第619話 囚われたシンガー

 この街、この国の魔境と言えば"オルディナン・リョーフクェ"と呼ばれる広大な熱帯林であり、それ以外の魔境は現在確認されていない。

 緑生い茂る樹海である点は"楽園"と同様ではあるが、あの魔境とは生息している植物に大きく差がある。

 熱帯林と説明した通り、生息している植物の殆どが熱帯植物だ。

 "楽園"にも熱帯植物が生息していないわけでは無いが、その生息率は"オルディナン・リョーフクェ"と比べれば遥かに低い。

 


 "オルディナン・リョーフクェ"の主はリリカレールと呼ばれる魔妖花アルラウネの特殊個体だ。既存の魔妖花と同様、巨大な花の中央に人型の女性体が佇んでいる。一応、性別もアリ、女性とのことだ。

 身体構造的に移動が非常に遅いと思われがちだが、高位の魔妖花は本体ごと地中に潜って高速移動することなど容易だし、更に高位の魔妖花にもなれば自分の根を自在に操り、更には張り巡らせた根からどこでも自分自身を形成して意識を移動させることすら可能だ。

 領域の主にまで至った特殊個体の魔妖花がそういった移動手段を習得していないわけがない。おそらく自分の領域ならばどこへでも一瞬で姿を現せるだろう。

 それどころか、自分の領域内のすべての植物を掌握している可能性が非常に高い。現状、人間ではどうあっても勝てる見込みのない相手と見ていい。


 そんな領域の主リリカレールが人類に対して宣戦布告を行ったのだ。ただ事でないのは間違いない。

 下手をすればオルディナン大陸が滅びる可能性すらあり得る。


 基本的に領域の主はウチの子達よりも強かった。

 過去形なのは、ウチの子達が皆"氣"の扱いに慣れてきたからだ。今では全員が気と魔力を融合できる。

 "氣"と魔力が融合した際に発揮される力は絶大だ。魔力量や密度に10倍近い差があったとしてもそれを覆す可能性すら生じるのだ。

 まぁ、魔力量や密度、さらにはそれらによって生み出される魔術や魔法がいかに凄かろうとそれだけではシンの実力者にはなれないように、"氣"と魔力を融合させた力が絶大だとしてもそれだけでリリカレールにウチの子達が勝てるとも限らない。


 勿論、膨大な魔力量や高い魔力濃度、そしてそれらが生み出す魔術や魔法が重要でないわけではない。しかし、それは強者にとっての必須条件のようなものだ。

 強者同士の戦闘においで重要なのは、研鑽を重ね磨きに磨かれた技量。そしてそれを活かしきる戦闘センスこそが、戦いの中で重要になってくるのだ。


 ウチの子達も大概長生きだしここ最近は皆して稽古や修業をしているため相当な技量が身に付いているとは思う。

 特にラビックはそれが如実で、ルイーゼに鍛えられたこともあってホーディに迫るほどに強くなっているのだ。

 尤も、ホーディはルイーゼから稽古を付けられてはいない。それどころか私達が修業をしている間、あの子は料理に嵌っていたようだから、そこで大きく差を縮められたと考えるべきだろう。


 対してリリカレールはどうだろうか?

 彼女も領域の主である以上、相当な長生きだと想定できる。少なくとも、1000年前にはその存在を確認できていたそうだからな。

 彼女が生まれながらの領域の主なのか、それとも領域内で戦い抜いたうえで勝ち得た地位なのかで大きく変わってきそうだ。それに、戦闘センスがどれほどなのかも気になるところだ。


 迷うところだな。

 同じ領域の主同士、あまり手荒な真似はしたくないが、彼女のリリカレールの実力や彼女と今のウチの子達が戦ったらどちらに軍配が上がるのか確認してみたくも思う。


 とは言え、リリカレールがウチの子達と戦った際にただの勝負で済ませてくれるのか、それとも殺し合いになってしまうのかも不明である。

 できれば、殺し合いになどなってウチの子達が傷つくような結果になるのは避けたいところだ。

 勿論、私が防護を掛ければウチの子達は無傷で済むだろうし強制的に『不殺結界』内で戦わせれば安心ではあるのだが、それは流石にズルだろう。リリカレールに嫌われかねない。


 やはり、いきなりウチの子達と戦わせるにはリスクが大きすぎるな。まずは私がリリカレールと話を付けるとしよう。



 さて、話を戻して"三ツ星トライスター"冒険者"ヴィステラモーニャ"達だ。

 彼等は私がこの場にいるのを始めから知っていたかのような態度だった。

 彼等は、おそらく私が今日この街に到着すると知らされていた数少ない人間達だったのだろう。

 だからこそ、いち早く私のいる場所を突き止め、一縷の望みを託すようにして私に助力を願い出たのだ。


 状況は一刻を争うと判断し、冷静さを取り戻した受付が事情を"ヴィステラモーニャ"達に尋ねる。

 

