第553話 当たり前が幸せ
部屋から出れば、既に膝蹴りのダメージから立ち直っていた宰相が頭を下げた状態で待機していた。
幻とは言え結構な威力の膝蹴りだと思ったのだが、大した回復力である。
「フッ、耐久力や回復力にはこのユンクトゥティトゥス。多少の自信があります故…」
「もうちょっと強めにいっとくべきだったかしら?」
「できますかね?今のその御姿の陛下に」
「…この格好の私にはできないわね」
宰相もまだまだ甘いな。何に膝蹴りを叩き込まれたのか良く思い返してみれば、今のような失言はしなかっただろうに。
「そうでしょうともそうでしょうとも。そのような御姿で激しく動こうものなら折角のドレぶぅ!?」
「幻には関係ないわよね」
「ちょ、ルイーゼ。いくら何でも顔面は…」
「ふ、不覚…!」
頭を下げていたから、当て易かったんだろうな。
部屋から叩き出した際に放った膝蹴りは顎に打ち込まれたが、今回は鼻頭に叩き込まれている。大抵の者はこれで顔面が潰れてしまうだろう。
あまりの容赦のなさにアリシアがルイーゼを咎めているが、ルイーゼはまったく悪びれた様子がない。
「平気よ。さっきコイツ自身が言ってたでしょ。無駄にタフで頑丈なのよ」
「だ、だからって…」
「ご安心ください巫女様。この程度軽く受け止められなければ、魔王の補佐という重役を務めてなどおりません」
顔を上げて自分の無事を伝える宰相の顔は、まったくの無傷だ。
膝蹴りを受けた直後は負傷をしていたかもしれないが、瞬時に回復しているのである。
「流石ですね、宰相殿。ですが、パーティ会場では既に皆様方の登場を心待ちにしているでしょうからお戯れもその辺に」
「ですね。さ、皆様方。会場まで引率させていただきましょう。どうか、私の後に」
エクレーナに促されて宰相が移動するが、若干焦っている。
彼は何かとルイーゼやアリシアをからかいたくなるのだろう。移動中も彼女達をからかっていれば、その分パーティ会場に到着するのが遅くなる。
エクレーナはそれを危惧して宰相を促したのだ。
当然、三魔将であるエクレーナの言葉でも、彼女が言葉だけで促していたら宰相は素直に受け入れるつもりはなかったのだろう。
エクレーナは自身の周囲に微弱な紫電を纏っていたのだ。
これ以上時間を浪費するようならば強硬手段も辞さない。そんな気配が彼女から感じ取れたのだ。
ここで宰相が素直に言うことを聞いていなかった場合、彼に強烈な電撃が振る舞われていたことだろう。
冷や汗をかいている辺り、本気でエクレーナを怒らせたくはないようだ。
「宰相は電撃に対しては強くないの?」
「まぁ、普通の打撃なんかよりはダメージが大きいわね。でも、そういうことじゃないわ」
「というと?」
「単にエクレーナが加減できないってだけよ」
ああ、そういうことか。
かなり強烈な打撃を与えていたように見えたルイーゼの制裁は、何だかんだで宰相が問題無く耐えられる威力だっただけのようだ。
そしてエクレーナの場合、加減が効かずに仕事に支障が出るほどのダメージを負ってしまうと。
それは従うしかないな。私が見る限り、宰相は仕事自体は真面目なのだ。ただ、余裕がある時にルイーゼにちょっかいを掛けるだけである。
それからというもの、宰相は私達にちょっかいを掛けてくることはなかった。
エクレーナが目を利かせているという理由の1つだ。おかげでスムーズにパーティ会場に到着した。
既にパーティは始まっているらしく、賑やかな声が既に私の耳にも入ってきている。
ついでに美味そうな香りも伝わってきているので、今から何を食べようかウチの子達やリガロウと共に考え中である。
私達が会場に入る前に、宰相が近くの使用人に私達の到着を告げる。
「皆様方、大変長らくお待たせいたしました。本日は我等が魔王陛下の87回目の誕生日となります。そして、それと同時に『黒龍の姫君』ノア様の御来訪日となります。御二方が会場に御入場でございます!」
声を拡大させる魔術具を用いてパーティ会場全体に私達の到着が伝われば、パーティの参加者達全員がこちらに視線を集めた。
