第614話 高級宿へ行こう

 旅館の絵をイネスに見せると、彼女はしばらく黙り込んで絵を見続けていた。時間にして15分ほどだろうか?

 中でもウチの子達やリガロウが部屋でくつろいでいる絵をじっくりと見ているようだな。

 皆とても可愛いからな。可愛い子達の姿を見て存分に癒されると良い。


 「うわぁ……。ノア様、とんでもない所にご招待されましたねぇ……」

 「その旅館、どういう場所なのか知っているの?ちなみに、私はかなり気に入ったよ」


 イネスが絵を見ながらも最初に零した言葉がコレである。ちなみに、絵はまだ見続けている。

 セリフからして彼女もあの旅館について知っているようだが、あそこはどういった場所なのだろうか?可能な限り教えてもらおう。なにせ、最近できた施設らしく図書館には情報が無かったからな。


「間違いなくスーレーンにおいて最高級の宿ですね。数百年もの歴史を持ったれっきとした老舗宿で、なんでも半年ほど前から大規模な増築や改修作業が突如として始まり、つい最近ようやく工事が完了したようですよ?そのため、直近で利用したことがあるのはこの国の代表を始めとした非常に高い地位を持つ者に限られているのです。お金を出せば利用できるような施設でもないらしくて、一説にはノア様をおもてなしするために工事が行われたとも言われていました……。これは、その予想が当たっていたと考えるべきでしょうねぇ……」

「私をもてなすために施設を増設したり改修してもらったというのは初めての経験だね。もしも事実だったのなら、相応の礼をさせてもらおう」


 事前に私をもてなすために色々と用意してくれたのはルイーゼも同じだったが、建築物をどうこうするようなことはしなかった。

 ただ、彼女は少し負けず嫌いなところがあるから、今回の話を聞いたら対抗して新しい街を作るとでも言いだしそうだな。

 まぁ、街を1つ来るなど簡単にできるようなことでもないし、できたとしても管理が大変だ。

 街の機能を維持するためには当然そこに住まう者達が必要だからな。今を不満なく生きている魔族達に新しい街を作るからそこに移り住めと言っても良い顔はしないだろう。

 負けず嫌いではあるが理知的でもある私の親友ならば、言葉には出すが実行まではしないだろう。


 「ちなみに、どのような返礼をするのかは既にお決まりで?」

 「いいや?そもそも礼をしようと思いついたのもたった今だからね。まぁ、用意するとしたら美術品か音楽かのどちらかじゃないかな?料理でもいいけど、すぐになくなってしまうだろうからね」


 音楽ならば歌を含めた演奏会を披露し、美術品ならば旅館のジオラマでも用意しようかと思っている。

 勿論、ジオラマならば部屋でくつろぐウチの子達やリガロウの姿も一緒にだ。望むのならば私の姿も加えておこう。


「ノ、ノア様が……歌を……!?」

「魔王国でその文化を知ってね。結構好評だったよ」

「な、なんと……!?ノア様が歌を披露するとなったら、1曲だけで金貨が数百枚動いてしまいそうな……。き…聴いてみたい……!ですが…ですがノア様が部屋でくつろぐ姿を模した立体模型も捨てがたい……!」

「そもそも、それを決めるのはイネスではないからね?」


 どちらかを選ぶとして、それを決めるのは私がこれから会うであろうこの街の代表か、もしくはスーレーンの代表だ。実際に披露する時を楽しみにしていてもらいたいところだ。

 今回の礼は音楽でもジオラマでもどちらにせよ全体に公開するつもりだ。

 音楽の場合は歌を人間達に披露する初の機会となる。盛大なイベントにしてやろうじゃないか。今から歌う内容を考えておくとしよう。


 しかし、自分で提案しておいてなんだがジオラマも捨てがたいのも事実だ。イネスが迷うのも無理はない。

 そう言うわけだから、ジオラマも手が空いた時にでも作ってしまおうと思う。代表達に選ばれなかったとしても家か"黒龍城"に飾るのだ。まぁ、代表達に選ばれたとしても複製してやはり家や"黒龍城"に飾るつもりではあるが。


「ところで、ノア様はこの街にはどれほどの期間滞在なさるおつもりですか?」

「特に決めていないよ。気分次第でかなり変わって来るんじゃないかな?用意してもらった部屋がね、とても心地良いんだ」


 あの部屋にいると、いつの間にか結構な時間が経過しているからな。

 のんびりとした時間を過ごすのに非常に適しているのだ。あれはそう、イダルタで海の景色を時間を忘れて眺め続けていた時の感覚と似ているな。そして眺めている光景に飽きがこないのだ。

 きっと、提供される料理も絶品だろうし、何より大浴場で温泉を楽しめるそうだからな。1日2日で満足するとは到底思えないのだ。少なくとも1週間はあの旅館を堪能したい。

 まぁ、私は勿論、リガロウの移動速度なら他の街どころか他の国に移動して再びこの旅館に戻って来るのに1時間も掛からないため、オルディナン大陸にいる間はあの旅館を利用するという手段も取れなくはない。

