第605話 船旅の始まり

 船が出港する際、私達はモーダンの住民達から盛大な歓声を受けながら見送られることとなった。

 おそらくアイラ達だけでこの街を発っていた場合、見送りはあったかもしれないがもっと静かな出航となっていた筈だ。


 完全に私に対する見送りである。

 まさか大規模な音楽隊まで引き連れて演奏を聞きながら見送られるとは思っていなかった。


 「たった1週間でよく音楽隊なんて用意できたものだね」

 「オムニス閣下がこの街に滞在してましたから、金銭面での問題は無かったのでしょうね。閣下は思い切りの良い御方ですから」


 ああ、ジョゼットの発案か。確かに、彼女ならばそのぐらい訳もなく手配できそうだ。

 見送りの際はちゃっかりタスクの隣に立ち、彼の腕に自分の腕を絡ませていた。友人の関係から少しは進展があったのかもしれないな。


 私の疑問に答えてくれたアイラは、ジョゼットとかなり仲が良くなったようだ。

 心なしか、ジョゼットはアイラに視線を向けているような気がするし、その視線には感謝の感情が籠っているように見受けられる。


 1週間前、ジョゼットはアイラと何やら話し込んでいたようだが、そのおかげで2人の仲が良くなったのは間違いないだろうな。

 タスクを篭絡する術でも習ったのだろうか?


 「ガッハッハ!俺達がスーレーンの港を出る時もあんな感じで送り出されたが、まさか帰る時まで盛大に送り出してもらえるたぁな!コレも『姫君』様のおかげってヤツだな!」

 「いい演奏が聞けたし、素直に嬉しく思うよ。魔大陸に帰って来たら、ジョゼットに礼を伝えておこう」


 まぁ、やろうと思えば今からでもジョゼットに『通話』で礼を告げられるのだが、それは情緒が無いのでやめておく。

 オルディナン大陸でしか得られないお土産でも携えて彼女の元に訪れるとしよう。


 しかし、デンケンはよく機嫌を悪くしないでいられるな。


 「デンケンは良かったの?今回もモーダンでバカンスを楽しむ予定だったのだろう?今日までの間、あまり休みは取れていなかったようだけど大丈夫なの?」

 「なぁに、元より『姫君』様を乗せてくつもりだったんだ。最初っからとんぼ返りの予定だったんだから問題ねぇさ!スーレーンに戻ったら長期休暇が待ってるしな!」


 なるほど。バカンスを楽しめない分、国に帰ったら存分に休み遊ぶつもりのようだ。何やら楽しみにしている催しがあるようなので、デンケンさえよければ私もその催しに参加させてもらうとしよう。


 「おっ!いいねぇ!『姫君』様が付いて来てくれりゃあ運気も増すってもんだぜ!是非同行してくれや!」


 デンケンが楽しみにしている催しは何やら運が絡む催しらしい。賭け事でもやるのだろうか?

 だとしたら、何に対して賭けを行うのだろうな?スーレーンに到着する楽しみが1つ増えた。


 ……大分モーダンの港から船が離れたな。

 モーダンの街並み全体が私の視界に収まっている。絵を描くのならこのタイミングだろう。1枚描いておこう。


 なお、出航時に私達を盛大に送り出してくれた音楽隊たちの姿もしっかりと描かせてもらった。

 私を見送るために集まり、思いを込めて懸命に演奏を行う音楽隊の姿だ。絵にしない理由がないのである。

 帰って来たら音楽隊を用意してくれた礼の意味も込めてジョゼットと音楽隊の代表に見せてそれぞれ譲ってあげよう。

 ついでだ。今書いているモーダンの街並みはタスク辺りにでも譲るとしよう。



 船の移動が進み、モーダンの街並みどころか魔大陸の陸地すらも見えなくなり、空と海面で青色一色となっている眼前の光景を紙に描いていると、横からシャーリィが声を掛けてきた。


 待ちくたびれたのだろうか?

