第558話 乱痴気騒ぎ

 エクレーナの試合開始の合図と共に、両社が同時に床を蹴って肉薄する。

 ラビックに話しかけた貴族の身体能力は屈強な肉体の見た目を裏切らず、魔族の中でも上位の身体能力だ。単純な筋力で言えばジービリエでリガロウが戦った狩人よりも強い。


 勿論、技量や戦闘スタイルによって多少の身体能力の差は容易に埋まる。

 リガロウの対戦相手は真っ向から殴り合うのが得意な戦闘スタイルのようだ。あの子が迫って来る勢いに動じることなくしっかりと足を踏みしめて右拳を突き出した。

 対するリガロウも同様に後ろ足を踏みしめて右前足をを突き出す。指は力強く握り締めて拳を形作っている。

 あの子もこの催しに倣って拳での殴り合いを行うつもりのようだ。噴射加速や後ろ足、尻尾を使う気配がない。


 互いの拳がぶつかり合い、強烈な衝撃波が発生する。

 足を止めた両者が次に行ったのは、その場でノーガードでの殴り合いだ。互いの拳が互いの顔面や胴体に叩き込まれていく。

 というか、アレはどちらもわざと受けているな。力比べに加え、我慢比べといったところか。

 同時に殴り合っていた筈が、いつの間にやら交互に殴り合うようになっていた。


 どういうわけか殴られた方は相手を見据えて得意げな笑みを作っている。リガロウもだ。

 最初に思っていた試合と何だか様式が変わってしまっている気がする。アレで良いのだろうか?

