第491話 夢中になり過ぎた時のために
私がイスティエスタで食べたハン・バガーで最も重要となるのは、やはりあの甘辛のタレだ。確か、照り焼きソースと言う名前だったか。
醤油と砂糖、そして塩味を持った料理酒と甘味を持つ料理酒、計4つの調味料を絶妙なバランスで配合して加熱することで完成するようだ。
そのための調味料はすべて手に入っている。後は実際にソースを作るだけだ。
問題があるとすれば、千尋のレシピの配合とトーマスの作ったソースの配合が同じとは限らないと言う点だ。
より正確な照り焼きソースのレシピは千尋のレシピなのだろうが、大昔にイスティエスタにハン・バガーセットを伝えた人物の照り焼きソースの味が千尋のレシピの味と同じとは、私は思えない。
そもそも、大昔の味をそのまま引き継がれているかどうかも謎である。
『真理の眼』を用いればその辺りの確認はすぐに済むのだが、それをやってしまうのなら、最初からトーマスにレシピを訪ねたりすればいいだけの話だ。
訪ねればトーマスは快く教えてくれるかもしれないが、私は彼の料理に敬意を払っている。彼からレシピを教わって再現させるのは、何かが違う気がするのだ。
ただの私の我儘なのだろうが、初めてあの料理を口にした時、私は自力で再現させたいと思ったのだ。
初めて口にした料理であることも、理由の一つなのだろうな。
とにかく、調理開始だ。皆に私が料理に引き込まれた原因の味を教えるのだ。
勿論、塩味は薄めにすることを忘れてはならない。食べられはするが、濃すぎる塩味をあの子達は好まないのだ。
しかし、そうなると甘味が強くなり過ぎるような気もする。
塩味と甘味のバランスが絶妙なのも、あの照り焼きソースの魅力なのだ。
ここは一つ、薄味にしたものと可能な限り再現させたもの、両方の照り焼きソースを作ってみるとしよう。
あの子達が食べられなかったら、私が食べればいいだけなのだ。
…そう言えば、リガロウは特に薄味にしなくても問題無く食べていたな。ラーメンも同様だ。
昼食に皆に振る舞ったラーメンは、皆の味覚に合わせて薄味にしたのだが、リガロウに食べさせたのは私が店で食べた味と変わらない味だった。
ラーメンだけではない。カレーライスやあの子に渡した私が作ったその他の料理も、私が食べるように作った料理なので人間達の料理と同じ味の濃さだ。
家の皆はヨームズオームを除き獣もしくは虫で、リガロウがドラゴンだからだろうか?
そう言えば、ヨームズオームも人間達が用意したパスタを問題無く食べていたな。それに、飲み会の時に提供した料理も私用の味付けだった。
…ヨームズオームには私と同じ味付けの料理を振る舞っても問題無いのでは?
うん、予定よりも多めに本来の濃さの料理を作っておこう。
料理も出来上がり、夕食の時間だ。皆には私が初めて食べた人間の料理を出すと伝えているので、楽しみにしてくれている。
そして、その料理がどのような料理なのかも私がティゼム王国から帰ってきた時に説明しているため、どのような料理なのか把握もしている。
「これがハン・バガーセットだよ。皆には随分と待たせてしまったね」
〈どれも美味しそうだわ!〉〈楽しみにしていたのよ!〉
―わー。宝珠で観たのとそっくりだねー!―
〈いただく際は、『
ハン・バガーに使用しているパティにはたっぷりと照り焼きソースが塗りたくられているからな。前足で持ち上げたり押さえたりしたら、前足に照り焼きソースが付着するのは避けられないだろう。
汚れてしまっても『清浄』を使用すれば済む話なのだが、風呂に入る習慣を身に付けたからか、皆非常に綺麗好きなのだ。汚れること自体をあまり好まない。
そこで役に立つのが『補助腕』と言うわけだな。器用なことに皆、自分の足だけでなく人間と変わらない手を発生させられるようになっているのだ。
そのおかげで、この子達はカトラリーの類が必要になる料理も問題無く食べられているのである。
私がハン・バガーセットを食べる時は毎回ポテトから食べているからか、皆もポテトから食べるようだ。
ポテト自体は油で揚げた細切りの芋に塩を振り撒いたただけのシンプルな料理だ。そのため、本来ならばポテト単体ならば皆にも食べてもらえていた。
しかし、だ。コレも私の我儘になるのだが、ハン・バガーとポテトが揃ってこそのハン・バガーセットと考えている私からすると、どうしても同じタイミングで口にしてもらいたかったのだ。
そしてそのポテトの感想は、かなりの高評価である。
〈この塩味…クセになるな!いくらでも食べられそうだ!〉
〈ちょっとサクッとした食感の後にホクホクしたのが来るのが良いよね!〉
〈酒が進みそうな味ですなぁ…!〉
〈お酒じゃなくても普通の飲み物でも美味しいよ!〉
―ノアー、おかわりー!―
お代わりを要求してくれるのは嬉しいのだが、できればハン・バガーを食べてからにしてもらいたいな。まぁ、要求されれば提供するけど。
いっそのこと、一つの大きな器に山盛りにして出してしまおうか?
