第602話 デンケンを迎えよう
「船が見えたぞぉーーーっ!!!」
港の見張りをしている者が交易船団の姿を確認し、街中に交易船団の来訪を伝えるころには、時刻は午前9時を回っていた。
交易船の速度を考えれば、後2時間もあればこの停泊所に交易船団が到着するだろう。
見張りの張り上げた声によって街中の人間が交易船を一目見ようと港に集まってきた。
当然、大勢の人間が集まってくる以上、何かと荒事が起きたりする。
集まり過ぎた人々の圧によって圧迫され負傷してしまう人も出かねない。というか、タスクが言うにはそういった負傷者が毎年のように出てしまうのだとか。
酷い時には子供が巻き込まれてしまうことまであるらしい。
そういった事態を事前に防ぐために騎士達が集まって来た人々を整理するらしい。
その情報はいつ知ったのかというと、たった今だ。
私は現在、集まって来る人々を整理しに来たタスクと会話をしている。
「つまり、もう少し下がった位置で見て欲しい、と?」
「申し訳ございません。規則ですので…」
それというのも、今私がいる場所からこちらに向かって来る船を見てはいけないそうなのだ。
理由としては、他の見物者達が真似をしかねないからだとか。
以前見学場所を指定していなかったがためにより前で船を見ようとした者達が次々に前へ出てきてしまい、最終的に後ろから来た者達に倒されて踏みつけられたり海に落ちてしまったそうなのだ。
誰だって近い場所で交易船を見たいと思う気持ちは同じということなのだろう。
より近くで見ようと前に出た者が途中で止まろうとしても、その後ろにいた者達が止まってくれるとは限らない。
むしろもっと前へ出ようとして押し出されてしまう可能性の方が高いのだ。
だからこそ先ほど挙げられたような悲惨な事故が発生してしまう。
そういった事故などを事前に防ぐためにも騎士団が動くのだろう。
そういうことならば、私も少し下がって見学させてもらうとしよう。
幸い、交易船団が到着するまでに時間が掛かるため、それほど見物客は集まってきていない。何らかの用事でこの場から離れでもしない限り、最前列はキープできる。
「そうだ。良ければ私なりに仕事を手伝おうか?透明な防壁でも張っておけば落下してしまうような危険もないだろう?」
「助かりはしますが、その必要はないかと思われます」
ほう?大きく出たな。
毎年負傷者が出るらしいので強制的に前に出れないような防壁でも張ろうかと思ったが、タスクはその必要が無いと言い出したのだ。
少なくとも今回は街の住民達を抑えるアテがあるように見える。
苦笑しながらタスクは言葉を続けてそのアテを説明する。
「ノア様御自身がその防壁になるでしょうから」
…そういうことか。
そもそも、今の私はリガロウとウチの子達を従えてこの場にいるのだ。一般人では近づきたくても近づけないだろうな。
つまり、私自身は窮屈な思いをすることなく船がこの場に停泊する様子を確認できるというわけだ。
嬉しい限りである。
これも私が周囲から魔王と対等の存在と知らしめられているがため、もっと言うなら私が神々の寵愛を受けていると周知されているためか。
本当に、こういう時は役に立つな。ありがたく恩恵にあずかるとしよう。
どうせならシャーリィやジョージ達も一緒にここで交易船団を迎えようと思ったのだが、タスク曰く彼等は冒険者ギルドの地下訓練場で試合形式の稽古をしているらしい。
かなり鬼気迫る様子でジョージを引き連れていたそうで、ジョージも断るに断れなかったそうだ。
日課として街を巡回している最中にシャーリィ達に出会って確認したらしい。
その際に私が港で交易船団を眺めていると伝えたそうだが、それでもシャーリィの意思は揺るがなかったそうだ。
「いやぁ、殿下も災難ですねぇ。シャーリィ様、すっかり触発されてしまったようですよ?」
「貴女は付き合わなくて良かったの?」
「正直迷いましたよ。殿下の様子を見守るか、それともノア様と船団の様子を眺めるか。正直、特等席じゃないですか。ちょっと怖いですけど」
タスクが仕事のため立ち去った後、私の隣に滑るようにしてイネスが現れて声を掛けてきた。
私の両肩にはいつも通りレイブランとヤタールがいるのだが、イネスもやはりシャーリィと同様敢えて気にしないようにしているようだ。この娘達はそんなに怖くないぞ?