まずは引率をしている宰相がパーティ会場に入場し、私がルイーゼと並んで後に続く。レイブランとヤタールは私の両肩だ。
その少し後ろにアリシアがウルミラとリガロウに囲まれながら入場し、更にその後ろに私達の衣装を着付けたエクレーナ達が続いている。ラビックはウルミラの背の上だ。
全員宰相に目が入っていないな。
まぁ、彼は私達がパーティ会場に足を踏み入れた時点で横に逸れたので当然とも言える。ついでに気配も希薄化させているので、彼に注目する者は個人的に彼に強い思い入れがあるような者だけだろう。
そして先程までの賑やかさが嘘のようにパーティ会場に静寂が訪れた。
全員が息を飲んで私達の姿に見惚れてしまっているのだ。
彼等の大半は先程まで飲み食いしていたからか料理を盛りつけられた皿や酒を注がれたグラスを手にしていたのだが、誰1人として食器を落とさなかった。見事としか言いようがない。
いやしかし凄いな。
なにが凄いって並べられている料理の数々がだ。
これまで私が巡った街で振る舞われた料理や食材は勿論、それ以外にも目を引く料理が山のように机に並べられている。
意外だったのはレイブランとヤタールだ。
あの娘達の場合我慢できずに料理の元まで飛び出してしまうかと思っていたのだが、私の予想とは裏腹に私の肩の上で大人しくしているのだ。
尤も、飛び立ってしまわないように彼女達には魔力の紐で私の体と繋げているので飛び立たれても問題はなかったが。
〈食べたいけど我慢するわ!〉〈今は私達の姿を見せつけてやるのよ!〉
私の両肩に止まる2羽のカラス達は胸を逸らしてとても誇らしげだ。
パーティの参加者達が私達全員の容姿に魅了されているのが嬉しいようだ。
ルイーゼと共に会場内を歩き、会場の中央に到着したところでルイーゼが足を止める。このばでパーティの参加者に挨拶をするようだ。
「みんな、今日はこうして私の誕生日を祝うために集まってくれてありがとう。こうして今年も盛大な誕生日パーティを開けるのは、偏にみんながこの国に尽くしてくれているからだと思っているわ。この会場に並べられている料理や果物、飲み物はみんなの頑張りの証といえるでしょう。これだけの豊かさをこうして甘受できることに、多大な感謝を。さぁ、今日は盛大に食べて飲んで楽しみましょう!」
ルイーゼが挨拶を終えると、我に返ったように参加者達が盛大な拍手を行いだした。勿論、食器等を手にしていた者達は一度食器を机に置いている。
挨拶が済んだのならもう遠慮をする必要もないだろう。机に並べられた豪華な料理の数々を楽しませ…ってルイーゼ、肘で脇腹を小突かないでもらえないだろうか?
痛みはないし特に体が揺さぶられる訳ではないがくすぐったい。というか、何かを最速するように彼女は私に視線を送っているのだが、ひょっとして私も何か挨拶をした方が良いのだろうか?
〈当たり前でしょうが!むしろここにいる連中みんなアンタの言葉を聞きに来てんのよ!短くていいからなんか言ってやんなさい!〉
というわけで、美味そうな料理は少しの間お預けだ。望まれているようなので、私からも彼等に対して言葉を紡ぐとしよう。
「つかぬことを聞くけど、貴方達は今、幸せかな?」
私が声を出した途端、先程までの盛大な拍手がピタリと止み、パーティ会場が再び私達が入場した時のような静寂に包まれた。
幸せかと参加者に尋ねれば、彼等は静かに首を縦に振り、肯定の意思を示してくれた。
感情を読み取れる私には分かる。彼等の意思に偽りはない。彼等は心から幸福を感じている。
「私も幸せだよ。この国をルイーゼと共に見て回って、改めてそう思ってる」
私の言葉に対して返答はない。皆、ウチの子達やリガロウまでも静かに私の言葉を聞いている。
「この国は良い国だ。誰もが雨風を凌げる家の中で就寝し、清潔な衣服を身に纏い、毎日暖かい食事を食べられる。平民、貴族問わず誰もがだ」
私がこの国を見て回った限りでは、この国に貧困に困るような者達は1人としていなかった。
職に炙れるような者もいなければ、悪意を持って誰かを害そうとする者もいない。互いに互いを助け合っているのだ。
