第586話 静かな夜の過ごし方

 風呂屋は貸し切りというわけではないので、当然浴槽には私やフウカ以外の利用客もいる。

 そしていくら広い浴槽とは言え無限に広いというわけではないので当然浴槽に浸かれる人数には限界がある。


 なにが言いたいかといえば、遅れてきた者達が入れるスペースがないのだ。

 いや、無いことはないのだが、折角広々とした浴槽だというのに窮屈な思いはしたくないだろうからな。

 彼女達が広い浴槽を楽しむためには何人かが浴槽から上がる必要がある。


 私としても彼女達と共に入浴を楽しみたい気持ちはあるが、私もフウカも浴槽に入ってから結構な時間が経っている。

 この風呂屋が私の立てた風呂屋だからと言って他者に浴槽から出ることを強要するつもりはない。


 一度浴槽から上がらせてもらおう。


 「よろしいのですか?」

 「フウカ。この風呂屋の施設はお湯を張った浴槽だけではないだろう?」

 「どこまでもお供致します」


 風呂屋に設置してもらった施設には温水浴場だけでなくサウナと呼ばれる蒸し風呂という施設も用意されている。魔王城にも設置されていた施設である。

 浴槽に浸かるのではなく、蒸気の籠った高温の部屋に篭るのが蒸し風呂だ。

 体全体を温め、血行を良くして体の毒素や老廃物の排出を促す効果がある。

 また、蒸気によって体に付着した汚れをふやかして湯で洗い流すのも目的の一つとされている。


 正直汗をかいたことのない私には必要のない機能なので魔王城で暮らしていた時には利用していなかったのだが、それでも人間にとっては娯楽になり得る施設であり、マコトも設置を推奨していたので設置させてもらった。


 なお、蒸し風呂に入った後は汗や汚れを湯で流し、水風呂に入るのがサウナの楽しみ方だとマコトは語っていた。

 なんでも温まった体が急激に冷やされるのが気持ちが良いのだとか。


 多分だがアレだ。風呂上がりの冷たい飲み物と似たような感じだ。

 ホテル・チックタックでも風呂で体を温めた後に入ったプールは非常に気持ちよかったからな。大体はアレと同じなのだろう。

 見たところ水温はコチラの水風呂の方が低いようだが、サウナによって上昇する体温も通常の風呂よりも高そうだからな。この方がバランスが取れているのかもしれない。


 急激な温度変化に人間が絶えられるのかどうかは少々疑問が出るところだが、私は勿論、フウカも問題無く耐えられるのだろう。

 一度体の水分を飛ばしたら、早速サウナを体験させてもらうとしよう。


 

 やはり体が温まってからの水風呂というのは気持ちの良いものだな。魔王城で体験しなかったのが少々悔やまれるところだ。


 仕方がないのだ。

 ルイーゼがサウナをあまり好んでいなかったし、アリシアがアレだったからな。

 それに、ウチの子達がサウナを楽しめるような体質には思えなかったというのもある。


 で、初体験のサウナだったのだが、蒸し風呂だけでは私にはまるで効果が無かった。

 あの程度の温度変化では私には全く影響がなかったのだ。

 フウカは宣言通り私が蒸し風呂から出るまで一緒にいるつもりだったようだが、私に合わせたらどう考えても健康を害してしまう気がしたのでフウカの健康状態を参考に蒸し風呂から出るようにしたのだ。


 特に暑いとは感じていなかったが、体自身はしっかりと温まっていたようで、その後入った水風呂は本当に心地よかった。

 クセになる心地良さとはこういうものを言うのだろう。


 「ああ…。[ととのう]というのは、こういう感じなのですね…」

 「私にはよく分からないけど、その状態になりたくて蒸し風呂に入る客もいるみたいだね」


 蒸し風呂と水風呂を交互に入って3回目。今までとは明らかにフウカの様子が違っていたのだが、どうやらサウナでしか得られない快感を得ているようだ。

 今のフウカが得ている快感は、私が得ている温まった後の冷たさを得る快感とはまた別の快感らしい。


 なお、やはり急激な体温変化は体に大きな負担を掛けることになりそうだったので、フウカには水風呂に入る前に少しずつ水風呂の水を掛けて体を少し水に慣れさせてから水風呂に入ってもらった。


