第612話 スーレーンの宿泊施設

 外交官達がデンケンにそれぞれ称賛の声を掛けている最中ではあるが、肝心のデンケンの表情は徐々にではあるが不満が募っている。

 その表情の変化が分からない者は外交官になどなれないだろう。誰もがデンケンの不機嫌を悟り、額から冷や汗を流し始めた。


 このままでは歓迎ムードが台無しである。彼等を叱りつけるのは別に構わないが、見えないところでやってもらいたいところだ。


 というわけで、彼等に助け舟を出すわけではないが、私の方からデンケンに声を掛けるとしよう。


 「おかえり、とでも言えばいいかな?やはりこれだけ大きな船が港に停泊する光景というのは良いものだね。モーダンの時と同様、楽しませてもらったよ。絵も描いたけど、いる?」

 「……『姫君』様は自由だねぇ…。ま、くれるって言うんならもらおうか。船長室にでも飾らせてもらうとするぜ」


 この港から"マグルクルム"が停泊する様子も当然絵にさせてもらった。やはり、何度見ても迫力があるからな。

 そんな出来立ての絵をデンケンに渡す際、一応目配せをしてこの場で外交官達を叱らないように要求しておいた。


 私の意図はデンケンに正しく伝わったようで、肩をすくめながら苦笑して小さく息を吐きだした。

 呆れた様子ではあるが、了承はしてくれたようだ。


 ただ、それでも言いたいことはあるようで、外交官達を睨みつけながら口を開いた。


 「さて、今回の主役は俺じゃあねぇ。見ての通りだ。この大陸、この国に『黒龍の姫君』様が来てくれたからな!俺に声を掛けるよりも、やることがあるんじゃねぇのか?」

 「は、ハイ!モチロンです!」

 「わ、我々はいつどのような時にも貴女様が訪れても良いように宿泊施設を用意しておりました!これからご案内させていただいてもよろしいでしょうか!?」

 「よろしく頼むよ」


 早速オルディナン大陸初の宿泊施設を紹介してもらえるようだ。

 周囲の状況を探るだけでも建築物のデザインが魔大陸の建築物と異なっているため、外観も内装も楽しみである。


 外交官達が私に声を掛けなかったのは、別に下に見帝からというわけではないのは分かっているので、不安は何もない。さぞ、この国で、この街で行える最高のもてなしをしてくれることだろう。そこは信用している。


 少なくともこの国の建築物の屋根は、魔大陸で私が見てきた屋根とは違った見た目をしている。

 屋根としての機能に違いは無いのだろうが、使用している素材も微妙に違ってそうだ。

 図書館で調べれば、その辺りの情報も詳しく記載されている書物があるのかもしれないな。宿泊手続きを終わらせたら早速足を運んでみよう。既に図書館があること自体は把握している。



