第485話 イスティエスタに風呂を
役所に顔を出して街の責任者、代官に取り次いでほしいと要求すれば、信じられないほどあっさりと要求が通ってしまった。
クレスレイから私を大国の姫と同列に扱うように言われれているからと言って、この扱いは優遇され過ぎな気もするが、どうやらユージェンの影響もあるらしい。
彼は明確に私のことを恐れているからな。少しでも私の不興を買いたくないのだ。
そしてユージェンは世界有数の危険地帯である大魔境"楽園"に最も近い街である、このイスティエスタの冒険者ギルドのギルドマスターだ。少なくともこの街での発言力は非常に大きい。
そんなユージェンが私の不興を買わないように周囲に通達していたとした場合、代官の反応も納得できる。と言うか、今も代官はかなり慌てているようだ。
それと、リガロウは役所の中には入れたが代官の執務室には入れなかった。そのためあの子には受付のロビーて待ってもらっていることにした。
代官はリガロウが入ってこないと知って心底安心しているようだった。
小型とは言え、ドラゴンであるリガロウが怖かったのだろう。
代官を怖がらせるつもりもないので、さっさと要件を説明させてもらうとしよう。私はこの後フウカの家に風呂を設置させる作業も残っているのだ。あまり長話をするつもりは無い。
「この街に風呂施設を設立して欲しい」
「ふ、風呂…ですか?」
「そう。それも一ヶ所だけでなく、最低でも四カ所」
「は、はぁ…」
いきなりこのような要求をされれば流石に困惑するのも無理はないか。
どうやら代官は自分が『
しかも、風呂施設を設立して欲しいと頼んだからと言って簡単にできるものではない。
「私が風呂好きなのは知っていると思うけど?」
「は、はい!それは勿論!存じております!」
少し脅かしてしまったか。
私の要望を叶えるためにどれだけの費用が掛かるのかを考えているのだろう。冷や汗を流してどのように返答すればいいか迷っている。
「すまない、言い忘れていたけれど、費用に関しては気にしなくて良い。私が出す。勿論、資材もね」
「え!?よ、よろしいのですか?」
「よろしいよ。私は結構な金持ちではあるけど、その金を使う機会がないからね。勿論、旅行先で買い物はするけれど、国を訪れるたびに増える一方でね。この辺りで一度思いっきり還元しておこうと思ったんだ」
まぁ、そっちは建前だ。実際には純粋にこの街に風呂施設を用意したいだけなのだ。
なにせこの街にはこれからも訪れるつもりだからな。そのたびに風呂に入れない日を過ごすことになると思うと、我慢ならない気がする。
だから、私がこれまでの旅行で体験した設備を網羅した、集大成のような風呂施設を設立させるのだ。
「費用はどれぐらいかかりそうかな?こちらとしては、煌貨を使用することも辞さないつもりだよ?」
「ええ!?い、一体どれほどの施設を作るつもりなのですか!?」
煌貨を使用するのは流石にやり過ぎだったようだ。風呂施設を設立するのに、そこまで費用は掛からないらしい。
「そ、その…ノア様が得た資金を還元していただけるのは非常にありがたいのですが…。おそらく金貨1000枚もあればノア様の御要望は達成させられるかと…」
「金貨1000枚…」
最低4件、可能ならば6件ほど風呂施設を設立してもらうとして、一件に掛かる金貨167枚~250枚と言ったところか。
しかし、それはあくまで風呂のことを良く知らない代官の見積もりだ。私がこの街でも再現して堪能したい設備まで実装しようとした場合、それ以上の費用が掛かる筈だ。それに、維持費だって当然掛かる。
ここは一つ、有識者と相談すべきだな。マコトに『
〈えっと、どうしました?なにか大きなことをすると言っていましたが…〉
