第435話 魔王へのお願い

 ルイーゼに対する要望は決まったが、今すぐ言う必要はないだろう。それよりも、一口で良いからハチミツを口にしてもらい、食べた感想を聞かせて欲しい。


 だが、残念なことにルイーゼはまだハチミツを口にするつもりがないようだ。

 黄金色に輝く透明なハチミツが美しいのだろう。まるで最上位の装飾品でも見ているかのようにハチミツの瓶を眺めている。

 まぁ、実際にあのハチミツはとても綺麗だと思うから、アレと同じ色と透明度の宝石を用意したら人気が出そうではある。


 「ルイーゼ、食べないの?」

 「え?そりゃあまぁ、食べたいわよ?でも、もうちょっと眺めさせてよ。このハチミツ、とっても綺麗なんですもの」

 「同じ見た目の宝石でも作ろうか?」

 「作ろうか?って…アンタなら作れちゃうんでしょうね…。でも、結構よ。貰ってばかりだなんて、一国の主としての矜持が許せなくなるわ」


 とのことで、まだハチミツを口にはしてくれそうにないようだ。

 しょうがないから、目の前に置かれている果物を口にして時間を潰させてもらうとしよう。まずは、ルイーゼが先程説明していた、一粒で金貨100枚すると言うブドウに似た果実だ。


 おお、口に入れて少し圧を咥えただけで、弾けた!

 見た目のみずみずしさ通り、水分たっぷりだ。しかも物凄く甘い。これは、まるで食べるジュースだ。

 含まれている魔力量も多く、栄養価も当然のように高い。人間達が[食べれば10年寿命が延びる]と言うのも頷けてしまうな。


 他大陸の魔境か…。これだけの物を日常的に食べて育つ魔物や魔獣は、きっと人間達からすれば凄まじい力を身に付けていることだろう。いつかは訪れて、直接この果実が実っている光景を見てみたいところだ。


 美味い物というのは、いくらでも食べられるし、食べるペースも早くなる。

 あっという間に1房食べてしまった。この机の機能があれば、例え食べ尽くしてしまったとしても補充できてしまえるので、遠慮せずに食べられるな。もう2,3房ほど食べさせてもらうとしよう。


 ブドウのような果実の味にも満足したし、次は…良し、直径10㎝ほどの橙色の果実にするか。

 外果皮はとても艶やかで、光の当たり具合によってはこちらの顔が映るほどに光沢がある。

 手に取れば確かな重みが伝わってきて、食べ応えのある果物だと教えてくれる。


 一口で果実の半分ほどを食べてみれば、これもまた大量の水分が溢れ出してきた。ただ、幸いなことに果汁が周囲に飛び散ることはなかったようだ。

 先程のブドウに似た果実とはまた違った風味だ。私の知る果物の中で一番近い味は…バナナだな。勿論似ているというだけで同じ味と言うわけではないが。

 この果実も先程の果実に負けず劣らずの甘さだ。いくらでも食べられてしまうな。この果実も味に満足するまでいただくとしよう。


 「アンタねぇ…。ちょっとは遠慮しなさいよ…」

 「この机の機能なら、その必要もないだろう?それよりも、とても美味いよ?ルイーゼも食べると良い。ああ、でもやっぱり、先にそのハチミツを口にしてもらいたいかな?」


 普段食事をするペースで果物をいただいていたのだが、ルイーゼから見たら物凄い速度で食べていたように見えたようだ。

 彼女にも机の機能が理解できているだろうから、無くなってしまう心配はないと分かっていると思うのだが、食べるペースが早いことが何か失礼に当たるのだろうか?


