第539話 ただ、ここに来てくれただけで
風呂も出て良く冷えたリジェネポーションを飲んだらぐっすり眠って次の日。
相変わらず私は最後に目を覚ましたようだ。宿の外では既にラビックがリガロウとエクレーナに稽古をつけている。
風呂上がりの恒例、良く冷えたリジェネポーションはエクレーナにも非常に好評だった。
魔族にも風呂上がりに良く冷えた飲み物を飲む文化が無いわけではなかったのだが、それは良く冷えた炭酸の酒を飲んでいたかららしい。初代新世魔王であるテンマが好きだったそうだ。
多くの魔族から慕われていたテンマが行っていたことだからと、皆風呂上がりには冷たい酒を飲む習慣が付いたらしい。
そのため、風呂上がりには酒というイメージが付いてしまい、酒以外の飲料物を飲む風習ができなかったようだ。
エクレーナはそれほど酒を飲むタイプではなかったため、風呂上がりに何かを呑むようなことは無かったというわけだ。
「火照った体に冷たい飲み物が行きわたるこの快感…!私は、100年以上もこの快感を…っ!」
ちなみに、他の三魔将は酒が好きなのか風呂上がりに良く冷えた酒を飲むのが日課になっているらしい。
自分の同僚は随分と前からこの快感を知っていたと分かり、大分悔しそうにしていた。
「まぁ、落ち着きなさいって。ノアから直接教えてもらったんだから、それ自慢して留飲を下げときなさい」
「それもそうですね!私は直!接!ノア様から手渡されていますからね!これほど自慢になることもそうないでしょう!」
本人が納得しているようだし、私から特に何かを言うことは無さそうだな。
この場合、彼女以外の三魔将に直接リジェネポーションを手渡さない方が良さそうだ。
「そもそもあの2人は酒好きだから、必要ないわよ」
「エクレーナから自慢されたら欲しがりそうじゃない?」
「そりゃあ、欲しがるでしょうけど、自分からねだるようなことはしないわよ。エクレーナがそうだったでしょ?」
と言うわけで、三魔将との付き合いで特に心配することはないのである。
話を戻して朝の稽古だ。エクレーナも参加してラビックから指導を受けている。
昨日の夜に引き続き、"氣"の扱いを習得するための稽古だ。今は"氣"を体に纏わせての組手を行っている。
〈集中が途切れかけていますよ?気を引き締めて下さい?〉
「ぐっふぅっ!?す、すみません…!」
朝食前ではあるが、エクレーナの鳩尾に思いっきりラビックの前足が沈み込んだ。
アレは痛いというよりも苦しいだろうな。もしも朝食を食べていたら戻していたかもしれない。
私から見たら優しく小突いたようにしか見えないというのに、"氣"を纏わせていたためか、非常に強い衝撃がエクレーナの腹部を襲っている。
防護するには彼女も腹部に"氣"を纏わせなければならなかったのだが、ラビックの指摘した通り集中が途切れてしまったのだろう。腹部に纏わせていた"氣"が霧散しかけていた。
「あ…あわわわわ…だ、大丈夫…です…?」
「し、心配いりませんとも…!私とて三魔将の1人…!この程度で根を上げたりなどは…っ!」
エクレーナの苦悶の表情があまりにも辛そうに見えていたのだろう。リガロウが心配そうにしている。
心配をさせまいと何とか気丈に振る舞ってはいるが、足が震えてしまっているな。アレでは余計に心配されるだろうに。
なお、エクレーナは三魔将と言うだけあって本来ならば高い自然治癒能力を持っているのだが、"氣"を纏った突きを受けたせいかその治癒能力を阻害されてしまっているようだ。
〈さ、リガロウ。エクレーナ嬢の心配をしている場合ではありませんよ?凌ぎ切って見せなさい〉
「グギャッ!?」
勿論、リガロウも同じ稽古を受けている最中なので、本来ならばエクレーナに構っている場合ではない。
あの子にとっていつの間にか自分の尻尾の付け根に乗っていたラビックから声を掛けられてとても驚いている。
あの子の尻尾の可動範囲を考えると、尻尾での迎撃は不可能だな。良い位置に乗ったものである。
今回は"氣"を纏わせた状態を維持させる稽古のためか、ラビックは迎撃こそ認めているものの相手に回避をさせる気が無いようだ。
その場で軽くリガロウの尻尾の付け根を踏みつけた。その反動で跳躍し、あの子達の正面に着地している。
「ンッッッギュウッ!!!」
〈集中を途切れさせなかったのは大変よろしい。ですが、練りが足りませんよ?それでは"氣"を纏わずとも突き破れます〉
「キュウ…」
ラビックに声を掛けられた時点で何をされるのか大体把握していたのだろう。尻尾の付け根に"氣"を集中させたのだが、凝固が足りなかったようだ。
尻もちを搗くようにして地面に倒れ込んでしまった。
リガロウもエクレーナも倒れ込んでしまっている様子を見て、ルイーゼが若干引き気味になっている。
「可愛い見た目で相変わらず厳しいわねぇ…」
「そう?むしろ優しいと思うけど?」
ラビックの手加減具合は完璧と言って良いぐらいだ。エクレーナは苦しそうにしているし、リガロウもなすすべなく地に伏せてはいるが、肉体のダメージで言うならば微々たるものだ。
