第430話 自治化計画

 まず最初にスラムに対してマクトに行ってもらうこと、それはスラム街の住民の雇用だ。


 「あの場所に住まう者達は、何をするにも足りない物が多すぎる。何でもいいから仕事を与えて、金を渡してやるんだ」

 「しかし、その仕事は…」

 「マクト、スラム街の一角を貴方の所有物として購入して欲しい。この国の法律ならば可能な筈だ」

 「………私が購入した土地を、スラム街の住民達に管理させるのですか?」


 最終的にはそうしたいところだが、すぐには無理だろう。

 正直なところ、最初は他のスラム街の住民達が悪さしないように見張ってくれるだけでも十分だと思っている。


 「しかし、その購入した土地で何をすれば…」

 「彼等の貧しさの原因の一つ、食糧問題を解決させる。つまり、畑だ」

 「街の中で、農業をさせるのですか!?」


 マクトの反応も当然だな。

 どの国でも、基本的に農業は都市の中では行われていない。そういった仕事は、都市から離れた村落で行われるのが殆どなのだ。


 足場を安定させるために石畳を敷き詰められた都市の地盤では、作物を作るのに不向きだからな。石畳の下の土も突き固められて石のように固くなっている。都市で農作物を作ろうとする者など、そう現れないだろう。

 やる者がいるとしても、精々が鉢やプランターに苗や種を植えると言った小規模なものだ。


 私がこれまで本で得た知識と、千尋の研究資料から副産物として得られた異世界の知識。それらをすべて駆使して、スラム街に畑を作り上げる。

 それが、計画の第一段階だ。


 「マクト、スラム街には大量のゴミが片付けられずに散逸しているね?」

 「…お目汚し、大変失礼いたしました。街の清掃を行う者達は、スラム街にまで足を運ばず…」

 「それは貴方のせいじゃないのだから、謝罪は不要だよ。それよりも、そのゴミを集めて買い付けた土地に埋めるんだ」


 異世界の知識の中に、スラム街の土地以上に植物が育ちそうにない環境があった。その状態から、緑生い茂る土地に生まれ変えさせたという記録があったのだ。

 例の研究資料の解析の際に出題された、異世界の事情に関するクイズから得た知識である。


 ゴミに含まれる栄養素を求めて、虫が集まるのだ。

 集まった虫達は、その場で巣を作るために強靭な顎で土を細かく砕き、柔らかな土壌を作る。その状態ならば、植物も問題無く育つだろう。

 育てる植物は、1ヶ月もしない内に収穫が可能になる野菜が複数あるので、それらを育てさせる。これで、食料の問題は多少なりとも改善されるだろう。


 「…少々、時間が掛かりそうな話ですね…」

 「一日二日でできるようなことではないのは確かだね。だけど、だからこそ人を雇う意味がある。スラム街の住民を雇い働かせれば、彼等は食事に困ることも無くなるだろう。それは、少なからずスラム街の治安回復に繋がる」

