第622話 領域の主との交渉

 私の演奏から始まり、ミスティノフとのセッションに発展したコンサートは、最終的にリリカレールとこの場に咲き乱れる花々達まで参加する大演奏会となった。

 流石は魔境の最奥。この場に咲き乱れる花々達もタダの花では無かったのだ。彼らまでもが思い思いに音を出し始めたのである。

 まぁ、歌や演奏に合わせて自分の体を変形させている時点で普通の花では無いというのは理解できていたのだが、まさか音まで出せてしまうとはな。


 「凄い子達じゃないか。彼等も皆、音楽という概念を覚えたようだよ?」

 「それはそうよ。これだけ素晴らしい体験をこんなに長い時間楽しませてもらったのだもの。歌を歌うことの1つも覚えてしまうわ」


 リリカレールも既に音楽だけでなく歌という行為を理解している。今となっては花々達の出す音に合わせて1人で歌唱を行うことすら可能である。

 尤も、今のところ知っている歌でなければ歌えない。自ら作詞作曲を行うことはできないでいる。

 まぁ、それを言ったら私もミスティノフも同じなのだが。


 私は楽譜に目を通したり直接聞いた曲しか演奏できないし歌えない。ミスティノフの場合は専属というわけでは無いが披露するための曲や詞を制作してくれる協力者がいるようだ。そのためもあって自分で作詞作曲をすることが無いらしい。


 それでも、ミスティノフが駆け出しのころは自分で作詞作曲を行ったこともあるそうなのだが、いまいち反応が良くなかったようだ。

 ただ、既存の曲を歌ったりもしていて、そちらの方は非常に評価が良かったらしい。

 瞬く間に、とはいかなかったが彼の歌声の評判は街に国にと伝わり、今では大陸中に広まり作詞家や作曲家が彼に協力しだしたというわけだ。そこからは現在の評価である。

 そんなわけで、ミスティノフも作詞作曲が得意というわけでは無い。


 リリカレールや花々達も私と似たようなものだ。知らない曲を演奏はできないし知らない歌は歌えない。

 それが当たり前なのだが、どこか物足りなさを感じてしまうな。やはり、もっと沢山の歌や曲を知ってそれらを歌ったり奏でたりしたいのだ。


 そのためにも、見分を広める必要があるな。大陸中を渡り歩き、様々な楽曲を私の知識に入れるのだ。


 「そう……。世界には、貴方達が私に聞かせてくれた曲以外にも、沢山の曲があるのね?」

 「うん。魔大陸にもまだ私が知らない曲があるだろうし、きっとこれからも増えて行くことだろう。そしてそれはどの大陸も変わらない筈だ。だから、まずはこの大陸の曲を集める。そしてそれを貴女にも教えよう」

 「え?良いの?」

 「同じ音楽を愛する仲じゃないか。遠慮はいらないよ。まぁ、その代わりと言っては頼みがあるのだけど」


 突発的に始まった大演奏会を通して、私とリリカレールはすっかり仲良くなっていた。

 親友とまでは行かないかもしれないが、それでも音楽を通して強い友情を築けたと私は思っている。


 リリカレールの歌も演奏も、私の耳にとても心地良く響き渡ったのだ。

 会話をした時から分かっていたが、彼女の声は力強さこそないものの体に浸透して快楽を与えてくるような甘い声だった。異性に対して耳元で囁きでもしたら、それだけで魅了してしまいかねないほどの力がある。

 仮にミスティノフが抱き寄せられて耳元でささやかれるなどという事態になっていたとしたら、危なかったかもしれない。

 そんな魅力的な声で真剣に歌を歌うのだ。心地良くないわけがない。


 楽器の演奏もまた見事だった。

 領域の主ということもあり、元から基本的な技量が高いのかもしれない。

 私が所有する楽器を演奏させてみれば、彼女は私の演奏をすぐに模倣して見せてくれた。その様子を見たミスティノフは愕然としていたが。


 そしてその時からだ。リリカレールが自ら音を出す喜びを本格的に見出したのは。

 彼女は私やミスティノフが何も言わずとも自分から今まで耳にした曲を楽器で演奏して歌いだしたのだ。


 正直、胸がすくような気分だった。

 私達はその瞬間、互いにあまりにも大きな同志を得たことになるのだ。

 だからこそ、私はリリカレールにも沢山の曲や歌を知ってもらいたい。私が知り得た楽曲を、彼女にも伝えていこうと思ったのだ。


 リリカレールもその提案に喜びはしたものの、私が頼みがあると伝えると、彼女は再び私に対して警戒しだしてしまった。

 音楽の喜びを知り、私に対しても強い友情を抱いてくれたのは間違いないが、それでもミスティノフを手放すには抵抗があるらしい。

 尤も、彼女が現在抱いている感情は名残惜しさだ。願わくばこの場に残って欲しいが、私が連れて行くと言えば素直に引き渡してくれそうだ。


 だが、私がリリカレールに頼みたい内容は、実を言うと別件だったりする。

 