 外交官達の案内に従い到着した場所は、歴史を感じさせるような建築物だった。私が見る限り、"囁き鳥の止まり木亭"よりも長い歴史を持っているように見える。

 だからと言って建築物の老朽化が進んでボロボロになっているということはない。

 定期的に補強や改修を行い、設備の状態を維持してきたのだろう。

 それができるだけの財力があるということは、この宿泊施設がそれだけ儲かっているということだろう。


 アマーレのホテル・チックタックとはまた違った系統の宿泊施設ではあるが、これはもてなしに期待ができそうだ。ウチの子達やリガロウも心が弾んでいるのが伝わって来る。

 外見が自然と調和しているような作りになっているからか、親しみやすい雰囲気があるのだ。


 〈へぇ…。ノア様が今まで見せてくれた宿泊施設って大抵は別の場所に来たって感じがしてちょっと落ち着かなかったけど、この宿泊施設は何て言うか落ち着くね…〉

 〈家にいる時を思い出すわ!〉〈周りに木があるのが気に入ったのよ!〉

 〈お城でもないのにここには結構広い庭があるんだねー。ボクが走り回るにはちょっと狭いけど、日向ぼっこするには良いかも!〉

 〈ホッホ、コレはなかなか、風情というものがありますのぅ…。新作を作る際の参考にできそうです〉


 皆口にしている言葉は異なれど、この施設の庭が気に入ったのは同じようだ。

 庭はただ芝生が広がっているというわけではない。所々に平たい石が並べてられて道が作られている。

 石の道だけでなく、池もある。池の中には魚を始めとした様々な生物が生息している。偶に鳥まで喉を潤わせに池の淵に来ている。


 ウチの子達も言っていたが、家の光景を彷彿とさせる落ち着く雰囲気だ。この庭が見える場所で静かに読書をするのもいいかもしれないな。

 それはそれとして、なかなかいい眺めなので、後でこの庭も絵に描いておこう。


 外交官の1人が緊張した様子で宿の紹介をしてくれる。


 「こ、今回ノア様方に宿泊していただく施設は、此方の旅館となっております!此方は300年ほほど前から経営が続いている歴史のある老舗旅館となっております!」


 やはり結構な歴史のある宿泊施設だったか。

 きっと、大勢の客から愛され続けているのは、見る者を落ち着かせるような風情のある庭の光景だけではない筈だ。

 当たり前のように複数の風呂施設があるし、提供される料理も質が良いのだろう。

 そもそも、この旅館とやらで働く者達が客にとって気持ちのいい対応をしてくれるだろうから、一度利用した客も再び利用したくなるのかもしれない。


 話は脱線するが、私がモーダンで出港を待っていた間に、実はウチの子達とリガロウを連れてアマーレに行ってホテル・チックタックで1泊していたりする。勿論、タスクやデンケンと言った地位のある親しい人物には了承を得てからだ。


 もう一度利用したいと思っていたし、なによりあれから復興がどれだけ進んだかを見たかったからな。


 地震によって一見街が崩壊したかのような光景になってしまったアマーレの街並みは、再び私が訪れるころにはすっかりかつての活気を取り戻していた。それどころか、以前よりも活気に満ち溢れていた。


 観光客が増えていたのだ。

 それというのも、私がドラゴンブレスを放った場所に私の彫像が立てられたのが原因だ。腕の良い彫刻家を雇ったのか、非常に精巧な作りとなっている。

 彼等は私が津波を押し返した光景が目に焼き付いて離れなかったようで、復興をしながらホテル・チックタックで生活を送る日々を過ごしていた際に像を立てる許可を求められていたのだ。


 私に断る理由は無かったし、彼等は像を通して私を神聖視しないようだったので普通に了承したのである。

 材質はアダマンタイトとミスリルの合金だ。つまり、"黒龍烹"と同じ素材になるな。その2つに特に関連性は無いが、当然のように私の彫像も黒を基調として緑と紫の光沢を放っている。


 私の功績をたたえている意味もあるが、再び地震や津波が来ても自分達は乗り越えて見せるという意思表示でもあるようだ。


 そんな私の彫像を一目見ようと、大陸中から観光客が集まっていたのである。


 そしてそんな観光客が集まっている状況で本人がその場に現れたのだから、当然のように大騒ぎとなってしまった。

 尤も、その時もウチの子達と一緒に行動していたため、ウチの子達を怖がってあまりはなうぃを掛けられるようなことはなかったのだが。


 ただ、それでも話を掛けて来れる胆力を持った者はいたし、ホテルの支配人であるクラークは普通に声を掛けてきた。そして私達全員に対して来て終始恭しい態度を取っていた。できる男である。


 流石に領主であるマフチスには会えなかったが、一応私がアマーレに着いた時点で連絡は行っていたらしい。ただ、私が無理をして会いに来なくても良いと先に伝えたのである。

 アマーレからマフチスが普段住んでいる屋敷までの距離は、結構あるからな。本来は移動だけでも大変なのだ。1泊しかしない私と一言二言会話をするために時間を掛けて移動させるのは、流石に忍びないと判断した。


