第524話 明日に備えて練習しよう
私がルイーゼに歌の詳細を訪ねると、彼女は信じられないものを見るような視線をこちらに向けてきた。
両目を見開き、口を中途半端に開け、なんだか少し間の抜けたような表情に見えてしまう。
「誰が間抜け面よ!?ってそれは良いのよ!アンタ、本当に何で歌を知らないのよ…?図書館とかで辞書とかに目を通してなかったの…?」
「いいや?むしろ辞書は目を通す優先順位が高かったよ?ただ、そんな辞書にも私の記憶には歌と言う単語は無かった筈だよ」
本で目にした内容はしっかりと覚えている。単語であるならなおさらだ。
だから、私の記憶の中に歌と言う単語が無いのは確実だ。
私の頭に最初から備わっていた知識にも歌と言う知識はない。自分の頭の中に意識を集中しても、貨幣や潮に砂糖と言った知識のように歌の詳細が分かることは無かった。
私が歌を知らないという事実が真実だと分かると、ルイーゼはため息を吐きながらも詳細を説明してくれた。
「説明する前に一応確認しておくけど、アンタは詩は知ってるの?」
「それは知ってる。 心に感じたことを一定のリズムと形式にあてはめ、言葉で表したものだろう?」
「そうね。で、歌っていうのは全部が全部じゃないけど、その詩を音楽に乗せて言葉に出す行為のことを言うのよ」
「なにそれ楽しそう」
ただでさえ音を奏でるという演奏行為が楽しいのだ。そこに言葉を思うままに乗せたら、楽しくて仕方がないのでは?
しかし、楽しそうだからといきなり試すのは、少し勝手がわからないな。手本が見たい。
「ルイーゼ、何か歌って?」
「え?ここで?」
「ダメなの?」
歌を知っているのならルイーゼも歌を歌える筈だ。彼女に手本を見せてもらおうと思ったのだが、色良い返事をもらえなかった。
この場で歌うことに躊躇いがあるようだ。
「あのねぇ、こんな往来の場でいきなり歌いだす奴なんてふつういないわよ?」
「でも音楽団なんかは往来の場で演奏を始めたりするよ?」
「彼等はそれを生業にしてるからでしょうが!私がこんなところでいきなり歌いだしたら不審に思われるのよ!」
そういうものなのだろうか?
どちらかと言うと、この場にいる者達に自分の歌声を利かせることに羞恥を抱いているように見えるのだが…。
私の予想は図星だったようで、ルイーゼが顔を赤くしてこちらを睨みつけた。
「悪い!?別に得意でも無いものいきなり公衆の面前で披露できるほど、私は面の皮が厚くないの!」
「悪くはないけど、聞いてみたいと思ったから」
「…宿の部屋に着くまで待ってなさい」
人前で歌を披露する気はないらしい。
残念だ。私達のやり取りを聞いていた魔族達も残念そうな表情をしている。きっとルイーゼの歌を聞いてみたかったに違いない。
宿の部屋に着いたら披露してくれるらしいし、その時の映像を彼等にも見せようかとも思ったが、多分それをやったらルイーゼは怒るだろうから止めておこう。
しかし、良いことを思いついた。
この街に対する感謝の気持ち。歌にして返そう。
明日の朝にでも人が集まる場所で演奏をしながら、歌を披露するのだ。
そうだ、それが良い。そうしよう。
とは言え、何も言わずに実行したら多分ルイーゼが文句を言うだろうし、私としても初めての試みだから練習ぐらいはしておきたい。
一言ルイーゼに相談しておこう。
「って言うことなんだけど、練習に付き合ってもらって良い?」
「…もうやるのは決定なのね…。まぁ、良いんじゃない?きっとみんな喜ぶわ。でも、練習なんてどこでするつもり?部屋で防音結界を張るでもいいけど、狭くならない?あ、それとも例の『
「それに関して大丈夫。確かに『空間拡張』でもいいけど、もっと良い魔術があるから」
人目に憚らず、場所も気にせずに練習や訓練、修業を行える魔術。
そうだな、『
宿に到着して部屋に戻ったわけだが、夕食までの時間にまだ余裕がある。その間にルイーゼに歌を披露してもらおう。