 どちらも楽しそうにしているのは間違いない。だからそれで良いのかもしれないな。


 私から見ると異様な光景に見えるのだが、他の者達はそうは思っていないようだ。声を張り上げて両者に声援を送っている。

 私とて血沸き肉躍る戦いは望むところだが、そこはやはり技量も含めた真っ向勝負が望ましい。わざと攻撃を受けるのはあまり好きではないのだ。


 もう何度殴り合ったことだろうか。リガロウの渾身の拳が相手の顔面に綺麗に叩き込まれる。

 まともに受けた貴族は大きく仰け反ったものの、後ろに倒れることなくリガロウを見据えてやはり得意気に笑ってみせた。


 しかし、限界が近いのだろう。足元はおぼつかず、体がふらついている。

 なんとか踏ん張り、拳を振り上げて突きを放とうとしたのだが、体が付いて行かずに前のめりに倒れだした。


 「……見…事…!」

 「勝者!リガロウ!」


 エクレーナが勝者の宣言をし、後に続くようにリガロウが勝利の雄叫びを上げている。その雄叫びに周囲も歓声で答えている。

 リガロウの勝利を見事と思うのは確かだが、倒れる最後まで相手に向かって行こうとするあの貴族の気概も見事だと思う。どちらにも称賛を送りたい気分だ。


 両者の身体能力はほぼ互角だった。そして技量も互いに引けを取らなかった。リガロウも貴族も、殴り合っている最中にそれを理解したのだろう。

 そこで勝負の内容をどちらがより相手の攻撃に耐えられるかに変更したようだ。


 しかし、この勝負は圧倒的にリガロウが有利だった。

 相手の貴族にも自然治癒能力があったようだが、リガロウの自己再生能力には及ばなかったのだ。現に勝利の雄叫びを上げているリガロウは特にふらついた様子はない。


 いや、先程まではかなりのダメージを受けていたのだ。しかしこの短時間でリガロウの受けたダメージは回復してしまっているのだ。回復力の差で勝敗が分かれたのである。


 さて、リガロウの勝利を宣言したエクレーナなのだが、そのままあの子の顔に触れて撫で始めた。そしてその手は次第に位置を変え、次第に腕で首を囲うような体制になる。


 「リガロウ殿。実に見事な戦いぶりでした」

 「クゥー?ありがとうございます!」

 「早速ですが、次は私とやりましょう!」

 「グキャッ!?」


 流れるような動作で勝負を挑まれたのである。審判役を買って出たのは、真っ先に勝負を挑むためだったようだ。

 リガロウはタンバックで1日だけとは言えエクレーナと共にラビックの稽古を受けている。そのため彼女の実力がよく分かっているのだろう。

 勝ち目のない相手に勝負を挑まれ、困惑しているのだ。


 「大人げないわねぇ…。小さい子相手に全力で仕掛けなけりゃいいけど…」


 三魔将という役職に就いている者がそこまで大人げなくはないだろう。離れて先程の試合を見ていたフラドールとザリュアスが悔しそうな表情をしているのは、気のせいだろうか?

 いや、気のせいじゃないな。エクレーナに先を越されたことに憤っているようだ。


 「さぁ、遠慮はいりません!全力で掛かってきてください!すべてこのエクレーナが受け止めましょう!折角だから"氣"も使って見せて下さい!互いに稽古の成果を見せ合おうではありませんか!」

 「グ、グクルゥ…ッ!よ、よろしくお願いします!」


 エクレーナは自分からリガロウに仕掛ける気はないようだ。ただあの子と戦ってみたいという気持ちはあるようで、あの子の攻撃に反撃するような形で戦うのだろう。


 今度の審判はザリュアスが務めるらしい。この催しはまだまだ続くだろうからな。次は彼が戦うつもりなのだろう。


 「始めぃっ!!」


 試合開始の合図と同時にリガロウが駆け出す。宣言通り、エクレーナはリガロウの攻撃を受け止めるつもりなのだろう。


 先程の試合ではリガロウは"氣"を用いてはいなかった。純粋な身体能力での殴り合いだ。そもそも相手の貴族に"氣"を扱えなかったからな。それではフェアではないと考えたのだろう。


 しかし今回の相手は共にラビックから"氣"の扱いの指導を受けたエクレーナだ。遠慮せずに"氣"と魔力を融合させて全身に纏い、爪カバーを付けた右後足で蹴りを放つ。

 リガロウは、ラビックからの稽古を受けながらルイーゼからも稽古を受けていたのだ。"氣"と魔力の融合の指導もされていたのである。尤も、部分強化はまだできないのだが。


 対してエクレーナは不敵な笑みを浮かべて"氣"を集中させた右腕でリガロウの蹴りを受け止める。

 彼女はまだ"氣"と魔力を融合させられないようだが、"氣"を1ヶ所に集中させることはできるようだ。


 「…お見事です。あの短時間で良くぞそこまでの技を身に付けられました。しかし!」

 「グガァッ!」


 エクレーナが右腕を振り払うと、リガロウの体が吹き飛ばされる。

 細身の女性の姿をしているエクレーナではあるが、その身体能力は魔力や"氣"の強化無しでリガロウよりも上だ。そんな彼女が大量の"氣"を纏わせれば、"氣"と魔力を融合させたリガロウの身体能力を上回るのである。


 「私も魔王国の武の筆頭の1つ!簡単に超えられるつもりは御座いませんよ!」


 更に吹き飛ばされたリガロウに肉薄し、追撃を仕掛けるようだ。

 その追撃を大人しく受けるリガロウではない。爪や鰭剣きけん以外は制限をする必要がないと判断したようで、噴射加速を解禁したのである。


 「むっ!」

 「グルルォーーーッ!!」


 リガロウが"氣"と魔力を融合させて噴射加速を行うのはこれが初めてだ。普段の速度と感覚が変わるので、扱いきれないかもしれないと懸念したのだが、その心配は必要なかったようだ。