朝食後はエクレーナは仕事があるだろうし、リガロウは次の街へ移動するために私とルイーゼを乗せて長距離を走ることになる。それらの行動に支障が出るようなことは一切していないのだ。
グラシャランの修業を考えれば、かなり優しいと言えるだろう。
「いや、今は朝食の前の軽い運動的なヤツじゃないの…?」
「なんにせよ、今までがこんな感じだったのだから、これからも同じように稽古をつけていくだろうね」
そもそもの話、ラビックの稽古の内容は今に始まったことではないのだ。
"氣"の習熟こそ昨日の夜から始めたことではあるが、稽古の厳しさに変わりはない。アレがラビックの基準なのだ。
「で、ルイーゼはそのままでいいの?」
「へ?あっ!?ちょっと、いつの間に!?」
ルイーゼのラビックに対する呟きに返答した辺りで私はウルミラの本体を撫でまわしている。ルイーゼが撫でていたのは『
今日も今日とてルイーゼはウルミラと遊んでくれていたのだ。そうしてあの娘を撫でまわしていたのだが、私も撫でたくなったのでこうして算入させてもらったというわけだな。
流れるような動作でウルミラがルイーゼの手元に幻を残し、私にすり寄って来た時には感激で声が出てしまいそうになってしまった。
ルイーゼからすると、本物そっくりの幻であっても、意識さえしていれば本物と明確な違いが分かるようだ。切実な声を上げている。
「うぁあああん…!ウルミラちゃ~ん!もっとナデナデさせてぇ~!」
〈いいよ!ご主人、ルイーゼ様のとこ行くね?〉
「いいよ。幻をコッチにくれる?」
私も幻と本体の区別はつくし、どうせだったら幻よりも本物に触れたいところだが、幻の触り心地が悪いわけではないのだ。
レイブランとヤタールがこの場にいてくれるのならば迷わずあの娘達を撫でるのだが、生憎とあの娘達は部屋でオーカムヅミの果実を堪能中だ。この場にはいないのである。
ウルミラは幻と自分の位置を『入れ替え』で即座に変更可能である。時間で交代させてもらうとしよう。
稽古も終り、朝食を済ませたらタンバックから出発だ。
今回は魔物の迎撃に対して歌による応援を行ったり炊き出し場で1時間ほど歌を披露したためか、ルイーゼから返礼の必要はないからそのまま街を出るようにと言われたのだ。
「良かったのかな…」
「ニアクリフだって絵画を渡して終わりにしてるでしょ?大体、毎回返礼を用意してなんて頼んでないからね?」
それはそうなのだが、不公平にはならないだろうか?
「つまんないこと気にしないの!むしろここで何か返礼を用意したらそれこそ不公平だって言われるわよ?いい?アンタがこの国に来てくれたこと、それだけで私達は嬉しいんだからね?」
その気持ちは何度も教えられている。だからこそ、彼等の気持ちに応えたいのだ。
「応えてるから。すんっごい応えてるから!いいから次の街に行くわよ!アンタに見せたいものは、この国にまだまだあるんだからね!」
そこまで言われては仕方がない。見送りに来てくれた街の住民達に別れを告げ、次の街に移動するとしよう。
なお、エクレーナとはここでお別れだ。彼女には昨日の戦闘の後処理と斃した魔物の解体作業が残っているからな。
急いで終わらせて魔王城に帰還し、改めて私を迎えるつもりだと言っていた。
意外なことに彼女の表情に名残惜しさはなく、それどころか期待に満ちた表情をしていた。
別れを惜しむ思いよりも、魔王城で私を迎えたい気持ちが強いようだ。
〈エクレーナ嬢、"氣"は生命のエネルギー。健康であることを心掛けてください。そうすれば、おのずと自身に宿る"氣"は成長することでしょう〉
「はっ!ご指導、ありがとうございました!貴方様の教えは、必ず同僚にも伝えます!」
朝の稽古の時点で、ラビックはエクレーナに満足のいく指導を行えたようだ。次に三魔将に遭う時には、全員"氣"を扱えるようになっているかもしれないな。
エクレーナとの別れの挨拶も済ませた。それでは、移動を開始しよう。
移動の途中、恒例のルイーゼからの修業を経て到着したのは、他の街よりも倍以上高さのある城壁に囲まれた街だった。
徹底して街の仲を見せないような作りになっているように見えるが、果たして今回はどのような歓迎を受けるのだろうか。
「遂に来たわね…!娯楽都市ヘルムピクト!どんな歓待をしてくれるか、見せてもらおうじゃない!」
期待に満ちた表情でルイーゼが語っている。歓迎の内容は、ルイーゼも把握していないのだろうか?
いや、それよりも今とても興味深い名前を言っていたな。
娯楽都市だって?それはつまり、あの巨大な城壁の中が娯楽に満ちているとでも言うのか?
「だって私だって楽しみたいんだもの。最初から知ってたら面白さが半減するどころじゃないでしょ?」
「それだけの娯楽が、あの中にあるんだね?」
自身に満ちた表情でルイーゼが頷く。ルイーゼの期待に対して、私は疑いの感情を微塵も持っていない。
真正面から歓待を受け止めようじゃないか。
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