第603話 度の過ぎたイタズラ

 デンケンが倒れた。

 いや、何も失神して意識を失ったというわけではない。

 ただ、悲鳴を上げてもんどり打って倒れてしまったのだ。要するに、前回とほぼ同じである。

 違いがあるとしたら、前回は手放さなかった遠見のための道具(確か、望遠鏡と言ったか)を手放してしまい、海の中に落としてしまったようだ。


 あの手の道具は高品質なガラスを使用しているため、非常に高価だった筈だ。

 ちょっとしたイタズラのつもりだったのだが、デンケンからしたらシャレになっていないかもしれないな。


 私ならば海に落ちてしまった望遠鏡を回収することも造作もない。

 既に沈んでしまった望遠鏡の位置も把握している。『幻実影ファンタマイマス』の幻を用いて回収しておこう。


 「ちょっとやり過ぎてしまったかな?」

 「?ノア様、何かしたのですか?」

 「うん、ちょっとこっちを眺めてたデンケンを皆で見つめてみた」

 「………下手したら心臓止まってしまいますよ、ソレ…」


 なに、デンケンがその程度で心臓が停止してしまうような肝の小さい人間だったら、今頃提督になんてなっていないさ。彼の度胸の強さは私がよく知っている。

 未知の存在だろうと食べられるのならば口にするし、自分が経験したことのない速度で海面を移動しても彼は悲鳴ひとつあげずに意識を保っていた。素直に称賛すべきだと思う。


 だからこそ、そんな彼が悲鳴を上げて望遠鏡を手放してしまうほどに驚かせてしまったのには罪悪感を抱かないでもない。後でちゃんと謝っておこう。


 それにしても…


 「凄い迫力だね…」

 「全くですね!今の時点でただでさえ大きく見えるというのに、ココからドンドン大きくなっていくんですよ!?ていうか今もドンドン大きくなってます!」


 既に交易船の巨大な姿が一般の見学客達の目にもハッキリと映っており、こちら側は交易船に向けて声を送ったり手を降る者達で溢れ返っている。

 彼等の声と手振りは交易船団の者達にも届いているだろう。


 前回でも感じたことだが、人間の凄まじさを感じずにはいられない。

 彼等は自分の体よりも遥かに巨大な建造物を造り上げ、更にはそれを動かしてしまうのだ。

 魔族達にも同じことができるが、彼等には魔王という超常の存在がいるからな。動力源を始めとしたいくつかの点で、ある程度のズルができるとも言える。


 魔王国で乗せてもらった最新鋭潜水艦・バラエナは確かに圧倒的な技術力を用いて建造された乗り物だが、アレが実現できたのはルイーゼが彼女の魔力で作った魔宝石を提供したからだ。


 私が見る限り、今私の目に映る交易船にその手の動力源は確認できない。

 あの交易船は、特定の個人の突出した力によって作られた建造物ではない。知識と技術と材料さえあれば、誰にでも建造できる船だ。


 それがどれだけ凄いことか。五大神は、人間のこういうところを気に入っていそうだな。私も気に入っている。


 『まぁな!魔族達は身体的特徴に大きな差があるから、どうしても得意分野が分かれるが、人間ってのはその差がそれほど大きくねぇからな!突出した技術や力じゃなけりゃ、人間は誰もが同じことができるんだぜ!』

 『当然、得手不得手はあるしできる範囲に違いはあるけどね~。でもま、そこが良いんだよねぇ~』


 うん。そうして苦手な部分を得意な者が補い合い、そうしていつか大きなことを為し遂げる。それこそが人間の凄さであり素晴らしさではないだろうか?


 『それだけが人間の素晴らしさというわけではありませんが、少しずつ大きなものが出来上がっていく光景というのは、見ていて楽しいですよね』

 『貴女が人間を慈しんでくれて嬉しく思うよ。その気持ちが、今後も変わらないでいて欲しい』


 それに関しては人間達次第だ。

 まぁ、仮に人間達が私を怒らせるような行動を取ったとしても、人間全体を滅ぼすような真似をするつもりはない。

 少なくとも今は。滅ぼすのなら、私を怒らせた者達のみに留めておこうと思っている。


 人間は、私にとって必要な存在だ。


 私は人間達の発想力や発展力を高く評価している。

 正直な話、私は技術力ならば人間よりも遥かに優れている。

 これは自惚れではない。

 私ならば1㎞離れた場所に突き立てられ縫い針に向けて糸を射出し、針の穴に向けて射出した糸を針の穴に通すことすらも容易だ。勿論、射出した糸は魔力で操作したりせずにだ。