 「……やっぱり、この子を連れて行くのね?」

 「まぁ、そのためにここに来たからね。ただ、私のこれからいう頼みというのは別にあるんだ」

 「?…どういうこと?」


 音楽に夢中になって半ば蔑ろになってしまったが、この場にいるのは私とミスティノフとリリカレール、そしてこの場に咲き乱れる花々達だけではない。

 私と一緒にこの場に来たフレミーとリガロウもこの場にいるのだ。

 そしてフレミーはともかく、リガロウはリリカレールに挑みたくて仕方がないと言った様子なのである。


 「ちょっとこの子に稽古をつけてあげて欲しいんだ。この子は依然、貴女と同じような領域の主に師事していたことがあってね」

 「その子、貴女の……。そう…そう言うことなのね?良いわ。そのぐらいお安い御用よ」


 今に至るまでリリカレールはリガロウにそれほど興味を抱いていなかったが、この子を一目見ただけでこの子が私の眷属だと見抜いたようだ。流石である。

 そしてこの子が彼女に挑みたいという願いと私の要望を聞き入れてくれた。ならば、少なくとも命を落とすような事態にはならないだろう。安心して任せるとしよう。


 万が一があったとしてもフレミーがいる。

 制圧はできないかもしれないが、一時的に動きを封じることぐらいならば可能だと今では確信している。存分に戦ってもらうとしよう。


 「ねぇ、その子の面倒を見てあげる代わりに貴女が知り得た楽曲を教えてもらえるというのなら、この子はここにいてもらって良いの?」

 「すまないけど、それはできない。その子は連れて帰ると約束してしまったからね。私は約束を違えるのは嫌いなんだ。だけど安心して良い。その代わりと言っては何だけど、貴女に良い物をプレゼントしよう。それを対価に彼を連れて帰らせてもらいたい」

 「その良い物って?」

 「これから作ることになる。リガロウを見てもらっている間に作ってしまうから、完成したら教えるよ」


 リリカレールにプレゼントしようと思っている品は、人間が持つには少々過ぎた代物だが、彼女のみが所有するというのであれば問題無いと判断した。

 彼女にとってかけがえのない品になるだろうし、人間達に譲るようなこともないだろう。

 無論、プレゼントする品には座標登録を行い、リリカレールの身に何かあった場合、急行できるようにもしておく。

 領域の主に危険が及ぶような事態など滅多にないだろうが、インベーダーのこともあるからな。念には念をと言うヤツである。


 「良いわ。その提案、受けましょう。でも、私にとって大したものでなかったら……」

 「ソレに関しては大丈夫。保証しよう」

 「分かったわ。貴女を信じる。それじゃあ坊や、準備ができたら言ってちょうだい。ノアのお気に入りがどれほどのものなのか、確かめさせてもらうわね?」

 「グキャウ!」


 リガロウもやる気十分だ。何時でも始められるだろう。

 現状、あの子もフレミーもリリカレールに対して悪感情を抱いていない。演奏会を経て彼女の内面を見ていたからだ。

 彼女とはいい関係が築ける。2体ともそう判断したようだな。


 〈ノア様がリリカレールにプレゼントを用意するなら、私もプレゼントを用意しよっと〉

 「奮発するね。彼女の歌、気に入ったの?」


 フレミーがプレゼントを行うというのならば、それは彼女の糸によって仕立てられる衣服となるだろう。

 正直なところ、大盤振る舞いも良いところだと思う。そうするだけの価値があるとフレミーは判断したようだ。


 〈うん。私も歌って言ったらノア様の歌しか聞いたことなかったけど、リリカレールもノア様の歌に負けないくらい魅力的だったからね。でも、流石にあの男の子にはプレゼントを渡せないかな?〉