 あの子はとりあえず頭部の角で体当たりを試みたのである。ぶつかるだけならばそれほど技量は必要ない。


 体当たりが直撃したエクレーナは、防御こそ間に合いはしたものの衝撃を殺しきることはできなかったようだ。

 リガロウを称えながら今度は彼女が吹き飛ばされる。


 「素晴らしい!その幼さでこれほどの"氣"と魔力を扱えるとは!そしてその力!その速さ!将来が楽しみで仕方がありません!」

 「グォオーーー!!くぅらえーーーーーッ!!!」


 更に吹き飛ばされたエクレーナに向けて追撃のドラゴンブレスを放出する。

 このドラゴンブレスにも"氣"を融合させているため、本来ならば凄まじい威力を発揮するだろう。

 少なくとも、"ドラゴンズホール上層"に生息する若いハイ・ドラゴン達のドラゴンブレスよりは威力が高い。


 「よろしい!ならば私も!かぁあああああっ!!!」


 エクレーナは紫電の性質を持たせた魔力の奔流を放ってドラゴンブレスを受け止めるようだ。リガロウの放出したブレスの勢いに見劣りしない魔力の奔流が、彼女の突き出した両手から放出される。

 2つの奔流がぶつかり合い、先程の試合の最初に発生した衝撃波とは比較にならないほどの衝撃波が発生した。


 今更ではあるが、エクレーナが試合を行うにあたってフラドールが周囲に強固な結界を張っている。

 おかげで試合で発生している余波が周囲に行き届くことはないのだ。

 結界を張ることに集中しているため、フラドールはまともに動くことはできそうにないが。

 まして今は強力な力の奔流がぶつかり合った際の衝撃を抑えているのだ。苦悶の表情で結界を維持している。


 そんなフラドールの傍にウルミラが幻を出現させ、彼に声を掛けた。


 〈ねぇ、結界張るの大変でしょ?変わろっか?〉

 「え?へっ!?ほぁあっ!?」


 話しかけられるとは思っていなかったからか、はたまた会話が可能だと思っていなかったからか、どちらにせよ、フラドールは盛大に驚いてしまっている。うっかり結界が解除されそうになるほどにだ。


 エクレーナはウチの子達が思念による会話が可能なことを知っている筈だが、他2人に伝えていなかったのだろうか?