 ただ、どれだけ優れた技術を持っていようと、その技術を活かせる発想が無ければ宝の持ち腐れなのだ。


 私が今日まで"楽園最奥"に引き籠っていたら、今では立派な趣味となった読書に描画や音楽、料理を始めとした様々な娯楽も縁遠き行為だった。

 私が人間達に齎しているもの。それは、人間達が身に付け、発展していった技術であり文明だ。私はそれを真似しているだけに過ぎない。


 なにが言いたいのかと言えば、私は模倣は得意だが新たな娯楽を生み出すことができないのだ。

 人間にはそれができる。

 それは、私の心を強く刺激して楽しませてくれる。だから、私には人間が必要なのだ。


 非常に利己的な理由なのは重々承知している。

 私の本意を知った人間がどう思おうが、私の考えは変わらないだろう。


 それに、何も必要なのは娯楽だけではない。

 私は既に特定の人間と親しくなってしまっているからな。

 親しい者との触れ合いの時間もまた、私の心を満たしてくれるのだ。


 親しい者達との触れ合いというのは、多ければ多いほど良い。

 勿論、私が"楽園"に留まり続け、ウチの子達と静かに暮らし続けているだけでも、私の心は満たされていたのだろう。

 だが、だからと言って今から過去に戻ってその生活を送りたいかと聞かれれば、断固として拒否する所存である。


 当たり前だ。一度知ってしまった楽しみを二度と味わえないなど御免被る。そう考えるのは、私だけではない筈だ。


 …神々が語り掛けてきたせいで話が逸れたが、とにかく私は今、大迫力の光景を目にして満足しているのである。


 〈うわぁ~~~!デッカイねぇ~~~!ねぇご主人!ボク達アレに乗るの!?〉

 〈そうだよ。楽しみだろう?〉

 〈止まりがいがありそうな場所があるわね!〉〈高いところに止まって遠くを見るのよ!〉

 〈へぇ~。広げて張った布に風を当てて…やっぱり人間って面白いことを考えるね…〉


 ウルミラは玩具の船でよく遊んでいるから、船がどういったものかある程度知っていたが、ここまで巨大な建造物だとは思っていなかったようで非常に興奮している。アレに乗って船旅ができると知ってとても喜んでいるようだ。激しく揺れている尻尾がとても可愛い。


 レイブランとヤタールは船のマストに興味があるようだ。

 まぁ、あの子達から見たらちょっと変わった止まり木だろうからな。ああいった場所に止まって甲板にいる者達を見下ろしたりしたいのだろうな。


 フレミーは、やはり帆に興味を持ったようだ。アレだけ大きな布を見るのも初めてだろうから、帆を造り上げた人間に対して感心しているのかもしれない。


 今更な話だが、スーレーンの交易船に搭載されている動力は複数ある。

 私が楽しんだ小型高速艇のように海水を汲み上げて排出した際の反動を利用して進む噴射推進。船体の底に設置されている羽を回転させ、回転した羽が水を掻くことで推力を得るスクリュー。そして風を受けて船体を押し出す帆掛け。

 その3つの動力が1つの船に取り付けられているのだ。


 どれか1つあれば問題無く船を動かせる筈なのだが、なぜ動力を3つも設けているのか、その理由は私にも分からない。デンケンに聞くとしよう。イタズラが原因で教えてくれない、なんてことにならなければいいが…。


 いや、本当に今までのイタズラが上手く成功していたからと、調子に乗り過ぎてしまったな。今後、イタズラは控えた方が良いのかもしれない。

 ルイーゼへのイタズラ?止められる気がしない。イタズラを控えようと思うのは、あくまで人間達に対してだ。


 ウチの子達は思い思いに交易船に対する感想を述べているが、ゴドファンスだけは静かに交易船を眺めているだけだ。

 興味が無いわけではないようだし、むしろ非常に真剣に交易船を眺めている。

 ひょっとして、感動して言葉も出ていないとか?