 クラークは無理をしてでも会いに行きたいだろうと言っていたが、アマーレに来るのは今回が最後というわけではなくまた遊びに来るからと伝えれば、にこやかな表情で引き下がってくれた。


 相も変わらずホテルでの生活は素晴らしかった。ウチの子達もリガロウも十分楽しめたようだ。

 皆してまたここに来て今度は長期間泊まりたいと言ってくれたのだから、今度来た時には1週間以上宿泊するつもりである。マフチスとは、その時に話をすればいい。

 


 タスクは早速、私が口約束ですら約束を違うことを嫌うという話をリアスエクを通してアクレイン王国中に広めてくれたようだ。そうでなければクラークがああもあっさりと引き下がらなかっただろうからな。

 言質を取ったと判断し、必ず再びアマーレを訪れると判断したからあっさりと引き下がったのだ。


 その期待と信頼を裏切るつもりはない。今回の旅行から帰って来たら、一度家に帰りはするが、今度はホーディとラビックも一緒にアマーレに連れて行こうと思おう。

 驚かれはするだろうが、ウチの子達を前に毅然とした態度で私と会話ができていたクラークならば問題無いだろう。楽しみにしていて欲しい。

 それぐらい豪遊しても、私の資産は一向に底が見えないのだ。こういった場所で人間達の社会に還元していかないと増える一方である。


 更に話が脱線してしまうが、船旅の時間ですら50日間も経過している。

 つまり、私が家から出てから約2ヶ月の時間が経過しているのだ。

 その間、家に残った皆と何も連絡を取り合っていないのかと言えばそんなことは決してない。

 そもそもウチの子達が家に残っている子達(主にホーディ)と定期的に連絡を取り合っているし、私もあの子達の声が聞きたくなったら遠慮なく『通話』を行い会話をしている。


 いっそのこと家まで転移して様子を見てみようかとも思ったが、それでは何のために船に乗って移動していた意味が無くなってしまう気がしたので我慢した。

 ただ、オルディナン大陸を旅行中、何度か家に転移して家周りの様子を確認しようとは思っている。

 ウチの子達にとって数ヶ月間どころか数年間という時間ですら短い間隔かもしれないし、いずれは私もそうなるのかもしれないが、産まれたての私からすれば数ヶ月間はかなりの長期間なのだ。


 今まで最長でも2ヶ月ぐらいまでしか家を空けたことが無かったのだから、家の様子が気になるのである。これが俗に言うホームシックと言うヤツだろうか?



 そろそろ話を戻そう。

 とにかく、私がオルディナン大陸で初めて宿泊する施設はホテル・チックタックとは別方向ではあるがその時と同等の期待があるということだ。


 敷居をくぐれば、従業員達が列をなして私達を歓迎してくれた。

 従業員達もウチの子達に対してやや惧れの感情を抱いているようだが、それを表面に出している様子はない。

 身体能力を考えれば彼等は一般人の枠組みだというのに、見事なものだ。これまで様々な客の対応をしてきたのだろう。

 彼等を怖がらせてはいけないとウチの子達やリガロウに伝えておこう。


 当然のようにウチの子達もリガロウも一緒に旅館とやらへ入ることができた。同じ部屋で宿泊して良いようだ。

 これは非常に嬉しい。

 それというのも、私がリガロウを非常に大切にしていて良く大きな宿泊施設では同じ部屋で休んでいるという情報が、オルディナン大陸にも伝わっているようなのだ。

 この旅館に案内されるまでの間に通ってきた道で、街の住民達がそのような内容の会話をしていたのが耳に入ってきていたのである。


 本来ならば部屋に案内されるまでの間、従業員に荷物を預けたりもするのだろうが、生憎と私達の荷物はすべて『収納』に収めているため、私達は手ぶらの状態である。

 ただ、そういった客も今まで何度も対応したことがあるのだろう。荷物持ちのために待機していた従業員は、元から荷物を持つ仕事など無かったかのように私達を部屋へと案内し始めた。流石である。