 「分かったってば。せっついちゃってもう…。さぁて、ノアが自慢するハチミツの味、どんなものかしらねぇ…」


 そんなことよりもハチミツを食べて欲しいと催促すると、ようやく彼女は瓶の蓋を開けて匙で中身を掬い取ってくれた。ようやくハチミツを食べた時の反応が見れる。

 と思っていたのだが、匙で掬ってはそれが瓶の中に滴り落ちていく様子を何度も眺めている。

 ラフマンデーのハチミツは、私が知る人間達が食しているハチミツよりも粘度が低いのだ。そのため掬い取っても匙に収まらなかったハチミツが、サラサラと瓶の中へと落ちていくのだ。


 基本的にハチミツが粘度を持つのは、糖分が原因だ。糖分が多いほど粘度が高まる。ハチミツに含まれる糖分が結晶化するからだ。

 そのまま放っておくと、最終的に液体ではなく固形になるのだが、これは加熱することで再び液状化する。

 と、人間達のハチミツのことはそれぐらいにして、ラフマンデーのハチミツである。


 彼女の作ったハチミツは、どれだけ放置していたとしても、固形化はおろか粘度が上昇することすらない。常にルイーゼが掬い上げては落とし続けているあの粘度のままだ。

 糖分が結晶化しないよう、ラフマンデーが糖分そのものに手を加えているのだ。


 ルイーゼは再びハチミツの見た目に魅了されたかのように口に運ぶ気配が無くなっている。


 「凄い…。それしか言葉が出てこないわね…やっぱり、食べるのが勿体ないぐらい綺麗だわ…」


 私は家にいる間にラフマンデーが作ったハチミツを飴にしたわけだが、彼女が糖分に手を加えていたことでなかなかハチミツを固められず、手間取ったことがあった。

 まぁ、解析して原因を取り除いたことで、問題無くハチミツ飴を作ること自体はできたが。ホーディも気に入ってくれて、毎日食べていた。口の中に味が残り続けるので、長時間ハチミツを楽しめると、とても喜んでくれた。


 ハチミツを食べてくれそうにないので、もうこうなったらラフマンデーのハチミツ飴を、ルイーゼの口の中に放り込んでしまおうか?


 「あ~ハイハイ分かったってば、食べればいいんでしょ、食べれば」


 お?ルイーゼが私の気配に気づいたようだ。

 何かイタズラでもされると思ったのだろう。慌てたようにハチミツを掬い取った匙を口に運んでくれた。


 次の瞬間、匙を咥えたまま目を見開いた顔をこちらに向けてくれた。次第に見開いた目は閉じていき、次に口の両端がつり上がっていく。


 「ん~~~っ!ん~ぃひぃ~~~っ!」

 「気に入ってくれたみたいだね」


 ハチミツの味を訴えたいのに口を開くことができない、そんなところだろうか?

 今のルイーゼの表情は、幸せそのものといった具合である。


 その顔が見たかった。

 自慢の一品を口にして、幸せを体感しているその顔が。


 喜んでくれたのが嬉しくて、自然と私も顔がほころんでしまう。

 現在、ルイーゼは非常にだらしのない顔をしているが、多分私もそう変わらない顔をしている。

 親しい者と良い物を分かち合えているこの状況が、嬉しくてたまらないからだ。


 ハチミツの味を3分間十分に堪能し、口から匙を取り出したルイーゼは、ようやく感想を伝えてくれた。


 「ん~!すっごく美味しい!すっごく甘いのに全然しつこくなくて、それなのに味が舌に残り続けるし、それでいてハチミツ自体はサラサラしてて…!これって本当にハチミツなの!?」

 「蜂型の魔物が作った蜜なんだから、ハチミツで間違いないと思うよ?」


 私も初めて食べた人間のハチミツと、ラフマンデーが作ってくれるハチミツの味や食感に大きな違いがあったので、強い衝撃を受けた気持ちは理解できる。

 ルイーゼもハチミツではないと言いたいわけではないことも理解している。それだけ衝撃的だったということなのだろう。


 「まぁ、そういうことなんだろうけどさぁ…。オーカムヅミと言い、やっぱり"楽園深部"ってとんでもないところなのねぇ…」


 ハチミツの衝撃からも立ち直り、落ち着いてきたのだろう。ふと思っていたことが口に出たのだろう。

 やはり、ルイーゼは"楽園最奥"を"深部"と勘違いしているようだ。ちょうどいいタイミングだし、訂正させてもらおう。


 「ルイーゼ?私が住んでいる場所は、"深部"ではないよ?」

 「へ?」

 「あの場所は"最奥"。"深部"とは魔力濃度も生息している者達の強さも全然違うんだ。知らなかったの?」

 「ええ…」


 思っていたのとは違う反応だ。てっきりルイーゼのことだから驚愕の悲鳴を上げたりするのかと思ったが…彼女の反応は唖然と言うか、これは最早ドン引きしていると言っていいだろう。何故そんな反応に?


