第438話 酒の利点と欠点
体温の上昇を感じるとともに、少しだけ平衡感覚が狂うような感覚を覚える。
ほんの少しだけだが、これが、この感覚こそが陶酔感であり"酔う"と言うことなのだろう。
間違いなく状態異常として捉えられる感覚の筈なのだが、不思議と悪い気はしない。
むしろ、この浮遊感とすら言えるこの感覚は、心地良さすらも感じさせられる。
ヨームズオームやヴィルガレッドが気に入るわけだ。この感覚のために酒を飲みたくなるというのも頷ける。
しかし、弱いな。陶酔感とやらが極めて弱い。
酔えることは分かったのだから、もっと酒を飲ませてもらおう。
次にグラスに注ぐのは、この中で最も酒精の強い酒だ。グラスになみなみと注がせてもらおう。
「ちょ、ちょっとノア?そんなに注いちゃって大丈夫なの?っていうか、ちゃんと酔えたの?」
「うん、大丈夫。"酔う"という感覚がどういうものか、ちゃんと理解できたよ。ただ、得られた陶酔感が物足りなくてね」
「い…今のところ変化はないようだけど、あんまり無茶しちゃダメよ?」
何も言わずに強い酒をグラスに注ぎ始めたことで、心配になったのだろう。
今のところ問題無いと伝えて、再びグラスの中身を飲み干していく。
うん、さっきよりもほんの少しだけ陶酔感が強くなった。このまま飲み続けて行けば、私が想像するような酔うという状態になれるのだろう。
今度は、オーカムヅミの酒を飲んでみよう。
「そなた、もう少し味わって飲んだらどうなのだ?折角の銘酒が勿体ないではないか」
「そうは言うけど、酒の味自体はもう分かっているからね。今の私が求めるのは、偏に陶酔感なんだ」
―ノアー、酔えたー?感想聞かせてー?―
「ん、嫌いじゃない感覚だよ。でも、このままじゃ物足りなくもあるから、沢山酒を飲んでこの感覚を強くするんだ」
―わー!ノアもお酒飲んでふわふわする感じが好きなんだねー!いっしょだー!―
自分と同じ感性を私が持っていたことが分かり、ヨームズオームが喜んでいる。
そんな姿が可愛らしいと思い、手をこの子に向けて伸ばせば、この子は何も言わずに私の手に顔をのせてそのまま腕に絡みついて来てくれた。
「うん、一緒だね。私も君と一緒で嬉しいよ」
―エへへ~、ノアの魔力、気持ちいい~…―
ヨームズオームを愛でながらオーカムヅミの酒を飲み干し、先程以上に陶酔感を強めていく。その様を見て、ルイーゼは若干引き気味になっている。
何か、彼女が苦手に思うようなことでもあったのだろうか?
「よくもまぁ、そこまで強烈なお酒をパカパカ飲めるわねぇ。普通だったら倒れてるわよ?」
「その普通は、誰を基準に?」
「………私」
ルイーゼは酒にあまり強くないみたいだし、比較されてもなぁ…。
とは言え、彼女が倒れてしまうのは、あくまで私のペースで酒を飲んだ場合だ。ゆっくりと飲めば自己治癒能力も相まってそう簡単に倒れたりはしない筈だ。
酔うという状態を楽しめるようになったのだし、この時間を余すことなく満喫させてもらうとしよう。
とても気分がいい。
体は暖かく、眠っていない状態だというのに微睡むような感覚だ。それでいて意識はあるし、眠くもない。
不思議で、とても愉快だ。
それと同時に、どうしても自分の身の回りが心寂しく思う。そして私の隣で私を横目にゆっくりと酒を飲む親友の姿。
「え、ちょ、わきゃ!?」
そんなに離れていないで、もう少し傍に寄ってほしい。そう思った時には、ルイーゼを尻尾で私の傍に引き寄せ、体を密着させてガッチリと尻尾で固定していた。
ルイーゼと密着すると心地いい。彼女は良い匂いがするし、魔力の質が良いからだろうか?
とりあえず、ルイーゼの顔に頬擦りしておこう。モチモチスベスベで、モフモフとは違った心地良さだ。
「ちょっとノア?動けないんですけど?」
抵抗はしないものの、ルイーゼは体を動かせないことに不満を伝えてきた。
しかし、何も問題はない。ルイーゼが体を動かせないのなら、私が動かせばいいのだから。甲斐甲斐しくお世話をするとも!
「ん、大丈夫。欲しいもの言って。私が食べさせたり飲ませたりするから」
「あー…うん、アンタが酔うとそうなるのね…?まぁ、暴れられるよりはマシかしら?ってうきゃ!?」
ルイーゼが小さな悲鳴を上げているが、それは私がルイーゼを引き寄せたまま、翼を羽ばたかせて私の体に絡みついたヨームズオームと共に飛び上がったからだ。
そして特に浮遊もせずにそのまま目的地まで落下して着地する。
その着地地点とは、ヴィルガレッドの背中である。これで皆一緒だ。益々気分が良くなり、グラスに注いでいた酒を僅かに残して一気に喉に流す。僅かに残った酒に『増幅』の魔法を掛けてグラスの中身を再び満杯にさせる。
魔法を使えば好きな酒を飲み放題だ。ドンドン飲もう!