『亜空部屋』で歌の練習をするのは、夕食の後だ。
「それじゃあ頼むよ。何か演奏しようか?」
「必要ないわ。そもそも、歌に使用される曲をアンタは知らないでしょうが。曲なら何でも良いってわけじゃないのよ?」
なるほど。
確かに、音楽に合わせて言葉を語るのであれば、適当な言葉を並べるわけにはいかないな。不協和音となってしまう。
「…笑わないでよ…?」
「笑わないよ」
一度、深く深呼吸した後、ルイーゼが口を開いて声を出す。
普段よりも張りのある、それでいて艶やかで透き通った声が私の耳に入ってくる。
「♪~~~♪ーーーー」
ルイーゼの声が綺麗なこともあり、とても心地良く思えてくる。
しかしそうか。演奏が必要ないと言ったのは、こういうことか。声がそのまま楽器のように曲を奏でている。
これが歌か。良い。実に良い。私もやりたくなってくる。
ルイーゼの歌を聞いていたウチの子達も皆感動して聞き入っている。
リガロウなど、目を輝かせてルイーゼに尊敬の眼差しを送っているほどだ。とても気に入ったのだろう。
当のルイーゼは目を閉じて歌うことに集中しているせいか、周囲の視線を気にしている様子はない。
歌い終わったら、盛大な拍手で彼女を称えよう。
あと、この感動を伝えるためにも抱きしめたいのだが、許容してくれるだろうか?ひとまず、今はルイーゼがくれたぬいぐるみを抱きしめて我慢しておこう。
ルイーゼが歌い始めてから3分31秒。閉じていた目を開いてこちらを見据えている。歌は終わりのようだ。
もう我慢する必要はないだろう。
ぬいぐるみを仕舞い、ルイーゼに抱き着く。力を入れ過ぎると苦しめて怒らせてしまうから、しっかりと加減してだ。
とても良い体験ができた。心の底からそう思う。
「ルイーゼ、ありがとう」
「あー…うん。まぁ、こうなるって何となく分かってたわ…。気に入ってくれたようでなによりよ」
目を閉じていても分かる。
ルイーゼが優しい表情をしてこちらを見ている。親愛の感情を向けてくれているのが分かるのだ。
そして右手で私の頭に手を乗せてそのまま優しく撫でてくれた。
至福だ。まさに至福の時間だ。
やはり、親しい者から頭を撫でられるというのはとても心地良い。心が満たされる。
勿論、愛おしい者達を愛でている時も心は満たされるが、それとはまた別種の幸せを感じるのだ。
歌がどういったものかは理解できた。ならば、後は明日の披露に向けて練習を重ねるだけである。
それはそうと、ルイーゼが歌い終わってから私は随分と彼女を抱きしめていたし、彼女から撫でられていたらしい。すっかり夕食の時間となっていた。
今回は夕食後に練習を行うため、酒は控えておこう。勿論、他の者達の飲酒を止めるつもりはないが。私に気を遣わず、好きなだけ飲んで楽しんでもらおう。
夕食を終えて部屋に戻ってきた私達は、明日に備えて歌の練習を行うことにした。
なお、私達が部屋に戻る際、他の客が非常に名残惜しそうにしていたのだが。
「明日の明朝、今日の歓迎に対する礼がしたい。これからその準備をするんだ」
そう伝えたらあっさりと引き下がってもらえた。それどころかなにやら感激している様子だった。
「みんなアンタからの見返りを求めていたわけじゃないのよ。それだって言うのにお礼がしたいなんて言って来たんだから、嬉しくなっちゃうのは当然でしょ?」
なるほど。つまり望外の喜び、と言うヤツか。
ならば、拙い物を披露するわけにはいかないな。気合を入れて練習しよう。
ところで、私はルイーゼの歌を聞いていた時に疑問に思ったことがある。
「ルイーゼなら、歌声に感情だけでなく魔力も込められたと思うんだけど、意図的にやらなかった?」
「…当たり前でしょうが。それやったらある種の魔法になるからね?少なくとも、明日の披露では絶対にやっちゃダメよ?」
やはりか。
魔力を乗せて声を発するだけでも少なからず現象が発生するのだ。感情を込めた歌声がそれ以上の効果を発揮するのは、至極当然のことだな。