 「いや、"楽園"の区分って世界共通で"浅部""中部""深部"の3区画だったのよ?イキナリそんな新情報出されたって、すぐに受け入れられるもんじゃないわよ…」

 「別に今世界中に知らせようだなんて思っていないさ。ルイーゼには知っていて欲しいってだけだよ?」

 「その気持ちは嬉しいけどさぁ…。なんだか秘密にしなきゃいけない内容が増えた気がするわ…」


 ああ、私の正体を知っている者が、ルイーゼ以外にもいたんだったか。2人しかいないそうだし、その2人には教えてしまっていいんじゃないだろうか?


 「私もそのつもりだけどさぁ…絶対物凄い驚かれるわよ…?」

 「驚かせればいいじゃないか。と言うか、私はルイーゼも盛大に驚くと思ってた」

 「ちょっと?」


 しまった。この言い方ではルイーゼの驚くところが見たかったと言っているようなものだ。

 眉根を寄せて、疑いの視線を向けられてしまった。


 「ルイーゼの反応は面白いからね。正直、驚く顔が見たかった」

 「アンタねぇ…」


 意外なのは、怒るのではなく呆れられたと言う点だ。まるで、からかわれるのには慣れている、と言わんばかりの反応である。もしかしなくても、誰かに日常的にからかわれて慣れているのか?


 「ご想像にお任せするわ」


 となると、やはりからかわれていそうだな。

 ルイーゼの反応は見ていて面白いからな。その気持ちは分かる。つい意地悪をしたくなってしまうのだ。きっと、その人物は、ルイーゼのことがとても大切だし大好きだと思うのだ。


 「なんでニヤニヤしてるのよ?」

 「そんな顔をしてた?」

 「してたわ」


 私はどうも自分の意思で表情を作るのが苦手なようだし、表情の変化に気付き辛いようだ。何時の間にか顔が緩んでいたことを指摘されてしまった。

 隠す理由など無いので、正直に理由を話すとしよう。


 「そう。ならきっと、とても微笑ましい気持ちになったからだね。さ、そんなことよりも折角ヴィルガレッドが用意してくれたんだ。ハチミツ以外のここにある果物も食べよう?」

 「そうね。そうさせてもらうわ」


 ルイーゼに果物を食べるように促せば、彼女は素直に真っ赤な小さな果実を手に取り、そのまま口に運んでいる。

 そう言えば、ヴィルガレッドはここにあるソファーや机、果物を用意するにはあまりにも巨大だ。

 わざわざ縮小化してこの場に設置してくれたのだろうか?一概にそう決めつけられるわけでもない。


 ヴィルガレッドほどの者ならば、魔力を用いて触れずに物を動かすことも容易だろうからな。

 なにせ千切れ飛んでしまった自分の両腕を意のままに操って見せたのだ。出来ない方がおかしいとすら言える。


 触れずに物を動かす技術か…。

 尻尾や『幻実影ファンタマイマス』が便利過ぎることもあって、今まで試してみたことがなかったな。ルイーゼはできるのだろうか?


 「そうね。何百メルも離れた場所とかのは無理だし、あんまり重たい物を動かせるわけでもないけど、できないことはないわよ?」

 「それって魔術?」

 「違うわ。アンタも魔力板を使って空中に立てるでしょ?アレを応用するのよ」


 そうか。魔力板はその場に固定できるだけでなく操作もできるのだ。確かに、その技術を利用すれば、物を掴んだり動かしたりと言った動作も可能か。

 形状や強度も変えられそうだな。それこそ、自分の手を作ってしまってもいいかもしれない。


 ん?待てよ?