 「ミスティノフにはベルガモスの絹糸を使った衣装を用意してあげたらどう?」

 〈あ!そっか!それがあった!……あー、でもあの子もあの子で衣装を用意しようとしてたんだよね?〉


 そうだな。そもそも、ここまで大事になったのはミスティノフが自分の目で自分の衣装の素材を見極めようとしていたからだ。

 ミスティノフは自分の歌に関係することはとことんまでこだわるタイプなのかもしれない。いきなりフレミー製の衣装を渡されたとしても困惑してしまうかもしれないな。

 だが、今回彼が求めた素材による衣装は、あくまで私に披露するための衣装で合って常用する衣装ではない筈だ。

 つまり、今回用意しようとしていた衣装の他にも、複数の衣装を所持していると考えられる。


 ならば、こちら側からの友好の証として衣装の1つも渡しておくのは悪くない手段だと思う。

 しかもベルガモスの絹糸で仕立てられた衣装だ。世界規模で見ても最高級品と考えて良いだろう。


 「フレミー、用意してあげてもらえる?」

 〈うん、分かった。あの子の歌も楽しませてもらったからね。お安い御用だよ!今までのあの子の衣装の中でも最高の衣装を作ってあげる!〉


 フレミーもやる気十分だな。

 私も負けていられない。リリカレールとミスティノフに送るプレゼントの製作を始めるとしよう。



 リリカレールがリガロウに稽古をつけ始めてから2時間が経過しようとしている。どちらもまだまだ稽古は継続するつもりのようだ。


 なお、ミスティノフは危害が及ばないようにリリカレールが植物を操って防護しているし、足元の花々達は面白いことに地面の中に引っ込んでしまった。おかげでリガロウが気兼ねなく全力を出せている。

 演奏会を行う前からこの場所の花々達はある程度自分で自分の体を動かせていたようだ。その気になればここから離れた場所に同字ような花畑として姿を現すことも可能なのだろう。

 だが、彼等は地中に潜っただけでその場から移動するつもりはないようだ。彼等としてもリガロウの実力を把握しておきたいらしい。


 花々達が地中に潜った後の地面は私が防護しておいた。激しく動いて地面が掘り返されでもしたら花々達も無事では済まないだろうからな。

 リリカレールも防護できたかもしれないが、彼女にはリガロウに集中して欲しかったため、ここは私が引き受けた。


 「思った以上に頑張るのね。坊やはお姫様に良いところを見せたいのかしら?」

 「グアウ!俺自身が貴女にどこまでやれるのか確かめたいんです!まだまだイケます!」

 「フフフ!頑張り屋さんは好きよ?それなら、もうちょっとだけ難易度を上げましょうか」


 リリカレールの主な攻撃方法は蔦による鞭撃と地中からの鋭い根を突き出す刺突。そして至る所から発生させた花の中央から照射される魔力光線だ。

 それ以外にも花粉によって体調を崩させたり自身のダミーを発生させたりといった搦手も使用していたのだが、それらは軒並みリガロウには通用しなかったため、今では純粋な破壊攻撃を行っている。勿論、威力は加減しているが。


 搦手がリガロウに通用しなかったのは、恐らくあの子が私の眷属だからだろう。所謂状態異常と呼ばれる効果には極めて強い耐性があるようだし、ダミーをどれだけ生み出しても、どれが本物かは見ればすぐに分かってしまうようなのだ。ちなみに、自慢になってしまうが私は見なくても分かった。


 まぁ、搦手が通用しないだけで戦闘能力は当然リリカレールの方が圧倒的に上だ。ラビックやルイーゼに鍛えられたと言っても進化したグラナイドと互角レベルではまだまだ領域の主の強さには届かないのである。


 「さぁ、ペースを上げるわよ!凌いで見せなさい!」

 「グッ!ギャウ!ガガゥ!キュウ!」

 「いいわ、上手よ。その調子。でも――」


 複数個所から同時に繰り出される毛色の違う攻撃を、リガロウは翼を巧みに動かしながら適切なタイミングで噴射加速を行い見事に回避していく。

 リリカレールと稽古を続けることで多少彼女のクセを掴んだのかもしれないな。ある程度攻撃のタイミングを予測しているようだ。いいぞ、流石は私の眷属である。

 尤も、リリカレールもそれは織り込み済みだ。というよりも、敢えてリガロウに自分のクセを掴ませたと言って良い。

 攻撃の周期が弱まり、リガロウも一息つこうと地面に足を付けた瞬間である。


 リガロウの足元が爆発した。

 

 「ウギャウッ!」

 「油断大敵よ?今まで見せた攻撃が私のすべてではないの」


 リガロウが地に足を付ける瞬間、そこには小さな花が咲きだしたのである。

 その花を踏みつけた瞬間、花が爆発したのだ。

 あの攻撃を当てるため、敢えて今まで一度も見せていなかったし、自分の攻撃パターンを読めるようにしていたようだな。思った通り、狡猾な女性である。


 だが、あの程度のダメージではリガロウは根を上げない。受けたダメージはすぐに回復するし、むしろより闘志を燃やすことになったのではないだろうか?


 「グキュウ……。でも今ので覚えました!次は食らいません!」

 「それでこそね。なら、いらっしゃい。可愛がってあげる」


 まだまだ稽古は終わる気配を見せないようだな。

 私もフレミーも既にプレゼントの製作は完成したので、ここから先は純粋にあの子達の稽古を観戦させてもらうとしよう。


 プレゼントを渡してリリカレールが喜ぶ様子が目に浮かぶ。


 実に楽しみである。

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