第429話 可能な限り、人の手で

 足早に移動して、スラム街全体を直接目にしておこう。

 『広域ウィディア探知サーチェクション』を使用すれば全体を把握することもわけはないし、実際に『広域探知』を行うが、だからと言ってスラム街で日常的に繰り広げられる光景を見る必要がないというわけではないのだ。


 スラム街にて人間の醜悪な部分を見るつもりではあるが、私とてスラム街に住む者達全員が醜悪な人間というわけではないことぐらいは分かっている。


 外見は確かに場所が場所なだけあり、誰もかれもが不衛生な装いだ。

 長い年月碌に清掃されていないであろう路面や外壁。衣類の洗濯どころか水浴びすらできないほど清潔な水が得られない環境。健康な体を維持するためには、あまりにも足りていない食料。路上に少しでも保温性の高い古紙や布切れを纏い、雨風を凌ぐ者達の姿。そして、そんな古紙や布切れすらも奪い合うような治安。

 何より、この国には教会が無いためか、身寄りのない子供が身を寄せられる場所がない。


 私が見てきた街の景観とはまるで正反対の環境だった。


 だが、自堕落的な生活を送っている者達がいる中、そういった環境に置かれながらも必死に生き永らえようとしている者達がいる。

 そういった者達は、比較的若い者の割合が多いな。

 彼等の瞳には、例外なく惹きつけられるような光が宿っていた。生命の強さを感じさせる、美しい光だ。

 その瞳の光、失わせてしまうには惜しいと、私はそう感じたわけだ。


 極力甘やかさないためにも、彼等に対して直接何かを施すようなことはしない。その施しにすがられて、自堕落になられても面白くないからだ。


 早歩きで移動してスラムを一通り見て回った後、私は宿に戻ることにした。



 宿に戻ってから私がとった行動は、情報収集だ。無色透明の幻を複数生み出して、この街中の経済情報を徹底的に調べ上げたのである。

 行政施設や財政管理をしている施設にも幻を出現させ、手当たり次第だ。


 調べ上げた情報を元に、スラム街の状況を改善させるために必要な要素を模索する。

 その際、極力私から何か物資を提供するようなことはしない。

 加えて内政干渉にならないように、統治者にではなくあくまでもこの国の人間が一つの事業を始めた、という体で解決させようと思う。


 勿論、私の影響力ならば統治者に直談判すれば容易にスラム街の環境を改善させらるだろう。いい加減、私もそれだけの力があることぐらいは自覚している。

 ティゼム王国やファングダム、そしてニスマ王国の国章が入ったそれぞれの品は、それだけの力を保有しているのだ。


 だが、国政に派手に干渉した場合、やはりアインモンドが何をしでかすか分からないのだ。私が関わっているともなれば尚更だ。

 それはそうだ。私ならばその気になればリガロウと共に城まで直行して彼に直談判するという手段すら取れるのだから。


 アインモンドがその可能性に行きついた場合、この国全体に混乱をもたらすような行為をしでかしかねない。

 彼がそんな手段を取ったところで私ならばそれを跳ね除けることができるだろうが、それを"女神の剣"に知られてしまえば、やはり面倒くさいことになる。

 ただでさえ連中は私のことを危険視しているのだ。これ以上警戒されて、殲滅する機会が少なくなるのは避けたいのだ。


 …良し、情報は揃った。夕食までの時間はあることだし、早速該当者に接触するとしよう。



 私が最初に接触するのは、久しぶりに顔を出す商業ギルドの人間だ。

 この街はおろか、この国の経済情報を把握していて且つスラム街の現状を憂いている人物を見つけたので、その人物に問題を解決させるのが私の計画だ。


 非常に都合の良いことに、その人物は竜人ドラグナムなのだ。交渉はかなり優位に進められるだろう。

 当人も私がこの街を見て回っている際に、私のドラゴンの因子を感じ取っているからな。幻を用いて情報収集をしている間、非常に落ち着かない素振をしていたのを、私は確認しているのだ。


 彼、マクト=ムーンが竜人であることは周知の事実のため、周囲の人間達も彼の態度には納得の表情をしていた。

 私が直接話をしたいと申し出れば、グリューナほどとは言わずとも、マーグに近い反応をすると思うのだ。


 商業ギルドに足を踏み入れれば、その瞬間、当然のように施設内の全員の視線が私に集まった。目的の人物であるマクトは施設の奥にいるため、ここからでは肉眼でその姿を収めることはできない。

 だが、彼は既に私のドラゴンの因子を感じ取っているようだ。音だけでも挙動不審になっているのが分かる。


 受付の元へ向かおうと思ったのだが、意外なことにギルド側から私に用件を尋ねてきた。周囲の職員と比べて服装が上質なものだし、見た目も豪華だ。もしかしなくても、ギルドマスターだろうか?