 ソレってつまり、『補助腕サブアーム』と大して変わらないんじゃないか?

 この場で発動して、ルイーゼに確認を取ってみよう。


 「…なぁんでアンタはそんなことを平然とできちゃうのかしらねぇ…」

 「まぁ、魔術でやってみたいと思ったからかな?魔術を作るのって、パズルをしているみたいで楽しくない?」

 「さぞ難解なパズルなんでしょうね…。ホンット、アンタってば規格外ねぇ…」


 ルイーゼから見ても、新しい魔術の開発は難易度が高いようだ。魔術の開発がパズルみたいだと伝えたら、呆れられてしまった。

 まぁ、パズルと言うのは基本的に娯楽であり遊びだからな。一緒にするものではないのかもしれない。


 ああ、そうだ。娯楽。

 ヨームズオームが今もヴィルガレッドと楽し気に対局しているチャトゥーガもそうだが、私にはまだ娯楽用の玩具があるのだ。


 そう。マギモデルである。

 世界情勢に詳しいルイーゼならば、コレのことも知っているのだろう。彼女も所持していないだろうか?


 「ええ?マギモデル?アレはどっちかって言うと男の子が好きな玩具でしょ?女性でマギバトラーとかほとんどいない筈よ?私も持って無いわ」

 「興味ない?楽しいよ?」

 「ん…まぁ、まったく無いわけではないけどね…。応用すれば、人形とかも動かせそうだし…」


 ほう!ルイーゼも良い着眼点を持っているな!

 これなら、彼女もマギモデルを使用した劇のことを話せば興味を持ってくれるかもしれない!

 早速説明させてもらおう!ピリカのパトロンになってもらえるかもしれない!


 「へぇ…そんなことをやってるのねぇ…。面白そうじゃない。マギバトルはあんまり興味ないけど、マギモデルを使った劇には興味があるわ」

 「それなら、ピリカに援助してあげてもらっていい?」

 「良いけど、すぐには無理よ?」


 ん?そうなのか?魔王なのだし、資金的な問題は無い筈だが…。

 って、ああ、そうか。マギモデルの劇について知っているのは、国外では私とジョゼット、それとオスカーぐらいしか今はいないのだ。

 そんな状況でイキナリ魔王から援助が来たら、私と魔王が既に交友があると知られてしまう。


 魔王国に訪れていない筈の私が、何故魔王と交流があるのか、それを考えられてしまった場合、面倒なことになる。確かに、すぐに援助は無理だ。

 ピリカに援助してもらうのは、私が魔王国に旅行へ行った後になるな。


 そうだな。そろそろルイーゼにハチミツに対する要望を伝えさせてもらっても良いだろう。


 「ルイーゼ、ハチミツを上げる代わりに、お願いがあるんだけど、聞いてもらえる?」

 「え?そうね…。こんなに凄い物を貰っちゃったんだから、そりゃそうよね。ええ、良いわよ?でも、私にもできないことはあるからね?」


 なに、ルイーゼにできないことは頼まないとも。むしろ、ルイーゼにしかできないことを頼むのだ。


 「私は、ドライドン帝国の観光が終わったら、次の魔大陸の旅行は、残りの人間達の国をいっぺんに見て回ろうと思うんだ」

 「ふーん…。まぁ、残りの国はそこまで大きい国じゃないし、好きにすればいいんじゃないかしら?」


 それと自分への要望と何の関係が?とでも言わんばかりの表情だ。

 話はこれからなので、そう訝しがらずに聞いて欲しい。


 「それが終わったら、次はいよいよ魔王国の観光だ。ルイーゼに会いに行くよ」

 「そっか。いよいよってわけね…。さしずめ、私へのお願いって言うのは、魔王国に来た時のことね?」


 流石はルイーゼ、話が早い。では、要望を発表するとしよう。


 「その時、私はルイーゼと一緒に魔王国を見て回りたいんだ」

 「へ?」

 「ルイーゼ、魔王国の観光案内をしてくれない?」


 魔王国にいる間は極力ルイーゼと一緒にいる。


 それが私の要望だ。

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