 やはりこの旅館という施設、私が今まで宿泊して来た部屋とは形式がかなり違う。

 まず、部屋に入る際に靴を脱ぐのだ。

 部屋の床には、畳と呼ばれる特定の草を編み込んだ板が隙間なく並べられていた。

 スライド式のドアを開けると植物の香りが鼻孔を刺激し、汚れ1つ無い真っ平らな絨毯とも床とも呼べるような景色が私達を迎えてくれたのだ。


 屋内にいるというのに自然に包まれているかのようなこの部屋、良いな。

 この時点で私はこの部屋を気に入ってしまったかもしれない。


 「こちらが今回ノア様にご宿泊していただく部屋となります。部屋にも風呂施設は備え付けられておりますが、当館には温泉を用いた大浴場が設置されております。よろしければ、是非ご堪能下さいませ。お食事はコチラの部屋にお持ち致しますか?それとも食堂でお召し上がりになりますか?」

 「食事はこの部屋に持って来てもらうとしよう。ありがとう、大浴場は後で皆で利用させてもらうとするよ」


 ほう!至れり尽くせりじゃないか!部屋の風呂施設も嬉しいが、大浴場に温泉とな!?

 それは堪能しないわけにはいかないだろう。温泉の素晴らしさは魔王国で知っているからな。

 今回温泉に初めて入るフレミーやゴドファンスにもその素晴らしさを知ってもらうとしよう。


 従業員の説明を聞きながら、私は部屋の様子を紙に描き上げる。気に入った物は絵にしてしまうのだ。そしてその光景を見せてくれた者に渡すのである。


 出来上がった部屋の様子を描き上げた紙を従業員に渡したら、早速部屋に入ってみよう。畳の感触を味わわせてもらうのだ。


 紙を受け取った従業員が若干驚いていたが、深く頭を下げた後、急いで部屋を後にしてしまった。

 感激と歓喜の感情を感じ取れたので、悪い印象は与えていないようだ。喜んでもらえたようでなにより。後でこの旅館の外観を掻いた絵を旅館の代表に渡しておこう。今は畳である。


 畳に足を乗せた直後、靴を脱ぐ必要があった理由がすぐに分かった。

 足裏の肌に感じるこの柔らかくもしっかりと体を支えてくれるようなこの感覚。木や石の床では味わえない感覚だな。それに、このまま横に寝転がっても気持ちよさそうだ。


 畳自体に防護魔術を施されているからか、ゴドファンスの蹄やリガロウの爪が触れても傷がつくような気配がない。

 尤も、防護効果は減少しているようなので、私の方で補強しておこう。

 畳の感触は、ウチの子達も大いに気に入ったようだ。


 〈わふー。ココで寝そべるの、気持ち良いねー〉

 〈綺麗な床ね!歩きやすいわ!〉〈家にいるのと同じような感覚なのよ!家にもこの床欲しいのよ!〉

 〈ほぉ…!悪くないのぅ。ヤタールもたまには良いことを言うではないか。おひいさま。儂の作品、この畳という床にとても合う気がしますぞ?〉


 なるほど。畳張りの部屋に陶器の飾りか。

 確かに絵になりそうだな。"黒龍城"にそういった部屋を設けるのも悪くないかもしれない。

 良し、家に帰ったら早速私も畳を作ってみよう。そのためにも、この畳というものを詳しく知っておかないとな。


 気持ちよさそうに寝そべっているウルミラが羨ましくあるが、私がこの畳に寝そべったらその時点で眠ってしまいそうだったので、そろそろ旅館を出るとしよう。


 図書館に移動して情報収集である。


 可能な限り、スーレーンの情報を調べ上げるとしよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る