「自重しなくなってるわね…」
「まったく、仕方のないじゃじゃ馬姫じゃのぅ…。余の背に飛び乗り、あまつさえ座り込んで酒を飲むなど、そなたでなければこの牙で噛み砕いていたところであるぞ?」
「ええっ!?そ、それじゃあ私達も!?」
そんなわけがないだろう?今のはヴィルガレッドなりの冗談みたいなものだ。
表情を見れば分かる。優しく笑っているじゃないか。彼も、この状況を楽しんでいるのだ。
彼の瞳に込められた親愛の感情が読み取れれば、怯える必要などどこにもないことぐらい、すぐに分かるのだ。
とても楽しく、幸せな時間だ。この幸せ、他の者達にも教えてあげたい。家にいる皆は勿論、リガロウやヴァスターにも…。ああ、そうだ。彼等が世話になっている、
そうだ、転移魔術を使えば、わけもなく皆をこの場に連れて来れるじゃないか。
うん、皆をここに連れてこよう。ヴィルガレッドやルイーゼに、自慢の配下や可愛い眷属を紹介しよう。
そう思った直後だ。
「むぅっ!?こ、この気配は!?」
「えっ!?ちょ、どういうことなの!?」
―あれー?かみさまー?―
私の体から、一瞬にして私を楽しませていた陶酔感が消失してしまった。
そしてそのすぐ後にルグナツァリオから声が掛けられる。
〈『ノア、それ以上はいけない。酒を楽しんでいるところ悪いとは思うが、強制的に貴女が自分に掛けている魔法を解除させてもらったよ』〉
〈『…みたいだね。理由は…ああ、そうか。済まない、面倒を掛けた。それと、止めてくれてありがとう』〉
私は、酔った勢いで取り返しのつかないことをするところだったのだ。
リガロウをこの場に転移魔術で連れてくる?冗談じゃない。
今のあの子をこの場に連れてきたら、間違いなく私を含めたこの場にいる者達の魔力によって命を落としてしまう。
なんてこった。私は酒に酔ったことで理性のタガが外れ、自分の願望を優先させてしまったのだ。
これが酒の怖さと言うことか。調子に乗って酔い過ぎないように、注意しないとな。
それと、行動に移す前に私の状態を戻してくれたルグナツァリオ達には感謝しておかないと。
〈『構わないとも。それに、これで貴女も酒の利点と欠点を理解できたんじゃないかな?』〉
〈『うん、本にもあったね。[過ぎたるは猶及ばざるが如し]。酒も程々にするのが一番のようだ』〉
視線は一切感じない筈のだが、五大神達が全員で私に微笑ましく見守っているような気がする。
私にとっては、笑って済ませられるような問題ではないのだが…。
「え、ちょっと、ノア?どうなってるの?大丈夫?って言うか、今五大神の気配が…」
「うむ、龍神様だけでなく、その他の神々の気配も確かに感じ取れた。ノアよ、そなた、何か心当たりがあるな?」
ヴィルガレッドはともかく、ルイーゼも五大神の気配を感じ取れるのか。流石は魔王と言ったところだろうか?
しかし、そうなると彼等に五大神が今も私に意識を向けていると教えた方が良さそうだな。
「そうだね。それじゃあ、そのことも含めて、何故私が今回ドライドン帝国に旅行に来たのか説明するよ」
旅行先の目的のついでにこの際だから、ルイーゼとヴィルガレッドにもアグレイシアや"女神の剣"、そして連中の目的を話しておこう。
もしかしたら、名称は知らなくてもそういった組織が暗躍していること自体は知っているかもしれないしな。
話すべきことを話し終えた時には、ルイーゼもヴィルガレッドも酒が抜けて神妙な顔つきになっている。いや、酒が抜けたのは五大神の気配を感じ取った時からか。
「異世界からの侵略者、ねぇ…。なんか妙にこの世界に悪意を持ってる奴がいるような動きだったから解せなかったけど、ようやく理由が分かったわ」
「不届きな者共であるな。してノアよ、その"女神の剣"共、そなたならば既に居場所を把握しておるのではないか?」
「ダンタラも協力してくれたからね。連中の拠点は少なくともこの大陸だけなら全部把握しているよ。ただ、まだ始末はしていない」
理由を訪ねられればその理由も答えるつもりだったが、ヴィルガレッドにその必要は無さそうだ。彼も考えることは同じなのだろう。
「なるほど。今は連中が一ヶ所に集まるのを待っている、というわけか。うむ、それがよかろう。あの手の連中は、自分の身の危険に敏感であるからな。一度に纏めて始末してしまうのが最善であろうよ」
「ねぇ、ノア…。一応確認取りたいんだけど、その"女神の剣"って連中、私の国にもいたりするの…?」
「いや、魔王国には拠点は無いよ。ルグナツァリオにも確認してもらってるから、地下だけじゃなくて地上の拠点の可能性も除外できる」
「それはありがたい情報なんだけどさぁ…。五大神とそうまで気軽に連絡取り合えるって…