 そんな私達の様子を見てシンシアやクミィがサウナと水風呂を体験したそうにしていたのだが、幼い体で蒸し風呂と水風呂に入るのは少々危険らしく、エリィとジェシカに止められていた。


 「前にも言ったけど、もうちょっと大きくなるまで待ちなさい。私も一緒に我慢してあげるから」

 「むぅー。ノア姉チャンもフウカ姉チャンもすっごい気持ちよさそうにしてるのに…」

 「サウナってとっても美容に良いって聞いたわ!ちょっとでいいから入っちゃダメ?」

 「クミィちゃんは入らなくても十分綺麗だから入る必要はないのよ」


 2人共子供の扱いが上手いな。

 ジェシカは実の妹だからというのもあるが、エリィも問題無くクミィを納得させているのには感心させられた。


 冒険者は皆が皆善良とは限らないからな。

 冒険者ギルドの受付嬢をやっていれば、横暴な冒険者の対応をする時もあるのだろう。

 そんな横暴な冒険者達への対応もエリィはそつなくこなしているようだし、それと比べれば子供の相手などどうということはないのかもしれない。


 が、世の中には粗暴な冒険者よりも子供をあやす方が大変だという意見もあるので、クミィが聞き分けの良い子だっただけなのかもしれないが。


 私もフウカも十分にサウナを楽しんだ。

 浴槽に浸かっている利用客も減っているようだし、今度こそ皆で入浴を楽しむとしよう。



 風呂から上がったら定番の冷たい飲み物だ。

 私は普段良く冷えた手製のリジェネポーションを飲んでいるが、今回は風呂屋で販売しているフルーツミルクを購入させてもらった。


 初めてカンディーの風呂屋で飲んだ時と変わらない、甘酸っぱさとまろやかさが絶妙に絡み合った良い味だ。これで人気が出ないわけがないな。

 正直なところ、シンシアもクミィも、この時間が1番好きなようだ。


 「ぷっはぁ~~~!やっぱ風呂上がりにはよく冷えたフルーツミルクだよな!何度飲んでもうんっっっまいぜ!」

 「シンシアったら行儀が悪いわ!上の口にフルーツミルクが付いておひげみたいになってるじゃない!」

 「はいはい、飲み終わったら口元をぬぐいましょうねぇ~」


 クミィはシンシアの上唇の上にフルーツミルクが付着していた点を指摘していたが、実を言うとあの子もシンシアのことを言えていなかったりする。

 が、それを誰かに指摘される前にフウカが2人の口元を拭ってしまった。なかなかの早業である。


 フウカが動かなかった場合、シンシアとクミィで口喧嘩が起きていたかもしれないし、そうなってしまったら周囲の客の迷惑にもなっていただろう。良い判断だった。


 フルーツミルクを飲み終わって周囲の利用客を眺めていると、エリィから声を掛けられた。


 「ノア様。こんなに素敵なお風呂をこの街に用意して下さり、本当にありがとうございました」

 「どういたしまして。尤も、素敵な風呂屋になったのは王都の風呂屋、ひいてはその王都の風呂屋を今の状態にしたマコトのおかげだよ」

 「マコトって、あの英雄"ウィㇲテリア"ですよね?王都のお風呂屋さんって、あの方が建てたんですか?」

 「いや、彼が無類の風呂好きでね。彼の友人が風呂屋の経営者だったのさ。で、友人を助けるついでに自分の願望をかなえるためにアレコレと様々な施設を作ったらしいね」


 マコトも自分が楽しみたいがために友人を利用したつもりなのだろうが、結果的に多くの人々を、特に友人であるカンディーを喜ばせている。

 王都ではカンディーが吹聴しているからか結構有名なエピソードなのだが、ティゼム王国の最東端ともなるとあまりそういった話も伝わってこないようだ。


 「初めてノア様に出会った時は、ノア様とこうしてお風呂上がりの時間を堪能できるだなんて夢にも思っていませんでしたよ」

 「それはそうだろう。その時の私は風呂という単語すら知らなかったんだよ?」

 「学習能力高すぎですって…」


 自慢になってしまうが、覚えたり取り込んだり応用したりというのは得意だからな。

 以前はそういった能力の片鱗を少し見せただけで取り乱していたのをよく覚えている。今となってはお互いにいい思い出だろう。


 流石にエリィも慣れたのか、あの時のように取り乱したり声を荒げて注意するようなこともなくなっている。

 …諦められたとも言うが。


