第486話 思いでの味を共に

 "囁き鳥の止まり木亭"に入ると、早速シンシアとジェシカが私を出迎えてくれた。

 それは嬉しいのだが、私は食堂の席に着く前に確認しなければならないことがある。


 「ジェシカ、部屋に空きはあるかな?」

 「大丈夫よ。ノア様がこの街に来た時、すぐに店にもそれが伝わってきたから、きっとウチに泊まりに来てくれるって母さんが部屋を空けてたから」


 ありがたいことだ。

 そう。私はイスティエスタに訪れた後、割とすぐにシンシア達と合流したことであの子達の相手をしながら役所に向かってしまったからな。宿泊手続きをしていなかったのである。

 私がこのことに気が付いたのは、エネミネアとの会話が終わった後、魔術師ギルドを出た直後だった。


 致命的な失態と言って良いだろう。部屋が埋まっていたらどうしようかと不安になっていたが、取り越し苦労だったようでなによりだ。部屋を開けてくれていた女将には感謝してもしきれないな。


 だが、だからと言って今後も女将の好意に甘えるわけにはいかない。今後はイスティエスタを訪れたら真っ先に宿泊手続きをしてしまおう。



 宿泊手続きも終り、食堂に移動したら、今回は窓際の席を案内してもらう。

 シンシアもジェシカも不思議そうにしていたが、理由は窓を開ければすぐに分かる。


 「クンクン…。美味そうな匂いがします!」

 「実際にこの宿の料理は美味いよ。私が最初にまともな人の料理を食べた場所だからね。思い出深い場所なんだ」

 「姫様の初めての場所!どんな料理が出てくるか楽しみです!」


 そう。宿の扉の大きさではリガロウは通過できなかったのだ。そのため、この子と一緒にハン・バガーを食べるためには、こうして窓の近くの席に着く必要があった。


 シンシアはともかく、ジェシカはリガロウを見るのは初めてだったからか、やや引き気味だ。ドラゴンの中では小型とは言え、リガロウの体は人間から見ればかなり大きい。ドラゴンの巨大な顔がいきなり窓から現れれば、多少恐怖心を抱いてもおかしくないのかもしれない。


 「大丈夫だよ。この子は頭が良いし、とても良い子だ。失礼な態度を取らなければ、この子の方から迷惑を掛けたりはしないよ」

 「楽しみにしてるぞ!」

 「は、ハイ…」


 たじろいでいるジェシカを見るのは初めてだから、とても新鮮な気分だな。シンシアも初めて見たようで、意地悪そうな笑みを浮かべている。

 不思議なことに、子供達はリガロウに対して恐怖心をまるで抱いていなかった。まるでこの子が危険ではないと、最初から分かっているかのような反応だったな。

 もしかしたら、本当に分かっていたのかもしれない。だとしたら、なかなか優れた感性だ。その感性、忘れずに育てば冒険者になった時に大いに役立つことだろう。


 注文ができる時間になったので、早速シンシアにハン・バガーセットを注文させてもらった。今回はリガロウも一緒に食べるから、一気に5つ注文させてもらった。

 しかし、これだけではきっと足りないだろうな。リガロウの口ならば一口でハン・バガーを食べてしまえるのだ。おそらく、10~15個ぐらいは食べ無ければ満足しないだろう。

 今更の話だが、それだけの量、私達だけで注文してしまって大丈夫だろうか?


 「ふふ、ノア様ったら心配性ね。ウチは結構立派な宿なのよ?それぐらいどうってことないわ。遠慮なく頼んでくれて結構よ!その方が父さんも喜ぶわ!」

 「それは良かった。ああ、そうだ。後でトーマスに渡したい物があると伝えておいてくれる?」

 「え?ええ、分かりました。それじゃあ、私も行きますね?」


 ジェシカの口調が丁寧語になっている。今の私の言葉から、トーマスに渡す物がそれなり以上に大きなものだと判断したようだ。

 彼女の判断は正しい。私はこの宿に大金、つまり大量の金貨を渡そうと思っているのだ。ニスマ王国で初めてカレーライスを食べた時に決めていたことだ。


 ダニーヤのカレーライスの店には退店後にしっかりと100枚の金貨を渡してきた。そして、この宿にも同じ額を渡そうと思うのだ。それだけ、私はハン・バガーに衝撃を受けたからな。

 ファングダムに訪れた時には、サウズビーフのステーキを扱っていたジャックの経営する宿、"新緑の一文字亭"にも同じ額を提供するつもりだ。同様にサウズビーフを飼育しているサウレッジにもだ。それからフルルのあのフルーツタルトを扱っている店もだな。