 船旅の最中も稽古をつけると言っていたからか、早く相手をして欲しいのかもしれない。


 「シャーリィ、もう少し待っててもらえる?すぐに掻き終わるから」

 「あ、ハイ…。なんていうか、凄いですね…。物凄い速さで真っ白い紙に目の前の光景が出来上がってくのって…」


 シャーリィの目の前で絵を描いたのは、コレが初めてだったか。瞬く間に絵が出来上がっていく光景を目にして関心と驚愕の両方の感情が現れている。

 ……良し、雲一つない空とどこまでも続く水平線の絵が描けた。魔術で複製して記念にシャーリィに1枚プレゼントするとしよう。


 「え?さっき描き上がった絵が2枚になった!?」

 「コレも魔術が為せる業の1つだね。どうぞ。記念にプレゼントだ」

 「え?へ!?あ、ありがとうございます…」


 素直に受け取ってくれたのは良いのだが、どうにも微妙な表情だ。

 シャーリィの感情には嬉しさと困惑がせめぎ合っているような状態である。

 いや、困惑というよりも迷惑そうと言った方が良いか。


 シャーリィは先程から受け取った絵をどうすればいいのか分からないと言った表情をしているな。


 まさか…。


 「シャーリィ。もしかしなくても、貴女『格納』が使えないの?」

 「うぅっ…。だって、必要性を感じなかったし魔術苦手だし…」


 なるほど。つまり仕舞いたくても仕舞う場所がないため扱いに困っていると言ったところか。

 まったく。これでマクシミリアンを越えようとしているのだから、少々楽観的過ぎるきらいがあるな。


 「貴女の父、マクシミリアンは普通に『格納』を使えたそうだよ?彼を越えようというのなら、シャーリィもそれぐらいはできるようになっておかないとね」

 「ええぇー…」

 「大丈夫。私ができるようにしてあげよう。どれだけ音を上げても大丈夫。この場所は海の上。逃げ場など無いからね。そもそも、私から逃げられるなどとは思わないことだ」

 「えええーーーっ!?」


 稽古をつけるとは確かに約束した。だが、剣の稽古だけをするわけではないのだ。

 魔術は勿論、礼儀作法や学術に関しても稽古というか指導をしていこうじゃないか。

 なに、オルディナン大陸に到着するまで時間はたっぷりとある。向こうに到着する頃には、アイラから及第点をもらえるような淑女にして見せよう。


 「そこは立派な淑女じゃないんですか!?」

 「シャーリィ、私にだって…できないことぐらい…ある…!」

 「ひどっ!私に剣以外を教えるのってそんなに無理難題!?」

 「本人のやる気次第だからね。シャーリィにやる気を出してもらわない限りは立派な淑女にはなれそうにないよ」


 無論、シャーリィがやる気を出してくれたのならばスーレーンに到着するまでの間に立派な淑女に育て上げる自信はある。

 が、現状シャーリィがそれを嫌がっているのだ。これでは身に付けさせる教養にも限界がある。


 むしろアイラから及第点を与えられるレベルまで引き上げられるのだから大したものだと言ってほしいぐらいだ。


 「なんだか先生からの私の評価がかなり低くなってるような…」

 「戦うことと剣の扱いのセンスに関しては十分に認めているよ。十分すぎる才能もある。だけど、それは他を蔑ろにしていい理由にはならない。アイラから言われたことない?ジョージを見習えって」

 「だって、ジョージは元皇子様だし…」


 それは言いわけだな。

 ジョージは確かに皇子でいた頃は相応の振る舞いをしていたが、アイラがジョージを見習えと言っていたのは、おそらくジョージが冒険者として活動してからだ。

 つまり、現在のジョージの振る舞いを見て彼を見習えと言ったのだろう。


 「伯爵令嬢も大して違いはないさ。どれ、それじゃあまずはソレを仕舞えるように『格納』を覚えてみようか」

 「ええぇーーー!?最初っから難易度高すぎません!?」


 [ええー]ではない。

 文句を言おうが拒絶しようが容赦はしない。『傀儡糸マリオネイトストリグ』を使用してでも強制的に指導をする所存である。


 シャーリィはまったく魔術を使用できないというわけではない。

 むしろ才能自体はあると言って良い。ただ単にやりたくないからやらないだけだ。

 苦手としているのは、偏にやる気が無いからである。


 シャーリィにやる気を持たせるにはどうすれば良いものか。

 そもそもなぜやる気が出ないのか?


 「や、だって魔術を使用する時ってアレコレ考えなきゃいけないじゃないですか。剣なら何も考えずに動けますし…」


 つまり、剣で戦った方が早いし、それで勝てるから必要ない、と。

 実際のところシャーリィの場合、同年代が相手ならばそれがまかり通ってしまっているんだよなぁ…。

 騎士としての戦い方がほぼ完成しているオスカーですら万全の状態のシャーリィには勝てない。

 現状では唯一魔術を惜しみなく使用できる状況ならばジョージが勝利できる程度である。


 私が学校で授業を受け持っていた時のことを考えれば、凄まじい成長速度だ。

 彼女の実力をここまで引き上げたのは、全てとは言わないがやはり私が原因か。

 更に私がいない時は頻繁にグリューナに鍛えてもらっていたようだからな。

 格上と戦い続けているのだから、成長が早いのも当然か。


 とにかくだ。シャーリィが魔術を覚える気が起きない理由は使う必要性を感じなかったからだ。

 だったら魔術を使用しなければ勝てないような相手でも用意してやるか。


 まぁ、それはまた後の話で、今はシャーリィに『格納』を覚えさせるところからだ。

 手早く『格納』の魔術構築陣を紙に描き映し、その紙を魔術で防護しておく。切れないし破けないし濡れないし燃えない紙の出来上がりだ。


 「シャーリィ。リナーシェもかつては貴女のように魔術を使用した戦いが苦手だったけど、今では複数の魔術を同時に使えるようになっているそうだよ?」

 「それって、先生が教えた構築陣を剣でなぞるやり方で?」

 「そう。シャーリィも下級の魔術では剣で構築陣を描かなくてもできるようになったよね?アレをあらゆる魔術でできるようにしてもらう」

 「あのやり方、理屈は分かりますし実際に覚えられましたけど、そんなにたくさんの魔術を覚えられますかね…?」

 「それはシャーリィのやる気次第」

 「ええーーー」


 何度も言うが、[ええー]ではない。やり続けないことには覚えられないのだから、継続するためのやる気が必要なのである。


 頑張りなさい、シャーリィ。


 リナーシェにもできたんだから。

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