 「商業ギルドへようこそお越しくださいました。ご用件を伺いましょう」

 「ありがたいのだけど、用件っては受付を通すものじゃないの?」

 「ぬふふ、これは異なことを。貴女様は、そのではないではありませんか」


 まぁ、それはそうなのだが…。なるほど、商人だものな。こういった屁理屈はお手のもの、といったところか。

 特に不都合があるわけではないのだし、彼の好意に甘えるとしよう。


 「このギルドには竜人が勤めているね?彼と個別で話がしたいのだけど、都合は取れる?」

 「はっ!勿論で御座います!彼、マクトも貴女様の気配を感じ取り、あまり仕事に手がつかない状態でしたからね。ここは一つ、喝を入れてやってほしいものです!」


 私が情報収集をしている際も上の空だったり、まとめた資料を落としてしまったりと散々な様子を確認できたからな。推定ギルドマスターが注意してやって欲しいと言うのも無理はないか。

 それとも、私のせいで普段優秀な部下が使い物にならなくなっているから責任を取れ、とでも言いたいのだろうか?少なからずありそうだな。では、その要望に応えるとしよう。


 案内された部屋のドアの前に立つと、既にマクトは跪いて私が部屋に入って来るのを待機している状態だった。自分の元に近づいてきたのが分かったのだろう。


 「マクトは此方の部屋にて書類の整理をさせています。少々お待ちを」

 「ああ、声をかける必要はないよ。既にこちらを迎える準備はできているようだからね」

 「は?それは、どういう…」


 ギルドマスターは優れた感性を持っているわけでも無ければ、空気の流れや音の反響から周囲の環境を読み取れるような武術の達人でも無いのだ。扉の先のマクトがどのような姿勢を取っているかなど、想像もつかないのだろう。


 特にノックをすることも無く扉を開く。マクトが跪いて待機している以上、必要がないと判断した。


 「えっ!?ちょっ!?お、お待っ…ってええぇーっ!!?マクト!?お前、何しとんじゃあ!?」


 ノックも無しに扉を開ける行為は、本来ならば極めて失礼な行為に値するからな。

 流石にギルドマスターは私を止めようとしたのだが、既に開いた扉の先に映るマクトの姿を見て、そんなことはどうでもいいと言わんばかりの驚きぶりを見せてくれた。


 そして、マクトはギルドマスターの問いかけに対し、こうあることがさも当然のことのように答える。


 「私は私として正しい振る舞いをしているだけのこと。どうかお気になさらず。そして、こうしてお目に掛かれたこと、恐悦至極でございます!我が名は、マクト=ムーン。『黒龍の姫君』様の記憶の片隅にでもその名が刻まれれば、これ以上の望みはないと思っております!」

 「自己紹介は不要のようだね?それじゃあ、早速用件を済まさせてもらおう」


 そう言ってギルドマスターの方を一瞥する。

 彼は個別で話がしたいという私の要望をしっかりと把握していてくれたらしく、素早い身のこなしでロビーへと移動して行った。


 夕食までの時間に余裕があるわけではないのだ。マクトを席に着くように促して、すぐにでも話を始めよう。



 当たり前の話だが、マクトは私がどういった用件で自分を訪ねてきたのかを知らない。緊張で冷や汗をかいているほどだった。

 まぁ、ある意味では責任重大になるだろうから、始めから緊張してくれていた方が話は進め易いか。


 「昼食を取った後、この街のスラム街を見てきたよ」

 「!…左様で御座いましたか…。この国に…幻滅なさいましたか?」


 マクトは、この国を少なからず想っているのだろう。昨日会話をした妙に自尊心が強かったり選民思想的な感情を持つ者達ほどではないが、この国の民であることに誇りを持っているようだ。


 私は、今日初めてスラム街に訪れた。だから、人間達は私がスラム街がどのような場所と捉えているか、知らないのだ。

 現状人間達は、私が人間達の良い部分ばかりを見ていると思っている。人間に対して、好感を持っていると思われているのだ。


 概ねその通りなのだが、それは今まで人間の善性ばかりを見てきたから言えることだ。人間の醜悪な部分を見れば、その考えも変わるかもしれない。

 特に、自分の国に対して良い感情を持たれなくなってしまうかもしれない。マクトは、それを懸念しているのだ。


 「まさか。幻滅するのは、これから先、彼等がどうするかによるよ」

 「…と、仰られますと…?」

 「マクト、貴方にスラム街を任せたい」

 「………は?」


 流石にこれだけでは何も分からないか。言葉の意味が分からず、口を開けたまま硬直してしまっている。

 私もこれだけで伝わるとは思っていなかったからな。


 用件は、これから伝えさせてもらうとしよう。

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