 〈……見事…〉

 〈ん?〉

 〈人間は、儂等から見てあまりにも矮小な存在ではありますが、それは人間個人での話のようですな。あれほど矮小な人間達が、1つの目的のために団結し、これほどまでの偉業を成し遂げるとは…。この建造物が出来上がるまでに掛かった時間は、1月でしょうか?2月でしょうか?それとも、もっと長い時間が掛かったのやもしれませんな…。儂等ならばその気になれば1日で作り上げられるでしょう。ですが、大事なのはそんなことではありませぬ。どれだけ時間が掛かろうとも成し遂げようとする意志。その意志が数多く集まり、実際に為し遂げられたこと。それを見事と言わず何と言うのでしょう…〉


 意外だ。

 まさかゴドファンスからそんな意見を聞くことになるとは。人間をベタ褒めじゃないか。

 私の感覚だと、ウチの子達の仲で人間を最も下に見ていたのがゴドファンスだった。

 レイブランとヤタールも下に見ていると言う点では大して変わらないが、あの娘達の場合はどちらかというとどうでもいい相手という感覚だったからな。

 悪く言うなれば、ゴドファンスは人間達を見下していたのである。


 多分だが、人間を見下しているのは今でも変わらないのだろう。

 だが、それはそれとして人間の凄いところは素直に認めているようだ。


 それで良い。能力が低かろうがどのような思想を持っていようが、良いものは良いのだ。

 ゴドファンスの考えを肯定し、彼の体を撫でておこう。


 〈私も貴方と同意見だよ。こうして一緒に来て良かっただろう?〉

 〈はっ。おひいさまの旅行に付いて来たおかげで、儂は今の時点でも多くのことを学ばせていただいております。この先、人間達が我等にどのような態度を取ろうとも、今回の旅行に付いてきて良かったと言えるでしょう〉

 〈ご主人~!ボクも!ボクも撫でて~!〉


 おっと、ゴドファンスを撫でていたらウルミラも撫でて欲しいとせがんで来た。勿論撫でさせてもらうとも。


 分かっている。分かっているとも。

 フレミーもレイブランとヤタールもリガロウも、皆のことをちゃんと撫でるとも。


 「あのぉ…ノア様?船を見なくて良いのですか?」

 「心配しなくても、ちゃんと見えているよ」


 私がリガロウやウチの子達を可愛がり始めてしまったため、今まさに船を港に停泊させようとしているというのに気にしていないと思われたようだ。貴重な映像を見逃したくないイネスが、私に声を掛けて船に意識を持って行かせようとしている。


 そんなことをしなくとも私の意識は交易船に釘付けだとも。


 皆を撫でまわし、抱きしめ、頬擦りをしている間も、私の意識はずっと交易船に向けられているのだ。

 そこに少しで良いので私の魔力を浸透させれば、交易船の様子はハッキリと認識できるのだ。『広域ウィディア探知サーチェクション』のちょっとした応用と言うヤツだな。


 それだけではない。やはり肉眼でも迫力のある光景は目にしておきたいからな。『幻実影』を部分的に使用して眼球のみの幻を発生させて交易船を見続けているのだ。

 正直、ここまでのことをやるなら魔術で視覚を共有できる疑似的な眼球を生み出した方が手っ取り早いのだが、今この場で魔術を開発するのが面倒に感じてしまったため、別の機会にしようと思う。


 なに、オルディナン大陸に出発するのは数日後だし、船での移動がそもそも時間が掛かるのだ。開発する時間はいくらでもあると言って良い。


 まぁ、言い訳がましくなりはしたが、そんな理由で私は交易船をハッキリと認識しているし視認していたのである。



 交易船団が港に停泊し、船員達が船から降りてきた。これから荷下ろしを始めるのだろう。

 旗艦である"マグルクルム"からデンケンも降りてきたが、非常に気落ちした様子である。


 無理もない。

 高級品である望遠鏡を海に落としてしまったからな。回収は難しいと判断しているのだろう。


 「なんか…デンケン提督随分と暗くないです?まぁ、対応しているのがジョゼット様やアイラ様だったら変わってたのかもしれませんが…」

 「いや、アレは大事なものを海に落としたからだから、対応している人物は関係が無いよ」

 「…ってことは、ノア様が原因なんですね…?」


 そうではあるが。

 デンケンが落としてしまった大事な望遠鏡は既に回収してあるのでそんなに責めるような目で見ないでもらいたい。

 ただ、まだ見学客は船着き場まで移動しては生き得ないようなのでこの場から動けないのである。



 そうしてイネスからの責める視線を耐えながら1時間後。

 積み荷を粗方下ろし終わったようで、デンケンとタスクが言葉を交わしている。

 私達の周囲には既に見物客はいない。これならば、船着き場に移動しても良いだろう。


 早速デンケンの元まで行くとしよう。


 望遠鏡を返却するとともに、度の過ぎたイタズラを謝罪するのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る