山盛りのポテトを提供しようとしたところで、ホーディとウルミラがハン・バガーを食べ始めた。
どちらも口にしたのは本来の味の濃さの方だ。食べてしまって大丈夫だろうか?
〈ほう!コレは良いな!主が夢中になったのが良く分かる!〉
〈美味しい!ちょっと辛いけど、ボク、この味好き!〉
2体とも許容できる味の濃さだったようだ。特にホーディは辛すぎると感じることもなく問題無く食べられている。
今回のことで分かったが、皆の好みの濃さも、同じと言うわけではないのだな。
他の子達はどうだろうか?本来の濃さのハン・バガーを問題無く食べられるだろうか?
皆に食べてもらった結果、ゴドファンスとラビックが味が濃いと感じたようだ。他の子達は問題無くハン・バガーを食べられた。
ウルミラも多少味が濃いと感じたようではあるが、味自体は気に入ったらしく問題無く食べている。
ゴドファンスとラビックに薄味にしたハン・バガーを提供してみたのだが、こちらは問題無く食べてもらえた。とは言え、皆ほど美味いと感じはしなかったらしい。
〈醤油…でしたか?おそらく、あの調味料には塩味以外の何かがあるのでしょう。そのため、物足りなさを覚えたのだと思います〉
〈ううむ、本来の味では塩辛く、だからと言って薄くすれば物足りなくなる…。好みの問題ではあるのでしょうが、歯がゆいものですな…〉
まったくだ。この子達を満足させる場合、この子達用に合わせた塩味の醤油を新たに作るところから始める必要がありそうだな。
上等である。この子達だけこの料理を楽しめないなど、あってはならない。必ずこの子達に合わせた醤油を作り上げて見せよう。
夕食も終り、風呂に入るまでの間にオーカドリアのための"
オーカドリアの最初の要望である性別の変換が可能な機能以外は搭載していない、いたってシンプルな"魔導鎧機"だ。
ふと思ったのだが、オーカドリアにも料理の素晴らしさを知ってもらえたらと私は考えている。
なにせ、皆が料理を口にして幸せそうにしている光景を見て、オーカドリアも幸せそうにしているのだ。だが、それと同時にオーカドリアは羨ましそうにもしていたのだ。
私の魔力を得られればそれで良いとは言ってくれたが、やはり私としては羨ましいと思ったのならその思いを解消させてあげたい。
だから私は思ったのだ。今は不可能であっても、将来的には"魔導鎧機"を超えた"魔導鎧機"。言うなれば、マコトの秘境にいるメイドール達のようなほぼ人と変わらない機能を持った義体を用意できないかと。いや、いつか必ず用意して見せよう。そして皆で食事を楽しむのだ。
作業に熱中していると、時間が経つのはあっという間である。"魔導鎧機"のパーツが一つでき上がる頃には、皆もう風呂から上がっていたのだ。
作業場に洗料の香りが漂ってきたことでようやく気付けた。そしてとても悔しい思いをした。久々に皆の体を洗ってあげられると思ったのに、"魔導鎧機"製作に夢中になるあまり、その機会を逃したのである。
できることなら、風呂に入る時に声を掛けて欲しかったものだ。ちょっといじけてしまうな。
「………」
〈主よ、済まないとは思ったのだが…〉
〈えっとね?えっとね?〉
―みんなで[お風呂に入るよー]って声は掛けたんだよー?―
「え…?そうなの…?」
つまり、"魔導鎧機"の製作に夢中になるあまり、時間はおろか皆のことすら意識から抜けていたと?