 だが、世界中の文化を楽しみたい私にとってその手段は許容できない。

 その日宿泊する施設は、訪れた国、訪れた街に用意されている宿泊施設を利用すべきだろう。


 他の街や国へ訪れた際にあの旅館を利用できないのは心苦しいが、利用したくなったらまた来ればいいだけの話だ。そして、同じような施設や部屋を私の広場にも作ればいいだけの話なのである。


「ノア様にそうまで言ってもらえるのなら、その旅館に関わっている方々も本望でしょうねぇ!ちなみに、次に訪問される街や国は既にお決まりで?」

「滞在期間すら満足に決まっていないからね。次にどこへ行くかなんてまだ決まっていないよ。とりあえず、イネスの取材が終わったら今度はアイラ達のいる高級宿へ足を運んでみるよ」

 「シャーリィ様がずっとノア様がどこへ連れて行かれたのか気にしていましたよ?」

 「連れて行かれたのではなく、案内されたのだけどね」


 連れて行かれるのと案内されるのは別だろう。アイラから注意されている様子が目に浮かぶな。

 高級宿の方に意識を向けてみれば、そろそろミーティングが終わろうとしている様子だった。話のないように興味を抱いていないからか、シャーリィはかなり退屈そうにしているな。そんな態度では後で説教を受けてしまうぞ?


 ミーティングが終わったらそれぞれの部屋に戻るようなので、そのタイミングで私も移動させてもらうとしよう。

 高級宿に私が淹れてもらえればいいのだが……。


「その辺りは心配なさらなくてもよろしいのでは?今やノア様を無下に扱うような国があるとしたら特定の主義を掲げているような国ぐらいでしょうし、顔パスで入れると思いますよ?そもそもノア様の場合、その気になれば転移魔術で部屋の前に移動できますよね?」


 それはその通りだ。

 そしてアイラもシャーリィもジョージも、私が転移魔術を使用できると知っている。その気になれば部屋の中に転移してしまっても問題無いのかもしれない。もしも宿に入れなかったとしたら転移魔術で移動させてもらうとしよう。

 先に挙げた3人は私が転移魔術を使用できると知っているが、逆を言えばそれ以外のオスカーを始めとした魔大陸からの客人達は私が転移魔術を使えると知らないのだ。


 そもそも転移魔術が存在するかも怪しい伝説上の魔術という扱いだからな。

 知られてしまえば騒ぎになるのは間違いないし、それが原因で本来起こる筈のなかったトラブルが発生しないとも限らない。

 少なくとも、私が転移魔術を使用できるという情報は私の正体を公表するまでは伏せておこうと思っている。


「さて、他に今聞いておきたいことは何かあるかな?無ければ高級宿の方に行ってみようと思うよ」

 「はい!聞きたいことは聞けましたので問題ありません!よろしければまた明日、この街で感じたことなどがあればお聞かせいただければと思います!ちなみに、今お聞きした内容は記事にしても?」

 「勿論構わないよ。そのために私に質問したのだろう?」

 「あーん!そんなノア様の寛容なところ、私大好きです!」


 私もイネスのことは気に入っている。彼女の作る新聞記事は面白いからな。それに、会話をしていて楽しいと感じる。

 それも彼女の記者としての話術によるものかもしれないが、楽しませてくれているのは事実なのだ。別れ際に軽く抱きしめながら頭を撫でて退室させてもらうとしよう。

 今日という日はまだまだ時間がある。この街に抱いた素直な感想を明日イネスに伝えるとしよう。



 イネスが想定していた通り、私が高級宿に顔を出すと来訪を待っていたかのようにすぐさま宿のロビーへと案内してもらえた。対応してくれた者は若干緊張していたようだが、リガロウもウチの子達もいなかったため、畏れの感情を抱いているようには見えなかった。


 アイラ達やジョージに会いに来たと受付に伝えれば、机に備え付けられた魔術具を指で操作した後、その魔術具から弧の形状をした部位を取り外して耳に宛がい始めた。


「アイラ=カークス様、『黒龍の姫君』様がお目見えになり、面会を求めていらっしゃいます……畏まりました。お部屋までご案内させていただきます。少々お待ちくださいませ」


 どうやら受付が手にした魔術具は、この高級宿のそれぞれの部屋に個別に連絡して会話ができるようだ。用件をすぐに伝えられるのは非常に便利だな。


「お待たせいたしました。アイラ=カークス夫人がご宿泊されている部屋までご案内いたします」

「ありがとう。よろしく頼むよ」


 案内をしてくれるのは、受付ではなく別の人間のようだ。こういった時のために絶えず待機している従業員がいるようだな。常に人を用意しておくのは流石、高級宿といったところか。

 そう言えば、こういった宿では対応してくれた従業員に心づけとしていくらか貨幣を渡すのが暗黙の了解となっていたな。それが従業員の実質的な給料になっている場合もあると本で読んだことがある。確か、チップという概念だったか。

 相場は高級宿の中でも差があったりするわけだが、私の資金は潤沢だ。常識の範囲で相場の高い額を渡しておけばいいだろう。高額すぎるチップは他の従業員から嫉まれたり次も同額を要求されたりといった理由で良い御来ないとは言えないそうなのだ。案内してくれた従業員には銅貨1枚渡しておこう。