 「………その金は、どこから?」


 マクトも大富豪というわけではないからな。スラム街の住民を長期間雇う金など、彼には無い。

 そもそも、彼はスラム街の現状を憂いてはいるが、無償で慈悲を与えるほどの余裕があるわけではないのだ。


 慈善事業ではないのだ。マクトにも旨味が無ければ、頷ける内容ではない。

 最終的に、マクトには莫大な金が手に入ることになるだろうが、それまでには長い時間が必要になる。

 いくら竜人ドラグナムが長命種だからと言って、その時が来るまで無償でスラム街の住民達を雇用し続けることなど出来ないだろう。


 「スラム街には、元気が有り余っている連中がいるようだからね。その連中に働かせて稼がせる」

 「まさか、ギャング共のことを言っているのですか!?あの連中が、どういった者達か理解したうえで仰っているのですか!?」

 「勿論だとも」


 ギャング。

 満足に食料も手に入らないスラム街という劣悪な環境の中で、唯一と言っていいほど裕福な生活を送っている集団の名称だ。

 服装に関しても、一般人から見て一応は普通の範疇に収まるような衣服を、彼等は身に纏っている。

 尤も、食料も衣服も褒められた手段で手に入れたものではないのだが。


 ギャング達は、自分達のルールに則って活動している。街の法律などは知ったことではないのだ。

 暴力手段は当然のように用いるし、窃盗や強奪、詐欺行為も平然と行っている。


 つまるところ、一般人からすれば立派な犯罪者集団、賊と何ら変わらない連中と言うことだ。

 当然、一般人どころかスラム街に住まう住民にも迷惑を掛けている。


 そんな連中を利用しようというのだから、マクトが驚愕するのも当然だ。言って素直に言うことを聞くとは思っていないのだろう。

 残念なことにこのギャングという組織、この国のスラム街には示し合わせたかのように必ず結成されていたりする。ルグナツァリオに確認済みだ。


 力づくで欲しい物を弱者から奪っているから、彼等はまともに食料も衣服も得られ、そして健康な肉体も得られている。

 ならば、その有り余っている活力、今まで大勢に迷惑を掛けた分も含めてしっかりとスラム街へ還元してもらおうと思うのだ。

 軌道に乗れば、連中にも益はあるだろう。


 連中をまともな冒険者に仕立て上げ、金を稼がせるのだ。そのための教育に関しても、いっぱしの実力をつけるまでは私が幻を用いて面倒を見てやろう。優しくしてやるつもりは無いがな。


 「ここは私の我儘を通させてもらう。連中には、私が話をつけに行こう。連中を冒険者として更生させて、貴方にスラム街の住民を雇わせるだけの金を支払わせる。支払われた金額は、一部は貴方のものにしてしまえばいい。そうして少しずつ金を溜めていき、最終的にはすべてのスラムを貴方の所有物にして欲しい。この国のすべてのギャング達に同じことをするんだ。しばらくした後は、貴方にはそれなりの利益が見込めるようになるんじゃないかな?」

 「な、なんと!?ほ、本気………なのですね…!?」


 街中で自分達の秩序を勝手に形成して好き放題している連中を、無償で何とかしようと言っているようなものだからな。本気なのかと疑うのも無理はない。

 だが、私の真っ直ぐな視線を受けて、それが冗談でもハッタリでもないと理解したようだ。


 「あくまでもスラム街に畑を作るのは計画の第一段階だ。本題は、自分達で食料を確保できるようになってからだよ」

 「た、確かに…。ギャング共を黙らせ、食料を得られるようになったとしても、まだスラム街の問題は解決できていませんからね…」


 もはやギャング達の問題は問題だとは思っていないようだ。私ならば彼等を従わせることなど造作もないと理解しているのだろう。実際、かなり強引な手法で彼等を従わせるつもりだからな。

 計画の第二段階移行を説明していこう。


 食料を得られるようになると言うことは、少なくとも今以上には健康な肉体を得られると言うことだ。それはつまり、働ける体になると言うことだ。


 ならば次は、スラム街の清掃だ。

 ゴミを集めるだけでも多少は綺麗にはなっているだろうが、汚れというものはゴミだけでできるものではないのだ。

 スラム街の清掃を行き届かせ、清潔な生活環境を確立させる。それと同時に、スラム街の住民達自身も清潔にするように教育させる。


 清潔な環境が出来上がれば、スラム街の水回りの状態も清潔になっていくだろう。ギャング達の面倒を見るついでだ。その辺りの確認も私がやっておこう。


 食料を得て清潔な環境と体を手に入れたら、今度は仕事だ。彼等を雇う金はギャング達に払わせると言っても限度があるからな。


 「…まるで開拓事業ですね…」

 「まるで、ではないと思うよ?実際、やることは開拓事業とそう変わらないだろうからね」


 長らく放置されている場所なのだ。加えてギャング達が好き放題に暴れたりもしたせいで、少しの衝撃で崩落してしまいそうな建築物もあれば、既に崩落してしまった建築物もあった。

 将来的には稼がせた金で資材を購入させ、人間が問題無く生活できるような、まともな建築物も建造させよう。


 「ノア様…もしや貴女様は、スラム街を…。街の中に、新たに自治区を作るおつもりですか?」

 「そういうことになるね。あの場所を自給自足ができる環境に彼等の手で開拓させる。それが私の計画だよ」

 「そうなれば、街の統治者が黙ってはいないと思いますが…」

 「分かっているよ。だから、貴方に土地を買ってもらうんだ」


 私がマクトにスラム街を任せると言ったのは、そういう意味だ。

 スラム街を開拓し、一つの自治区として昇華すれば、当然その場所から利益を得ようと統治者が干渉して来る。

 その対応を、マクトにはやってもらいたいのだ。


 当然、街の中にあるのだから税を払う必要がある。だが、ようやくまともな生活ができるようになったスラム街の住民達では足元を見られ、言いくるめられる未来が容易に想像できる。