〈ヨームズオームが絡みついても私の糸で絡めても全然反応しなかったよ?〉
〈頭をつつこうともしたわ!〉〈でもゴドファンスが止めさせたのよ!〉
〈当たり前じゃろうが〉
そっかぁ…。皆は私に知らせに来てくれていたのかぁ…。しかし、いくら集中しているからと言って、ヨームズオームが絡んできても気付かなかったとは…。寂しい思いをさせてしまわなかっただろうか?
―んー?平気だよー?ノア、すっごく楽しそうな顔してたー ―
「邪魔をしたら悪いかなって思って、皆で先にお風呂に入ったの」
驚いたことに、オーカドリアも風呂に入ってコアパーツを洗浄しているようで、コアパーツからも洗料の香りが漂ってきている。心なしか、コアパーツが夕食の時よりも綺麗に見える。
しかし、参ったな。一つの作業に集中しすぎて皆のことが意識から外れてしまっていたとは。
『
今後、何かに集中して作業を行う場合は、必ず幻を一つ用意しておこう。
皆が私に意識を向けさせようとして失敗してしまったというのなら、私自身で私を気付かせてみよう。
それができるかできないかは、明日検証してみれば分かることだ。
1人寂しく風呂に入ったら、今日は皆に囲まれて寝るとしよう。
久々のモフモフに囲まれての就寝だ。今回も…あっという…間…に…。
レイブランとヤタールに頭をつつかれ目を覚ませば、彼女達以外は既に外へ出ていた。いつも通りの朝である。
起こしてくれたお礼も兼ねて彼女達にはオーカムヅミを切り分けて渡しておこう。
〈やっぱり朝はコレに限るわ!〉〈コレのためにノア様を起こしていると言っても良いのよ!〉
夢中になってオーカムヅミを食べるレイブランとヤタールは、相変わらず可愛い。
なお、他の子達は既に旅行に出かける前に配ったオーカムヅミを食べているようだ。今回も旅行に出る前に配っておこう。
さて、早速日課である訓練兼修業を行うわけだが、昨日の件でひとつ思いついたことがある。
そう、私の幻に私を気付かせるという発想の件だ。
幻を操るのが私なのだから、ただ幻を発生させても結局のところ一つのことに夢中になり過ぎたら幻を動かせないと思うのだ。
実現させるには、幻が私の意識を離れ自動で動くようにする必要がある。
予め決められた行動をさせるだけでもいいが、どうせならもう少し性能を発展させてみたい。
幸い、ドライドン帝国で新たな魔術を習得したことで手加減抜きで検証ができそうなのだ。試してみない手は無い。
『
するとどうだろうか?あっという間に周囲の影響を考慮する必要のない、広大な空間ができ上がったではないか。
この空間であれば、七色の魔力も私の膂力も、制限無く使用できると考えて良いだろう。仮に亜空間を突き破りこちらの空間に影響を及ぼしそうになったとしても、対策は考えている。
早速、2体の幻を亜空間に入れてみよう。
存在している空間が別次元になるため、扉を閉じた時点で幻が消えてしまう可能性も考えたが、扉を消さない限りは幻も消えないようだ。
仮に扉を閉じた時点で幻が消えてしまった場合は、私自身が亜空間内に入るつもりではあった。だが、その必要はなくなったわけだな。亜空間が私の力に耐えられなかった際の対策が立てやすくなって何よりだ。
これは、私が亜空間と言う存在を認識して干渉できるからなのかもしれない。
仮説を立てるのはここまででいいだろう。私自身は日課の訓練兼修業を行いながら、亜空間内の幻を動かすとしよう。
検証の時間だ。
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