 「詳しい説明をお願いします……!」

 「我々が受けていた依頼自体も極秘以来ではあったのだが、この際背に腹は代えられん。全て話そう」


 深刻な表情で"ヴィステラモーニャ"のリーダーが事情を語ってくれた。


 非常にかいつまんで説明すれば、1人の人間を気に入り、自分に差し出すように命じてきたのだ。受け入れられない場合、人間達を襲うと脅してだ。


 歌という文化が人間社会にあるのだから、当然歌を歌うことで生計を立てる者だっているのだ。

 そういった者達はシンガーと呼ばれ、人によっては1曲歌を歌うだけで金貨数百枚が動くと言われている。

 少し前に私もイネスに似たようなことを言われたような気がするが、私のことは今は気にしないでおこう。


 スーレーンにもいたのだ。1曲歌うだけで金貨が数百枚は動くような高名なシンガーが。

 その歌声は聞く者すべてを魅了し、魔物や魔獣すらも魅了してしまうほどなのだ。

 そして、リリカレールもシンガーの歌に魅了され、自分の住処に連れて行こうとしているのだ。


 要するには娯楽の独占だな。

 領域の主すらも魅了するという歌声、私も気になる。是非とも聞いてみたいし、一緒に歌ってみたくもある。


 なお、何故そんな人物が"三ツ星"冒険者パーティに護衛されていたとはいえ魔境に赴いていたのかなのだが、それは彼等が受けた依頼が原因だ。

 その依頼は、スーレーンの有力者が"ヴィステラモーニャ"に極秘で発注した指名依頼だった。


 件のシンガーは、元々私に歌を披露してくれる予定だったらしい。

 そして歌を披露する際に着用する衣装の素材を求めて"オルディナン・リョーフクェ"まで赴いたそうなのだ。


 それだけならばシンガーが"オルディナン・リョーフクェ"まで赴く必要はないと思うのだが、シンガー曰く[自分で着用する衣装は素材から自分で見極めたい]とのことだったため、スーレーンでも有数の冒険者パーティである"ヴィステラモーニャ"に護衛と採取の同時依頼が発注されたのである。


 "オルディナン・リョーフクェ"に生息している魔物や魔獣は大体が虫もしくは植物由来だ。他のタイプの魔物や魔獣が生息していないこともないが、数は少ない。

 しかし、この魔協の最奥には虹色の色彩を放つ美しい鳥の魔物が生息している。

 "ヴィステラモーニャ"達も、その魔物の素材を求めて"オルディナン・リョーフクェ"に挑んでいたようだ。


 無事素材も手に入り、シンガーもその品質に満足したため休憩をした後に依頼主の元まで帰還しようとした。

 そして休憩中にシンガーが"ヴィステラモーニャ"達に我儘に付き合ってくれた礼として休憩中に1曲歌を披露したのだが、それが拙かった。


 リリカレールは自身の領域全体を把握している魔妖花だ。自分の領域内で歌を歌えば、当然彼女の耳にも入る。

 そしてシンガーの歌を聞いた彼女はすっかりその歌声に魅了され、自分のものにしてしまいたいと思ったようだ。


 「彼女は我々の用意した結界などまるで意味もなかったかのように我等の目の前に突如として現れ、ミスティノフを拘束したのです」

 「同時に我等に宣告してきました。[この者を献上しないのなら、人間達の街に赴いて好きに暴れる]と……」

 「ミ、ミスティーがっ!!?」

 

 ミスティノフというのが件のシンガーの名前だ。ファンからはミスティーという愛称で親しまれているようだ。彼の名前を聞いた途端、冷静さを取り戻した受付が再び慌てふためきだした。


 ミスティノフは鳥の因子を持った青い体毛の獣人ビースターの男性で、その背丈は非常に小柄だ。年齢は17才でこの国では既に成人扱いされている。

 背丈が低く体毛が青い理由は、因子元の鳥が青い小鳥だかららしい。なお、モフモフ成分はあまりないそうだ。背中に翼も生えていない。鳥型魔族とは違うのである。その点は少し残念である。いや、異性の人間に対してまでモフモフしようとは思わないが。

 鳥型魔族のヒューイに対しても我慢できた私だ。きっと我慢できるとも。どの辺りがモフモフしているかもまだ正確には分からないしな。

 

