第604話 出港!

 私達がデンケンの元まで移動すれば、ちょうどタスクとのやり取りも終えたようで、彼等も私達が近づいていることに気が付いたようだ。タスクがイネスに対して警戒している。

 タスクから見て今のイネスは"異性の新聞記者に変装している怪盗"だからな。色々な意味で不信感を募らせていることだろう。


 実際にはイネスは正体を包み隠さずにこの場に堂々といるわけだから、まったくもって彼女の思惑通りというわけだ。

 敢えて正体を晒して別人を装う作戦は上手くいっているようだな。イネスの演技力の賜物と言ったところか。


 とにかく、今はデンケンへの謝罪である。

 軽く手を挙げてデンケンに声を掛けながら挨拶しよう。


 「久しぶりだね、デンケン。さっきはゴメンよ。少しイタズラが過ぎた」

 「ああ、うん。まぁな…。とんでもねぇモンを見せてもらえてたって意味じゃあ貴重な体験ではあったんだがよぉ…。『姫君』様は、随分とイタズラ好きになっちまったもんだな」


 気にしていな体を装って入るが、やはり言葉には棘があるな。

 オルディナン大陸では望遠鏡は極めて高価な品だったのかもしれない。

 いや、安定した高品質なガラスの製法が伝わっているティゼム王国以外は魔大陸でも高級品なのだ。

 仕事道具でもあるだろうし、気に入っていたのかもしれない。


 「いや、本当にすまない。貴方が落としてしまった望遠鏡は私の方で回収しておいたよ」

 「え゛っ?」


 『収納』からデンケンの望遠鏡を取り出して彼に手渡すとしよう。

 私は街の方から来たというのに、海に落ちてしまった品が私の収納空間から取り出されれば、流石に驚いてしまうのは無理もないのだろう。理由が想像つかないだろうからな。


 「破損も浸水も無いことはこちらでも確認しているけど、今まで通り使えそうか確認してもらって良いかな?」

 「お、おう…」


 望遠鏡を手渡されたデンケンが恐る恐る望遠鏡を覗き込んだ。

 直後、デンケンから悲鳴にも似た驚愕の声が挙げられた。


 「なんっじゃいこりゃあ!?」

 「詫びとして、ガラスをより高品質な状態にしておいたよ。以前よりもクッキリ見えない?」

 「コイツぁ凄ぇぜ!今まで望遠鏡に映る光景ってなぁ、ボヤけてんのが当たり前だってのが、自分の目で見てんのかってぐれぇハッキリクッキリ鮮明に映ってやがる!」


 ただ返却するだけでは味が無いからな。迷惑を掛けた分、相応の代償というか保証はすべきだと思うのだ。

 今回は望遠鏡を一時的にとは言え喪失させてしまったのだから、望遠鏡の品質を向上させておいた。

 なお、デンケンは気付いていないようだが、倍率も若干向上している。

 私ならば更に高倍率の望遠鏡を作ることも可能だったが、あまり度の過ぎた性能にしてしまうと問題が起きそうだったので性能を抑えたのだ。


 「気に入ってもらえたかな?」

 「気に入るなんてもんじゃねぇよ!こんな超高性能な望遠鏡、国によっちゃあ国宝扱いされてもおかしかねぇぞ!なんつーモン渡してくれたんだ!やっぱ『姫君』様は最高だなぁ!」


 文句を言っているかのような言葉遣いではあるが、その口調はご機嫌そのものだ。見慣れた街並みや水平線に望遠鏡を向けて子供のようにはしゃいでいる。


 「ノア様…なにをしてるんですか…」

 「や、ちょっとデンケンを驚かせようと思ったんだけどね。やり過ぎてしまったからその詫びさ。機嫌を損ねて船に乗せてもらえない、なんてことになるのも嫌だしね」


 まぁ、実際にはデンケンのことだから船に乗せてはくれただろうが、それでも船旅中多少険悪な空気になってしまうのは否めないだろう。つまるところ、コレは私なりの御機嫌取りである。


 タスクが呆れるのも無理はないかもしれないが、デンケンの言う通り私は随分とイタズラ好きになってしまったようだからな。反応が面白いと、つい次もやってみたくなってしまうのだ。


