」


「おい! 何馬鹿なこと言ってるんだ!」


 玄太郎は慌てたように振り向くが、その時すでに真弓は車を降り荷台の弓を手にしていた。腰に下げたポーチを確認する。中に入っている矢じり、矢筒の矢の数を確認して走り出す。


「真弓ちゃん!」


「ごめんなさい。すぐに戻るから!」


 真弓は走り出した。先ほど見た影――その面影には見覚えがあった。


(マモル!)


 それは彼女の弟の名前だった。


 ◆ ◆ ◆ ◆


 二ヶ月ほど前にちょっとした火の玉騒ぎがあった。

 それはニュースになることもなくすぐに人々の記憶から消えていった。そんなことを気にしている余裕がなかったと言っていい。

 

 これは一番最初の犠牲者――玄太郎の話だ。

 

 山奥にイノシシ狩りに出かけた玄太郎たちは猟の途中に奇妙なイノシシに出会った。ふらふらとした足取りのイノシシ。だがどうも様子がおかしい。イノシシは警戒心の強い動物だ。しかし、今玄太郎たちの目の前にいるイノシシは荒い息を吐きあちこちにぶつかりながら森の中を歩いていた。

 まるで――何も見えていないかのような動きだった。


(何かがおかしい)


 そう思いながらも猟銃で狙いを定め引き金を引く。

 発砲音と共に硝煙が漂う。

 本来であればイノシシは倒れ、仲間と獲物を回収するはずだったのだが――。


「おい! 何だこりゃ!」


 仲間の一人が悲鳴に似た声を上げた。

 イノシシが起き上がり暴れだす。


 ブフィギギ!


 それはイノシシの悲鳴にしてはおぞましい鳴き声だった。


「こっちに来るぞ!」


 イノシシがものすごい勢いで走り出した――玄太郎に向かって。


「来るな!」


 玄太郎は再度引き金を引いた。轟音が響きイノシシがばったりと倒れる。

 玄太郎の銃は自動中だった。連発できるのは五発。今、二発を撃ってしまった。

 

 ――残り三発。


「うわぁぁ!」


 玄太郎の隣で悲鳴が上がる。そこには仲間の足にかじりつく野犬の姿があった。


(なんでこんなところに野犬が!?)


 犬のいるところに基本イノシシはいない。犬とイノシシが同じエリアにいることが異常だ。


 パアン!


 銃声が響く。野犬の胸に黒々とした穴が開いた。血が出ていないことが不思議だった。


(何なんだ……いったいどうなってるんだ!)


 半ばパニックになりかけた玄太郎の目の前にゆっくりと起き上がるイノシシの姿が目に入った。


「ぎゃああぁああ!」


 玄太郎は悲鳴を上げながら銃の引き金を引く。

 山中に二発の銃声が響いた――


 ◆ ◆ ◆ ◆


 そこから後のことはよく覚えていない。

 気が付いた時には大きな浴槽の中にいた。


「ここは?」


 周囲を見渡す。そこには湯気の揺蕩う露天の掘りだった。

  

「おっ、目覚めたみたいですね」


 眼鏡をかけた気の弱そうな学生風の青年が玄太郎の顔を覗き込む。


「えーっと、自分のお名前分かりますか? あなたの名前です」


 青年に問われるままに玄太郎は答えていく。


「いったい何があったんです?」


 事故にでもあったんだろうか。それにしては病室ではなく露天の温泉というのが理解できない。

 それに、露天風呂にしては少し妙だった。まるで外国の墓地のようにいくつもの穴が開いていて――


「うわぁ、なんだこりゃ!」


 玄太郎は自分の隣を見て悲鳴を上げる。そこには野犬に襲われていた玄太郎の猟の仲間がいた。しかし、片足は食いちぎられたように無くなり、顔を除いてかなりひどい傷を負っている。言いたくはないが――とても生きているとは思えない状態だ。


「いったい……何がどうなっているんですか?」


 すがる思いで目の前の青年を見上げた。


「大丈夫ですよ。あなたも……そして彼も」


 青年は玄太郎にタオルを手渡す。


「まずは服を着て下さい。それから説明しましょう」


 青年に手渡されたタオルを手に玄太郎は浴槽から上がった。


「非常に言いにくいのですが……」


 青年は湯気で曇った眼鏡をハンカチで拭きかけ直す。


「世界は滅亡しました」

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