 〈あ、ゴメン。びっくりさせちゃった?ちょうどいいから後はボクがやっとくね?この後戦うんでしょ?魔力も体力も温存しとかなきゃ〉

 「あ…ありがとうございます……」


 解除されかかっていた結界をウルミラが即座に張り直し、フラドールを労っている。

 なお、このやり取りを認識できている者は私とルイーゼ以外にはいない。

 皆試合に意識が集中してしまっているし、ウルミラはこっそり行動するのが得意なのだ。ラビック達も気付いていない。いや、今気づいた。


 〈ウルミラ?〉

 〈あの人大変そうにしてたからねー。それに、後で戦うんだから万全の状態になっててもらった方が良いでしょ?〉

 〈そうですね。その通りです〉


 ウチの子達は可愛くて良い子だなぁ。歌っている状態でなければ沢山撫でて褒めてあげたいところだ。


 「ホント、気配りできて良い子ねぇ。今から撫でてあげようかし…ハイハイ分かってますって。抜け駆けはしないわよ」


 そうだぞ。抜け駆けは良くないぞ。ルイーゼは私が歌うのを止めるまで傍にいてもらうのだ。



 当たり前の話ではあるが、勝負はエクレーナが制した。

 リガロウの噴射加速は凄まじいが、速さならばエクレーナも紫電を纏った高速移動が可能なのだ。

 彼女の場合、リガロウよりも速度がある上に小回りまで効くため、終始圧倒されたままだった。


 しかし、得るものの多い試合だった。

 あの試合を経てリガロウは全力で"氣"と魔力を融合させた戦いができたし、その状態での噴射加速も存分に行えたのだ。


 全てを出し尽くしたうえでの敗北に、リガロウも納得しているのだろう。ラビック達の元に戻ると、満足げな表情をして眠りについてしまった。


 勝利したエクレーナも非常に満足気である。

 とはいってもリガロウに勝利したことに対する満足ではない。むしろその逆で、彼女はリガロウの実力が自分の想像を超えていたことに満足しているのだ。

 勿論、勝利したことに関しては喜ばしいと思っている。こちらに、というかルイーゼに顔を向けて手を掲げながら勝利を報告しているようだ。


 そんな勝利の余韻に浸っているエクレーナの肩に、1羽の大きなウサギが音もなく、気付かない内に乗っている。


 〈エクレーナ嬢、お見事でした。貴女に"氣"の扱いを指導したこと、間違いではなかったようですね〉

 「っ!?は、ははぁっ!今日の私があるのは、貴方様のご指導の賜物でございます!」


 そう。皆が可愛いと思っているウチのラビックである。

 元よりリガロウとエクレーナの試合が終わったら次は自分が参加しようと思っていたのだろう。

 〈では、次は何をするか、分かりますね?〉

 「は…はい…お、お手柔らかにお願いします……!」


 エクレーナはラビックの実力を十分に理解しているので、これから自分がどのような目に遭わされるのか、大体予想がつくのだろう。緊張した様子で答えている。


 〈では、始めましょうか。あの時の稽古の続きと参りましょう〉


 やる気満々である。

 別にリガロウの仇を取るつもりだとか、そういうことではない。純粋にエクレーナ…いや、三魔将達に稽古をつけたいのだろう。


 〈エクレーナ嬢の次は貴方です。準備はしっかりとしておいてくださいね?〉

 「えっ!?俺っ!?」

 〈フラドール殿は結界を張っていたことでやや消耗していますからね。十全に戦うには少し休憩が必要でしょう。魔王国の武の筆頭の実力、しかと見せて下さい〉

 「は、はい…」


 ラビックはこの機会に三魔将全員と戦うつもりなのだろう。そしてウルミラはそれが分かっていたからフラドールに変わって結界を張ることを申し出たのだ。


 「ラビックちゃんってかわいい見た目と丁寧な喋り方とは裏腹に、戦うことが凄く大好きよね…」

 「そうだね。それと、ウチの子達の中では1番強くなることに貪欲だと思うよ」


 戦うことが好きなのはホーディも同じなのだが、向上心がより高いのは間違いなくラビックの方だ。

 上を目指してあの子は戦い続ける。相手が強者と分かれば戦わずにはいられないのだ。


 まぁ、あの子は加減が分かる子だから、一方的に相手を痛めつけるような戦い方はしないだろう。

 あの子自身も稽古の続きと言っていたし、三魔将の実力を確認すると同時に鍛えるつもりでもあるのだ。

 多分、明日以降のあの子の自由時間の予定は、リガロウと三魔将への稽古となるだろう。


 頑張りなさい、三魔将。



 三魔将が3人共疲労困憊といった様子で横たわっている。全てを出し尽くしてなおラビックに叩きのめされたからだ。

 当然だがラビックはまったく息を切らしていないし無傷のままだ。前後の両足にも鎧足は発生していないので全力も出していない。


 既にバーティ会場は静寂に包まれている。ラビックの実力を目の当たりにして唖然としてしまっているのだ。


 そして私も歌を歌うのを止めている。この催しも、そろそろ終わりで良いだろうからな。仕上げを行うとしよう。こういった催しには、最後に特大のイベントが付きものだろうからな。


 「ちょっと体を動かして来るよ」

 「ほどほどにしときなさいよね?」


 分かっているとも。

 床に降り立ち、パーティの参加者の中で消耗してしまった者達に治癒魔術と魔力供給を行う。これで力比べや強さ比べに試合を行っていた者達も全回復だ。


 全員の視線が私に集まり、感謝の念が送られてくる。

 だが、それはもう少し待って欲しい。私だって体を動かしたいからな。


 「さて、皆が盛大に楽しそうに戦っていたから、私も体を動かしたくなった。遠慮はいらないよ。全員で掛かって来なさい」


 この場にいる全員を相手取ることでこの催しの締めくくりとしよう。

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