「や、無理ですって。だってその方々、ただでさえとんでもなく強い筈のリガロウ様よりも、ずっと強いですよね?」
ほう。イネスはウチの子達の強さの片鱗に気付いたというのか。
魔力や"氣"の制御は問題無く違和感のないように隠蔽できている筈なのだが、それでもイネスの前では実力を隠し通せないらしい。
「その方々のリガロウ様に対する態度が、完全に上位者のそれというか…」
しまった。
どれだけ上手く実力や力を隠せてたとしても、態度や振る舞いである程度の立ち位置は理解できてしまうじゃないか。盲点だったなぁ…。
リガロウは既に人類よりも強い存在として魔大陸の人間達から認められつつある。そんなリガロウがウチの子達にはかなり畏まった態度を取っているのだから、人間達からウチの子達がどのように見られるのか、少し考えれば分かる筈だったのだ。
少なくとも、イネスからはウチの子達は1体1体が得体のしれない圧倒的強者として映っているのだろう。
〈ボク達、いつも通りにしてただけなんだけどなぁ…〉
〈私達がいつも通りの態度だろうと畏まった態度だろうとリガロウが態度を変えてたら意味が無いよ。でも、あの子にもっと私達に気軽に声を掛けても良いよって言っても、あの子はそれを素直に聞けないでしょ?〉
だろうな。
リガロウは自分とウチの子達との実力差を理解できているため、今の態度を変えることなどできようもない。私と直接戦うような稽古ができないのと同じ理由だろう。
無理をしてウチの子達と対等でいるような振る舞いをさせても大きなストレスとなってしまう。そんなことを認められる私ではない。
この問題に関しては諦めた方が良さそうだな。
元々私はウチの子達の自慢をしたかったのだ。
リガロウよりも凄い子達が私にはいる。それを存分に知ってもらうとしよう。
「まぁ、今はそれで良いにしておこう。そのうち慣れるさ。この子達の毛並みは最高だよ?」
「はぁ…。ノア様以外の方が触れられるのでしょうか…?あまりにも恐れ多いというか…」
「ルイーゼは遠慮なく撫でまわしてたね」
「………」
分かっているとも。私が言っているのは要するに世界最高峰の地位を持つ者でようやく触れられるようなものだと。だからそんな目でこちらを見ないでくれ。皆で見つめ返すぞ?
だが、ルイーゼでなくともウチの子達には触れていたし撫でてもいたのだ。いつかは怯えることなく触れられるようになってもらいたいものだ。…ルイーゼやエイダ、グレイ以外は遠慮がちに触れていた者達ばかりだったが。
「そんなことより、かなり近づいて来たみたいだよ?そろそろ道具を使わなくても目が良い人なら小さく見えるころじゃないかな?」
「あの…もしかしなくても、さっきからずっと見えてたんです?」
イネスは私がずっと交易船団を見続けていたとは思っていなかったようだ。視界に収まる時をずっと待ってたと思っていたらしい。
私の視力を舐めてもらっては困るな。
私は"楽園"の境界上空からニスマ王国の国境を確認できるぐらいは視力があるぞ?ティゼム王国に関して言えば遮蔽物さえなければティゼミアはおろか"白い顔の青本亭"や冒険者ギルドが肉眼で確認できるのだ。
何もない水平線ならば、数時間で到着するような距離にある交易船団の姿を確認するぐらい訳もないのである。こちらに全速力で近づいているならば尚更だな。
「もしかしなくても、今日この場所に来た時からずっと見えていたよ。私の視力が良いのは教えていなかったかな?」
「ひゃー…。すんごいですねぇ…。いえね?ノア様のことですからとんでもない視力をしてるんだろうなぁ…とは思ってはいたんですよ?ですが、まさかそこまでとは…」
考えてみれば、私の視力を把握している人間はそれほどいないような?
人間で私の視力を詳しく知っているのは、イダルタに勤める大騎士・シェザンヌぐらいだろうか?