〈マコト、私はイスティエスタに複数件風呂施設を設立したい。参考までに聞かせて欲しいのだけど、カンディーの風呂屋が今の状態になるまで、どれぐらいの費用が掛かったか、教えてもらえる?〉
〈い、いきなり複数件の風呂ですか…。ホントに思い切ったこと言いますね…〉
驚いている、と言うよりもドン引きされているような気もするが、気にしないでおこう。
マコトはカンディーの風呂屋を今の状態にした張本人なのだ。風呂施設を設立するのにどれだけの費用が必要になるか、分かるはずだ。
〈あの状態にするのに結構失敗もしましたし、余計な物まで作ったりしてましたからねぇ…。一概に設立に必要な費用とは言えないのですが…〉
〈承知の上だよ。言っただろう?参考までに聞かせて欲しいと〉
〈はぁ…。そうですねぇ…。アレやって、ああして、こうして、アレもやったから…大体金貨500枚くらいですかねぇ…?〉
ほう。やはりそれぐらいは掛かるのか。最初から建設したわけではないのだろうが、研究開発の費用と建設費を対比して考えれば、大体同じぐらいになるのではないだろうか。
しかもそれを4~6件用意するのだから、私の場合は金貨3000枚は用意しておくべきなのだろうな。
例え余ってしまったとしても、維持費だって必要になるのだから大目に渡しておくことに越したことはないのだ。
そんなわけで代官に金貨3000枚を提供すると言えば、これもまた慌てだしてしまった。
「い、いきなりそれだけの大金を…!?」
「不安?それなら、一時的に私が信用する人物に預けるよ?」
「は、はい!それでお願いします!そ、それで…資材も提供して下さるとのことですが…それらの保管は…」
「そうだね。それも私の信用する者に預けておこう」
資材も費用も十分にあるからと言って、一日二日で出来上がる物ではないからな。そもそも、風呂屋を設置できるだけの土地が必要になるのだ。
現状そのような土地はイスティエスタには無い。
一応用意できないことはないが、それにしても今その土地に住んでいる者に別の場所に移ってもらう必要があるだろうし、無人となった建築物を解体する必要があったりもする。
その場合、当然移動してもらう者には手当てが必要になるし、建築物の解体もタダではできない。それらの費用も私が持つべきだな。
「そういうわけだから、追加で金貨500枚用意しておこう」
「はいぃ!?」
驚いているようだが、それは私が自分の頭の中だけで問題を想定して解決させるための費用を考えたからである。しっかりと代官に説明すれば、納得して受け取ってくれる筈だ。
「な、なるほど…。それで、その建設するための土地に心当たりは…」
「勿論、あるとも。この街の地図はある?無ければこちらで用意しよう」
「!?…あ、いえ、だ、大丈夫です!ただいま用意しましょう!」
この街の地図を用意できることに、代官は驚いているようだ。
なにせ地図を用意できると言うことは、この街の構造を把握していると言っているようなものだからな。またしても驚かせるどころか怖がらせてしまったかもしれない。
しかし地図を用意してもらえるのだから、私がわざわざ地図を用意する必要はないのだ。必要以上に代官が怯える必要はないと思うのだ。
まあ、それを言及してしまうと代官は更に畏まってしまうのだろうな。大人しくしておこう。
その後、地図を持って来た代官と設置させる場所の候補と、どの建築物を撤去させるのか。現在建築予定地に住んでいる者達に退去してもらうためにどれだけの手当てを用意するか。代わりの住居はどうするのか等々。
風呂施設を建設するために必要なことを細かく話し合うことにした。
思った以上に話が長引いてしまい、話が終わる頃には時刻が午後4時になる少し前だった。
夕食の時間になるまで残り約2時間だ。それまでにフウカの家に風呂を設置できるだろうか?