そこに種族の違いは関係ない。互いの得手不得手を熟知しているからか、苦手なことは特異な種族に遠慮なく任せるのだ。
「この大陸の人間達の国を見て回ってつくづく思うよ。この国での当たり前が、どれだけ難しく、そして凄いことなのか」
大国であるティゼム王国やファングダムですら、魔王国のように誰もが充実した生活を送っているような国ではなかった。
贅沢な食事を残して捨てるような者がいる裏で1日1回の食事も満足に取れない者がいた。
人間達からすればそれが当たり前であり、誰もが衣食住が充実した生活を送れる魔王国の方が異常なのだろう。
「楽園。私はこの国を巡り歩いて、素直にそう思ったよ。この国は楽園だ。この国で生活できることそれ自体が、幸せなことだと思う」
別に大魔境の、私の領域である"楽園"を指しているわけではない。
肯定的で調和的、平和と繁栄、そして幸福で満たされているという本来の意味での楽園だ。
私がこの国を楽園と口にしたため驚いた様子でこちらに意識を向けているが、落ち着いて欲しい。
この国を私の領域に加えるとかそう言った意味ではないから。
ルイーゼの腰を抱いて私に引き寄せよう。
「そんな素敵な国で精一杯の歓迎を受け、こうしてルイーゼと親友になれたし、誕生日パーティにも招待された。私は、それが嬉しくてならない。もう一度言うけど、私はとても幸せだよ」
突然私に抱き寄せられて驚き恥ずかしそうにしているが私は気にしない。ついでにアリシアも抱き寄せさせてもらうとしよう。尻尾で手繰り寄せればすぐである。
そう言えば私の姿を見ただけで気絶してしまっていたため、アリシアと触れ合うことが無かったな。
抱き寄せた途端、彼女は体を跳ねるように仰け反らせて意識を手放しそうになるが、そこは私と密着している状態だ。気絶などさせるつもりはない。
ティゼム王国の巫女であるシセラに施したことのある感情の操作…は禁呪に近いため、ユージェンが良く使用していた感情抑制魔術を魔術構築陣を隠蔽した状態で使用する。
魔術は上手くいったようで、私と密着しても気を失っていない様子に、アリシア自身が不思議がっている。彼女と目を合わせてウインクをしておこう。後で説明をしてあげるのだ。
「今日は更にこうして新たな友人も得られた。これもまたとても嬉しいことだ。今回の旅行は本当に得るものが多かった。沢山の思い出をありがとう。さて、話は変わるけど皆も知っているように、私は美味い食事が好きだ。今もこの会場に立ち込める匂いに、そろそろ辛抱堪らなくなってきていてね。挨拶はこれぐらいで良いだろう。皆で盛大に食事を楽しもう」
私が話を終えると、ルイーゼの時と同様に拍手で称えられるのかと思ったのだが、その予想は外れてしまった。
拍手ではなく歓声が巻き起こったのだ。
全員全力で声を上げているためか凄まじい音量だ。空気の振動で机に置かれた食器類までもが振動している。
ルイーゼに視線を送って原因を尋ねてみよう。
「なんでって…。そりゃ、今回の歓迎は大成功だったってアンタ自身が証明したからでしょ?みんなこの日のために頑張ってたんだから、それが報われれば喜ぶに決まってるじゃない」
そういうことか。だが待って欲しい。
歓迎が大成功だとルイーゼは言うが、私はまだ家に帰るつもりはないぞ?何日かはこの魔王城で生活させてもらうつもりだ。
まさか、駄目とは言わないよな?
「良いに決まってるでしょ?大体、今日だけでこの城でやりたいこと全部できると思ってるの?」
「無理だね。私も、ここにいる皆も」
「分かってんじゃない。みんなアンタにしばらくこの城に止まってもらう気満々よ?そもそも、大成功とは言ったけど、今日で歓迎が終わりってわけじゃないんだからね?」
それを聞いて安心した。今日のパーティも含め、もうしばらくの間、この魔王国をルイーゼと共に楽しめそうだ。
さて、挨拶の終える際にも言ったが、そろそろウチの子達やリガロウも限界のようだ。勿論、私も限界だ。
山のように並べられた豪勢な料理の数々、存分に楽しませてもらうとしよう。
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