 しかし、今回の件で流石に調子に乗り過ぎたと自覚したからな。人間達に対するイタズラはしばらく控えるとしよう。

 今回はデンケンが機嫌を直してくれたからいいものの、最悪の場合完全に仲違いする可能性だってあり得るのだ。


 「さて、デンケン。こうして私が再びアクレイン王国に足を運んだ理由。貴方なら分かるね?」

 「当然だぜ。俺達ゃ『姫君』様を迎えにこうしてここまで来たんだからなぁ!」

 「へぇ?」


 タスクの話では、オルディナン大陸の総意として、私と親しいティゼム王国の者達に私を説得、交渉するよう頼みたかったそうだが…。


 「ククク…!ソイツはあくまでも大陸全体の意見だな。だが俺達ゃ『姫君』様がまたこの国に来て"マグルクルム"に乗りに来るってのを知ってるからなぁ…!」

 「なるほどね。意地が悪いじゃないか。他の国にその情報を与えなかったね?」

 「ガッハッハ!そりゃあそうよ!これで『姫君』様を連れてきたスーレーンの功績と発言力は大幅に増すってな!」


 私と去年約束をした時点で、もうそのことを考えていたんだろうな。

 まったく、大した先見の明だ。


 「あったぼうよ!船乗りってのは遠くを見て舵取りをしてなんぼだからな!」


 上手いこと言うじゃないか。つまり、デンケンは最初からアイラ達と共に私をオルディナン大陸へ連れて行くつもりだったようだ。

 この事実はタスクも想定していなかったようで、デンケンの予定を聞いて目を見開いている。


 迂闊だったな、タスク。

 私がデンケンと約束した時、貴方もその場にいた筈だ。

 私が約束を違えることを良しとしない性格だと知っていたのなら…デンケンの、スーレーンの目論見も見抜けていただろうな。


 「不覚を取りました…。あの時の口約束が実際に果たされるとは…」

 「タスク。口約束だろうと約束は約束だ。私は約束を違えることが好きではない。覚えておくと良い」

 「ええ。肝に銘じ、陛下にも伝えておきましょう」


 正確に意図を理解してくれたようでなによりだ。


 さて、デンケンの機嫌も調子も戻ったようだし、これからのことを放すとしよう。

 それとも、イネスの取材の方が先かな?




 交易船団がモーダンの港に着いてから7日。

 つまり、いよいよオルディナン大陸へと出発する日が来たということだ。


 出港までにはまだ3時間ほどあるのだが、私は既にウチの子達とリガロウと共に船の甲板に待機済みだ。今か今かと出港の瞬間を待ちわびているところである。


 デンケンに挨拶をする際、イネスも一緒について来ていたわけだが、彼女はあの場を上手くやり過ごした。

 当たり前のようにデンケンに取材を申し込み、そのまま取材を開始してしまったのだ。

 イネスの取材を受けたことのあるタスクとデンケンの前でだ。


 その際、タスクもデンケンも小さな違和感を抱いていた。

 取材の仕方が以前のイネスの取材の様子と微妙に違っていたのだ。私もイネスの取材を受けたことがあるから分かる。


 そうして相手に違和感を抱かせることでイネスと怪盗が別人だとタスクには思われただろうし、デンケンはデンケンで今のイネスを少しだけ警戒した。

 デンケンがその気になれば、イネスが本人ではなく別の人間が変装していると説明されるだろう。


 イネスには私達と共に行動を共にしてもらうのだが、この場にいるのはイネスではない。彼女は周囲にそう思わせるつもりなのだ。


 周囲の者達、タスク率いる騎士達がイネスを捕えようとしても、イネスはその点をまったく気にしていない。

 彼女は転移魔術が使用できるし、少なくとも彼女の移動速度はタスクの移動速度を上回っている。全力で逃げた場合、タスクはイネスに追いつけないのだ。


 馬やランドランのような騎獣を用いて追いかけようにも、タスクが全力で走った方が速い。そしてイネスはそんなタスクよりも速い。

 そうして距離を取られて一度でも見失えば、後は転移魔術で見当違いの場所に移動してしまえば容易に振り切れてしまうのだ。


 だから、騎士団が動くこと自体はイネスは何とも思っていないのである。

 彼女が一番避けたいのは、怪盗の正体がイネスであるという事実が露見することである。


 そのため、イネスは普段とは微妙に態度を変えて変装している人物を見事に演じ切っている。

 おかげで、彼女の目的の現在は目論見通り達成されている。


 オルディナン大陸に到着した後も、その態度を変えるつもりはないようだ。流石の徹底ぶりである。


 出港するまでの7日間は、主にシャーリィ達の面倒を見ることに時間を費やした。

 ウチの子達の存在を知ってからというもの、シャーリィは少しでも今よりも強くなりたいと思い始めたのだ。


 ジョージとシャーリィが船が着港する光景も見ずに冒険者ギルドの地下で稽古を続けていたのもそのためである。彼女にレイブランとヤタールに直接見つめられるのは刺激が強すぎたようだな。