 後は、アクレイン王国のアマーレにある、"ホテル・チックタック"。あそこにも提供しよう。


 これは決して無作為にばらまいているわけではない。私なりの感謝の気持ちであり、そして未来への投資でもあるのだ。

 彼等は皆、等しく料理によって私を大いに感動させてくれた。

 "ホテル・チックタック"はともかく、他の店や宿にとって金貨100枚は店や宿を発展させるのに十分な資金になる。

 是非とも、将来私を感動させる料理を振る舞えるようになってほしいのだ。

 そのための金貨だ。使い道はいくらでもあるだろう。好きなように使ってくれ、辞退されてしまうかもしれないが、それでも受け取ってもらう。


 私がこの街に来たという情報が耳に入った時点で、すぐでもハン・バガーセットを提供できるように準備していたのだろう。厨房へと移動して行ったシンシアがすぐに戻って来た。すぐにジェシカもシンシアが持てなかった分を持ってきてくれるだろう。


 「ノア姉チャンお待たせー!って言ってもあんまり待ってないか?ハン・バガーセットだぜ!」

 「ありがとう」

 「おおー!コレが姫様が最初に食べた人間の料理かー!美味そうだな!」

 「美味いぞ!いっぱい食ってくれよな!」

 「グルォン!」


 さて、リガロウがどちらから食べるかは分からないが、私はまずポテトからだな。

 揚げたてで表面が固くなり、小気味良く砕けるような食感に加え、中のホクホクとした部分が合わさっているのも良い。コレに加えて絶妙な塩加減で最高に美味いのだ。いつも通り、あっという間になくなってしまった。


 「グオゥ…!オゥ…!野菜よりも肉の方が好きだけど、コレは美味いな!」


 そしてリガロウも私の様子を見ていたからか、ポテトから食べ始めている。分かっていたことだが、一口で1セット分のポテトを全て口の中に入れてしまった。

 この子の味覚は私とほとんど変わらない。それはつまり、ポテトを美味いと感じ、そしてそれはハン・バガーでも同じく美味いと感じられるというわけである。

 ポテトでこれだけ美味そうな表情をしているのなら、ハン・バガーを口にした時にどのような反応をするのか、楽しみで仕方がない。


 「それじゃあ、本命をいただくとしようかな?」

 「コッチのパンに挟まってる肉が姫様の大好物なんですね!?いただきます!」


 ハン・バガーを前足で器用に掴み、口を開けて舌の上に乗せて口を閉じる。その直後、リガロウの顔から喜びの感情が溢れ出た!


 しかし口を開けて声を出したりはしない。静かに、それでいて真剣に舌と硬口蓋でハン・バガーを押し潰し、その味を堪能しているのだ。

 私もそうだが、リガロウの舌の力は人間の比ではない。人間ならば歯を用いて噛み砕いたり噛み切ったりする食材も、私達ならば舌と硬口蓋で押しつぶすだけで噛み潰すことと同等の効果が得られるのだ。