いや、弱気になるな私。私ならばできる。いざとなったら『
必要となるのは、浴槽にシャワー、それから排水口は最低限必要になるな。そもそも、浴室を用意する必要があるか。つまり、増築だな。
この街にもトイレや下水設備はあるので、排水はその下水へ繋げてしまえばいいだろう。
浴槽も問題無い。"楽園浅部"の木材を用いて手早く作ってしまおう。
部屋を増設することになるわけだが、これはもう自重せずに『
どうせこの作業を見ている者は誰一人としていないのだ。勿論、子供達も私が役所に入っていった時点で別の場所で遊び始めている。
そうだ。脱衣場も必要と言えば必要か。
フウカも問題無く『格納』が使用可能ではあるが、だからと言って風呂に出入りするたびに『格納』を使用するのも手間だろう。浴室を作るのと同様に、脱衣場も『我地也』で作ってしまうとしよう。
ついでだ。この際だから排水口や排水管も『我地也』で作ってしまえ。
浴室、脱衣場、浴槽が完成したらシャワーを手早く作って水や湯を作り出す魔術具を組み合わせて壁に設置させれば、浴室の出来上がりだ。
ああ、洗料や洗面道具を置いておく棚もサービスしておこう。
これで次にフウカに会う時は撫で心地の良い頭髪になっていることだろう。
彼女は元から器量が良いから、今後ますます異性から好意を寄せられることになるかもしれないが、彼女ならば問題無いだろう。
それに、もしも好意を寄せる異性を彼女が受け入れたとしても、私はそれを咎めるつもりは無い。それが彼女の幸せにつながるというのならば、私はそれを祝福するだけである。
しかし、改めて思うが『我地也』が便利過ぎる。やってみて分かったが、今の私ならばその気になれば一晩で都市が完成させられるな。
私はハン・バガーセットを夕食の時間になったらすぐにでも注文して食べたいのだ。フウカの家に風呂を用意したい気持ちは勿論本物だが、それによってハン・バガーセットを食べる時間を削りたくはないのだ。
結果、僅か30分足らずで風呂の設置は終わってしまった。急ぎ過ぎて今度は時間に余裕ができてしまったな。
しかし、何も問題はない。
時間が時間だから、きっと冒険者ギルドに顔を出せば、エリィが歓迎してくれると思うのだ。彼女にもハチミツの焼菓子をおすそ分けしよう。
「あの、ノア様?今は確かに余裕がある時間帯ですけど、仕事中なことには変わり有りませんからね?」
「なに、これぐらいは皆許してくれるさ。普段から頑張っている私からのご褒美だと思って、もらってくれないかな?」
「ふぐぅ…っ!?ノア様がどんどん無遠慮になっていきます…。でも、美味しいですぅ~…」
うんうん。差し出された焼菓子の匂いに抗えずに口にしてしまい、顔をほころばせるエリィが可愛い。
この状態で頭を撫でると、とても気持ちよさそうに体を揺らしているので、悪い気はしていないのだろう。
しかし、やはりエリィもイネスと比べると髪質がやや硬いな。これも風呂施設が無いからだと思うと、私の個人的な欲求のためにも、可能な限り早く風呂施設を建設しなくてはな。
それと、今回は流石にユージェンにも顔を出しておこうと思う。
この街の環境を大きく変えることになるのだ。事後承諾になってしまうが、報告だけでもしておく必要がある。
それに、結局私は彼に悪徳貴族の資料を提供してくれたことに対する礼を直接伝えていないのだ。
そのことに関する礼は既にマコトを通じて伝わっているかもしれないが、やはり直接伝えておきたくなった。
相変わらずユージェンは私のことを恐れてはいたが、感情抑制魔術を使用していたため、特に動揺するような様子は見せていなかった。
風呂施設に関しては大きなため息を吐き出してはいたが、文句を言ってくることはなかった。あの反応は、呆れと諦めだな。
この街の冒険者達が少しでも清潔になることに加え、建設に自分が関与しないということもあり、話を終えるころにはむしろ歓迎の気持ちを露わにしていた。
ユージェンとの話も終えて冒険者ギルドを後にしたのだが、それでもまだ夕食の時間にならなかったので、今度はエネミネアの所へ顔を出した。
彼女と会うのも随分と久しぶりだ。
相変わらずのんびりと間延びしたような喋り方をしていたが、以前『
指摘すると慌てだして時間が浪費される気がしたので、指摘しないで置いた。
それと、エネミネアにもこの街に風呂施設を建設することを伝えておいた。
彼女は風呂の良さを理解しているためか、最初から大いに歓迎してくれたな。尤も、その理由が今よりも美しくなってユージェンを夢中にさせるためらしいのだが。
そんなことをしなくとも彼は既にエネミネアに夢中なのだが…。まぁ、本人の気持ちの問題なのだろう。完成したら存分に堪能してユージェンを誘惑すると良い。
エネミネアとの会話も終えて魔術師ギルドを後にすると、ようやく夕食の時間が近づいてきた。
"囁き鳥の止まり木亭"に移動し、ハン・バガーセットをいただくとしよう!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます