第585話 イスティエスタのお風呂
一度"囁き鳥の止まり木亭"に戻りシンシアとジェシカの2人と合流してから風呂屋へと向かうことにした。
風呂を気に入っているからか、それとも私と出歩けるからなのかシンシアは非常に上機嫌である。
少し後ろからシンシアの様子を愛おしそうに眺め得ているジェシカの様子を見るに、普段はここまではしゃぐようなことはないようだ。
やはり普段会えないような親しい者達と一緒に風呂に入れるのが嬉しいのだろう。
なお、シンシアは放っておくと全速力で風呂屋まで走り出してしまうので私が手を繋いでいる。
尻尾で持ち上げたり抱きかかえても良かったのだが、彼女は現在洗面用具を手にしている。宙吊りはともかく、抱きかかえるには適さない状態だ。
私が洗面用具を『収納』に仕舞っても良かったのだが、どうやらシンシアは自分の洗面用具がお気に入りのようだ。できることなら手放したくないらしい。
そう言うわけで、シンシアは現在私の手に繋がれてゆっくり歩いるのである。
なお、私の洗面用具は『収納』に仕舞ってある。
途中でフウカやエリィとも合流して最終的には一緒に風呂に入ろうと誘った者達全員で風呂屋まで移動することとなった。
ちなみに、リガロウとウチの子達は"囁き鳥の止まり木亭"の外で待機中だ。
リガロウは当然として、姿を消しているとはいえあの子達を風呂に連れて行く場合、不審な点が必ず出てくるだろうからな。
フウカにはフレミーを紹介してしまっているし、気にしてしまう可能性もある。
あの子達を風呂に入れてやれないのは心苦しいが、少しの間我慢してもらうとしよう。
なに、どうしても風呂に入れたくなったのなら人のいない適当な場所に転移して簡易的な風呂場を作ってしまえばいい。風呂を作るノウハウは既にあるからな。
さて、風呂屋にやってきたのは良いのだが、看板に巨大な私の絵が張りつけられているのはどういうことなのだろうか?
誰に言うでもなく巨大な私の絵を指差してみると、ジェシカが呆れたような口調で答えを教えてくれた。
「なに不思議そうにしてるんです?資金から具体的な構造や技術まで提供して土地の問題も解決してくれたんですから、この街の風呂屋は実質ノア様が建てたようなものじゃないですか」
「つまり、この風呂屋は私の風呂屋だってこと?」
「ここだけじゃなくてこの街で建設されてる風呂屋全部です。要求すれば風呂屋の儲けの半分近くを回収できますよ?」
ジェシカの回答にシンシアとクミィ以外の全員が当然とばかりに頷いている。
まぁ、少なくとも目の前の風呂屋は繁盛しているようだし、明日にでも街の代表に要求すれば利益の何割かを譲ってくれはするのだろう。
尤も、私は利益を回収する気など微塵も無い。
折角大量に得た金を人間達に還元したというのに余計に増えて戻ってきてしまっては、更に金を消費しなくてはいけなくなる。
どうせならその金でこの街をより清潔にしてくれればその方がずっと良い。
風呂屋の利益を受け取ったとしても、どうせ同じような目的で私は金を使用するだろうからな。
そもそも私の資金は高位貴族の全財産ほどとは言わないが大量にあるのだ。
欲しい物は自分である程度制作できてしまえるせいか、私はあまり金を稼ぐという考えに至らない。
金貨や銀貨の輝きは確かに美しいが、他のドラゴン達はともかく、それらを山にして寝そべりたいという願望も私にはない。金も銀も作ろうと思えばいくらでも作れるからな。
どうせ囲まれるのなら色とりどりの草花やモフモフな動物に囲まれたいものだ。そしてその願いは、既にほぼ叶っていると言って良い。
私が人間達に求めるのは、金銭よりも知識や技術に加えて貴重な体験と言ったところか。そう、丁度今みたいに親しい者達との入浴の時間などもその1つだな。
いつまでも風呂屋の前で立ち尽くしていたら邪魔になってしまう。
そろそろ私も中に入るとしよう。
風呂屋の中に入ると一斉に視線が私に集中した。
コレ自体は珍しいことではないので気にすることもないのだが、女性客の大半が一斉に私に感謝の気持ちを伝えてきた。
言葉としてではない。拝むようにして感謝の思念を送ってきたのだ。
かろうじて信仰心にはなっていないようだが、正直ほぼ信仰心と言って良いほどの思いだ。流石にほんの僅かにだが怯みかけた。
それだけのことを私はやった自覚は、先程のジェシカの説明で理解していたつもりではあったのだが、まさかこれほどとはな。
1件だけでコレだというのなら、他の建設中の風呂屋が完成したらどうなってしまうのだろうな?