そうと分かれば問題無い。練習では色々試したいので感情も魔力も込めるが、明日の披露では魔力を込めずに歌を披露するとしよう。
では、『亜空部屋』へと移動しよう。
「…で、コレは何なの?」
「『亜空部屋』。新しい魔術だよ」
『亜空部屋』に招待したルイーゼの反応は、『空間拡張』を使用した時と同じような反応だった。
訳が分からない、といった表情である。
「いや、場所が必要なら『空間拡張』…だっけ?アレで良いじゃない。なんで似たような魔術を身に付けてるのよ…」
「この魔術の凄いところはね。場所を確保するだけじゃないんだ」
『空間拡張』の場合、広げた空間に何かを設置したまま魔術を解除すると、空間内に設置した物はそのまま外に排出されてしまう。
対して、『亜空部屋』の場合は一度設置した物は状態が保存されるのだ。
「早い話、生物が入れる『格納』や『収納』と言った方が速いかもしれないね」
「…ちょっと見ない間になんてとんでもない魔術習得してんのよ…。少なくとも、飲み会やった時にはまだそんな魔術覚えてなかったわよね?」
「うん。そのあと開発した魔術だから」
「………」
魔術を開発した経緯をルイーゼに教えれば、いかにも呆れたと言わんばかりの視線をこちらに向けて来た。
そんな目でこちらを凝視しないでもらいたい。亜空間の認識は、アグレイシアに対抗するためにもやっておきたかったのだ。
「習得しようとする気持ちも分かるし、アンタなら開発できるとも思うわよ。ただ、それにしたって早すぎるでしょうが…」
「転移魔術や『空間拡張』を始めとした、空間に関係する魔術を先に開発して来てたから、そのノウハウが活かせたたんだろうね」
正直、最初から『亜空部屋』を開発しようとしても、途中で頓挫していたと思う。
亜空間を認識できたとしても、空間に関する情報が足りないのだ。魔法で強引に似たような事象を引き起こせたとしても、それを魔術に落とし込むことはできなかったと思う。
これまで私が辿って来た様々な要因が、巡り巡って『亜空部屋』を即座に完成させたのだ。そう考えると、これまで経験してきたことのすべてに対して感慨深くなる。
さて、『亜空部屋』に関してはもう良いだろう。歌の練習を開始しよう。
翌日となって歌の披露を予定していた広場にて。
昨日の夕食時に今日の予定を伝えた際、その情報はあっという間に街中に広まっていったらしい。
街の住民全員が集まっているのではないかというほど、大勢の魔族がこの場に集まっている。
披露、と言う言葉をしっかりと覚えてくれていたのだろう。私が佇めるだけの一定のスペースを開けてくれている。
彼等に対して挨拶をすれば、皆驚きながらも挨拶を返しながら互いの距離を取り合い、あっという間に広場に続く道を作り上げてしまった。
それだけの期待をしてくれているということだろう。
自分で彼等をここまで期待させたのだ。この期待を裏切る訳いかない。彼等に、精一杯の感謝の気持ちを伝えるのだ。
私達のために開けてくれていたスペースの中央に立ち、『収納』から楽器。巨大なピアノを取り出して地面に静かに置く。
巨大な楽器が出てくるとは思わなかったためか、大勢の魔族が驚くとともに感嘆の声を上げている。
だが、彼等を驚かせるのはここからだ。
歌うことが想像以上に楽しく、調子に乗って日付が変わってしまうまで練習を続けた成果。ここで発揮させてもらうとしよう。
練習に付き合ってもらったルイーゼからも、嫉妬の感情を向けられるほどのお墨付きをもらったのだ。自信をもって良い。私は彼等を喜ばせられると。
ジービリエの住民達への感謝の気持ちと、自然と共に生きる彼等に敬意を込め、私は鍵盤を叩いて前奏を奏でる。
魔族達が見守る中、彼等に私の歌声を届けよう。
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