 その点、商業ギルドに職員として勤めて金銭の管理がしっかりしているマクトならば、安心して任せられる。


 現在のスラム街の土地を購入しようとしても、大した金額は必要ない。

 誰も欲しがらないからな。現在の統治者ならば金を払ってでも譲りたいと思うところだろう。

 まぁ、欲しがる相手がいるのなら当然可能な限り高値で売りつけるわけだが。

 それを加味しても、スラム街の価値はというのは金貨10枚もあれば四分の一の範囲を購入してしまえるほどの価値なのだ。

 もしもマクトに余裕がないというのであれば、そのぐらいの金は私が出してもいいと考えている。


 「どうかな?貴方には負担を掛けることになるけど、この国のスラム街の問題、解決できると思うよ?」

 「…ひとつ、お聞かせください」

 「うん。可能な限り答えよう」


 神妙な表情で、マクトが私を真っ直ぐ見据える。私の提案、彼も賛同してくれてはいるようだが、それはそれとしてどうしても解せないことがあるようだ。

 それが何かは、私にはある程度予想がついている。似たような質問を以前、別の場所でされたことがあるからだ。


 マクトの真っ直ぐな視線を優しい気持ちで受け止め、質問の内容を口に出すまで静かに待つ。やがて、彼の口から予想していた言葉が紡がれた。


 「何故、それほどまでに彼等に、この国に尽くしてくれるのですか…?こう言っては何ですが、スラム街の者達はギャング共に限らず、あの場所に住まう者達もすべて、ノア様にとってまるで価値のない者達の筈です…」

 「価値なら、あったさ」

 「それは、一体…」

 

 まぁ、私の勝手な我儘なのだがな。


 「スラム街を見て改めて分かったのだけどね、私は、人間が好きみたいだ。特に、強い意志を瞳に宿らせ、命の輝きを感じさせる人間がね」

 「………」

 「全員ではないけれどね。あの場所に住まう者達の中には、あれほどの生活環境に追いやられながらも絶望せず、必死に今を生きようとしている者達が結構な数いたよ。彼等を、彼等の輝きを失わせたくないんだ。きっと、彼等は今よりもより美しく輝けるだろうから。見てみたいんだ。彼等がより一層強く輝くところを。尤も、人間に限らず、知性ある生物というものは堕落する可能性があるから、輝けるかどうかは彼等次第なのだけど。それでも、私はやるだけの価値があると思ったよ」


 普通に"人間"と呼称して、私が人間ではないと仄めかすような発言をしてしまっているが、目の前にいる相手は竜人なのだ。

 本能的に、私の正体に気付いている可能性が高い。というか、グリューナもマーグも、私がドラゴンか竜人なのかを気にした様子が特に無かった。

 彼等からしたら、極めて強力なドラゴンの因子を持つ。ただそれだけで、敬意を払うに十分な理由となるのだろう。そして、それはマクトも同じようだった。


 「マクト、私の望み、叶えてもらえないかな?対価は、私の信用。貴方が望むのなら、私の配下と名乗ることも許そう」

 「っ!!?」


 自分で言っておいてなんだが、相当に尊大な発言だ。マクトが竜人でなかった場合、私に対する信用が無くなってしまっていたかもしれな。

 勿論、彼が竜人だからこそこんな言い方をしているし、対価を提示している。


 そして、私の振る舞いはマクトにとって、感銘を受ける振る舞いだったようだ。


 顔を下げ、閉じた瞳から涙が零れ落ちる。


 マクトは、静かに泣いていた。


 「………その慈悲深さ、その純真さ。私の目には、貴女様こそが光り輝く女神のように見えました!」


 女神ではないし、純真とはかけ離れているぐらいに私は欲望のままに行動しているんだが…。マクトにとってはそうではないようだ。


 椅子から立ち上がり、私を迎えた時と同様、いやそれ以上に恭しい態度でマクトは私の前に跪いた。


 「このマクト=ムーン!必ずや『黒龍の姫君』ノア様の要望に応え、貴女様の配下を名乗らせていただきたく思います!私の手並み、是非ともご照覧ください!」

 「ありがとう。では、私は私で早速動くとしよう」

 「…と、言いますと?」


 決まっているだろう。ギャング達を黙らせるのだ。


 夕食までまだ30分近く時間がある。


 さっさと済ませて、気持ちよく夕食をいただくとしよう。

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