 因子元となった青い小鳥も非常に美しい鳴き声の持ち主らしく、非常に人気の高いとりだったりする。

 ちなみに、イスティエスタで私が良く宿泊している"囁き鳥の止まり木亭"の囁き鳥もこの鳥がモチーフだったりするそうだ。

 そんな鳥の因子を持つミスティノフの鈴を転がしたような美声から発せられる歌声は、老若男女問わず聞く者を魅了し続けていて今もファンが増加中なのだとか。


 なるほど。それほどの人物であるならリリカレールも気に入らない筈がないだろう。独占したくなるという気持ちも、理解できないでもない。

 しかし、ミスティノフは私のために歌を披露してくれるそうだったと言うではないか。しかも専用の衣装まで用意してだ。それが台無しにされてしまうのは面白くない。


 リリカレールと敵対は望まないが、少しぐらい文句を言っても悪くないと思うのだ。


 「確認するけど、ミスティノフは今、リリカレールの所にいるんだね?」

 「はい![自分と街の人々の安全を考えたらこうするしかない]と言って……!」


 その時取れる選択としては、それしかなかったのだろうな。

 断ればおそらく"ヴィステラモーニャ"達も無事では済まなかっただろうし、最悪の場合ミスティノフすらも無事では無かったのかもしれない。

 少なくとも、リリカレールが彼の歌を独占しようというのなら、彼の命は保証されているのは間違いない。


 とはいえ、悠長にはしていられないだろうな。

 よりミスティノフを独占しようとするためにリリカレールが彼に何をするのか見当もつかないのだ。

 場合によっては自身の種子を植え付けて支配したり眷属化する可能性だってあり得るのだ。死にはしないというだけであって無事かどうかまではまだ確定していないのである。


 正真正銘の緊急事態だ。相手が相手なだけあり、私でなければ対応もできない相手だ。


 「貴方達の依頼を引き受けよう。指名依頼の発注手続きと受注手続きを頼める?」

 「っ!!!は、はい!すぐに処理します!」


 受付に"ヴィステラモーニャ"からの指名依頼の発注手続きと私の依頼受注手続きを進めるように伝えれば、彼は驚きはしたもののすぐに処理を行ってくれた。なかなか仕事のできる受付である。顔立ちも整っているため、さぞ異性の冒険者達からの人気が高いことだろう。まぁ、それは何処の冒険者ギルドでも変わらないか。


 っと、今はそんなことを考えている場合ではなかったな。早いところリリカレールの本体がいるであろう、"オルディナン・リョーフクェ"の最奥へ向かうとしよう。


 その前に確認を取っておくことがある。移動のためにリガロウの協力を要請するのだ。


 〈リガロウ、今いいかな?〉

 〈くぴゅ~……くぴゅ…っ!?ひ、姫様!?ど、ドドドどうしました!?〉

 〈気持ちよさそうにしてるね~。畳張りの部屋、気に入ったんだ〉

 〈グ、グキュ~……〉


 おっと、リガロウにだけ『通話』を行った筈なのだが、私と密着している状態だからかフレミーにまで私達の思念会話のやり取りが聞こえてしまっているらしい。

 まぁ、問題は無い。色々と原理等を調べてみたい所ではあるが、今はそれどころではないのだ。手早く用件を伝えよう。


 〈この国の魔境の最奥まで行く理由ができてしまってね。寛いでいるところ悪いけど、移動を頼める?〉

 〈お任せください!すぐにそちらに向かいます!……でも、どうして俺を?〉

 

 リガロウを連れて行く理由は、主に2つある。

 1つ目は当然周囲の人間達を納得させるためだ。

 力を制限している今の状態でも私はリガロウが全力で噴射加速を行った速度よりも速く移動ができる。だが、人間達はそれを知らないし、できるとも思っていないのだ。

 ここで私が単独で(一応肩にフレミーを乗せているが)リリカレールの元へと向かったら疑問に思う者が現れないわけがないのである。

 少しでも私の正体が露見する可能性を無くすためにも、リガロウに協力してもらう必要があるのだ。


 もう1つの理由は、リガロウ自身にある。


 〈私が魔境へ行くのは、その魔境の主に会いに行くためだ。リガロウ、グラシャラン以外の領域の主に興味ない?〉

 〈師匠以外の!?会えるんですか!?俺も行きたいです!〉


 まぁ、リガロウならばこういった反応をするだろうな。

 "ワイルドキャニオン"で修業を行っていた日々からあの子は随分と強くなったのだ。

 自分があれからどれだけ強くなったのか、リリカレールを通して明確に理解ができるだろう。

 グラシャランとリリカレールが互角の実力かどうかはさておき、お互いに領域の主なのだ。酔い目安になるだろう。


 リリカレールには悪いが、少しだけ私の我儘に付き合ってもらうとしよう。

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