デンケンも多少は私の視力を把握しているだろうが、彼が想像する以上に私は遠くのものが見えたりするからな…。
「それなら、覚えておくと良いよ。私は物凄く視力が良いんだ」
「物凄く良いのって視力だけじゃないですよね?嗅覚とか聴力とかも物凄く良かったりしますよね?」
するぞ。
嗅覚も聴力も、ついでに言うなら味覚も触覚も優れている。おかげで私は様々な出来事を余すことなく体験できている。
まぁ、どの程度優れているかをいちいち細かく言う必要はないだろう。軽く頷いて肯定だけしておこう。
「そろそろキャメラを構えておいた方が良いんじゃない?良い記事ができそうだよ?」
「言われるまでもありませんね!周りから邪魔をされる心配もなさそうですし、絶好のシャッターチャンスですもの!」
さて、イネスがキャメラを取り出して撮影に集中するようだし、私も『収納』から紙と色鉛筆を取り出すとしよう。
交易船団やデンケンの勇士を紙に描き写すのだ。
私には既に船団だけでなくデンケンの姿も表情も見えているからな。
雲や海鳥の様子を見て天気を確認する様子や船員達に指示を飛ばす様子、それからこちらを見据える様子も、全て余すことなく描くとしよう。出来上がったら本人にプレゼントだ。勿論、私用に保存もする。
タスクはデンケンが無類の女性好きとは言っていたが、正直それが悪いことだとは私には思えない。
船長として、提督として船団を指揮しているデンケンが格好良く見えるのも原因の1つだろうな。
というか、デンケンは実際のところ異性からモテるのではないだろうか?
少し気になったので、イネスに尋ねてみるか。
「イネス、デンケンってイネスから見て魅力的に見える?」
「デンケン提督ですかぁ…。あの方、能力はべらぼうに高いのですが、すんごいスケベで男性と女性で露骨に態度を変えるんですよねぇ…」
「そうなの?私やタスクやオスカーには変わらない対応だったみたいだけど?」
意外な事実である。
しかし、イネスがそう言う評価を下すのが普通なほど態度が変わるというのなら、以前タスクやオスカーが警戒したのも無理はないのか?
しかし、私への態度がタスクやオスカーとそう変わらなかったのは何故だ?
「そりゃあ、ノア様に無礼な態度なんて取ったらどんな目に合うか想像つかないからじゃないですか。ノア様だったらあの船団とか軽く薙ぎ払えますよね?」
「ああ、怒らせてはいけない相手だと理解していたから、下手な態度は取れなかったと?」
「そういうことです。あの人、私の場合だったら平気で体に触ろうとしてきますからね?躱しますけど」
この様子だと、イネスは以前デンケンに取材をしたことがあるようだな。取材を受ける条件として食事や酒の席にでも誘われたのだろうか?
「まぁ、そんなところです。酔わせて色々するつもりだったんでしょうが、返り討ちにしてやりましたよ!」
デンケンも酒の強さには自信があったようだが、イネスはその上を行っていたようだ。
しかし、その場合、少し懸念要素が出てくるな。
「イネス、タスクは貴女が"イネスに変装している怪盗"だって思われてるわけだけど、その辺りはどうするの?このままデンケンと会ったらややこしいことになりそうだよ?」
「ご心配なく!対策は考えていますとも!」
流石は余を騒がせる怪盗。このまま呑気にデンケンに取材でもするつもりだったようだが、何やら考えがある様子。
ならば私が気にする必要は無さそうだ。
イネスとデンケンについて話し合っていると、周囲に人の気配が増えてきた。
既に視力が良い者でなくてもその姿が確認できる距離まで交易船団は近づいてきている。
そんな船団の姿を一目見ようと、街の住民達や観光客が大勢この辺りまで集まり出してきたのだ。
しかし、私の周囲は相変わらずスッキリとしたままだ。私から2mほど離れた位置で人だかりができている状態である。それ以上前に出ようとする者が1人もいない。
タスクが言った通り、私が上手いこと防護壁になっているようだ。
「窮屈な思いをしなくて助かるよ」
「ノア様って以前船を見た時は最後尾から尻尾で高さを稼いでみていたんですよね?」
「うん。後になって住民達に気付かれて物凄い勢いで謝られたのが、この街に来た時の始まりだったね」
ああいった騒ぎがあったからこそすぐにタスクと出会えたし、そのおかげでオスカーを任せてもらえたような気がする。今となってはいい思い出だ。
お、デンケンが前回と同じく船員達に指示を出した後モーダンの街並みを眺め出した。
どうやら去年の私との約束を覚えているようで、私がこの街に来ていないか探しているらしい。
探しているのならば知らせてあげよう。
指向性を持たせた光をデンケンに向けて照射し、それとなく視線をこちらに向けさせるのだ。
なお、照射する光はデンケンのいる場所まで問題無く届くが、デンケンの眼球にダメージを与えないような都合の良い魔術の光だ。失明の心配はないし、指向性を持たせているため、こちら側にいる者達には何が起きているのか分からない。
〈それじゃあ皆、こちらを向いたあの人間に視線を合わせよう〉
リガロウとウチの子達に指示を出して全員一斉にデンケンに視線を送るとしよう。
さぁ、お望み通り私の姿を見せてやるぞ!
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