「案内ありがとう」

 「!……またのご利用をお待ちしております……!」


 その間はどういった間なのだろうか?少し疑問に思ったが、ロビーに戻っていく従業員から明確な感謝の感情が伝わってきたので、不満を与えたわけではないようだ。

 チップを支払ったのは今回が初めてだし、私が普通にチップを支払うとは思っていなかったのかもしれないな。


 アイラが宿泊している部屋のドアをノックすれば、アイラではなくシャーリィがドアを開けて私を歓迎してくれた。


 「先生!待ってたわ!さ、入って入って!」

 「じゃまをするよ。様子を見に来た」

 「いらっしゃいませ。殿下達もこの場にお呼びした方がよろしいでしょうか?」

 「そうだね。どうせだし、アイラとシャーリィさえよければ呼んでしまおうか」


 私がアイラの提案に頷くと、彼女はベッド付近に設置された受付も使用していた魔術具を手に取り、別の部屋にて体を休めているジョージに連絡を取り始めた。ロビーから部屋だけでなく、部屋同士でも連絡が取り合えるらしい。実に便利な道具だ。

 

 高級宿というだけあって部屋の内装はホテル・チックタックのロイヤルスイートに勝るとも劣らない作りとなっている。

 この宿泊施設に部屋の階級は無い。デザインに多少の違いはあれど、全ての部屋が同じ規模の内装となっているのだ。


 完全に迎賓用の宿なのだろうな。もしも迎える客人達の中に優劣をつける必要がある相手がいた場合、私が宿泊するような旅館に案内されるのだろう。


 「殿下もオスカー様も、すぐにいらっしゃるようです」

 「便利な道具だね。随分と手馴れている様子だったけど、前にも使用したことが?」

 「いいえ、今回が初めてです。画期的な魔術具ですよね。マコト様やピリカさんに教えたらとても興味を持ちそうです」


 確かに。ついでに言うなら、既にジョージが興味を持っているだろうな。故郷の道具と近しい機能を持った魔術具に、マコトやジョージが興味を抱かないとは思えないのだ。

 先程アイラが使用した魔術具、千尋の資料に載っていた"電話"と呼ばれる異世界の道具に似ているのだ。もしかしたらオルディナン大陸に転移して来た異世界人が齎した技術なのかもしれない。

 ヴィルガレッドから渡された異世界人の情報をまとめた本にも、それらしい人物が確認できたのだ。


 余裕があればオルディナン大陸に伝わる過去の異世界人の情報を集めてその軌跡を辿ってみるのも面白いかもしれないな。あわよくばアグレイシアに近づけるきっかけを得られるかもしれない。訪れる国や街の図書館にはこれまで通り足繫く通い、異世界人の情報を集めてみよう。ヴィルガレッドの本と情報を照らし合わせるのだ。


 アイラがジョージと連絡を取ってから5分も経たないうちに、部屋のドアがノックされた。ジョージとオスカーが到着したのだ。

 部屋はそれなりに離れていたのだが、苦手意識を持つ者から呼ばれたためか、ジョージが少し慌てていたのである。


「ジョージとオスカーです。ご招待を受けたので遊びに来ました」

「部屋の鍵は開いています。どうぞ、お入りください」

「お、お邪魔します!」


 ジョージの声には緊張が宿っている。よほどアイラの不興を買いたくないのだろう。どれだけ苦手意識を持ったのだろうな?あの様子だとマコト以上に頭の上がらない相手になっていないだろうか?

 そんなアイラはというと、ジョージの緊張などまるで意に介していない様子だ。彼の緊張は、単純に年相応の元皇族として自然な態度だと思っているようだ。

 なお、ジョージに同行していたオスカーもジョージと同様に緊張している様子だ。

 こちらはアイラに対してではなく、女性しかいない部屋に入るという行動に緊張しているようだ。ここにいる女性陣は私を含め、自分の部屋に異性が入室することなどまるで気にしないのだがな。


「人も揃ったことだし、飲み物でも用意しよう。希望はある?無ければルイーゼが気に入っている紅茶を淹れるとしよう」

「まぁ!魔王陛下がお気に召している……!?」

「わ、私達が飲んで大丈夫なヤツなんですか!?」

「これは飲まないわけにはいかないよな!マコトさんにいい土産話ができる!」

「タスク様から羨まれそうです」


 オスカーが言うにはタスクはかなりの紅茶好きらしく、自分で飲む紅茶は自分で淹れるタイプらしく、日々紅茶を淹れる腕を磨いているらしい。つまり、私やグリューナと同じタイプというわけだ。

 だとしたら、今回の体験は興味を抱いていただろうな。オスカーが羨まれそうだというのも理解ができる。


 なにせ、今回振る舞おうと思っているのは普通の紅茶ではない。

 現在魔王国で流行っている、別の飲料物を混ぜる手法を試すのである。


 その中でも今回はルイーゼのお気に入りだ。紅茶に数滴、香りの良い酒を投入するのだ。


 是非堪能してみてくれ。

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