そう言えば、ルイーゼは自分の国の巫覡、巫女と個人的な付き合いがあるんだったか。おそらく、以前私の胸を鷲掴みにしながら語っていた親友とやらがそうなのだろう。
寵愛の影響もあり、ただでさえ巫覡からは過剰な反応をされるのだ。私の正体を公表するまでは五大神との関係を語るつもりは無い。
ルイーゼもヴィルガレッドも、その方針に賛同してくれた。
さて、真面目な話は今はこのぐらいにしておこう。折角こうして集まったのだ。一日が終わるまでまだまだある。沢山食べて飲んで、色々なことを話そう。
時刻は午後を回り酒も料理も一通り楽しんだ後、私とヴィルガレッド、ルイーゼとヨームズオームでチャトゥーガによる対局を行っているところだ。
ヨームズオームに勝利するだけあって、ヴィルガレッドの判断力は高い。
互いにそれほど時間を置かずに駒を進めている中、ヴィルガレッドがチャトゥーガとは別の話題を出してきた。
「時にノアよ。そなた、眷属を作ったそうだな?」
「うん、ランドランが先祖返りしたランドドラゴンを鍛えたら進化してね。新種のドラゴンになったよ。分かるの?」
「うむ。そなたとは別の幼子の気配が感じられるでの」
私も産まれたてだからな。ヴィルガレッドから見なくとも、ドラゴン達やルイーゼから見れば私も幼子なのだ。
「酒に酔った勢いで、自慢するためにこの場に連れてこようとしてしまったよ」
「気を付けよ。そなたと違い、幼子では余や坊の力には耐えられぬ。そなたの酔いを覚まして下さった五大神に感謝しておくのだぞ?」
「勿論だとも」
駒を勧めながら、先程の失態をヴィルガレッドに告白することにした。
リガロウのこと、少しでも知ってもらいたいからな。
「それはそうと、そなたが溺愛していると言うことは、さぞ愛くるしいのだろうなぁ…!ノアよ、なるべく早く力をつけさせるのだ。そなたの眷属ならば、成長速度は並大抵のものではないだろうからのぅ」
「当然。50年以内には会わせられるようにするつもりだよ。すごく可愛い子だから、覚悟しておくといい。可愛がり過ぎて、ヨームズオームから嫉妬されないようにすることだね」
「フンッ!余を甘く見るでないぞ!?どちらも均等に可愛がってやろうではないか!クァーカッカッカッ!!」
では、私は時が来たらその様をルイーゼと共に眺めさせてもらうとしよう。
リガロウにばかり構ってヨームズオームからヤキモチを焼かれて慌てる様や、どちらも可愛がり過ぎてだらしなくなった表情を、巨大なキャンバスに収めてやるのだ。
ちなみに、酔いが覚めてからは私は機能を低下させていない。流石にやらかした後なので、自重しようと思ったのだ。密着していたことで、ルイーゼが暑苦しそうにもしていたしな。
私は酒に酔うと、とにかく理性のタガが外れて自分のしたいことを優先させてしまうらしい。
ついでに、いつも以上に甘え癖が出るようだ。当たり前のようにヴィルガレッドの背に飛び乗っていたからな。
彼は冗談を言って笑って済ませていたが、実際のところはかなり失礼な態度だったのだろう。
駒を動かしながらも私の失態を諫めてくれるヴィルガレッドからは、やはり父性を感じて止まない。
それに甘えるわけではないが、またいずれ、彼とは一緒に酒を飲み交わしたいものだ。
「ところでヴィルガレッド、私にくれる褒美って何なの?」
「ん?おお、それがあったか。そなたも気に入ると思うぞ?ふむ…今出してしまっても構わんか」
「ああ、コレが終わった後でも良いよ?少し気になっただけだから」
私が気に入る物、か…。皆目見当がつかない。まだ今の盤面でヴィルガレッドがどのように駒を動かすのかを予想する方が簡単だ。
気にはなるが、盤面は終盤だ。思った以上にヴィルガレッドが手強いので、あまり気が抜けないのである。渡してくれる褒美については、意識から外しておこう。
そうして対局を始めてから1時間。決着がついた。勿論、私の勝利だ。情報処理能力の差だな。
ルイーゼ達も決着がついたらしい。勢いよく両手を上げて喜んでいる辺り、勝利したのはルイーゼのようだ。
「ぬぅ…。あと少しだったのだがなぁ…」
「そうだね。途中までは焦らされたよ。流石だね」
「うむ。では、そろそろそなたにあの時の褒美を渡すとしようかの」
そう言ってヴィルガレッドが『収納』を発動させて取り出したのは、一冊の古ぼけた本だった。
時間の流れが変化している収納空間に収められていたため、いつの年代の物かは分からないが、極めて古い物なのは間違いない筈だ。
まさかの書物である。
とても永い年月を生きるヴィルガレッドが所持していた書物だ。
いったい、どのようなことが記載されているのだろうか?
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