一度教会に足を運んで私を神として拝まないように頼んでみるか?
いや、既に私は複数の神々から寵愛を受け取っていると知られている身だ。
教会に訪れたらどのような反応をされるか分かったものではない。
後でこっそり手紙でも置いておくとしよう。無色透明の幻でも向かわせれば問題無く可能だ。
なお、感謝の感情を送っているのは女性だけでなく男性もだ。
彼等も風呂でなければ得られない快感を覚えたらしい。風呂上がりの男性客が良く冷えたエール酒を喉に勢いよく流し込んでいる。
実に幸せそうな表情である。風呂屋を建設した甲斐があるというものだな。
ああいう表情はいくら見ても飽きがこない。これからもああいった表情が絶えないようしてもらいたいところだ。
ただでさえ視線を集めていたのだが、脱衣所に入り服を脱ぐと、なおのこと視線が集まってきた。というか、同行した者達まで私に視線を向けている。
こちらを見ていないで早いところ服を脱いだらどうなのだろうか?風呂は服を脱がなくては入れないぞ?
現状で服を脱ぎ終わっているのは、私との入浴経験があるフウカだけである。
「皆様ノア様の美しさに圧倒されているのです」
「魅了では無く圧倒?」
「はい!威風堂々としていて正しく王者と呼ぶにふさわしき御姿です!私も今にも跪いてしまわないように集中しております!」
威風同道ねぇ…。
私に威厳というものはあまりないと思っていたのだが、人間達から見るとそうでもないらしい。
それはそれとして、彼女達をこのままにしておくわけにもいかないし、彼女達にもさっさと服を脱いで風呂に入れる状態になってもらおう。
いつものように極少量の魔力を込めて両手で一拍すれば、反響した音の効果もあり脱衣所にいた全員が正気に戻ったようだ。
「さ、固まってないで早いところ風呂に入ろう。先に行っているよ?」
「ノア様、お供致します」
「あー!ノア姉チャン待ってー!」
「こらシンシア!ちゃんと服は脱ぎなさい!」
「なんか…フウカさんの様子がいつもと違うような…?気のせいかな…」
そうそう。浴場に来るのならしっかりと服は脱いでからな。
エリィがなかなか鋭い洞察力を発揮して現在のフウカが私の配下として行動している様子に違和感を抱いたが、違和感の正体までは分からなかったようだ。
私としては隠すつもりはないのだが、フウカとしては秘密にしておきたい情報らしく、黙っておくことにした。
どうやらフウカは耳飾りを付けたまま風呂に入るらしい。
水に濡れた程度で品質が下がったりする品ではないが、片時も外したくないようだ。気に入ってもらえたようでなによりである。
「ノア様から下賜していただいた褒賞なのです。生涯身に付けたままでいようかと…」
「私としては、今後もフウカに色々と物を送るだろうし、それ以外の耳飾りを付けたところを見たくもあるんだ。なんなら、後で別の耳飾りを渡そうか?」
「…からかわないでください…」
かなり本気なのだが?
しかし、耳飾りを新たに作って渡そうにも褒賞として渡さないとなかなか受け取ってくれないだろうな。
風呂屋建設のための金銭管理を始めとした雑用なんかに対する報酬は彼女の店兼家に風呂を設置することで済ませてしまっているし、どうしたものか…。
ああ、そうだ。少々割に合わないかもしれないが、エリィの自己肯定感を高めてくれた褒賞として渡してしまおう!
私と一緒に風呂に入る気のなかったエリィが今はこうして風呂場に来てくれているのだ。これは間違いなくフウカの働きによるものである。
今度の耳飾りは…宝石を使うとしよう。
透明度の高い石だ。ついでに内部にプリズマイトの粉末でも不均一に入れておこう。
耳飾りの製作は別に風呂場で行っているわけではない。イスティエスタから少し離れた場所に幻を出現させてそこで作っている。
流石に風呂場で渡したら不審極まりないので、風呂屋から出た後にでも渡しておくとしよう。
ついでに今の耳飾りを付けている姿と新しい耳飾りを付けたフウカの似顔絵を様々な角度で描いておくとしよう。
魔王国でルイーゼやアリシアの絵を描き始めてからというもの、写真の撮影気分で気に入った光景を絵にしている気がする。
しかし、仕方のないことなのだ。絵を描くのが楽しくて仕方がないのだからな。
おそらく、明日チヒロードに向かった際もやはり同じように気に入った光景を絵にするのだろう。当然、船旅の光景も間違いなく絵に描くと思う。
描いた人物画はすべてモデルになった者に渡しているが、当然自分用にも保管してある。
いつかは私が掻いた絵を1つにまとめた画集でも作ってみるのも悪くないかもしれないな。
まぁ、世の中に出そうとしたら写真集以上に騒ぎになりそうだし、家の広場か"黒龍城"内に用意するだけに留めた方が良さそうではあるが。
私とフウカが体を洗い終わり浴槽に体を沈めた頃、ようやく風呂に誘った他の皆が風呂場に入って来た。あれからまだ服を脱ぐのに手間取っていたらしい。
「エリィ姉チャンがなかなか服を脱がないから時間が掛かったんだよ。ノア姉チャンの背中流そうと思ってたのに…」
「尻尾に乗っかって洗わせてもらうつもりだったわ!エリィさんのせいで台無しよ!」
「いや、だって色々と触ろうとしてくるから…」
なるほど。自己肯定感は高まったようだが、羞恥心までは解決できなかったか。
それ以前にシンシアやクミィがエリィの体に興味を持っていたのが原因のようだが…。
「そりゃーねー。そんだけピチピチしたお肌を見せられたら触りたくもなるわよ?同い年だってのに何でこうも違うのかしらね?冒険者達から化粧品でもプレゼントされてんの?」
違った。
エリィの体…というか肌質に興味を持っていたのは同い年のジェシカの方だった。
肌の質が自分と違うことに不公平さを抱いているようだが、原因はなんとなくわかる。
どちらも屋内で仕事をしているわけだが、片や事務仕事で片やウェイトレスだ。
どちらが体を動かし、そして汚れやすいかなど、仕事の内容を知っていれば言わずもがなだろう。
なお、エリィが冒険者達から人気があるとジェシカも知っているため、彼等から貢がれた何かが原因だと思ったようだが、そうではない。
「違うわよ。大体、あの人達にそんなオシャレな考えができると思う?」
「容赦ない意見だけど、まぁ無理よね」
去年まで悪臭と汚れを周囲にまき散らし、それを何とも思っていなかった連中なのだ。多少の衛生観念は身に付いたかもしれないが、彼等に化粧品という言葉は頭に思い浮かばないだろうな。
受付嬢にプレゼントしようと考えるなら、入手難度の高い花か精々が宝石ぐらいなものだろう。
エリィもジェシカも、それを理解しているためかなり辛辣な意見となっている。
しかし流石は人気の受付嬢に人気ウェイトレスだ。経済的に余裕があるのだろう。
一般人ではなかなか手が出せないような高価な洗料を惜しげもなく使用している。
見ればクミィも同じ洗料を使用しているな。彼女の家も裕福なのだろうか?
いや、考えるまでもないか。
あの年齢でフウカに名前を覚えられるほどにフウカの服飾店を利用しているのならば、間違いなく裕福な家庭なのだろう。
「はい。クミィちゃんの御両親は商業ギルドのやり手職員だったり役所の役員だったりしますから」
どちらもエリートということだな。
片方が商業ギルドの職員ならば金銭の管理も問題無いだろうし、これで裕福でない方がおかしいのだろう。
私達が風呂の湯に十分浸かった頃、エリィ達も体を洗い終わり浴槽に来たのだが、このままでは入れ違いで浴槽から出ることになってしまう。
それでは風呂に誘った意味が無くなってしまうので、私はもう少し湯に浸かっておこうと思う。
「お供致します」
私はどれだけ湯に浸かっていようとも影響は出ないが、フウカはそうはいかない。
のぼせないようにね?
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