 まぁ、私の場合はしっかりと歯を用いて噛むが。


 十分にハン・バガーの味を堪能してから口の中のハン・バガーを飲み込み、そこで初めてリガロウがハン・バガーの感想を口にする。


 「美味いです!初めて食べる味です!いろいろな味がします!」

 「凄いだろう?私はこの料理を何度も食べているけれど、未だに再現できていないんだ」


 しかし、千尋の研究資料のおかげでようやくこの味の再現も出来そうだ。ようやく家の皆にもこの味を教えてあげられる。


 味の解析は勿論だが、純粋にハン・バガーを楽しむためにも、一個だけで満足など出来る筈がない。

 ジェシカに持ってきてもらったハン・バガーセットを受け取ると同時に、追加でもう5セット持ってきてもらうとしよう。


 「やっぱり口のサイズが違うだけあって、一口でペロリなのね…」

 「リガロウもとても気に入ったって」

 「凄く美味かった!もっとくれ!」


 リガロウの出せる声は、基本的に人間よりも大きい。勿論小声で話すこともできるが、美味い料理を口にして興奮気味になっているこの子に、声を抑えることはできないだろう。

 大きな声がジェシカに伝わり、それによってジェシカがすくみ上ってしまっている。


 だが、そこで腰を抜かしたりしないのがジェシカと言う女性だ。大した胆力だと思う。気丈に返事をして厨房へと戻っていった。



 いやぁ、食べた食べた。遠慮なく頼んでいいと言われたので、私とリガロウで計30セットも食べてしまった。

 注文しすぎたかと若干心配したりもしたが、それも杞憂に終わった。ジェシカの言った通り、他の客に迷惑が掛かるようなことは一切なかったのである。


 おかげでリガロウは十分に満足したし、私も味の解析を終わらせることができた。家に帰ったら、早速再現してみよう。


 トーマスへの金貨の受け渡しも無事完了した。

 思った通り辞退されそうになったが、将来私が金貨を渡して良かったと思えるような使い方をして欲しいと伝えたところ、何とか納得してもらえた。

 …その際、跪いて恭しく受け取ったのは、気にしないでおくことにした。


 夕食後は図書館に出向きエレノアにも顔を出しておいた。エリィにハチミツの焼菓子を渡しておいてエレノアに渡さないのは、不公平だと感じたからだ。

 勿論、ジェシカにもハチミツの焼菓子を渡している。夕食の時間になるまでに少し時間があったからな。その時に渡しておいたのだ。

 シンシアが羨ましそうにジェシカに視線を送っていたが、既に私から焼菓子を貰っていることを耳にしていたようだ。一切の遠慮を見せずにシンシアの目の前で焼菓子を食べ尽くしてしまっていた。


 残念そうな表情を見せはしたものの、泣き出すほど残念ではなかったようだ。むしろ、ジェシカが幸せそうな表情をしているのを見て、シンシアは嬉しそうな表情をしていた。美味い物を姉と共有できたことが嬉しかったのだろう。


 焼菓子はエレノアも喜んでくれた。受付から離れたと思えば紅茶を用意してきて、上品に食べ始めたのだ。


 「ああ…素敵な味…。ノア様、本当にありがとうございます」

 「喜んでくれたようでなによりだよ」


 エレノアに焼菓子を渡し、受付も済ませたら図書館で読書…ではなく書類の作成だ。

 何の書類かと問われれば、当然風呂施設に関する書類だ。施設の建築設計図面は勿論、工事の計画書や設備に関する説明書に作業を円滑に進めるため手引書など…。用意する書類は大量にあるのだ。


 明日には家に帰るつもりなので、図書館の閉館時間までにはすべて仕上げるつもりだ。時間が足りなかったら『時間圧縮タイムプレッション』を使用することも辞さない。


 ついでに、フウカ宛の置手紙も記入しておくことにした。

 最初は彼女の家に設置した風呂についての説明を記した手紙だったのだが、彼女に頼みたいことができてしまったので、それに関しても記入しておいた。


 私が昼の間に描いた子供達の絵を、焼菓子の店長に渡して欲しいのだ。

 それ以外にも、代官に説明していた信用する人物が彼女のことなので、風呂施設の建設費用や資材を預かって欲しい旨も手紙に記入しておくことにした。


 いや、駄目だな。流石にフウカと言えど、金貨3000枚を事後承諾で預かっていて欲しいと頼むのは流石にない。

 フウカとは絶対的な契約の主従関係があるので、私の要求ならば彼女は受ける他ないのはそうなのだが、だからと言って彼女の嫌がることはしたくないのだ。

 彼女に『通話コール』を掛けて許可を取っておくことにしよう。

 風呂の存在を少し彼女に知られてしまうことになるが、背に腹は代えられない。


 〈フウカ、貴女にちょっと頼みたいことがあるのだけど、今いいかな?〉

 〈勿論です。ノア様からの願い、この身に代えましても達成してご覧入れます!〉


 うん、こういった返答が来る事は分かり切っていたことだ。今は気にせず用件を伝えておこう。

 

 フウカにイスティエスタに風呂を設立する計画を伝えたら、非常に喜んでくれた。それこそ、金貨や資材を預かっていて欲しいという旨に関しても、完全に説明しきる前に了承されてしまった。


 〈ノア様が私を信用する人物と言っていただけたのです!天にも昇る思いです!〉


 信頼されることが喜びになるという気持ちは私も分かるが、それほどまでか…。

 考えてみれば、私とフウカの主従関係を抜きにしても、私は大国の姫と同等の地位ということになっているのだ。そんな人物から信用を得ていると知れば、喜ぶのは普通のことなのだろう。


 フウカへの確認も済み、彼女への手紙と風呂施設関係の書類も制作し終えた。図書館を後にしたらフウカの家に彼女宛ての手紙を送った後、宿に戻って休むとしよう。


 日が変わり、代官に書類を渡したら、家に帰るのだ。

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