 「まぁ、大陸中でとんでもないことやらかしまくってますし、私がノア様に注意してたことなんてホントちっぽけな内容だったんだなぁって…」

 「おかげで私は常識というものを早い段階で学べたんだ。感謝しているよ」

 「あ…っ!…ふぅ…。久々にノア様に撫でられると、一気に蕩けちゃいそうになりますねぇ…」


 感謝の気持ちを込めてエリィを優しく撫でさせてもらったのだが、風呂に入っていた時以上に力の抜けた表情をしてしまっているな。

 あの時と比べて私の撫でテクはかなり上達したと自負している。これまで様々な相手を撫でてきたからな。仮にエリィが身構えていたとしても蕩けさせていた自信はあった。


 「あー。エリィ姉チャン良いなー。ノア姉チャン!オレのことも撫でてー!」

 「ちょっと!アンタだけ狡いわよ!ノアさん、撫でるなら私も!」


 おやおや。子供達まで撫でて欲しいと言い出して来るとは。

 勿論撫でさせてもらうとも。洗料でサラサラのツヤツヤになった髪を撫でさせてもらうとしよう。



 シンシアとクミィを撫でていると、いつの間にか2人共眠ってしまっていた。

 それだけ気持ちよかったのだろう。

 シンシアにはジェシカがいるし、帰路が同じなので何も問題無いが、クミィはどうしたものか。

 彼女の家の場所は知っているが、そうなるとシンシア達と一緒に帰るのはかなり遠回りとなってしまう。


 それに、今はクミィを私が抱きかかえているのだが、この子をおろしたらすぐにでも目が覚めてしまいそうな気がするのだ。


 「それなら、火照った体を冷ますついでに夜道の散歩と行きましょうか。今なら最強のボディーガードもいてくれることですし」

 「エリィはこう言ってるけど、ジェシカはどう?」

 「勿論賛成です。ちょっとぐらい遅くなっても大丈夫だって両親も言ってくれましたしね」


 ならば、クミィは全員で家まで送り届けよう。途中で起こしてしまわないように、静かに夜の街並みを眺めながらだ。


 夜に街を出歩いたことが無いわけではないが、こうしてじっくりと街並みを観察する機会はめったになかった。

 正直、とても新鮮な光景に見える。


 この光景も絵にしたいところだが、今はクミィを家に送り届けるのを優先しよう。

 絵は、部屋に戻ってから描けば良い。私の記憶力ならば見ながら描かずとも部屋に戻った後に記憶を頼りに絵を描くことだってできるのだ。


 クミィを無事家まで送り届けた後は、その場で解散となりそれぞれの住まいへと戻っていった。


 "囁き鳥の止まり木亭"に戻ったら、ジェシカはそのままシンシアを部屋に寝かせるようだ。

 風呂へ行った時点で娘達の宿の手伝いは終わっていたらしい。ここからはジェシカも自由時間のようだ。


 と思ったら違った。

 今度はジェシカ達の両親であるトーマスと女将が風呂へ行ってくるようだ。ジェシカは2人が帰ってくるまで留守番である。


 「本当はシンシアも一緒に留守番するんですけどね。ノア様と一緒にお風呂に入れたのがよっぽど嬉しかったんでしょうね。いつも以上にはしゃいでいました」

 「嬉しいことに、その辺りはクミィも一緒のようだね」


 気持ちが高ぶっていつも以上にはしゃいでいたのは間違いないのだろうが、それ以前にあの子達は私が気持ちよくなるように撫でていたのが原因の一つだと思う。


 「ジェシカも撫でようか?少なくとも、妹を寝かしつけて1人で留守番をやり切ろうとしてるんだから、とても偉いよ」

 「すっごく魅力的だけど、遠慮しておきますね。ちょっと気を抜いただけで寝ちゃいそうですものもの。頭を撫でてくれるって言うなら、両親が帰って来て私が寝る時になったらにしてもらって良いです?」

 「勿論」


 現在宿のカウンターには私とジェシカしかいないため、非常に静かだ。

 それこそ、風呂で体の芯まで温まり火照った体を夜道の散歩でゆっくりと冷ましたおかげで、実を言うとジェシカもかなり眠そうにしている。

 こんな状態で彼女の頭を優しく撫でたら、すぐに眠ってしまうだろう。


 ジェシカの留守番を完遂させるため、私は部屋で描く予定だった夜の街並みを、この場で描き上げることにした。

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