 デンケンとの会話が終わった後、冒険者ギルドの地下訓練場に顔を出してみれば、すぐさま稽古を申し込まれた。

 拒否する理由もないので勿論稽古をつけた。今回はジョージも一緒だ。


 また別の日にはシャーリィがリガロウと戦ってみたり、ジョージとオスカーも加えて3対1での試合形式の稽古を要求されたりもした。遠慮せず厳しくしてほしいと言われた。


 ならばと『補助腕サブアーム』を使用して4本のハイドラを取り出したのだが、シャーリィからの非難が凄まじかったな。

 彼女にとって腕が増えるのはズルらしい。


 腕が増えたのは魔術の効果だし、リナーシェも使用できると伝えれば、渋々と引き下がった。

 まぁ、その後の稽古では文句も言えないほど消耗することになったが。

 厳しい稽古を望まれたのだから、相応の対応をしたまでである。


 それと、やはりオスカーはウチの子達を触ってみたかったようだ。私の人間の知り合いの中で、現状ウチの子達を触れられたのは、なんとオスカーだけだったりする。

 私が楽器を演奏した際にオスカーが見た光景に映っていた獣達と私が連れてきたウチの子達がそっくりに見えているようなのだ。

 あの時も触りたそうな表情をしていたし、興味を抱かない筈がなかったのである。


 ウチの子達を撫でている間、私の方に何度か視線を向けていたが、何も聞かれなかったので何も言わなかった。

 オスカー達が見た光景、私が言及しないように話を切り上げたのが原因だな。


 ちなみに、デンケンもウチの子達に関して言及してくることはなかった。

 仕方がないので私の方から話を持ち出してみたら、リガロウに見つめられる以上に危機感を覚えたと語っていた。


 「『姫君』様の傍にいなかったら一目散に船を反転させてスーレーンに逃げ帰ってたかもしれなかったぜ?マジであん時ゃビビったぜ!」

 「確認したいんだけど、オルディナン大陸の人達は、ウチの子達について言及して来るかな?」

 「そのことなんだがな…」


 現状私の周りの人間達が皆してウチの子達を避けているからな。向こうの大陸に移動した後も同じような結果になってしまうのか気になったのだ。


 しかし、話はもう少し厄介なことになっているようだ。

 人間には様々な主義主張がある訳だが、その主義の中に庸人ヒュムスを異常なまでに優遇する庸人至上主義という主義が浸透している国があるというのだ。

 デンケン曰く、オルディナン大陸の中央部に行くほどにその主義は浸透しているのだとか。


 "女神の剣"の仕業かとも思ったが、どうやら起原を辿るとヤツの干渉がある前から存在する主義らしく、コレの機嫌に関してはヤツは無関係のようだ。多分だが、利用はしていると思う。

 非常に古いルーツを持つ分、割と根強く浸透してしまっているようで、デンケンは私にそういった国を訪れない方が良いと忠告してきた。


 「あの主義がまかり通ってる国ってのは庸人以外は人間じゃないって言ってる連中だからな。どう考えても『姫君』様を不愉快にしちまう。わりかし閉鎖的な国だから、自分から足を踏み入れなきゃどうとでもなる国だ」

 「デンケン。それはできない相談だ。言った筈だよ?私は約束を違えないって。それは私自身の発言も含まれる」


 私は、世界中を見て回ると公言したのだ。余すところなく人間達の国にも足を運ばせてもらうとも。

 それが私を不当に扱うような国であってもだ。


 まぁ、すぐにその国に訪れるわけではない。

 庸人至上主義が特に幅を利かせている国は、大陸の中央に近い場所にあるらしいし、訪れるとしても大分後になるだろう。それまでに私への態度を軟化するような方針を取るならば文句はない。


 ただ、身の程を知らない行動を取るようなら、その時はその時だというだけの話である。


 この7日間で起きた出来事に思い耽ている間に、出発時間が来たようだ。

 他の乗船者も既に甲板に集まっている。


 準備は万端。いよいよ出向である!

 待っているがいい、ルディナン大陸よ!


 …の前に、ズウノシャディオンに会いに行こう。

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